埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



加速

いくら思っていても、その思いを行動に変えない限り、あなたの人生は何も変わってきません。

行動は加速する。

ご存知でしたか?

車でも、動き始める時はエネルギーが要ります。

しかも、そのエネルギーは、走り始める時が一番多く必要です。

時速60kmで走っている車が使うエネルギーより、止まっている車が最初に動き出す時に使うエネルギーの方がはるかに大きいということを、私たちは認識する必要があります。

行動も同じで、何かを始めようとするその瞬間のエネルギーが、一番大きいのです。

これは、労力を沢山使うわりに、返ってくる結果が少ないということを意味します。

しかし、先ほどの車の例でいえば、動き始めようとする時は最大のパワーを必要としますが、一度走り始めれば、今度は止めようとする方が大変だということにもつながります。

それは、一度動き出した車は、そのスピードを加速していくからです。

行動もこれと同じで、行動が次々と行動を呼んで加速していくのです。

一つ、実験をしてみたいと思います。

ここに、一枚の紙があります。

厚さは0.1ミリです。

この、厚さ0.1ミリの紙を一日に一回、二つ折りしていきます。

この作業を一ヶ月31日間続けた時、この紙の厚みは一体どれくらいになっているでしょうか?

ここで投げ掛けていることは極めて単純ですが、実際に実験することは不可能です。

さあ、計算してみて下さい。

一日目は0.1ミリの2倍ですから、0.2ミリになります。

二日目は0.2ミリの2倍で、0.4ミリ。

三日目は0.4ミリの2倍ですから、0.8ミリです。

こうして毎日2倍で計算していった時、はじめ0.1ミリの厚さだった一枚の紙は、31日後には一体どれくらいの厚みになるのでしょう?

答えは、その紙の厚みは、地球を飛び出して宇宙に突入するということです。

0.1ミリの紙を最初に二つ折りにした時は、何の変化も感じられませんでした。

二日目も、同じです。

三日坊主で止めていたら、1ミリにすら達することはありませんでした。

四日目までがんばっても、まだ1cmにも達しません。

こんな風に、最初の成長は、本当にガッカリするほど小さいという事実を、私たちは理解する必要があります。

理解した後は、そこに視点を奪われず、一ヶ月31日間毎日一回、0.1ミリだった紙を二つ折りし続ければ、その紙は200km以上の厚みとなって宇宙に突入するということです。

これは、誰がやっても同じ結果になります。

実は、一見極めて単純なこの実験から、人間が成長する為の、重要な真実を引き出すことが出来ます。

それは、如何なる分野であれ、最初の成長は、本当にガッカリするほど小さい。

しかし、その最初の小さな一歩の中に、目標実現の種があるということです。

その理由は、行動は加速するからです。

行動の加速は、最初は小さな進歩に思えても、飽きずに続けることで、最後はこのようなとてつもなく大きな結果をもたらします。

成功の原型は、最初の小さな一歩の行動の中に、その全てが収まっているということを忘れてはなりません。



期待

期待を超えていく。

これが、未来の大器へと育ちゆく人材が持っている姿勢です。

ここに、プロフェッショナルへとつながる決定的な要素が集約されています。

あなたが今直面している全ての仕事の本質は、その仕事をこなすことでも、ただ言われたことだけをやることでもありません。

その程度のことなら別段あなたでなくても、いくらでも代わりがいるからです。

時代は、代わりのいない真の人材を探しています。

真の人材の条件とは、まずスキルとウィルがプロフェッショナルであるということ。

プロの技術は熱い思いに支えられながら、その巧(たく)みの技は、真剣に事に臨む姿勢に裏打ちされて磨かれていきます。

期待を超えていこうとする姿勢が、今直面している仕事を通して、あなたを人として進化成長させ、その力が人生を静かに変革していくことに気付きましょう。

人生という山は、力ずくでは動きません。

人生という山は、あなたの姿勢で動くのです。

人から期待されているという状況を、軽く見てはいけません。

あなたの心の奥底にある意識が、あなたの知らないところでピカッと光って、その光りを受け止めた人がいたのです。

人生は不可思議です。

不可思議とは、思議することが出来ないということです。

何かに引かれて動いていくのが人生であり、その引力の根底に縁があります。

あなた自身が分からないあなたの凄さを感じてくれた人の思いが、期待という縁でつながっているのです。

事に処しては、ワンランク上を行く姿勢を持ちましょう。

その辺りの普通の人と同じように悩み、同じように怯(ひる)み、同じように落ち込むようでは、期待を超えていくことなど到底出来ません。

人は期待されて縁を頂き、その縁を絆に変えた時、人生という山を動かすことが出来るのです。

縁を絆に変える鍵となるものが、期待を超えていこうとする、一歩上をいく精神力なのです。

高きを飛ぼうとする気持ちを、忘れてはなりません。

出来るとか出来ないではなく、はじめから高いレベルで一歩を踏み出すことが、後日他者との間に抜き難い差となって現れ、あなたを高みへと導くことを知りましょう。



行動の肝

結果を気にせず、ただひたすらやるべき事を積み上げる。

評価してもらおう、認めてもらおうという受け身の姿勢で仕事に向かえば、そうした思いが、あなたを少しずつ本来のあなたから遠ざけていきます。

「人事を尽くして、天命を待つ」という諺があります。

行動の肝は、やるだけやったのかということ。

やるだけやったら、あとの結果は天に任せておけばいいのです。

考えても仕方のないことは、考えない。

戦国の昔、秀吉が若き日に諸国を旅していた時のことです。

ある庵で、旅の禅僧と出会い意気投合します。

そこで、お互いの座右の銘を、囲炉裏の灰に火箸で同時に書くことになりました。

そこで二人が書いたものは、まさしく同じ言葉でした。

それは、「離」の一文字。

離れる。

これが、後に大僧侶と天下人となる二人が、若き日に心に止めた考え方の軸となる言葉でした。

やるだけやったら、執着しない。

結果に囚われない。

コントロール出来ない領域に自ら入り込んで、自らを呪縛の沼に落とし入れることは、もう止めにしましょう。

やることをやったら、パッと離れる。

終わったことは、全て過去です。

時間を過去から走らせない。

時間は未来から走らせる。

いいですか?

