埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



本物

質屋の修行は、本物ばかりを来る日も来る日も見続けることなのだそうです。

本物に毎日触れ続けることによって、ある日ある時から一目で偽物を見抜くことが出来るようになるからです。

逆に、毎日偽物を見続けても、本物を見抜く目を持つことは出来ません。

それを人にたとえても、同じことが言えると思います。

世の中に良い影響を与え、歴史までもを変えた人々に共通することは、その人品が本物であったということです。

それは、その一人の本物の人物に宿る魂が、理屈を超えて心ある人々に伝播していくという真実に他なりません。

人生を拓く鍵は、一人の本物の人物との出会いにあります。

その大前提は、如何なる状況にあっても、「我れ、事にあたりて本物たらん。」との気概を持つことから始まります。

本物たらんとする気概とは、「求める力」「見抜く力」「やりきる力」「自己制御できる力」の四つです。

「求める力」は、自分自身を成長させていく基本中の基本です。

やってもらって当たり前といった受け身の姿勢の人に、チャンスが訪れることは100%ありません。

「見抜く力」とは、本質に迫る力を意味します。

今は何を為すべき時なのか。

永い我が人生の展望に立って、ただ今この時に何を為すべきなのか。

何が重要で、何が些事(さじ)なのかを見抜く力を築き上げなければ、些事というどうでもよいことに流されて、目的という彼岸にたどり着くことは出来ません。

「やりきる力」とは、ひと度事にあたれば、完了するまでとことんやりきる力です。

100メートル走で、99メートルまで世界記録で来ても、ゴール手前でコケて気絶したら、記録にすらなりません。

やると決めたことはやりきる。

ここに、本物の人品が育つ素地が出来上がることを忘れてはなりません。

最後に「自己制御できる力」です。

少し長くなりますが、中谷巌先生(一橋大学名誉教授)の著書「資本主義はなぜ自壊したのかー日本再生への提言(集英社)」からの卓見を引用させて頂きます。

“世界経済は大不況の局面に入った。この混乱が収束するにはおそらく数年にもわたる調整が必要になるだろう。

しかし、もっと本質的な問題がある。グローバル資本主義の本質とは何かという問題である。それを明確にしない限り、我々は将来、何度でも今回と同じ間違いをしでかすに違いないからである。

グローバル資本主義は、世界経済活性化の切り札であると同時に、世界経済の不安定化、所得や富の格差拡大、地球環境破壊など、人間社会にさまざまな「負の効果」をもたらす主犯人でもある。そして、グローバル資本が「自由」を獲得すればするほど、この傾向は助長される。

二一世紀世界は 、グローバル資本という「モンスター」にもっと大きな自由を与えるべきか、それともその行動に一定の歯止めをかけるべきなのか。

当然のことながら、新自由主義勢力はより大きな「自由」を求める。グローバル資本が自らを増殖させるための最大の栄養源だからである。

しかし、さらなる「自由」を手にしたものは、まさにその「自由」によって身を滅ぼす。

結局のところ、規律によって制御されない「自由」の拡大は、資本主義そのものを自壊させることになるだろう。”

卓見だと思います。

制御されない「自由」の拡大は、それ自体が自分自身を自壊させていくのです。

一人の本物で、全てが変わります。

「我れ、本物たらん。」の気概を持って、事に処していきましょう。



迷わない

決断とは迷わないこと。

人生には、ここ千番一番の勝負処があります。

ここ千番一番の勝負処とは、相撲に例えれば、普段千回勝っていても優勝決定戦の一番で敗れたら何にもならないというような意味です。

いつまで経っても「もうちょっと。もうちょっと」の人がいます。

もうちょっとで出来たのに。

もうちょっとだったのに。

こういう人は、この「もうちょっと。もうちょっと」で、人生が過ぎて行くことを知りません。

人生の勝負処というのは、実は毎月の決算という形で現れてきます。

月のなかに、必ず「ここぞ!」というヤマ場があるのです。

賢者は、ここぞの時を外しません。

ここぞの時に、打って出るのです。

賢者は誰が何と言おうが、人生は勝負であることを知っています。

勝負とは好守のバランスを指します。

守るべき時はしっかりと守る。

攻めるべき時は、恐れず果敢に打って出る。

迷ったら行く。

守るなら守る。

ここぞの時は、明快に判断するのです。

どうせ飛び越えなければならない谷ならば、そこで迷って先延ばしにして違うルートを選んでも、結局後日、同じような谷を飛び越えなくてはならなくなることだけは忘れてはなりません。

