埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



事の起こり

問題が問題なのではありません。

何を問題と思っているかが問題なのです。

悩んでいるゾーンこそが、如実に今の自分自身の器の現れであると認識しましょう。

1センチの物差しで1ミリを測れば、その1ミリは大事です。

しかし、10メールの巻き尺で測れば、それは誤差にもなりません。

様々な形で起こってくる出来事に対して、何を「大変」と感じて反応しているのか。

「大変」には、二つの意味があります。

タイヘン、タイヘンと取り乱して慌てふためくカタカナのタイヘンが一つ。

二つ目は、文字通り「大きく変わる」という意味を体現する漢字の大変です。

人はカタカナのような表音記号で生きると、金属音のする無味乾燥の人となります。

その一方で、出来事の意味を未来の新しい決意に変換出来る人が、時代を引っ張るリーダーへと成長するのです。

目指せば、不思議なことにその瞬間から、今まで気配すら見せなかった事が「問題」として目に映ってきます。

それは問題として目に映るのですから、不安であったり悔しさであったりします。

こうした出来事を問題から決意に変換するフィルターは、「自分自身に対する怒り」以外にありません。

そもそも事の起こりは、心のどこかに抱いた誰かへの「依存」にあったのです。

ここに弱気から出発した「気分的な決意」の本質があります。

ここを未来の戒めに変えましょう。

自分自身に対する怒りは、痛烈な悔しさに直結します。

その悔しさを忘れてはなりません。

その悔しさを命に刻印する。

その悔しさを「資産化」するのです。

自分の魂のステージをワンランク上げましょう。

五体にビンビン電気を流して、何者をも畏(おそ)れず前進するのです。

人生は勝負です。

強気の躓(つまず)きはあっても、弱気の成功は絶対にありません。

悔しさを資産に変えて、目指す処を一点の曇りもなく見つめる中に、魂の成長があるのです。



ムーブメント

不安は、現実を直視した時に解決します。

いつまでも、その状況が続くことはないからです。

現実を見つめることが出来れば、何に不安を感じ、何に困難を感じていたのかが分かってきます。

不安や困難はそのように感じたときに、あなたの心の中で形を持つということを理解しましょう。

不安や困難は、現実には形を伴って存在することなどないのです。

そう感じたから、現実という状況が不安や困難と映ったのです。

森を歩いていて、木のツルを蛇と見ればあなたは即座に飛び退きます。

状況に不安や困難という意味を与えれば、始めは小さなさざ波のような揺れが、やがては自分という確固たる存在をも揺るがすムーブメントへと拡がっていくことを見落としてはなりません。

心に炎を燃やしましょう。

全てを、前進のための薪とするのです。

立ち止まりや撤退はいかなる理由を付けようとも、人生の染みとなって命に刻まれていきます。

そのとき心が逃げたツケは、後日高い代償としてあなたに必ず迫ってくるのです。

故に、本来それ自体に意味を持たない現実に、わざわざ自分を追い込んでいくようなネガティブな意味など付けてはならないのです。

「よし、ここは一つやってやろうじゃないか!」

こう自分にストロークして、その現実に立ち向かいましょう。

為せば成るのです。

成らなかったのは、為さなかったからです。

心に覇気という松明を掲げて、夢と希望を語るリーダーへと共に成長していきましょう。



ファイティングスピリッツ

「世界を変えてやると言った人たちがいた。

世界は彼らを笑った。

しかし、結果的に世界を変えたのは、世界を変えてやると言った人たちだけだった。」

事を成し遂げていく本質的なプロセスが含まれた考え方です。

物事は、「こうする!」とまず思わなければ始まりません。

時には退路を断つが如くに、内なる思いを言葉にして宣言する。

煮え切らない自分自身に喝(かつ)を入れる。

事が前に進まないのは、障害があるからではありません。

自分自身が煮え切らないからです。

根性がないのです。

やり方とか作戦とかをどれだけ追及しても、そんなものは本番ではさほどのことはありません。

気が肝心なのです。

負けじ魂を持ちましょう。

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない!

