埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



思いが始まり

思いの力で人生を変えられるのは、人間だけです。

街を歩きながら、すれ違う様々な人たちの顔を観察していると、今までどんなふうに人生を過ごしてきたのか、大体の察しがつきます。

人生を文字通り、「人生」と捉えてチャレンジしてきたのか。

人生を「生活」と捉えて、雑用に振り回されてきたのか。

人生を、「生存」と捉えて、食う・寝る・出すを基本とした毎日を過ごしてきたのか。

鏡があなたの容貌を映し出すように、顔はその人の生き方を映し出しています。

思いの力を意識しましょう。

思いの力を強く意識することで、自分では想像も出来なかった内なる可能性に気付くからです。

思いは、目に見えない線を通ってあなたに届きます。

そして、あなたを動かしていきます。

あなたの思いが、あなたの環境とあなたの友人関係をつくり、それらを変えるのもまた、あなたの思いなのです。

素直で清らかな思いは、建設的です。

逆に、ひねくれた邪(よこしま)な思いは、破壊的です。

素直で清らかな思いを持って正しいことをしたいという考えには、必ず大きなパワーが宿ります。

あなたの思いが、凛として気高いものであれば、同じように凛とした清らかな思いを湛(たた)えた人とつながりができ、そのつながりがやがてあなたを助けることになります。

あなたの思いがズルイものであれば、あなたの周りにはズルイ人が集まってきて、あなたをたぶらかそうとします。

要するに、思いが全ての始まりなのです。

あなたの思いが正しいものならば、あなたと係わる人たちの心に信頼感が生まれます。

そしてその結果、あなたは係わった人たちから善意を受けとることになります。

今度はあなたが、人の善意を受け取ることで、自分に対する自信と強さが増幅していくことを実感出来るのです。

その経験のなかで、やがてあなたは自分自身の価値と、どんなにつらい環境のなかでも頑張り通せる強い心を獲得出来るようになるのです。

思いを正しい経路に集中させましょう。

思いは、目に見えない線を通ってあなたに届き、あなたを突き動かしていくからです。



あなたの宝

旅の初めは、旅の終わりほど重要ではありません。

あなたの旅は、どういう人生にたどり着く旅ですか?