進むのか、引き返すのか。

迷っているのは、進める可能性を心が感じているからです。

迷ったら行く。

行くと決めることが出来れば、その瞬間に迷いは消えます。

結局人生は、やったか、やらなかったかだけです。

決断とは、迷わないこと。

さあ、ここぞの時です。



最大のプレゼント

一流の人物は、みな一様に笑顔をたたえています。

会った瞬間、サッと笑顔を浮かべて既知の友であるかの如くに、空気を温かく支配します。

会話の最中も隙あらば笑おうとして、相手に媚びることなく盛り上げていこうとするのです。

彼等は、人間関係の基本をしっかりと理解しています。

人間関係の基本とは何か。

それは、笑顔と元気な挨拶です。

古今東西の成功への手引き書を紐解いてみると、皆一様に書かれていることがあります。

それは、成功するためには「まず与える!」ということです。

与えるというと、何か財布からお金を出してきて人に与えるという印象がありますが、そんなことを言っているのではありません。

成功の手引き書は、そもそもまだ成功していない貧乏な人に書かれたものであり、その貧乏な人にお金を出せと言ったりはしません。

貧乏から抜け出せない人の共通項の一つは、自分の頭を使って資本のかからないことをするという発想が、なかなか理解出来ないということです。

笑顔に資本はかかりません。

それどころか、笑顔は人を幸せにする最大のプレゼントです。

自分を幸せにしてくれるプレゼントをもらって、怒る人はいません。

それどころかそのプレゼントは、あげたその人に返ってくるのです。

元気な挨拶も同じです。

電話がかかって来たら、どんなに気持ちが沈んでいても、元気よくテンション高く第一声をあげましょう。

脳は行動に付いて来るからです。

面白いから笑うのではありません。

笑うから面白くなってくるのです。

明るくハイテンションで振る舞うから、元気になってくるのです。

見返りを求めず、第一級の人材へと成長していきましょう。

立ち居振る舞いの基本は、笑顔と元気な挨拶であり、この基本なくして運は拓けてこないことを忘れてはなりません。



当たり前のレベルについて

成功している人に100%あって、成功していない人に100%ないもの。

幸せになっている人に100%あって、幸せになっていない人に100%ないもの。

それは「覚悟」です。

うだつの上がらない人に共通するものは、覚悟の欠如であることを覚えておきましょう。

覚悟と「匹夫(ひっぷ)の勇」は違います。

匹夫の勇とは、思慮の浅い者が血気にはやって振るう、取るに足らぬ小勇を意味する故事です。

状況を無視して破れかぶれで突撃することを、覚悟とは言いません。

それでは一体覚悟とは何を言うのでしょうか?

覚悟とは、当たり前のレベルを言います。

どのような当たり前のレベルで、これから自分がやろうとすることを思えているかが覚悟なのです。

例えば、オリンピックで金メダルを取る人は、自分が金メダルを取ることに対して全く不安を覚えることはないのだそうです。

それどころか、自分が金メダルを取るのは当然であり、そこに疑いが入り込む余地などまるでありません。

銀メダルは努力で取れるのだそうですが、金メダルは努力だけでは取れないと言われます。

金メダルと銀メダルを分ける、決定的な要素とは何なのでしょう。

それが、当たり前のレベルという名前の覚悟なのです。

それは、どのレベルで自分がやろうとすることを信じているのか、ということに通じていきます。

信じるということに通じる、究極の当たり前のレベルとは何か。

それは、とてもシンプルなメンタリティーのなかにあります。

例えば、あなたが女性であるとします。

女性であるあなたが今まで人生を生きて来て、信じて疑ったことのない当たり前のこと。

それは「私は女である。」ということです。

女性であるあなたにとってあまりにも当たり前過ぎて、わざわざ語るにも値しない真実。

「私は女だ。」

このレベルで金メダルを思えている人しか、オリンピックで金メダルは取れないのです。

自分がやろうとすることに対する一番目の仕事は、早くこの域に自分のメンタリティーを引き上げることです。

結局人生を決定するものは、何を当たり前と思っているかであることを忘れてはなりません。



過去と道標

人生の受け止め方が、その人の人間性となって、その人の発想と行動の原点を創り上げます。

過去があって今の自分がいることは、誰でも知っています。

しかし、その過去を振り返る時に、どうしようもない悔恨の念が残るのは、純粋に前向きに生きようとする人の宿命ともいえるものかもしれません。

もっと恵まれた境遇だったら。

あの失敗さえなかったら。

心の綺麗な、純粋で前向きで素直な人ほど悔恨の過去を引きずり、それは時に、前に進めない自分の言い訳となって、殻を破れずにいる自分を守るための予防線となってしまうことがあります。