囚われない!

囚われない!

囚われない!

「離」の一文字で、心を解放してあげましょう。

どれだけ心配しても、どれだけ恐れても、そうしたエネルギーが状況を好転させることはないのです。

縮こまった気持ちを解放して、パッと次のステージの任務に就かせてあげましょう。

大丈夫、あなたの知らないところで、全ては予定通りに動いています。



CHANGE

「変わらずに生き残る為には、変わらなくてはならない。」

映画「山猫」に出てくる一節です。

月に一度は歩みを止めて、静かに自分自身と対話する時間を持ちましょう。

自己変革は、自己を修正出来る力を持つところから始まります。

これだけ目まぐるしい時代になると、油断すれば凄まじい勢いで時が流れ去っていきます。

ただ忙しいということだけで自分を見失うことがどれだけ危ういかを、私たちは絶えず自分自身に言い聞かせなくてはなりません。

五木寛之氏の「林住期」という著書に、こんなことが書かれています。

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたそうです。

「学生(がくしょう)期」(生まれてから、25歳までを言い、自立への準備の時代)

「家住(かじゅう)期」(26歳から49歳までを言い、勤労の時代)

「林住(りんじゅう)期」(50歳から75歳までを言い、人生の黄金期)

「遊行(ゆうぎょう)期」(75歳以降を言い、死の準備をする時代)

この四つのカテゴリーの中のハイライトは、なんと言っても「林住期」という、人生のゴールデン・ステージであることは、言うまでもありません。

「学生期」も「家住期」も、全てこの為にあったと考えるからです。

こうしたカテゴリーで自分自身と向き合った時に、自分の基本的な立ち位置が明確になってきます。

あなたは、この四つのどの位置に立っていますか?

人生の準備の時代に立っている人は、失うことや失敗を恐れず、チャレンジという心の通貨を使って、学びと経験を自分のものにしていきましょう。

勤労の時代にある人は、ただがむしゃらに頑張るのではなく、何にどう頑張るのかを明確にして、最後は、信じてがんばってみましょう。

人生の黄金期に立つ人は、自分は今、人生の黄金期にいるのだという認識を強く持つことが大切です。

人生の黄金期に漠然と悩むことが、如何に勿体ないかを真に理解しましょう。

遊行期には、次世代に何を残すのかという思いを、形に変えなくてはなりません。

死んで金を残す者は、下。

死んで仕事を残す者は、中。

死んで人を残す者は、上。

明治の偉人、後藤新平翁の言葉です。

今、紛れもなく時代のキーワードは、CHANGEです。

変わらずに生き残る為に、自分と向き合いながら、進化という自己変革を志していきましょう。



事の運び

チャレンジとは、小さな勇気の積み重ねです。

チャレンジ抜きの人生など、この世に存在しないことを、私たちはしっかりと認識しなくてはなりません。

人生の異名とは、チャレンジだからです。

飛躍の為の起爆剤は、チャレンジ以外にありません。

チャレンジとは、攻めていく姿勢です。

おびえて守りに入ろうとする者を、宇宙が守護することはありません。

私たちは、生まれた時は裸一貫で生まれ、死ぬ時もまた裸一貫であることを、もう少し分からなくてはいけません。

何が言いたいのかといえば、守ろうとしても、自分が思うほど守るものなどないのだ、ということです。

命と時間は、貯め込むことなど出来ません。

使って輝くものだからです。

ウジウジ考え込んでも何の意味もないことに、早く気付きましょう。

昨日までのことは、昨日までのことです。

あなたに起きる全ての出来事は、あなたの心を成長させる為に起きることなのです。

あるがままに、なるがままに、喜んで受け入れて、感謝して、楽しみましょう。

肩の力を抜いて、自然体で事に臨むのです。

ジタバタするのはやめましょう。

宿命という観点から見れば、全ては予定通りなのです。

健全な諦観を持ちましょう。

全ては、黙っていても収まるところに収まるように出来ています。

大切なことは、そうした「事の運び」を、あなたがどのように解釈出来たかなのです。

絶望というタッチで解釈したのか、希望というタッチか、決意というタッチか。

いちいち起こってきた出来事に一喜一憂しないで、堂々と晴れやかに、人生の駒を進めましょう。

人生を決定付けるものは、才能ではありません。

私は出来る!

私はやる!

このように熱くたぎるチャレンジする心を持ち続けた者が、最後に勝つことを胸に刻んで、今日の一歩を進めていきましょう。



戸閉め言葉を封じる!

出来ない理由をいくら探しても、あなたの人生の展望が拓けて来ることはありません。

いついかなる時も、勝敗は取り組む前に、自分自身の胸の中でついていることを肝に銘じましょう。

人生の不幸は、脳ミソを止めた瞬間から始まります。

自分から積極的に思考停止状態を創り上げる行為ほど、愚かな行為はありません。

「・・だから出来ない。」

「・・のせいで出来ない。」

「忙しいから出来ない。」

「お金がないから、出来ない。」

こうしたフレーズは、自分という人間の格付けを降格させる根拠となるフレーズです。

こうしたフレーズは、相手に有無を言わせない「戸閉め言葉」ともいいます。

戸閉め言葉は、使う度に負のエネルギーを増幅させ、冷静な思考回路を破壊していきます。

心を、混乱のゾーンに誘導していくからです。

成功している人の特徴は、穏やかで落ち着いているという点に集約されます。

その落ち着きは、観察力となって現れてきます。

即ち、成功者には、観察力があるのです。

その観察力は、まず自分自身の心の有り様に向けられます。

それは客観的に、自分のただ今その瞬間の心の状態を眺めることが出来るということを意味します。

戸閉め言葉を使った自分とは、とりもなおさず、取り乱した自分がそこにいたということになります。

そうしたことを他人事のように観察出来れば、心が今に戻って来て、本来の自分に帰ることが出来るのです。

時として人は、なぜ自ら取り乱して戸閉め言葉を使って、わざわざ自分で自分を貶(おとし)めるようなことをするのでしょうか?