炎の如くにファイティングスピリッツを燃やすのです。

言い訳とヘボプライドでコーティングした「仮面」を、いい加減に剥ぎ取るのです。

まず、等身大のあるがままの自分と向き合う。

そして、言い訳とヘボプライドをかなぐり捨てて、挑戦の旅に出るのです。

山を降りる勇気を持ちましょう。

山を一度降りなければ、更なる高みの山へは登れないからです。

現状維持は、自殺行為に等しい時代となりました。

何故ならば、未来を予測することが無意味な時代となったからです。

今という時代は、「不確実性の時代」です。

故に、未来は予測するものではなく、強い思いで創造するものなのです。

あなたが一人大いなる意志を持って気を吐けば、世間の心ない人々は何の実績も持たないあなたを見て、冷ややかに嘲笑するかもしれません。

しかしその体験こそが、後日大きく実ったあなたの人生の「勲章」となることを忘れてはなりません。

笑う人には、笑わせておきましょう。

陰口を叩く人には、叩かせておきましょう。

雑魚(ざこ)に心を囚われてはいけません。

あなたは次の時代を創る大魚(たいぎょ)だからです。

世界は結局は、世界を変えてやると言い切った人たちが変えたという、紛れもない真実をしっかりと胸に刻むのです。



自分を動かす力

「最初は計算をした。だが、計算を超える何かがあって、それが時代を動かした。」

人が何かをやろうとする時は、意図的な狙いがあって、そこにはそれなりの損得と収支計算があるのが普通です。

まず自分が成功したいから、何かに取り組む。

成功という意味の世界標準は、お金持ちになるということです。

お金持ちになりたい。

人よりいい車に乗り、いい服を着て、大きな家に住みたい。

こうした願望を強く持つことによって、それに向けた行動が始まります。

願望を明確な目標に変える。

その目標を実現するために、具体的な計画を立てて具体的に動く。

こうしたことが、成功への手順と言われています。

しかし、実際に成功する人は僅かな人たちです。

手順は分かっているのに、何故なのでしょう?

そのヒントが、「計算を超えた何か」にあるのだと思います。

計算を超えた何か、それは一体何なのでしょう?

 それは、「愛」です。

成功は計算してアプローチ出来るかもしれませんが、幸せは計算で近づくことは出来ません。

成功は人の心に満足感を与えたときに訪れます。

満足感とは幸福な思いです。

人間は心が充たされることで、次のステージに立ち向かうことが出来る動物だからです。

愛で人と向き合い、愛で勝負する。

 いつも、人の心に満足を与える仕事を心がけましょう。

そこに、計算を超えた何かが生まれてきて、それが自分を動かす力となるからです。

 人を自分の思い通りに動かそうとするのはエゴです。

 大切なことは、人を動かす力ではなく、自分を動かしていく力です。

エゴを捨てて、愛の心で成功を目指していく。

言うは易く、行うは難(かた)しですが、自戒の意味を込めて記しました。



岐路

心の奥底にある意識が本当に受け取った情報は、寸分違わず未来の自分の本質となります。

人生に脈絡などありません。

あるのはいつも「岐路」だけです。

目指せば必ず岐路にぶつかります。

その岐路で求められるものは只ひとつ。

それは「決断」です。

人生を可もなく不可もなくのんべんだらりんと過ごしている人に、岐路が訪れることなどありません。

岐路がないのですから、決断の意味を知るよしもありません。

決断はあなたに、これからあなたが進むべき正しい道を教えます。

勝負の時は、雑音を消しましょう。

勝負の時に、あなたがもし迷っているとしたら、あなたの頭の中が雑音だらけだからです。

あなたの心の奥にある静かな場所を探して、そこで今目の前にある仕事をしてください。

自分と向き合うのです。

但し、向き合う自分は今の自分ではありません。

未来の自分です。

いついかなる時でも真の敵は自分自身であり、闘う相手は自分自身の心であることを肝に銘じることが大切です。

迷ったら原点に戻る。

何のためにここまで歩いてきたのかを、今一度思い出すのです。

真の決断に迷いはありません。

決断とは迷わないことだからです。

勝負の時に迷ってはいけません。

あれこれ考えて頭をこねくり回すより、腹を決めてしまいましょう。

腹を決めて、未来へ立ち向かうのです。

臆病者に未来は訪れません。

心を静めて、我が人生を形創るイメージを呼び覚ましましょう。

イメージこそが、最強の情報なのです。

イメージの変更は運命の変更です。

何が自分を弱気にさせているのかを、今一度見詰めてみましょう。

イメージを強気という絵筆で塗り替えてみる。

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まることを忘れてはなりません。



GO!