どれだけもがいても、過去の出来事を変えることは出来ません。

人は皆それぞれに、宿命を背負って生まれてきたのだということを受け入れた時に、未来へと踏み出すことが可能になります。

壁を一つ乗り越えた時に見える景色は晴れやかですが、その晴れやかな景色はいつまでも続きません。

壁を乗り越えて、自分自身を見つめ直した時に込み上げてくるものは、「あの時あの人にもっとこうしてあげればよかった」「目先のことに囚われて、何であんなことを言ってしまったんだろう」という、自分の過去のどこかに残していた暗がりです。

光と影。

華やかさと葛藤。

こうしたコントラストの中で、人生という舞台は準備されています。

人は自分の力で生きていると思いがちですが、実はそうではありません。

人は、生かされているのです。

大宇宙から、何かの縁と意味を与えられて、生かされているのです。

そう思えた時が、新しい人生のスタートの時となるに違いありません。

そのスタートラインに立った時に、「生きたい!」という生命の本能的な思いの発露が生まれ、引きずったところで何も生み出さない過去よりも、新しい何かを生み出していく「未来」を考えようという方向へと気持ちを導いていくのです。

誰でも人は、過去に辛く苦しかったこともあれば、人からもらった沢山の愛情もあります。

辛く苦しかったことも、頂いた沢山の愛情も、それら全てを包含した過去を丸ごと自分のものと受け止めたことが、その人物の色となって表れてくることを知りましょう。

その人の話す言葉や振る舞いには、全てそれを発する人の色が付いて、それが受けての心に届くことを忘れてはなりません。

過去があってこそ自分は自分です。

しかし、様々な状況が押し寄せてくる生活のなかで、本当にそのように思うことは容易なことではありません。

しかし、過去も含めて自分を丸ごと受け入れなければ、自分自身の殻を破って前に進むことはできません。

過去を含めて、自分を丸ごと受け入れるためには、過去を引きずりながら悩む時間や、自分と向き合って自分の内側と対話することも決して無意味なことではありません。

しかし、そうしたこと以上に大切なことが一つあります。

それは、いつも心のなかに一緒に居てくれて、「あるがままでいい。」と自信をつけてくれる人の存在です。

あなたの存在には、意味があります。

その稀有の意味を顕現するために、過去は大いに引きずっていいのです。

悩んだ先に差す光こそが、あなたを心温かい逸材へと成長させる道標(みちしるべ)となるからです。



凌ぐ!

迷った分だけボールは曲がる。

以前、ゴルフの上手な人にこう教わったことがあります。

気持ちが定まらないまま行動しても、目標にたどり着くことは出来ないという意味です。

「ボールが見つからないのは、ボールが無い所を探しているから。」

あるゴルフコースに書かれていました。

単純な理屈ですが、そこには深い気付きを与えてくれる示唆が隠れています。

常に点検しなくてはいけないことは、自分は今どこに向かって歩いているのかということです。

しかし、いつもいつも、我が目標に向けてまっしぐらという訳にはいかないのが人生です。

時には逆境の中でひたすら耐えながら、嵐が通り過ぎるの待つ時があるかもしれません。

苦しい局面や辛いことを、何とか持ちこたえて切り抜けることを「凌(しの)ぐ」といいます。

「ギリギリのところで一手凌げる強さ。相手の猛攻を受け止めるのではなく、凌ぐという感じ。現代将棋においては、いくら攻めが強くても、攻めには危険が伴うから、凌ぐ力がないと勝つことは出来ない時代になった。

あるプロ棋士の至言です。

この不安定な時代を力強く生き抜くためには、凌ぎながらカウンターパンチを放つといったスタンスが重要だと感じます。

いくら凌いでも、凌いでばかりで打って出なければ勝機が訪れることはありません。

人材を求めるなら、人材のいるフィールドで、様々な問題を凌ぎながら、自分が求める人材を探し続けることです。

ボールが無い所をいくら懸命に探し回っても、ボールは見つかりません。

人生は勝負です。

勝負の要諦は、ヒット・アンド・アウェイ、即ち、凌いで攻めるということの繰り返しだということです。

そうであるが故に、自分自身の事に処する時の態度と考え方の軸が全てであることを肝に銘じていきましょう。

決断とは嵐の中を進む勇気です。

ひとたび歩み出したら、逆風逆巻く嵐の中を一人征く気概を持ちましょう。



成功へのプロセス

「決める!動く!メゲる!」、これが成功の三拍子です。

たった一度の人生を雇われ発想で生きようとすれば、その人は「指示待ち人間」となって、指示されなければ行動出来ない人間になっていきます。

人生をオーナー発想で生きようと決めれば、その考え方の出発点は、全てのことにおいて「自分で決めて自分でやる!」という自発的な態度へと変わっていきます。

雇われの仕事は人から指示されたことを、自分の意見を差し挟まずに、黙って指示された通りにこなすことです。

一見楽そうに見えますが、そういう流れのなかで毎日を過ごしていると、それはそれで当人しか分からない辛さが積み重なっていきます。

その辛さをずっと我慢し続けていると、心か身体のどちらかを、必ず患うことになります。

一方、オーナーの仕事は簡潔です。

オーナーの仕事はただ一つ!