物事を始める前には、先を見通して、この道を歩むことが最後はどこに行き着くかを考えることが必要です。

どこにも通じていない道を、選択してはなりません。

どこかに通じている道を、選ばなければならないのです。

何らかの形で、実のある「結果」を伴う旅であろうとすることが、人生だからです。

人生が最後に自分自身に突き付けてくるもの、それは結果責任です。

厳しい言い方ですが、自分自身が歩んだ人生をごまかすことは、何人たりとも出来ません。

行く末を視野に入れずに単純な努力を続けても得るものは少ないということに、早く気付くことが重要なのです。

人生をより良く生きるための柱となるものは、「方向性」です。

方向性とは、目的の選択です。

ここを誤らなければ、あなたの取る行動の全てが、選択した目的に向かって、適切にあなたを近付けてくれます。

人生の方向性を間違えないこと。

ここが重要なのです。

あなたの過去が引き寄せた日々の様々な出来事に、心を奪われてはなりません。

あなたが、日々の仕事や会社や、些細なことからこじれてしまった人間関係に振り回されて、ボロボロにされなければならない理由など、どこにもないからです。

それでも、もしそのような状態になっているとしたなら、何かが間違っています。

あなたが自分のしていることと調和していないから、引き寄せるべきではない力や影響を引き寄せているのです。

その結果形作られたものが、今の環境なのだと理解しましょう。

忍耐力をもって、前向きに状況を打開していくのです。

「やり続けよう!」という気持ちも、「諦めよう」という気持ちも、使うエネルギーは同じです。

後者を口にした瞬間、あなたの発電機は停止して、決意は瞬時に消え去ります。

決めたことを投げ出す度に、あなたの宝である「決断力」は、衰えていくということを忘れてはなりません。



エレメント

「人を泉に連れていくことは出来ても、泉の水を飲ませることは出来ない。」

ヨーロッパに伝わる故事です。

泉への道案内は出来ても、その水を本人が飲もうとしない限り、力ずくで飲ませることなど出来ないのです。

どれだけ環境を整えても、やるかやらないかはその本人にかかっています。

逆に、劣悪な環境をものともせずに這い上がってくる人もいます。

環境が、やるかやらないかを決める決定的な要因ではないという証左です。

やる人の特徴は、環境に左右されて行動を決めていないという点にあります。

環境とは、条件・状況を指します。

条件・状況が整ってから本気で動こうと考える人は、その考え方を根底から変更しなくてはいけません。

何事かを成し遂げたいのなら、条件・状況という環境が神秘的に整うことなどないということを学ばなくてはなりません。

結果を決めて、条件・状況を整えていくのです。

違う言い方をすれば、結果を決めて具体的に行動するなかで、条件・状況は整ってくるということです。

結果を決めるとは、決意するということに他なりません。

腹を決めるということです。

出来そうとか、出来なさそうとかの気分で行動を決めるのではなく、やらなくてはいけないことは断じてやるという、吹っ切れた決意で事に望む時、条件・状況という環境が整ってくるということなのです。

あれこれ頭をこねくり回すより、腹を決めましょう。

結果を決めて、原因を創り上げていくことが、乱世を生き抜く要諦(ようてい)だからです。



ジグソーパズル

あなたの今日一日の「任務」は何ですか?

仕事でも作業でも用事でもなく、あなたをあなた足らしめる任務を聞いているのです。

輝く人生への勝負の舞台は、一日一日の使命感に溢れた、任務の遂行のなかにしかないことを知らなくてはなりません。

伸びない人の行動パターンを見ていると、毎日毎日を雑用に追われて、ただ単にバタバタしていることを、充実していると勘違いしていることに気付きます。

自分自身の人生を達成したければ、そこにつながるジグソーパズルの一片一片を根気強く当てはめていかなくてはなりません。

人生を形作っていく行為は、人生という舞台における、任務の遂行以外にはあり得ないのです。

忙しいとか、その程度の言い訳は通用しません。

目標に近づきたいのなら、あなたの目の前にある、ただ今この時の目標と関係のある行為を繰り返すしかありません。

それを、任務というのです。

一刀両断的な言い方をすれば、少し気にかかる程度の雑事をエラーしても、あなたの人生にさほどの影響は及ぼしません。

しかし、任務を怠った代償は高くつきます。

それは何故かといえば、任務を怠って雑事のみに生きても、成功は出来ないからです。

成功とは、自己実現です。

自己を実現出来ない人は、結局つまらない人生を晩年に迎えることになります。

つまらない人生とは、辛い人生を指します。

何故辛いのか?