それは、心が今という時を離れて、ありもしない過去や未来に浮気しているからです。

心が今を離れて、あちらこちらにフワフワ飛び回っていると、人は落ち着きがなくなり、一つの事に集中出来なくなってきます。

それは、その時やるべき「ただ一つの事」に意識が集中出来なくなり、次々にやってくるその時その時にやるべきただ一つの事が未完了のまま積もり重なっていって、その結果ワケが分からなくなって取り乱し、それを正当化しようとして、人生最悪のフレーズを見付けてきて、自分を支えるメカニズムを構築するということなのです。

要するに、心ここに在らず、なのです。

人生は、今やるべきただ一つの事でカタチ創られていきます。

心が、ありもしない不安や恐怖に駆られて過去や未来に浮遊するのは、あなたが望まないものに意識をフォーカスしているからです。

自分が本当に望むものに、意識をフォーカスしましょう。

人生は、出来るとか出来ないとかの発想では解決出来ません。

人生を紐解く発想は、「やりたいのか、やりたくないのか」という、たったこれだけの発想であることを忘れてはなりません。



意識の方向性

収入は、意識が決めます。

あなたの仕事に対する意識が、あなたの今の収入です。

経済力なき者は、発言権なし。

これが、世の中の本当のことです。

「お金が全て」と言っているのではありません。

しかし、お金が全てではないと本当に思える人は、お金のやりくりから解放されている人だけであることを覚えておいて下さい。

私たちは、人生という舞台で、自分とは一体何者なのかを知る為に生まれてきました。

それは、今を変革していく中でしか実感出来ません。

危ない考え方は、人生はお金ではないということを、自分が何もやらない理由にすることです。

そういう人は、知らず知らずのうちに、貧乏になっていきます。

「貧乏が悪いのではない。ずっと貧乏なことが悪いのだ。」

ずっと貧乏なことが、なぜ駄目なのでしょう?

今の時代、お金が無くなって貧乏になっても、よくよくの状況以外は、食べられなくて死ぬことなどまずありません。

では、貧乏はなぜ駄目なのでしょうか?

貧乏は、つまらないからです。
貧乏は、他人に迷惑を掛けるからです。
貧乏だと、ウソをつく回数が増えるからです。

ヒルティーという哲学者が、「幸福とは、仕事と仕事の間のインターバルの中にある」という旨のことを述べています。

やりくりを生活の基本に据えた時、その行動は節約発想をベースにした消極的なものになりがちです。

この消極性が、危ないのです。

消極的な態度に、本気という「気」が宿ることなどまずありません。

人生を変革する。

その第一歩は、悩みが変わったか、ということです。

ずっと貧乏な人は、悩みが変わっていないのです。

引っ掛かるところ、悩んでいるゾーンがいつも同じです。

彼らの特徴は、何に対しても半身で構えて、例えば岸につながれているボートに片足を掛けながら、もう一方の足は岸に乗っているという状態で物事に臨みます。

それは、口では「このボートに乗って沖に漕ぎ出して、ロマンチックな夕日を見に行こうよ!」といいながら、片足はボートに乗せていますが、もう一方の片足を岸に掛けてガタガタ震えている。

両足を、ボートに乗せていないのです。

言っていることと、やっていることの辻褄が合わないのです。

危ないのは、そのことに全く気付いていないということです。

その結果、人はそういう人を信用しません。

人に信用されないから、チャンスに巡り合うことが出来ないのです。

チャンスは人が持ってくるということを理解出来ない人は、人生を根底から変革することは出来ません。

本気の出会いから、チャンスがつむがれていくからです。

しかし、本気の出会いは、本気の人にしか起こりません。

本気の出会いから生まれるチャンスに、いつも半身に構えて、心ここにあらずの反応をしていれば、チャンスそのものが色褪せてくるのは当然です。

人生を転換する第一歩は、本気で目指すことです。

本気で目指せば、その瞬間から悩みが変わってきます。

本気で目指す自分をイメージすることが、あなたの意識の方向性を確立していきます。

意識の方向性が確立された時、そこに集中力が生まれ、その集中力が力を一点に集めて、今を少しずつ変革していくのです。

集中力こそが、具体的に現場を変えていくからです。

あなたの収入は、あなたの意識が決めていることを忘れてはなりません。



シークレット

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない。

気持ちを支える考え方を、脳ミソにフレームとして持ちましょう。

あなたが真に飛躍出来るかどうかは、土壇場に来たときの精神状態にかかっています。

人生は薄らボンヤリ生きていて、充実することなど出来ません。

よく人生は、3回チャンスがあると言われますが、真にそのチャンスの意味を理解しようとする人は、そう多くはありません。

チャンスとは、ピンチであり、ピンチの中に潜む宝を取りにいく行為を言うのです。

その行為を、「勝負」と言います。

勝負の先には、リスクと栄光の二つが待ち構えています。

リスクに怖じ気づく者と、立ち向かう者。

人間はこのどちらかに分かれます。

逆説的に言えば、この両者に入らない者は、論外ということになります。

毎日毎日、何も狙わず志さず、その当然の結果として、薄らボンヤリ生存する。

生きると生存は違います。

人生は懸命に生きてこそ、意味があるからです。

人は引き合います。

あなたが凡物ならば、あなたが関わる人は、いつもいつも凡物であることを忘れてはなりません。

あなたの環境の全ては、あなたの心の投影であり、写し絵です。

それは、あなたの影と言い換えても構いません。

影は、あなたという実態があって発生します。

太陽に向かってあなたが立てば、その後ろにあなたの影が表れます。

その影だけを動かそうとしても、影は動きません。

あなたという実態が動いた時だけ、影も寸分違わずあなたの実態と同じように動きます。

あなたの環境は、あなたの思いや考え方の影なのです。

ですから、あなたの環境そのものをいくらいじくっても、何も変わりません。

それでは一体、どうしたら環境が変わってくるのでしょうか?