それは「決めること!」、これだけです。

そして、決めたら全て自己責任という大前提の元で、脇目も振らずに決めた一つのことをゴールを切るまでやり続けるのです。

雇われの発想は「こなす」ことであり、オーナーの発想は「達成」することにあります。

「決める」ということは、何をするかということではなく、何を切り捨てるのかということです。

今まで「それが当たり前だから」と思って何にも考えずにスルーしていた行動を、再点検することから始まるのです。

やらないことを明確にして、今の状況を根底から打開する行動は何なのかと真剣に考える!

そして、何を新しく実行するのかを決定するのです。

決めたら、迷わず動き切る!

その時に、人からどう思われているかなどと気にしている自分がいたら、それはもう戦わずして負けています。

「戦で迷うは命取り」であることを、忘れてはなりません。

真剣に動けば動くほど、状況は千変万化して、これでもかとばかりにあなたを試してきます。

どんな鉄人でも、メゲることがあるということを、考え方の糊代(のりしろ)として持っておきましょう。

メゲるなら、徹底的にメゲる!

後悔するなら、徹底的に後悔する!

しかし、一つだけ「鉄の誓い」を自分と約束しておくことが重要です。

それは、何があっても明日に持ち越さないということです。

メゲたら、また明日は新しい気持ちで凛として決断する。

決める!

動く!

メゲる!

この三拍子を積み重ねていくことが、何人も避けて通れない成功への道程なのです。



意識の変革

一年間くらいは何か一つ同じことを、毎日継続してやりきる決断をしてみませんか?

人生を制する鍵は「持続する意思」以外にありません。

今まで出来なかったことの原因、即ち敗因は何だったのだろうかと真剣に考えてみたことはありますか?

その敗因の理由が、何をやってもすぐにへこたれるという不甲斐ない自分自身にあったとすれば、それはハッキリと自覚しなくてはいけません。

何をやっても自覚症状なしに、続けることをすぐに止めてしまう。

「何故止めたの?」と問いかければ、「なかなかねぇ…」と言語明晰・意味不明瞭なことを宣(のたま)われる。

思考停止はいつものことで、目を開けたまま脳ミソが爆睡していては、運が見放すのは当たり前であることに早く気が付かないといけません。

いつも同じ問題に引っ掛かり、いつも雑用に追いかけ回されて、忙しい忙しいとドタバタしているうちに、気が付けば何もしないで人生が過ぎていくのです。

やらなければならないルーティンワークに、意識を占領されてはなりません。

人生の果実は、持続する意志に裏打ちされた「仕込み」という未来の種を蒔いたかどうかで決定されるからです。

忙しいと感じるのは、雑用に振り回されているからです。

本当に充実した仕込みをしている時に、忙しいという感覚はありません。

それどころか、逆に生命力は増して、目に力が宿り、内側からにじみ出るオーラが、あなたを凛として耀かせるのです。

何か一つ、何があっても継続してやり続ける何かを決めましょう。

「持続する意思。」こう意識に語りかけながら、目には見えませんが、あなたをあなた足らしめている命の本質を鍛えていくのです。

一人の真剣な「意識の変革」こそが、ひいては環境までも変えていくことを忘れてはなりません。



創造的破壊

人と出会いたいのは、未来の自分と出会いたいからです。

何かを探しているのは、未知なる自分の可能性を探しているからです。

未来という未知の領域に進もうとしない限り、必ず心のどこかが腐ってきます。

進むためには、勇気が必要です。

進もうとする時には、必ず障害が立ちはだかり、あなたにためらいと不安を与えることを想定しておかなければなりません。

そのためらいと不安は、やがて迷いとなってあなたの行動を遅らせていきます。

ここで、一つ心しておかないといけないことがあります。

それは、行動の遅さは「罪」であるということです。

伸びない人の特徴は、とにかく行動が遅いという点に象徴されます。

運とはタイミングの異名です。

行動の遅さはそれだけでタイミングを外して、チャンスそのものを台無しにしてしまいます。

躊躇した時こそ、勇気を必要とする道を選択しましょう。

迷ったら、勇気の要る道を選ぶのです。

それでは勇気の要る道とは、一体どのような道なのでしょうか?