情報は、受け手のエネルギーの問題です。

同じ情報を聞いても、何も感じない人もいれば、何かをピンと感じてそこからチャンスを紡いでいく人がいます。

チャンスを紡ぐ人は、何かを閃いた人です。

閃くという漢字は、「人が門に入る」と書きます。

人はエネルギーを高めることによって、情報と出会います。

その情報が今まで自分の内側に集積した何かと反応して「力」に変わり、その「力」が人をチャンスのゾーンへと導いていきます。

そのゾーンこそが「門」なのです。

門に入る。

全てはここから始まります。

どのように生きるのかを、いつまでも選んでいてはいけません。

それでは「根なし草」になってしまいます。

根なし草のような生き方は、それ自体が人生の敗北者へと繋がりかねないからです。

隣の畑は青く見えると言いますが、皆そのゾーンそのゾーンで先が見通せない不安を抱えながらも、しっかりと自分自身の根を張って勝負しているのです。

人生に確実な道はありません。

何故ならば、人生は博打だからです。

人生に保証書などありません。

ましてや、あなたに保証書を切ってくれる人は誰もいないのです。

それを覚悟して、門に入るのです。

人生はリスクに溢れています。

しかし、だからこそ面白いのです。

確実なことばかりを追い求めて、リスクを避けてばかりいる人がチャンスを手にすることはありません。

人生は片道切符です。

迷って悩んでも、人生が大きく変化することはあり得ないのです。

迷ったらGO!

ウジウジしているのが一番よくありません。

自信持ってがんばれ!



メンテナンス

ほとんどの人が、感情は放っておいても持続するものだと思い込んでいます。

しかし、感情をそのまま放っておけば必ず消え去っていきます。

感情の一部であるヤル気も、放っておけば必ず消えてなくなってしまいます。

その理由は、感情やヤル気の原形が受動的なものだからです。

何かを見たり聞いたりして感じ入った時など、よく私たちは「感動した!」と思っていますが、実はそうではありません。

「感動した」という行為は能動的な行為です。

私たちは自分自身の意図的な力で感動することなど出来ません。

例えば、朝起き抜けでボーッとしている時に、いきなり意図的に感動することが出来ないのと同じです。

感動したというのは、何かの媒体があって、その媒体が自分に影響を与えた結果沸き上がってきた感情だったのです。

ですから、「感動した」のではなく「感動させられた」というのが正しい表現なのです。

感動させられたという受動的な体験を能動的な体験にシフトさせて、始めてその感動を資産として心に焼き付けることが出来るのです。

それでは能動的な体験とは一体何を言うのでしょうか?

それは「行動」です。

感動したというその感情を、行動に変えることなのです。

誰かにその感動を伝えてみる。

気分が高揚したら、その場その場で即行動に変えてしまう。

人生に、そのうちやるという「そのうち」が訪れることはまずありません。

「そのうち」を待っているうちに、せっかく高揚した気持ちが冷めてしまうからです。

Someday Never Comes !

という英語があります。

「いつかは永遠に来ない」という意味です。

やると決めた人に「いつか」はありません。

頑張ろうとする気持ちをほったらかしにしない。

ヤル気のメンテナンスを常に心掛けましょう。

車にメンテナンスが必要なように、思いにもメンテナンスが必要だからです。



神の一撃

決めれば全てが動き出します。

アマチュアとプロの違いは、この一点における理解の差にあります。

事が動き出さないのは、決めていないからです。

ドイツの偉大な文豪ゲーテは、こう語っています。

「決然たる意思の持ち主は、世界を自分に合わせて形創る。」

これは自分勝手という意味ではありません。

状況よりも意思の問題であるということです。

ここに、天才アインシュタインの逸話があります。

彼は相対性理論をはじめ、宇宙の謎にまで理論的に迫った天才物理学者です。

晩年この天才は、ある単純な質問に悩むことになります。

それはある子供の素朴な質問から始まりました。

「おじちゃん、宇宙ってどうやって始まったの?」

アインシュタインはニコニコしながら、その子に教えようとします。

「それはね、宇宙はね・・」

アインシュタインはその子に語りながらふと思います。

何故?宇宙ってなんで始まったんだろう?