答えは、ひとつです。

自分を変えるのです。

環境を変えようとするのではなく、自分を変えていくのです。

真の偉大さは、その業績にあるのではなく、自らを正す能力にあります。

この考え方を、あなたが受け取った時、あなたの人生が内側から変わってくるのです。

人間は合理的に生きようとして、不合理に生きる生き物です。

言っていることと、やっていることが、食い違うこともあるでしょう。

しかし、そこを正していこう、修正していこうという気持ちが、自分を変えようとする行為につながり、その行為こそがあなたの偉大さになって、引き合う人が変わり環境が変わり始めるのです。

恐れず、たじろがず、「今に見ていろ。」の気概で、ただ今この時の環境にある自分自身と、懸命に勝負していきましょう。

大丈夫、あなたは必ず成功します。

そして、成功した時、あなたに見えてくるものがあります。

それは、

若き日に、不安で不安でたまらなかったけれど、歯をくいしばって勝負しようとする気持ちを持った自分こそが、すでに成功していたのだということを。

人生のシークレット。

それは、自分自身の変革を決意したこと、それ自体が成功なのだということ。

さあ、心を晴れやかに持って、今日の一歩を力強く踏み出していきましょう。

あなたは既に、成功しているのです。




ブレーキの解除

自分の市場価値は、一体いくら位だろうかと考えたことはありますか?

一時間600円ですか?

それとも、800円ですか?

あなたの値段は、大概あなたが付けたものであって、他の誰かが付けたものではないということを、まず初めに知っておきましょう。

世の中は価値に対して、その対価としての代金を支払います。

価値のスタートラインは、あなた自身があなたをどう評価しているかにあります。

しかし、ほとんどの人は、今現在の自分を取り巻く条件や状況から、常識的なラインでそこそこに未来を見て、そこから自分をそこそこに評価するのです。

基準値の低い人は、「そこそこ」に物事を捉えて、その結果として、未来へのアプローチをボンヤリと描くのです。

あなたの価値は、あなたの設定した「基準値」で決まります。

基準値を上げましょう。

考え方、物事の捉え方、感じ方、反応の仕方等々、そうしたあなたを内側から創り上げる、心のインナーマッスルを再構築するのです。

特に重要なことは、物の感じ方と考え方です。

事に当たって、どう感じ、どう考えたかが全てだからです。

プロは、アマチュアの意見や批判に動じることはありません。

基準値が違うからです。

プロは、アマチュアにアドバイスを求めません。

少し話からそれますが、あなたがアマチュアの域にある時は、プロにアドバイスをすることは控えましょう。

それは、例えば毎年春に、アメリカ・ジョージ州で開催されるゴルフの祭典オーガスタ・マスターズ・ゴルフトーナメントを観戦しているゴルフファンが、たまたま調子を落としているタイガー・ウッズに、「このホールは、こう打て。」と言っているようなものだからです。

基準値を上げる最短ルートは、出来得る限り目標とする人と一緒にいることです。

そして、その人から学ぶのです。

具体的な行動を真似しようとするのではなく、何故その時そういう行動を取ったのかという、物の感じ方と考え方を学ぶのです。

その学びの第一歩は、「成功者がしないことはしない!」という発想を確立することです。

進む為の本質は、アクセルを踏み込むことではなく、ブレーキの解除にあります。

ブレーキとは、あなたの心の中にある「一凶(いっきょう)」です。

一凶とは、あなたの歩みを阻害する根本的なネガティブです。

この一凶は、何かを加えてもなくなりません。

成功者がしないことはしない!

この発想を得た時に、一凶という根本的なブレーキが解除されるということを理解しましょう。

あなたの市場価値はいくらですか?

全ては、あなたの基準値が決めていることを忘れてはなりません。



希望の芽

やるべきことをやらない自由は、ただの先伸ばしです。

問題の先伸ばしは、未来の借金となって、あなたの心のバランスシートに少しずつ積み上がっていきます。

人生は、あなたの気持ちと時間とお金という資源を、具体的な行動にどのように注ぎ込むかで決定されていきます。

節約は美徳ですが、節約オンリーで、人生を達成することは出来ません。

何の為に節約するのかを考えてみれば、それは我が人生をよりよく変更する為です。

生きるとは、命を懸けることに他なりません。

あなたは、何に命を懸けていますか?

ほとんどの人は、こうした人生の根本命題について考えようともしません。

その結果、何に命を懸けているかが、その人物の本質になるということを忘れて、毎日を送ることになるのです。

希望は、可能性の中に潜んでいます。

我が命を可能性に懸けた時、希望の芽が息吹くことを知りましょう。

ここを、強く意識することが大切です。

何故ならば、命は可能性に懸けるという発想を忘れた時、人は知らず知らずのうちに、我が命を不安に懸けて生きるようになるからです。

その結果、ありもしない不安に振り回されて、本来の自分を切り売りし、そしてディスカウントして、自分で自分の価値を下げてしまっていることに気付きもしなくなります。

あなたが、あなた本来のやるべきことをやっていれば、あなたに疲れが襲ってくることはありません。

自分が何処に行こうとしているのかを、一度あなたの心の奥にある地図を引っ張り出してきて、じっくりとそのルートを検討してみて下さい。

もしルートから外れていたなら、修正を加えましょう。

疲労感は、よほどの病気でもない限り、心が発信源です。

体が疲れたから、疲れたのではありません。

心が止まったから、疲れたのです。

やるべきことをやらない自由は、心を止めます。

心が止まれば、雑用に追い掛け回されて、それを仕事と勘違いして毎日を送ることになり、その代償は後日「後悔」という形で、必ず自分自身に返ってくることを忘れてはなりません。

皆が慌てふためく大変な時代だからこそ、しっかりと自分自身の生き方の軸を持って、忙しい忙しいと言って心を自ら亡ぼさないで、心にスイッチを入れて今日一日を達成していきましょう。