今の時代、いくら勇気が要るといっても、刀を切り結ぶような戦地を行くことなどまずありません。

勇気の要る道とは、面倒臭そうな道をいうのです。

未来の自分に会いにいくためには、簡単なことばかりしていては叶わないことを知らなければなりません。

その道で光り輝く人は、その域に到達するまでに、気の遠くなるような面倒臭い作業をコツコツと素早くこなしてきたのです。

「創造的破壊」という言葉があります。

さらに前へ前へと駒を進めるために、敢えて今までの成功体験を否定することをいいます。

良いことも悪いことも、過ぎ去ったことは全て過去です。

なにものにも囚われることなく、未来の新しい自分に会いにいきましょう。

楽なことばかりしようとするのではなく、勇気をもって創造的な破壊という視点で自分自身を再点検するところに、新しい未来へのビジョンが再構築されていくのです。



準備

真の美しさは、厳しさの中にしかありません。

人には春風の如く、自らには秋霜の如く。

言うは易く、行うは難しの在り方を示唆した教えです。

全ての価値ある物語の始まりは、自らを律していく意識を持つところにあります。

それが今すぐ出来るとか出来ないとかではなく、そのような方向で思えるかどうかが大切なのです。

楽なことだけをして、思うような人生を構築した人は一人もいません。

何事かを成し遂げた人は皆、制約された環境の中で一人もがきながら、光へと一歩づつ前進してゴールへと向かったのです。

今がどんなに辛くても、そこに囚われてはいけません。

辛い時は、力を貯め込む時だからです。

世の中の全ては、人の気持ちで動いています。

人の気持ちは、自らが逆境に置かれてはじめて理解出来るようになります。

未来に向かう決意という「準備」が出来れば、あなたを未来へと導くコーチが、様々な形を借りてあなたの前に現れます。

ある時はやってもやっても駄目な状況にあなたを導いて、あなたに耐えることの意味を教えます。

ある時は、艱難の峰にあなたを導き、不撓不屈の精神をあなたに教えるのです。

自らを制覇出来ずして、人を引っ張っていくことは出来ません。

やると決めたことは、柔な泣き言を言わずに断固とした姿勢でやりきりましょう。

あなたの心の奥に済むコーチには、如何なる泣き言も通用しません。

どんなにもっともらしい「やれない理由」も、所詮は言い訳に過ぎないからです。

逃げるのではなく、挑戦する意志を持ちましょう。

出来ない理由をどれだけ体系化しても、あなたの人生が構築されるどころか、縮小されるだけです。

挑むべき真の相手は、事あるごとに簡単に折れそうになる我が心であることを忘れてはなりません。



アンインストール

習慣は第二の遺伝子です。

より創造的な自分を創り上げる為には、習慣を変更しなくてはなりません。

自分の未来の為に良い習慣は継続し、そうでない習慣は見直さなければ進化成長することは難しいからです。

自分の成長を止めている悪習は何かを、考えてみたことはありますか?