宇宙が始まってからの動きは、様々な事象を研究しながら、様々な法則を発見して解き明かしてきたけれど・・

その始まり。

宇宙って、どうやって始まったんだろう?

彼は考え抜いた結果、ある結論にたどり着きます。

宇宙は何故始まったのか?

「神の一撃!」

これが、天才物理学者の答えでした。

神様がバンと宇宙を叩いた。

この一撃から全てが始まったのだと。

この話の捉え方はさておき、とても感じるものがあります。

何かを始めようとする時、如何なるジャンルの仕事であれ、その道の先達は必ずいます。

あなたがその気になれば、教えてくれる人は沢山いるのです。

しかし、どれだけそうした環境にあなたがいても、それだけではあなたの物語の始まりにはならないのです。

「私はやる!」という断固とした決意、即ち「神の一撃」があなたの胸の中にない限り、何も始まらないということです。

決めなければ、何も始まりません。

しかし、決めれば全てが動き出す。

物語の始まりは、いつ如何なる状況であれ「決める」ことからしか始まらないのです。



行動先行

汝、明日を思い患うことなかれ!

つまらないことを考えて、自ら行き詰まってはいけません。

考え過ぎて行き詰まるくらいなら、いっそのこと開き直ってしまいましょう。

ごちゃごちゃ考えてないで、やるべきことをさっさとやると意識することが、決断することの意味だからです。

行動先行で、弱い心をだまらせる!

開き直って、シンプルにやるべきことを1日に1つやりきることが、確かな明日につながります。

ごちゃごちゃ考えてないで、動くのです。

行動だけが、道を開く唯一の真実なのです。

行動は、あなたを裏切らない!

その状況に潜む真実を引き出す鍵は、行動以外にないことを忘れてはなりません。



バックボーン

「環境は、人を創らない。人を明らかにするのだ」

ジェームズ・アレンの言葉です。

厳しい環境は、そこにいる人に待ったなしの行動を迫ります。

人の行動は意識・無意識に関係なく、その全てがその人の持つ考え方から発せられた結果です。

人生のバックボーンとなるものは環境ではありません。

考え方なのです。

その時、どう動くか!

環境は躊躇(ためら)うことなく、私たちが一体何者なのかを問いただしてきます。

人生には二つのハードルがあります。

一つ目のハードルは、成功すること。

成功とは、お金持ちになるということです。

これが世界標準の捉え方です。

二つ目のハードルは、幸せになるということ。

幸せとは、心の状態です。

それは、「悩まない精神状態」と言えます。

一つ目のハードルをクリアーする基本は三つです。

機械には必ず取り扱い説明書があります。

成功とは機械のようなものであり、まず理解しなくてはならないことは、それぞれのジャンルにおける成功には必ず、取り扱い説明書があるということです。

本当に成功したいのなら、まず実際に成功している人がどういう考え方のバックボーンを持って、具体的にどう行動しているのかを、我が成功の説明書と捉えてしっかり「理解する」ことが大切です。

次に、そうして理解したことを「真似る」のです。

真似るの語源は、「学ぶ」から来ています。

真似るとは、思考を停止した「コピー」ではありません。

自ら積極的に学んで「モノにする!」のです。

最後は、粘り強くやり続ける。

これが成功の取り扱い説明書に対する処方箋です。

「理解する」→「真似る(学ぶ)」→「やり続ける」

例えば、携帯メールで漢字の変換が分からなくても、取り扱い説明書を読んでその通りに操作すれば、誰もが同じ結果が出るのと同じことです。

ただしここで、一つ分かっておかなくてはならないことがあります。

成功は人生の目標であり、目的は幸せになるということです。

成功は素直になって、説明書を理解して、真似て、やり続ければ皆同じ結果が出ます。

同じ結果が出ないのは、素直ではないからです。

ここまでで何が言いたいのか、もうお分かりになりましたか?

即ち、成功は誰もが出来るけれど、幸せになるのとは別次元だということです。

成功は幸せの重要な一部分であって、全体ではないということです。

それでは、幸せとは何か?

幸せとは心の状態と言いました。

悩まない精神状態であると。

それらは一体どこに現れて来るのでしょうか?