心の刀

情報を発信する人と、情報を受け取るだけの人。

この両者の間には、天地の差があります。

情報を発信するということは、自らが何者であるのかを明らかにすることです。

自らが信じる情報を発信しようとすることは、自分自身のなかにある本音を相手にぶつけるということだからです。

それは、刀を抜くということなのです。

刀を抜けば、リスクを覚悟しなくてはなりません。

リスクを覚悟して、リスクに飛び込むのですから、誰でも緊張します。

しかし、人間が伸びよう成長しようという時には、健全な緊張感がなくてはならないのです。

逆から考えてみれば、何もやることもなく、一日をお気楽に過ごした後の、あの後味の悪さ。

緊張感なきところに成長なし、なのです。

SMAPの歌に「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という歌詞があります。

歌としては美しい歌詞ですが、その真意を理解している若者は、どれ位いるのだろうかと思ってしまいます。

空気を読むということを自分を押し殺すことと勘違いし、表層的な人間関係を続けている自分をオンリーワンと思い込み、そこに沈殿したフラストレーションをネットへの書き込みで解消する。

オンリーワンが素敵と歌うSMAPは、彼らの業界では紛れもなく、ナンバーワンなのです。

人生は勝負であるということを、忘れてはなりません。

あなたは、勝負していますか?

今あなたが置かれている状況の中で、ナンバーワンを「明るく」目指しましょう。

それは、情報の発信者になるということです。

語って、動きに動くのです。

情報の受信だけをする人は、語り動くあなたを批判し、冷たく見るかもしれません。

しかし、一つだけ言える確かな結論は、リスクを避けて何も語らず動かない人に、未来はないということです。

人は、リスクを避けて通る人が何を言っても、見向きもしないことを覚えておきましょう。

語らなければ楽、動かなければ安穏な空間が、そこにあるかもしれません。

しかし、語らなければ何も始まりません。

動かなければ、あなたの思いがカタチにならないのです。

そろそろ、心の刀を抜きましょう。

勝負を避けて、栄光はないからです。



ストローク

「私はプロだ!」

1日に三回、朝仕事に就く時、昼から切り替える時、そして夜あなた自身に戻ってあなたの未来を創る時に、「私はプロだ!」とストロークしてみて下さい。

プロとアマチュアの差は、天と地ほどの差があります。

まず、集中力が違います。

プロの集中力は、アマチュアと比べれば「桁違い」なのです。

それでは、プロと呼ばれる人たちは、初めからそのような桁違いの集中力を持っていた人たちだったのでしょうか?

稀にほんのごくごく少数の天才はいるとしても、それ以外の大多数の人たちは、努力して集中力を身に付けていったと理解しましょう。

人生を達成する為に必要な最大の力は、集中力です。

集中とは、今やろうとする事以外は、何も目に入らない、何も考えない精神状態をいいます。

例えば、人前でプレゼンテーションをする時とか、何かの面接を受ける時に緊張して上がってしまうことの本質的な理由は、その事に「集中していない」ということに尽きます。

要するに、その時の精神状態は、アマチュアだったということです。

二つ目は、プロにあって、アマチュアにないものという視点で考えてみます。

それは、「場」です。

プロと呼ばれる人たちは、自分自身を発信する舞台を営々と築いてきた人たちです。

勝負する「場」を持ち、そのステージを維持しながら更に大きく進化発展させて、コンテンツとしての自分自身の中身を磨き、バージョンアップすることに考え方の中心軸を置くのです。

あなたは、自分自身を発信する「場」を、お持ちですか?

ここを意識した時から、自分自身が凛としてきます。

自分自身を表現する舞台を意識すれば、嫌が応にも、緊張感に溢れた準備が必要となってくるからです。

それは、負荷でありプレッシャーを伴う作業です。

真のプロフェッショナルは、負荷が創り上げることを忘れてはなりません。

「私はプロだ!」

事に取りかかる時に、こうキッパリと自分自身に言い聞かせましょう。

みるみるあなたの表情が引き締まり、目に輝きが戻り、凛とした空気が漂ってきます。

全ての始まりは、本来あなたのなかにあるプロ魂を、呼び覚ますことにあったのです。



シークレット

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない。

気持ちを支える考え方を、脳ミソにフレームとして持ちましょう。

あなたが真に飛躍出来るかどうかは、土壇場に来たときの精神状態にかかっています。

人生は薄らボンヤリ生きていて、充実することなど出来ません。

よく人生は、3回チャンスがあると言われますが、真にそのチャンスの意味を理解しようとする人は、そう多くはありません。

チャンスとは、ピンチであり、ピンチの中に潜む宝を取りにいく行為を言うのです。

その行為を、「勝負」と言います。

勝負の先には、リスクと栄光の二つが待ち構えています。

リスクに怖じ気づく者と、立ち向かう者。

人間はこのどちらかに分かれます。

逆説的に言えば、この両者に入らない者は、論外ということになります。

毎日毎日、何も狙わず志さず、その当然の結果として、薄らボンヤリ生存する。

生きると生存は違います。

人生は懸命に生きてこそ、意味があるからです。

人は引き合います。

あなたが凡物ならば、あなたが関わる人は、いつもいつも凡物であることを忘れてはなりません。

あなたの環境の全ては、あなたの心の投影であり、写し絵です。

それは、あなたの影と言い換えても構いません。

影は、あなたという実態があって発生します。

太陽に向かってあなたが立てば、その後ろにあなたの影が表れます。

その影だけを動かそうとしても、影は動きません。

あなたという実態が動いた時だけ、影も寸分違わずあなたの実態と同じように動きます。

あなたの環境は、あなたの思いや考え方の影なのです。

ですから、あなたの環境そのものをいくらいじくっても、何も変わりません。

それでは一体、どうしたら環境が変わってくるのでしょうか?