進む為にまず第一に重要なことは、悪習を捨てることです。

例えば、コップに今ビールが入っているとします。

子供がそのコップを使って水を飲もうとする時、コップに少しでもビールが残っていると美味しい水を飲むことは出来ません。

それと同じで、人間というのは考え方に不純物が混ざっていると、本来の力を出せない生き物であることを覚えておきましょう。

新しい習慣をインストールする為には、悪習を一つずつアンインストールしなくてはなりません。

悪習のアンインストールが、新しい自分創りの土台となるからです。

意思の力は、何かを加えようとする時より、何かを断ち切ろうとする時に培われていきます。

例えばダイエットを一つとっても、それは同じことがいえます。

太る理由は人によって様々でしょうが、何らかの病気以外はただの食べ過ぎです。

結局最後に辿り着くところは、「食べ過ぎない。飲み過ぎない。」というところに来るのではないでしょうか。

この話のポイントは、「・・しない。」という点にあります。

これを「断ち切る力」といいます。

あなたを根底から支える真の力は、今までの人生で、何を断ち切ってきたかで決まっていることを覚えておきましょう。

人は切羽詰まれば、それこそ火事場の馬鹿力で、とっさに自分でも信じられない力を出す時があります。

しかし、人生というある意味平坦で退屈な道を淡々と歩む毎日において、火事場の馬鹿力など出る幕がないのです。

等身大の自分と向き合いながら、少しずつ少しずつ、大木をカッターナイフで削るような気持ちで自分と勝負していく。

ここに人生変革の要諦があることを知らねばなりません。

勉強などはその典型的な例です。

動かないで机にじっと座って、ただひたすら知を習得していく作業が勉強です。

動き回るより、実は動かないでじっと自分と勝負する方がパワーが要るのです。

進む為に必要な力は、断ち切る力です。

あなたの悪習を一つ断ち切る、即ちアンインストールすることに挑戦してみてください。

新しい、希望に満ちた何かが必ず見えて来ます。



栄光への歴史

今、私は私の歴史を創っている。

道に迷ったら、そう自分に言い聞かせましょう。

歴史とは、苦楽共に織り交ぜながら創られていくことを忘れてはなりません。

「産みの苦しみ」という言葉があります。

何かが命を得る瞬間は、誰かが産みの苦しみに耐えていると解釈したいと思います。

人生の禍福は、あざなえる縄の如し」

人生というのは、苦しみと楽しみという二本の縄があざなわれて、一本の縄になっていると

いう意味です。

違う言い方をすれば、人生は光と陰で出来ているということでもあります。

光があれば、違うサイドには必ず陰があります。

栄光の裏側には、人知れず泥まみれの中でもがき苦しむ時代があるということです。

そこに、陰だけが続くことなど絶対にありません。

それと同じように、苦しみを省略した栄光もないということです。

あなたは今、苦楽共に織り交ぜながら、あなたの栄光への歴史を創っていることを自覚しま

しょう。

人を蘇生させるものは決意です。

そして、蘇生した自分を栄光へと導くものは「自覚」です。

自覚とは、起こってきた様々な出来事に対する「意味付け」から始まります。

私がやらないで誰がやる。

この姿勢を、早く築き上げた者勝ちなのです。

いろいろと人の事を言う人は数多(あまた)いますが、実際に自分で行動する人は殆どいませ

ん。

それが、あなたを取り巻く環境であることに早く気付いてください。

だから、あなたがやるのです。

人の批判などを恐れていたら論外です。

観客の野次を気にして、もう辞めようかなと悩むプロ野球選手など一人もいません。

さあ、今日もあなたの人生という新しい歴史の1ページを創っていきましょう。

その道具は、断固としたあなたの意志であることは言うまでもありません。



意識の焦点

人生は、何を見ているかで決まります。

人は見ているものに向かって進んでいくからです。

見るとは、焦点を合わせるということを意味します。

あなたは、何に意識の焦点を合わせていますか?

毎日を無意識に流されて生きていると、ただ目に映るものだけしか見えなくなってきます。

無意識に流されていた領域を意識化しましょう。

毎日毎日様々なことが起きて来ますが、そうした中で、あなたにとって本当に大切なことは一体何なのかを考えてみたことはありますか?

それは、あなたの人生の目的に直結する重要なことです。

自分自身の人生の方向性と言い替えても構いません。

あなたは一体、何処に向かって毎日を送っているのですか?

それが大切なことであり、それがハッキリと見えていればよいのです。

逆説的な言い方をすれば、それ以外のことは見えていなくても何の問題もありません。

あなたの人生を変革する為に重要なこと。

それが見えていれば、迷ったり、悩んだり、不安になることはありません。

人生を達成していくには、人生を達成する為の大切なことだけを見る。

それ以外のことは、余事です。

余事に意識の焦点を合わせれば、人生の歯車が狂ってきます。

余事の殆どはどうでもよいことであり、どうでもよいことを突き詰めても、あなたが本当に望むものには行き着かないからです。

何でもかんでも出来なくてよいのです。

大切なことだけを見て、その一点に意識の焦点を合わせていれば、あとはあなたの心の奥底に潜む根源の力が、あなたをその方向に導いていくからです。

本当に思ったことは、必ず実現します。

あなたにとって、何を毎日積み上げていくことが重要なのか。

今日は、そのことを考えてみてください。



根源のエネルギー

しない後悔より、した後悔。

これが成功者の基本的態度です。

ビクビクしないで、いま目の前に来ているものに手を伸ばしてみましょう。

その瞬間から、何かが見えてきます。

あれこれ考えて、あれこれ心配するのは止めにして、まずあれこれやってみるのです。

行動には不思議なパワーが潜んでいます。

あなたの潜在意識を揺り動かす鍵は、行動以外にありません。

行動すれば、新しい現実が瞬時に現れてきます。

動けばよいのです。

何となくテンションが落ちている時は、ごちゃごちゃ屁理屈を並べていないで、さっさと違う場所へ移動しましょう。

一番良くないのが、一人で家に閉じ籠もっていることです。

そんなことをしていれば、落ちたテンションは更に急降下して、最後に無気力という自分を形作ることになります。

無気力を形作る「戸閉め言葉」は、3つです。

面倒くさい。

お金がない。

忙しい。

これらの言葉を吐いたが最後、二流を突き抜けて三流の人生へと転落することを認識しましょう。

それでは、動くとか行動するとは、一体何をすることを意味するのでしょうか?

それは、人と会うということを意味するのです。

テンションも何もかもを上昇させる根源のエネルギーは、一人の人物との出会いから始まります。

仕事は、人と会うこと。

その為の行動なのです。

人生最後は、フットワークの勝負になってきます。

出来ないことに意識を合わせるのではなく、今出来ることに焦点を合わせて軽やかにフットワークしましょう。

知らないうちに、あなたの内側から、何かしらの変化が必ず起こってきます。



最良のワクチン

想念の停止。

何かをやろうとした時に、心の片隅をいきなり走り抜ける一瞬のネガティブイメージ。

強く想えば願いは叶うと言われますが、本当にそうなのでしょうか?