それはズバリ「人間関係」に現れてくるのです。

幸せの正体は、人間関係にあると断言できます。

良好な人間関係は、必ず経済的なバックアップをもたらします。

人間関係とは「パートナーシップ」です。

幸せを伴わない成功に、私は興味を持ちません。

幸せを伴う成功への姿勢、在り方とは何か。

それはコミットメントに尽きるのです。

人間関係という「パートナーシップ」にコミットメントするのです。

家族というパートナーシップ。

伴侶、友人、先輩、後輩等々。

あなたを取り巻くかけがえのないパートナーシップにコミットメントするのです。

人生を形創るバックボーンは、考え方と姿勢から発せられる行動に凝縮されると言っても過言ではありません。

人生の全ての意味が凝縮されている、人間関係というパートナーシップ。

そのパートナーシップにコミットメントした時に、目の前にある霧のようなモヤモヤがサッと晴れ渡ることを覚えておきましょう。

このコミットメントこそが、生きる力の源泉となるからです。



クライシス

あなたは自分の不甲斐なさを、心の底から怒ったことがありますか?

「怒りは絶望を忘れさせる」

落ち込んだり、滅入ったり、心配したり、不安になったり、恐れたり、めげたり。

そうした非生産的な心理の背景にあるものは只ひとつ。

それは、暇だからです。

時代は、ただ真面目に会社や国に依存していればよかった「保証」の時代から、誰も何も保証してくれない「自立」の時代に入ったことを、私たちはいい加減に分からないといけません。

例えば、先月の1ヶ月間を振り返ってみて如何でしたか?