答えは、ひとつです。

自分を変えるのです。

環境を変えようとするのではなく、自分を変えていくのです。

真の偉大さは、その業績にあるのではなく、自らを正す能力にあります。

この考え方を、あなたが受け取った時、あなたの人生が内側から変わってくるのです。

人間は合理的に生きようとして、不合理に生きる生き物です。

言っていることと、やっていることが、食い違うこともあるでしょう。

しかし、そこを正していこう、修正していこうという気持ちが、自分を変えようとする行為につながり、その行為こそがあなたの偉大さになって、引き合う人が変わり環境が変わり始めるのです。

恐れず、たじろがず、「今に見ていろ。」の気概で、ただ今この時の環境にある自分自身と、懸命に勝負していきましょう。

大丈夫、あなたは必ず成功します。

そして、成功した時、あなたに見えてくるものがあります。

それは、

若き日に、不安で不安でたまらなかったけれど、歯をくいしばって勝負しようとする気持ちを持った自分こそが、すでに成功していたのだということを。

人生のシークレット。

それは、自分自身の変革を決意したこと、それ自体が成功なのだということ。

さあ、心を晴れやかに持って、今日の一歩を力強く踏み出していきましょう。

あなたは既に、成功しているのです。



最短ルート

「見つめる鍋は煮えない。」

ヨーロッパの諺です。

鍋を火にかけて、煮えたかな、煮えたかなと気にして、その度に鍋の蓋(ふた)を開けて覗いていたら、鍋はなかなか煮えません。

早く鍋を煮たいのなら、あまり気にしないで、しばらく放っておけという意味です。

この諺は、なかなか深い意味を包含しています。

何か問題が起きて、どうしてよいのか分からなくなった時は、その問題を見つめ過ぎないことが、逆にその問題を早く解決します。

心配しなくても、あなたの知らないところで、あなたを守護すべき潜在意識が、しっかりと問題解決の為の最短ルートを検索しています。

自分自身の中にある大きな力を信じた時、あなたに平常心が戻ってきます。

問題というピンチに臨んで、勝敗を分けるものは平常心です。

心を乱してはいけません。

人も考えも問題も、ピンチの時には寝かせてみましょう。

あなたの心の奥底にある意識を信頼して、見つめた鍋から目を離してみるのです。

そして、他のやるべきことに行動を移すのです。

しばらくすると、全く予期していなかった方向から、今まで気に掛かっていた問題が、シンプルに解決されていくことに気付きます。

問題の解決策は、時として途方もないところから湧き出てくるからです。

鍋は蓋を開けずに、じっと火にかけておけば必ず煮えるのです。



覚醒

先が見えない時は、現実に囚われて、雑用に振り回されて、それでやった気になってしまいがちです。

しかし、人生万般、闇を突き抜けて乗り越えてみれば、見えてくるものがあります。

それはあの時、何でもっとやらなかったんだろう、何でもっと早く気付かなかったんだろうと、雑用に振り回されて思考を止めていた自分への苛立ちだったりします。

結局人生は、その時その時の行動が、どういう脈絡でつながっているのかで決定されていくことを、理解しなくてはならないのです。

あなたが、今まさに行おうとする行動に、意味を付けましょう。

その意味とは、「何の為に?」という、自分自身への問いかけに他なりません。

何の為に、今悩んでいるのか。

何の為に、今憤っているのか。

何の為に、今振り回されているのか。

何の為に、今断ち切ろうとしているのか。

何の為に、今変わろうとしているのか。

この自分への問いかけこそが、自分と向き合うことにつながって、今までバラバラに分解されていた行動に脈絡が出てくるのです。


一つの脈絡に貫かれた発想と行動は、必ず結果を生みます。

爆睡した脳ミソを、揺り起こしましょう。

「何の為?」という問いかけが、あなたを根底から覚醒させることを忘れてはなりません。



Attraction

ベンツを買おうと思うと、急に街中を走っているベンツが多くなったように感じます。

子供が受験をしている時は、世の中の全てが受験一色に見えてきたりします。

しかし、街中を走るベンツの数は急に増えてはいませんし、世の中が受験一色に染まったわけでもありません。

人の目に映る様々な事象は、現象としての有り様ではなく、意味としての情報として、私たちの脳にインプットされるのです。

ここに、「引き寄せ」の基本的な構造があります。

人は、出来事から感じた意味に反応してイメージを抱き、そのイメージに従って、自分は何とつながっていくのかを決定していくからです。

そうであるが故に、人間の質とは、モノの感じ方にあるといえます。

モノの感じ方が、イメージにつながっていくからです。

モノの感じ方がイメージを創り、そのイメージが命の傾向性となっていきます。

命の傾向性はやがて、その人の人間力の基準値となります。

自分自身の変革とは、自分自身の人間力のレベルを上げることに他なりません。

レベルを上げるとは、基準値を上げることを意味します。

あなたの「人生」という壮大な絵巻は、その全てが感じ方の基準値にあるのだと理解することが大切です。

事に対峙した時の、感じ方を訓練しましょう。

感じ方のレベルを、引き上げていきましょう。

前向きに、価値ある感じ方が出来れば、前向きで価値ある人を引き寄せていきます。


後ろ向きで、破壊的な感じ方を持てば、後ろ向きで破壊的な人とつながっていきます。

感じた通りに世の中が映り、映った通りの環境と人を引き寄せるからです。

人は、自分にとって重要なものしか見ようとはしません。

人は、自分から見ようと準備したものしか、見ようとはしないのです。

あなたは今、何を見ていますか?

見た何かから、何を感じていますか?