人生を築く時に一番大切なことを考えず、ただドタバタして軽薄に生きた人を、尊敬する人など世の中に一人もいないからです。

自分を実現する意味は、最高のメモリーを得るためです。

最高のメモリーは、あるがままの自分が真に尊重され、重要人物として扱われるなかでしか得ることは出来ません。

それこそが、人生を生きた証であり、自分自身の証明であり、あなたに続く次世代への最高のギフトとなるのです。

さあ、ややこしい言い訳をスパッと断ち切って、生まれ変わったような気持ちで、今日一日の任務につきましょう。

今日のその任務こそが、あなたの輝く未来を形作るジグソーパズルの一片となるからです。



ターニングポイント

人は誰でも、二人の自分を持っています。

風の音にも不安を抱く弱い自分と、何者をもなぎ倒して進む強い自分と。

前進しようとする自分と、後退しようとする自分です。

どちらの自分に集中し、育てるかによって、最終的にどんな自分になるかが決まります。

そこに決着をつけるのは意志の力だけです。

意志の力を信じて具体的な努力を積み上げた人は、やり始める前の自分から見たら、奇跡と言っていいことを成し遂げられます。

まず大切なことは、こうなりたいという強い意志を持つことなのです。

意志が決定権を持っていることを、決して忘れてはなりません。

意志こそが道を見つけ、道がなければ道を創るものだからです。

平々凡々とした毎日を何の疑問も抱かずに送っていた人が、ある日突然何かがキッカケとなって、昏睡状態から覚めたように、自分の内にある可能性を伸ばし始めて生まれ変わったようになる。

これが、人生を生きる意味に気付いた人の、王道ともいえるパターンです。

本当の自分に会いにいきましょう。

人生のターニングポイントを持つのです。

そして、人生のターニングポイントを決められるのは、自分自身以外の何者でもないことに早く気付きましょう。


進もう、変わろうとする神聖な自分に支配権を持たせるのか。

何か予期せぬ事が起きると、諦めて撤退しようとする弱い自分に支配権を持たせるのか。

どちらを選択するかが、人生を決定していくのです。

意志の力を使って、強く望むことが全ての出発点です。

これが分かれば、誰でもが自分の人生という映画の監督となることができます。

意志の力を意識しましょう。

私たちの行為は、訓練の結果です。

人は粘土のように柔らかいものです。

故に、自分の内にある意志の力で、どのようにでもコントロールできることを忘れてはなりません。




既定路線

不安の正体は、可能性です。

自信と不安が常に入り乱れている。

これが、前に進もうとする人のメンタリティーです。

進歩しているからこそ新たな不安が出てくるのであって、それは決して悪いことではありません。

何か新しいことに挑戦していて、不安な要素がまるでないというのが、逆に一番危ないのです。

本当に物事を成し遂げようという時、人は必ず真剣に自分と向き合い、そして何が悪いのかとあれこれ考えます。

その時、不安が襲ってこなかったとしたら、それは自分が突き進もうとすることをちゃんと考えていないということになります。

ですから、何かを成し遂げようとする時に、ずっと絶好調、ずっと右肩上がりが続くことなどあり得ないと心得ることが大切なのです。

戦いにおいての浮き沈みは、あって当たり前であり、ない方が異常です。

そう捉えられれば、一時のスランプも既定路線の一つであり、取り立てて大騒ぎする必要もなくなります。

要は、気が楽になるような考え方をすることが大事なのです。

スランプに落ちた時は、そのうち上がるさと、他人事(ひとごと)で思えるかどうか。

深刻になってはいけません。

深刻になると、思考が止まるからです。

考えるということが、とても重要なことであるのは言うまでもありません。

不安を持つということも、思考力を高める一つの要素です。

しかし、あまりに深刻になると、思考力がよい方向に働かなくなってしまいます。

逆に、勝って全てが正しいと思っている時が、一番危ないということも覚えておいてください。

たまたまうまくいったことは、二回あると思わない方が無難だからです。

負けた時の全否定も、よくありません。

その負けの中に、次につながるキラッと光る何かが隠れていたりするからです。

確かに、駄目なものが沢山あるからうまくいかない。

しかし、それは一から十まで駄目なのではなく、例えば、考え方は良かったけれど、出す順番とかやり方を間違えた、ということはあります。

うまくいかなかったのは、どこか少しボタンを掛け違えただけで、ボタンの位置は間違えてはいない。

掛け違いが始まると、全てがずれるのは当たり前で、最初だけ修正したらあとはスムーズに行くはずです。

それくらいの準備はしていたし、全くの見当外れでとんちんかんな見方をしていなければ、過剰な自信喪失や反省はするべきではないのです。

皆、誰もが真剣に生きてきて、その時その時の判断を、いろいろなリスクがありながらも選んで、今日まできました。

他の人には分からない事情が、誰にでも沢山あるのです。

そのことに、自信を持たなくてはいけません。

そうした中で、たとえうまくいかなかったとしても、自分を全否定する必要など全くないのです。

これだけ出来ているのだから、もう少し状況が変わってきたら、今度は出来る!