例えば、何かの会議などのプレゼンで、万全の準備と気持ち作りをして臨んでいるのに、いざマイクの前に立った瞬間、いきなり心を走り抜ける「どうしよう・・」というネガティブイメージに、うまく喋ろうとした強い想
いも木っ端微塵に吹き飛んで、シドロモドロになったというような体験はかなりの人が持っているのではないでしょうか。

いくら強く想っても、本番という勝負の瞬間では、その一瞬によぎるイメージというエネルギーには敵わないのです。

それを、想念といいます。

人生は、想念との戦いです。

想念というネガティブイメージが心に浮かんできたら、ワンフレーズで封じ込めてしまいましょう。

「ストップ!」

この一言の言い切りこそ、ネガティブイメージが浮かんだ時の最良のワクチンです。

「ストップ!」

この一言で、切り替えましょう。

勝負は、瞬間に心を駆け抜けるネガティブイメージをどうコントロール出来るかで決まります。

意志の力は、切り替える力から培われていくことを覚えておきましょう。

ネガティブイメージは、心に浮かんだ時点で素早く退治してしまうことが肝要です。

あなたをフリーズさせる、脳裏に一瞬よぎるネガティブイメージは、心に住みつく鬼のようなものです。

何かの本番に直面した時、まず意識することは心の鬼退治以外にありません。

余計な想念を停止する。

心が乱れて来たら、「ストップ!」と、ストロークしましょう。

何か心配なことや、不安なことが浮かんできたら、このワクチンを打つのです。

「ストップ!」

このストロークこそが、集中への助走となるからです。



ブランドチェンジ

来ない理由は、やらない理由です。

今、時代を突き抜けて輝いている組織や人に共通するものは、常識を裏切る飛躍的な進化を遂げているということです。

こうしたことを成し遂げている人たちにも、何気ない日常から始まるスタートラインがありました。

それは、「心構え」というスタートラインです。

考え方のスタンスを全面的に前方位に取って、飛躍とは現時点における、自分にとっての最高を超えていくことであると位置付けたのです。

前進は生であり、後退は死。

進まざるは、退くことと理解したのです。

考え方を根底からブランドチェンジしましょう。

自分自身の常識を覆してみましょう。

心構えのブランドチェンジをするのです。

いつの時代も、困難は自分自身が創り出した壁に過ぎません。

よく何かをサジェスチョンされた時、「それは出来ません。」「それは無理です。」と即座に、まるで自動音声装置のようなことを言う人がいます。

そして、そういう人は、喋らせておけば延々と何故無理なのかを理路整然と語りながら、その精神状態が自己防御から思考停止へと導かれていくことに気付きません。

真の人材に求められるものは、創造性以外にありません。

皆がやれそうもないからサジェスチョンされているのに、出来ない皆と同じようなことを言った時、その人物の価値は急降下します。

創造性は、想像力から始まります。

はじめに「ノー!」ありきの人は、もうそれだけで想像力に制限を加えているのてす。

自分にとっての常識を超えていきましょう。

その鍵は、はじめに「イエス!」ありきなのです。

「よし!ひとつ、やってやろうじゃないか。」

この姿勢が、人生のブランドチェンジにつながることを覚えておきましょう。



心の地図

考え方を変えることが出来れば、人は別人に変化します。

良い結果には、良い結果を引き寄せる良い考え方がありました。

厳しい言い方ですが、悪い結果には、悪い結果を引き寄せる悪い考え方があったのです。

本当に変わりたければ、ここから目を背けてはいけません。

行動は、その人間の考え方に支えられて成立しているからです。

考え方が邪(よこしま)ならば、その人は邪な人間になります。

考え方が貧乏ならば、その人は貧乏な人生を送ることになります。

考え方こそが、その人間の心のファンダメンタルズ(社会基盤)であることを知らなくてはなりません。

ここを変更しない限り、何をやろうが、必ず同じところに戻って来てしまうからです。

人は誰かに物をもらっても、そんなことはすぐに忘れてしまいます。

しかし、考え方に影響を与えてくれた人のことは忘れません。

あなたの行動を形創る考え方を、進化させていきましょう。

その為に、時には一人静かに思索する時間を持つことも大切です。

目まぐるしく動く時代だからこそ、一度アクセルから足を離して車を止めて、そして心の地図を広げて、自分は一体どこに向かっているのかを再確認してみることが大切なのです。