ここに引き寄せが起こり、人生という物語が劇的に展開されていくのです。




第二の遺伝子

人生は、プレゼンテーションです。


どれだけ思っていても、それが言葉として表現出来なければ、あなたの思いが相手に伝わることはありません。

プレゼンテーションの基本は、人の話をよく聞くことから始まります。

言葉、とりわけフレーズの貯金をすることをお薦めします。

大切な観点は、人の話を聞く時に、評価して聞かないということです。

素直な気持ちで、自分のなかにある先入観を払拭(ふっしょく)して、人の話を聞く姿勢を持ちましょう。

そうした状態を、「集中」といいます。

集中出来る状態を創ることが出来る人は、将来「無敵」の人となります。

集中した状態を創ることが出来る人は、如何なる状況にも、如何なる人物にも、心を乱すことがありません。

人の話を評価して聞く人は、その段階で集中と学びの両方を、放棄している人です。

学ぶべき時に、「囚われの我」に心を支配されて、一見それは主張する積極的な精神に見えますが、実はそれこそが将来における「小者(こもの)」としての自分の素地になっていくことに気が付かないのです。

人の話を、つまらない取るに足りない観点から評価して聞いている人は、いざ自分が人に何かを伝える番が巡ってくると、頭が真っ白になって、シドロモドロになり、何を言いたいのかがよく分からない話をします。

その理由は簡単です。

自分が人の話を冷ややかに評価して聞いていますから、いざ自分が人の前で話す番が来れば、当然自分の話も冷ややかに評価して人は聞くだろうと、潜在的に感じているからなのです。

人物としての真価は、何を感じて、それをどのような態度で語り、そして行動しているかで決定されていきます。

その勝負の舞台は、語る時なのです。

あなたが一兵卒ならば、ただ動き回っていればそれで済みます。

しかし、如何なる組織、如何なる社会であれ、人を引っ張っていく側に上がっていけば、その仕事の中心は、人に語るというプレゼンテーションであることを理解しなければなりません。

その時、あなたがどういう態度で、何を語るのかが、あなたの価値となるのです。

その時の為に、心を開いて、素直な気持ちで人の話を聞きましょう。

よく覚えておいてください。

人生を変えるものは、言葉です。

言葉こそが、第二の遺伝子だからです。

人は自分にとって、運命のワンフレーズと出会って大きく変わるのです。

感動出来る自分を、創り上げていきましょう。

感動出来る自分だからこそ、自分に変化をもたらす言葉と出会え、そして変化したあなたが次に続く世代に、第二の遺伝子としての言葉を、フレーズに変えて語り継ぐことが出来るようになるのです。

人生は、プレゼンテーションです。


語るべきことを語っていける、力あるリーダーへと成長していきましょう。



放棄の代償

考えない人は、何が起きても考えていません。

そして、何が起きても反省しません。

ですから、何回も何回も同じミスをして、同じところで引っ掛かるのです。

人生に自動操縦はありません。

自分で何も考えずに、ただ人に教えられた通りにやっていれば大丈夫と考えた時から、あなたはその他大勢の一人となります。

人生の勝敗を制するものは、言うまでもなく気持ちです。

その気持ちは、突き詰めて考えるところから出来上がってくることを忘れてはいけません。

気持ちや思いといっても、結局は自分とどう向き合い、その時その時の自分に対して、どう考えてどう渡り合ったかということの積み重ねだからです。

時には一人静かに、うまくいかない理由を突き詰めて考えてみましょう。

そこで面倒くさがったらアウトです。

うまくいかない理由は、突き詰めてみればシンプルです。

それは、あなたの取った行動が稚拙だったのか、それとも考え方に問題があったのか。

うまくいかないことが連続化しているとすれば、そうしたことですら枝葉的なことに過ぎなかったことに気付きます。

ではうまくいかない時は、何を突き詰めて考えたらよいのでしょう?

それは、「在り方」です。

事に処した時、あなたが「どう在るか。」という「在り方」の問題だったのです。

自分と向き合うとは、その時その時に思ったことや取った行動の一つ一つを分析することではなく、その時あなたが、どう在ろうとしたのかを考えることなのだと解釈しましょう。

ビジネスも対人関係も、人生の何もかもが、あなたの態度で決まることを忘れてはなりません。

態度とは、在り方です。

事に処して、どう在るか。

ここを意識した瞬間から、あなたの大切な何かが確実に変化し始めるのです。



心の不良債権

そんなの面倒くさい。

まっ、いいか。

こうした発想が出てきたら、要注意です。

これこそが、「先伸ばしの心理」の正体だからです。

特に危ないのが、面倒くさいという感覚です。

人生を拓く扉には、面倒くさいことばかりが書かれています。

面倒くさいことを避けて、我が人生に大輪の花を咲かせることなど誰も出来ません。

面倒くさそうなこととは、一体何なのでしょうか?

それは、しっかりと辛抱強く手順を踏むということです。

手順とは、準備することにも通じます。

ヨーロッパに、

「幸運は、準備なき者を助けない」

という諺があります。

粘り強く地道な努力を積み上げる以外に、成功の階段を昇ることは出来ません。

準備とは、コツコツと手順を踏むことなのだと、再度自分自身に言い聞かせましょう。

大敵は、面倒くさいと感じて手順を飛ばす、先伸ばしの心理です。

こうした後退の心理を認めれば、それは心の不良債権となって、未来のあなたを足元から揺るがしかねない、重大な禍根となる可能性が高いことを忘れてはなりません。

そんなの、面倒くさい。

まっ、いいか。

これが、心の不良債権です。

やるべきことは、一つ一つ粘り強くしっかりと手順を踏んで、未来の希望という優良債権にしていきましょう。

人は、たとえ今苦しくても、未来に希望を感じることが出来れば、がんばりきることが出来るからです。



断ち切る!