ただ何となく自分なりにやれたかも、などというレベルではもう到底間に合わない時代なのです。

あなたの本質である潜在意識は、あなたのとった行動を貫く「本音」を鋭く見抜いて、その本音に相応しい人生を形作っていきます。

不甲斐ない結果であったとすれば、それはそれで済んでしまったことだから切り替えて次にいこう。

これでは、全然駄目。

その不甲斐なさに、心底怒らないといけません。

その怒りを未来への「教訓」として、「資産化」するのです。

何も感じず考えず薄っぺらに切り替えて、それで成長したと思っていることが危ないのです。

そうしたことの繰り返しの先には、絶望というクライシスが間違いなく待っていることを忘れてはなりません。

本気で目指したら、そのゴールへの過程には幾度か必ず不甲斐ない自分自身に対しての怒りがあるはずです。

枯れて物分かりの良くなった大人が百千万人いても、世の中は変わりません。

我が人生に立ち向かう者は、どこか青臭くてよいのです。

悔しさを資産化する。

さあ、出発です。



感じる力

あなたの周りにいる人が素敵な人ならば、それはあなたが素敵だからです。

あなたの周りにいる人が取るに足らざる人ならば、それはあなたが取るに足らざる人だからです。

人はあたかも磁石のように引き合い、向き合った相手に自分を見る生き物だということを覚えておきましょう。

自分を取り巻く環境とか、自分の周りにいる人たちを変えようとしても、そう簡単に変わるものではありません。

環境や他人を変えようとするのではなく、自分を変えるのです。

人は、だんだんと少しずつ変わるのではありません。

ある日を境に、「突然」変わります。

何かを媒体にして直感というインスピレーションが走って、その瞬間、全身に電気が流れて変わるのです。

人は「天命」という、天の命令に従って生きようとした時に変わります。

そのような人には、何人(なんぴと)たりとも敵いません。

使命感をも凌駕するものこそ、天命に生きることだからです。

決意することを、甘く見てはいけません。

本物の決意には、一切の迷いがありません。

一切の迷いがないということは、「囚われない」ということです。

どうでもよいことに囚われなければ、鬼に金棒です。

ですから迷っているうちは、その決意はまだまだ偽物ということになります。

それでなくてもふわふわと雑事に浮気ばかりする「心」を、さらに複雑にしてはいけません。

思いをややこしくしない。

その為には、自分の魂は何をすることが喜ぶのかを真摯(しんし)に考えてみることです。

魂が喜ぶ方向を向いて、今日の一歩を進めていきましょう。

今すぐに、出来る出来ないではありません。

そうした方向を見つめようと思えていれば、それでよいのです。

「本物の思い」というエネルギーは、時空を超えて必ず目的地に届きます。

その思いから、全てが変わっていくことを感じる力を持ちましょう。

自己変革は、感じる力から始まっていくのです。



違和感への挑戦

変えてはいけないことを分かっている人だけが、全てを変えることが出来ます。

時代や状況がどれだけ逆風逆巻く状態であっても、絶対に変えてはいけないことがあります。

それは「信念」です。

信念が風と共に揺らいでいる人に、人は絶対に付いていくことはありません。

リーダーシップは、何があろうとも揺るがない信念から形創られていきます。

リーダーたる者は、時に不利な戦いでも「ノーガード」で打ち合うが如くの気概を持っていなくてはなりません。

打ち合ったあと大怪我をするかもしれませんが、その時のことはその時のことです。

あなたが事に当たってもし緊張したとすれば、それはOKです。

何故ならば、成功の道はプレッシャーの中にしかないからです。

そのプレッシャーを乗り越えた時にしか、あなたが望む栄光はありません。

人の心は状況という縁に触れて「コロコロ」変わります。

何が起ころうが凛として堂々と振る舞う自分がいれば、風の音にもドキドキする小心者の自分がいたりします。

しかし、そうした全てが自分なのだと受け止めた時「覚悟」が現れてくるのです。

何があっても変えてはならない信念と覚悟を心に創って、あとはどんどんやり方・方法を変えていきましょう。

閃いたことは、まずやってみる。

迷ったらやる。

やってみて駄目だったことは、うまくいかない方法を新たに一つ見つけたと解釈しましょう。

今のままじゃ駄目!