人は、考え方に引き寄せられていく生き物であることを忘れてはいけません。

良いことも、悪いことも、全ての原因は考え方にあります。

考え方を変えずに表面的に行動を変えても、人生は何も進まないことを理解しましょう。

この現実社会に於いて、人は二種類しかいません。

それは、いつもいつも人から影響を受けて生きる人と、人に影響を与えて生きる人の二種類です。

ダーウィンは「進化論」の中で、強い種が生き残ったのではなく、変化に適応出来た種が生き残ったと書いています。

私たちは、この考え方を理解しながらも、100年に一度の大不況を突き抜ける為に、変化を先取りして、さらに変化を巻き起こしていくが如きの気概を持って、影響力のある人材へと自分を高めていきましょう。

あなたを真に高めていく環境を手放さないことが、あなたの考え方を進化成長させる鍵であることを、忘れてはなりません。



停滞の迷路

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まります。

「もう無理!もうこれ以上は進めない!」

そう思った時こそが、あなたの真剣勝負の時なのです。

行き詰まりには、原因があります。

その原因とどこかで向き合わなければ、いつまで経っても同じ行き詰まりに戻ってしまいます。

人生には、簡単に済ませてはいけないことがあります。

出来ないとしたら、何がその根本的な理由なのかを突き詰めましょう。

出来ない理由は、過去から引きずってきた状況的な問題なのか。

それとも、様々なことが絡まり合った複合的な問題なのか。

出来ない理由は多々あるでしょうが、そうしたもっともらしい理由に騙されてはいけません。

いつまで経っても出来ない理由の本質は、自分自身の在り方を追及してこなかったことにあるのです。

ピンチは、いきなりやって来ません。

そのように見えるだけです。

確かに、物事における勝敗には時の運があります。

しかし、毎月毎月の自分自身のテーマに対して、自分は勝ったのか負けたのか位の決算すらしないとすれば、それは論外です。

勝って奢(おご)らず、負けて決意の人となっているか。

負けには負けの理由があり、同じ負けでも「負け方」があるということを、夢忘れてはなりません。

人生は勝負なのです。

結果的に負けたとしても、そんなことは人の世の常であり、たいしたことではありません。

大切なことは、自分自身の心が、最後まで前を向いて戦っていたかということなのです。

心に敗北のラインを引いてはなりません。

心が敗れない限り、本質的な敗北などあり得ないからです。

挑んだ限り、どこかで決着を付けなければならないのが人生です。

仮に今月、目標に届かなかったとしても、その借りは来月返さなければなりません。

その決然とした意志が、月々日々にあなたを大器へと成長させるのです。

簡単に諦める癖が、あなたを凡物へと引きずり落とす魔物となって、長期停滞の迷路へと誘導することを忘れてはなりません。



命の姿勢

試練が人を鍛え、人を育てます。

進もうとする意志を持ったから、試練という抵抗を得ることが出来たのです。

そうなのです。

試練とは、進む為の抵抗だったのです。

抵抗がなければ、鳥も飛行機も空を飛ぶことは出来ません。

人生も同じです。

順風満帆の人生などあり得ないことを、肝に銘じましょう。

人生は旅と同じです。

晴れの日も、風の日も、曇りの日も、雨の日も、そして嵐の日もあります。

晴れの日は軽やかに、風の日は風を受けて、曇りの日に落ち込まず、雨の日は傘をさし、そして嵐の日には一歩も引かない勇気を持って、人生というステージを演じきりましょう。

時を知る者を賢者といいます。

今という瞬間に全力投球しながらも、我が人生の傾向と対策を明確にして、今日という一日を勝ち取ろうとする姿勢が大切です。

幸せになっている人に100%あって、幸せになっていない人に100%ないもの。

それは、前向きな一貫した姿勢です。

命の姿勢。

これが、人生を決定付けることを忘れないで下さい。

気持ちを研ぎ澄まして、濁りのないクリアーな状態にしましょう。

取るに足らざる者になど、いちいち引っ掛かっていたらいけません。

はなから相手にしないことです。

その時気にした人が、寸分違わずその時のあなたであることを忘れてはなりません。

取るに足らざる者を気にしたあなたがいれば、それは未熟なあなたの投影なのだと理解しましょう。

自分の中に存在する共通項が反応したのです。

共通項がなければ、そのような人には何も反応せず、ましてや気になることすらあり得ないからです。

問題があるとすれば、その問題の発生源は全て自分の在り方から起きたことと潔く受け入れましょう。

そう受け入れることが出来れば、その問題はもう解決しています。

さあ、命の姿勢を立て直して、自ら願った人生という旅を続けましょう。

試練は飛ぶ為の抵抗と捉えて、晴れ晴れとした気持ちを創って、今日の一歩を進めていきましょう。