たいていの人たちは、年を重ねるに従って機械のようになっていきます。

その理由は、意識的にせよ無意識的にせよ、これまでに自ら創ってきた習慣が威力を増していくからです。

私たちが成功するか、それとも挫折するかに影響を与えているもの、それは習慣を差し置いて他にはありません。

私たちは、習慣の生き物だからです。

私たちは過去の自分を模倣して、自分のやろうとする行為に安心感を覚えようとする生き物なのです。

私たちの意志は、曲がったり、折れたりと、まるで一枚の紙が折り曲げられる度に折り目がついて、次に折り曲げることが簡単になるのに似ています。

私たちがまず気が付かなくてはいけないことは、全ての習慣は意志によってコントロールされているということです。

意識的にせよ無意識的にせよ、ほとんどの人たちが、毎日次から次へと新しい習慣を創り出しています。

あることを同じやり方で何度か繰り返せば、そのやり方が習慣になっていくのです。

繰り返す回数が多ければ多いほど、その習慣はあなたの心にしっかりと根を張って、あなたの行動のシステムとなっていきます。

それが、悪癖であった場合が厄介なのです。

しかし、どんな習慣も、それと反対のものに強く集中することで断ち切ることが出来ます。

ひと月に一度、自分の習慣に考えを集中し、自分にとってプラスの習慣とマイナスの習慣を見極めてみましょう。

いくつか必要な変化を起こせば、それだけのことでマイナスの習慣も有益なものに変わり、プラスの習慣は更にエネルギーを得て強固なものに進化します。

では、いくつかの必要な変化とは、一体何を指すのでしょうか?

それは、捨てる勇気を持つことです。

迷いを捨てる!

迷った時は、捨てて進む!

この心構えを持つことが、必要な変化です。

心配は無用です。

本当に必要なものは、捨てても必ず戻ってきます。

それが宇宙の法則だからです。



オール・クリア

自殺者5万人確実!

失業者300万人!

年金・健康保険破綻寸前!

貧困率16%で、先進国における最悪の貧困率!

年収200万円以下が、就業者の3分の1に!

この国は、一体どうなっちゃったのでしょう。

さらに、福島第1原発事故は全く終息の兆しを見せず、全国にセシウム牛の汚染肉や野菜が出回り、あたかも全世界が固唾(かたず)を飲んで見詰める人類史上空前の放射能人体実験が、日本全土で展開されているにも関わらず、国民の大半がのほほんと思考を停止しています。

ある国で長崎・広島の被曝者たちが原爆の恐ろしさを訴えた際、その国の記者から、「原爆で苦しむあなた方日本人が、なぜ原発を54基も持ち、世界でも最大級の原爆の材料となるプルトニウムを保有しているのか?」と逆に質問され、答えに窮してノーコメントで押し通したとのことでした。

さらに、政官財とマスコミは、事ここに至っても、節電だ、なんだかんだと言って、原発が止まったら停電だぞと国民に脅しをかけ続けています。

彼らの厚顔無恥には、甚だ呆れるばかりです。

こうした訳が分からなくなった時代を生き抜くために重要なことは、自分自身の軸と哲学をしっかりと持つということです。

そして何よりも、「先を読む眼」を持つことの重要性を意識しなければなりません。

先を読む!

今に流されず、先を読んで一歩を踏み出すことが、今という時代を生き抜く必須の条件だからです。

今、一番危ない発想は、「みんながこうだから!」という横並びの発想です。

こうした横並びの発想は、いずれただ頑張るしかないという短絡的な結論にいきがちです。

しかし、こうした非常時には、ただ頑張るしかないといった思考停止の発想が、更なる危機を呼び込むことになります。

大事なことは先を読むことで、先を創り出す行動を取ることです。

それでは、先を読むとは一体どういうことなのでしょう。

それは、こうしたオール・クリアの時代にしかできないことを選択するということです。

オール・クリアの時代だからこそ、許されること。

それは、過去は帳消しであり、全く関係ないということです。

そうであるならば、過去の呪縛に囚われて足が前に出ないということが、最も愚かな行為であるということになります。

今こそ、恐れることなくビジョンを持って先を読み、一歩を踏み出しましょう。

その際のポイントは4つです。

第1に、収入の「質」に対してのビジョンを持つ!

第2に、時間という「価値」に対してのビジョンを持つ!

第3に、仲間という「つながり」に対してのビジョンを持つ!

第4に、肉体的・精神的健康という「命の基盤」に対してのビジョンを持つ!

これら4つのビジョンを明確にすることが、先を読むということにつながります。

ここまで縷々(るる)述べてきましたが、要するに何が言いたいのかと言えば、「先を読むとは、人生を拡げることである!」ということです。

人生を拡げましょう。

何があっても、縮めてはいけません。

暗いことが起きるのは当たり前!

これ位の強い気持ちを持って、ビジョン直結の勇気ある一歩を出し続けていきましょう。




土壇場力

人間最後の力は、才能でも何でもありません。

人間最後の力は、意地です。

意地が、土壇場であなたを支え、あなたを急上昇させるからです。

土壇場力。

ピンチに立って守りに入る者は、次の飛躍の為の投資となる行為を放棄した人です。

「背水の陣」という兵語があります。

文字通り、敵を向こうに回して、背後は川で、後退すれば死ぬ以外にないという状況を指します。

もう、前に進む以外に生き残る道はないという、ワンウェイ・ロードです。

人はなまじ選択肢を多く持つほど、そこに迷いを生じ、躊躇し、超えてしまえば何でもなかったことに二の足を踏むのです。

背水の状況で、自ら橋を焼き払えるか。

人生は、すばしっこい人が勝つとは限りません。

頭の切れる人が勝つとも限りません。

結局最後は、「私は出来る!」と思った人だけが勝つのだということを、肝に銘じましょう。

もうちょっとで、届くのに。

もうちょっとで、抜け出ることが出来るのに。

こうした、もうちょっと、もうちょっとの人は、自分ではあと少しと思っているかもしれませんが、そのもうちょっとの距離は、月に行くのと同じくらい距離があるということを知らなくてはなりません。

もうちょっとの人は、永遠にもうちょっとの人です。

もうちょっとの人は、いつも土壇場で諦める人です。

人生は、囲碁とよく似ています。

最後に一目多く取れば、それで勝ちだからです。

真のプロフェッショナルは、いつも終盤戦を頭に入れて、戦いの駒を進めます。

そして、土壇場という勝負処が来たら、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に打って出るのです。

あなたがもし伸び悩んでいるとしたら、それは勝負をしていないからです。

土壇場でどれだけ踏ん張れるか。

この土壇場力が未来のあなたを、力あるリーダーへと育てることを決して忘れてはなりません。