これが状況打開のキーワードです。

状況を変えるには、会う人を変えることが大切です。

テンションが下がっている時ほど、テンションの高い人に積極的にコンタクトをとりましょう。

違和感のあるゾーンに「気付き」があるからです。

さあ、1日に一つ「違和感への挑戦」を開始しましょう。

変わらない信念と覚悟が、その違和感の中に宝を見つけ出すからです。



心の棘

進もうとする時は、アクセルを踏もうと焦るのではなく、心のブレーキを解除しましょう。

自分自身の中にある根本的なブレーキとは何か。

そこと真っ向から向き合わない限り、どれだけアクセルを踏み込んでも、いつも同じ処で引っ掛かって、あなたの車は止まってしまいます。

アクセルとブレーキを五分五分で踏めば、必ずブレーキが勝つように設計されているのが人間です。

思いきって前進出来ないのは、その背景に決定的な理由が必ず潜んでいるからです。

要するに、何かに決定的に引っ掛かっているのです。

その「心の棘(とげ)」を抜かない限り、あなたの人生を変えることは出来ません。

人の行為は「作業」と「仕事」の2つに大別されます。

「作業」とは生活の糧を得る行為であり、「仕事」とは人生を変える行為です。

心に棘が刺さっていると、生活は維持出来ても、人生を変えることは出来ません。

「人はパンのみにて生きるにあらず」という有名な教えが聖書にあります。

それは「人は夢に生きる生き物なのだ」という風に思えます。

夢に生きる生き物は、この地球上に人間をおいて他にありません。

夢を語るために、人は言葉を獲得しました。

肉体は滅びても、その魂ぱくは言葉で語り継がれていきます。

厳しい時にも「花」を観る心を持って、夢を語り夢を発信していきましょう。

心に刺さった棘を抜くためには、勇気を持って大胆に夢を語ることが大切です。

いつも小さく考えて小さく動いて、それを自分の常識としても、その報いは小さな自分を形作るところに行き着くのみです。

様々な問題が起こる根本的な理由は、自分がその問題より小さいからです。

その問題より自分が大きければ、問題になりません。

夢を実現する「仕事」を持ちましょう。

心のブレーキを解除して、夢に向けて人生の舵取りをしていこうとまず思うことが大切です。

全ての素晴らしいことは、まず思うことからしか始まらないからです。



絶望しない

「前後左右の進路が塞がれても、まだ頭上の道が空いている。絶望寸前でも活路は必ずある。」

ユダヤの教訓です。

ユダヤ人でトップに上り詰めた人物は、サラリーマン出身よりも、自分で事業を始めた独立自営タイプに多く見られます。

その中でも、一代で世界有数の富を築いた20世紀最大のユダヤ人実業家が、アーマンド・ハマーです。

彼は禁酒法が施行されていたアメリカでジンジャーエールを売って大儲けし、1960年代から油田開発で次々に成功を収めていきました。

貧困から脱出して経済繁栄を掴んだハマーの軌跡は、学ぶべき示唆に富んだもので溢れています。

ハマーの成功の物語には、ユダヤ人としてのユダヤ教の知恵はほとんど感じられないと言われます。

しかし、彼が維持し続けた信念の中には、ユダヤ的な伝統がはっきりと見てとれます。

それは、「絶望しない」ということです。

彼のその信念は、父ジュリアスが座右の銘としていた言葉から生まれました。

「失望に身を委ねる者は、自分自身が最悪の敵になる」

この言葉こそ、ハマーが尊敬した父ジュリアスの座右の銘でした。

これはユダヤの諺を彷彿とさせます。

「事態が良くならないのに、これにしがみつくと、事態はさらに悪化する」

「絶望する者は人にあらず」

ハマーはユダヤ文化を背景とした父の言葉を糧として、常に積極的な行動を心掛けました。

その積極的な行動こそが、成功と幸運を呼び寄せたのです。

成功するためには、成功を信じ抜くことが「必要」であり、逆に言えば、如何なる状況下に於いても絶望しなければ、必ず成功のチャンスは訪れるのです。

最悪の事態になっても絶対に諦めない。

ハマーが成功したのは、この粘り強さがあったからです。

彼の生きざまを通して、ひしひしと伝わってくるものがあります。

それは・・

「成功を信じる力こそが、成功する能力である」

ということです。



心のフラッグ

腹を決めると、今まで見てきた風景までもが一変して映ります。

細かい些細なことが気にかかるのは、これから自分はどのように前進していくのかというフラッグを心に立てていないからです。

大切なことは決断しなくてはなりません。

決断の力は、まず自分自身の力を一変させます。

見違えるような輝きを、あなたに与えます。

自分自身と勝負しましょう。

問題なのは、環境でも状況でも他人でもありません。

他ならぬ自分自身なのです。

気が向いた時だけ猛然と行動し、何か起こるとへなへなと座り込んで意気消沈して撃沈する。

いつも問題の本質も意味も感じようとしないで、自分以外のものを変えようとしている。

環境や状況や、ましてや他の人を変えようとしても、とても変えることなど出来ません。

他者を変えようとするのではなく、自分を変えるのです。

敵は他の何かではなく、自分自身であることを知らなくてはなりません。

敵は我れにあり。

自分自身と厳しく勝負することなしに、明日を手にすることは出来ません。

決断とは迷わないことです。

やると決めたことは、断固とした態度でやりきりましょう。

やらないと決めたことは、何があっても手を出してはいけません。

人生は勝負です。

どれだけ天才的な言い訳をしようとも、決断の力を甘く見てないがしろにすれば、後日大きな後悔となって自分に返ってきます。

迷って悩んでいるのは、決断していないから。

どうせやらなくてはいけないことならば、笑って決断してしまいましょう。

真の栄光はその業績にあるのではなく、自分を修正する力にあることを忘れてはなりません。



最後に勝つ

どう転んでもOK。

これが戦う心構えです。

やることをやったら、あとは悩まない。

「勝敗は武家の常」とは、戦国の武士の習いでした。

どれだけ頑張っても、結果が出ない時があります。

やってもやっても結果が付いてこない時は、「こんな日もあるさ!」と軽やかに切り替えてしまいましょう。

突き詰めるところを間違えてはいけません。

ベストを尽くして、その時やれるだけのことをやって駄目だったのなら、それは「勲章」です。

あのメジャーリーガーのイチローだって10回打席に立てば7回打ち取られ、松坂だって毎試合勝利することなど出来ません。

調子が悪い時はいたずらにそのスランプから脱出しようと焦るのではなく、「ああ、いま私は調子が悪いんだ」とあるがままの調子の悪さを観察することがとても大切です。

調子が悪いということは、自分のなかで何かが間違っていたということかもしれません。

その間違いに気が付かないくらい、心ここに在らずだったのです。

良くも悪くも、自分のあるがままの状況を観察出来れば、取り乱して「今」以外のありもしない仮想の空間に浮気していた心が帰ってきます。

心が今に戻って落ち着いた時、うまくいかなかった現象が学びとなるのです。


人生の目的という視点から見れば「うまくいった、いかない」は、人の世の常であると達観してしまいましょう。

最後に勝てばいいのです。

どう転んでもOK。

こう鷹揚(おうよう)に構えて、一つ一つの小さな事を潰していきましょう。