くらいの見方でよいのです。

歯車が一つ狂ったくらいで、ガタッといくのが一番よくありません。


思考も体も、前に進まなくなるのが一番駄目だからです。



何の為に

収入は、何が決めるか、考えたことはありますか?

収入は、あなたの意識が決めるのです。

貧乏なのはまだOKです。

何がいけないのかと言えば、貧乏くさいことがいけないのです。

貧乏が悪いのではありません。

ずっと貧乏なことが悪いのです。

意識を上げましょう。

勝負は、取り組む前についています。

今の現状にとらわれて、その延長線上から未来を展望してはなりません。

それは、望まないものに意識をフォーカスすることになるからです。

自らが望まないものに、焦点を合わせない。

自らが本当に望むものに、意識を向けるのです。

そうすれば、潜在意識という無意識が、あなたの知らないところで、あなたが真に望むものを実現するためのスキルを収集して、体系化しているということを覚えておきましょう。

状況がどうあれ、意識を望まないものに向けてはなりません。

意識するとは、意志の発動を意味します。

意志が発動されれば、そのとき道は突然現れてきます。

忙しいからと、出来ない理由を探しても、あなたの人生には何も起こらないのです。

忙しいことをやらない理由にした時、人生の綻(ほころ)びが始まることを忘れてはなりません。

忙しいとは、心が亡ぶと書きます。

なぜ忙しいと感じているのでしょうか?

今まで、何も考えてこなかったからです。

思考を停止してきたから、他者の意志に支配されて、その状況であれこれ動くことを、忙しいと勘違いしたのです。

忙しいと言う人に、聞いてみたいことがあります。

忙しい忙しいと言うけれど、あなたは一体、何の為に忙しいのですか?

何の為に!

これが一番大切なところだからです。

自分自身を成立させる肝心要(かんじんかなめ)の発想をここに持ってきた時、あなたに落ち着きが戻ります。

一つ一つのパズルをつなぐもの、それは何の為にという発想であり、ぶれない自分を創っていく要諦が、ここにあるのです。



いらない保険

本当にやると決めている人は、いちいち前置きは言いません。

出来なかった時のことを想定して、保険を掛けたりはしないということです。

伸びない人をじっと見ていると、分かってくることがあります。

それは、伸びない人というのは、ややこしいということです。

いちいち言うことがややこしいし、面倒くさいのです。

例えば、両手で水の入ったコップとリンゴをそれぞれ持っているとします。

しかし、次の瞬間目の前のテーブルの上に置いてあるバナナを取ろうと思ったら、今握っているコップかリンゴのどちらかをテーブルに置かなければなりません。

コップかリンゴのどちらかをテーブルに置いて、バナナを取りにいくのです。

このような日常茶飯事の行為は当たり前に出来るのに、この当たり前の行為の奥にある本質に気付ける人は、そう多くはありません。

無意識の中にある本質に気付きましょう。

無意識の中にある本質を意識化しましょう。

これが、先を見るということにつながるからです。

伸びない人は、例外なく先を見ようとはしません。

先を見るとは、今手にしている何を捨てるのかを決めることです。

では、捨てるとは一体どういう意味なのでしょうか?

それは、永久(とわ)の別れを指すのではありません。

一時的な別れです。

ちょっとの間、バイバイ。

といった感じのトーンです。

進まんがためには、今手にしている何かを手放さなければなりません。

手放すとは、握っているコップを目の前に置くことです。

それを、捨てると言うのです。

捨てるとは、思い出さないこと。

伸びない人は、いちいちどうでもよいことを思い出し過ぎなのです。

本当に進化、成長したいのなら、やろうとすることに、ややこしい前置きをすることは止めましょう。

やってもみないうちから、言い訳という保険を掛けても、誰もあなたを凄いとは思いません。

その言い訳保険は、あなたを迷わせたあげく、あなたの心を後ろ向きにすることを忘れないでください。

迷って逃げた先には、何もないのだということを忘れてはなりません。



Be diamond!

誰でも傷付きたくはありません。

出来るなら、傷付かないで生きていきたい。

こう思うのは、誰にでもある自然な自己防御反応だと思います。

しかし、何かに向かって進んで行くという行為は、今までの弱い自分を研磨していくということでもあるのです。

命は磨かれて本物となり、輝くことを忘れてはなりません。

では一体、何が命を磨くのでしょうか?

それは、トラブルです。

トラブルが、あなたの命を磨くのです。

故に、トラブルは宇宙からのギフトであると解釈しましょう。

トラブルに遭遇したら、引き下がってはいけません。

ひるんではいけません。

望むところとばかりに、打って出ましょう。

命も時間も、貯金は出来ないからです。

命も時間も、使うものであることを、考え方の基本に据えましょう。

トラブルに遭遇して、傷付くことを恐れてはなりません。

傷付くことの本質は、傷付くことを恐れた弱い命にあったのです。

突き詰めて考えていけば、生きるとは傷付くことです。

それを、命を磨き大きくするチャンスとするか、命を縮ませて小さくする恐怖とするか。

人生は、トラブルに直面した時の態度で決まることを、肝に銘じましょう。

態度とは、在り方です。

どう在るかなのです。

ダイヤモンドは傷付きません。

あなたがダイヤモンドで在ろうとすれば、どんな困難やトラブルが襲いかかって来ても、傷付くことはありません。

一つ大切なことを言います。

覚えておいてください。

それは、

あなたが傷付くことを恐れて、傷付かないように生きていると、死ぬその時に思い切り傷付くのだということを。




目標の正体

やるとあれほど強く思ったのに、いつの間にかその思いがフェードアウトして、気が付いてみれば何もやらない自分に逆戻りする人がいます。

初めは勢いよく飛び出しても、途中から人にお尻を叩かれなければ、足を進めることができない!

だから、自分が燃えているときに、「私はやります!」とコミットメントをする。

入念に、いつまでに何を成し遂げるのかを力強く宣言して、その空気を盛り上がった自分を持続させる拠り所として、さらに自分以外の人たちにそのときの意気込みを熱く語ることで、何があってもやり続ける自分を維持しようとするのです。

コミットした本人は、言っちゃったんだからこれはもうやるしかないと、目標に立ち向かっていく強い心をつくり、そしてその通りにやり抜く自分へと、自分で自分を意図的に追い込んでいきます。

コミットメントすることの重要性が、こうした流れのなかにあることは、多くの自己啓発本に書かれている通りです。

こうしたコミットメントをすることの重要性を、決して否定するものではありません。

しかし・・

しかし、なのです。

あえて言わせて頂ければ、自分が心からやろうとすることに対して、どうしてそのようなコミットメントが必要なのでしょう?

どうして、自分がやろうとする目標をわざわざ他人に知らしめて、そこで自分を追い込み、自分を奮い起たせていこうとしなければならないのでしょう?

何故こんなことを言うのかというと、それはこういうことが言いたいからです。

私が言いたいのは、あなたがやると決めた目標は、わざわざ人に宣言しなければできないという、その程度のものだったのですか、ということなのです。

やり始めて少し時が経つと情熱が冷めて、他人にお尻を叩かれなければ前に進めなくなるからコミットメントするのですか?

あなたの目標とは、一体何だったのですか?

ここなのです。

ここが、一番重要なところなのです。

あなたは、目標というものの正体について、じっくりと考えてみたことがありますか?

目標の正体。

それは一体何なのか。

それは・・

「愛」です。

ご存知でしたか?

例えば、あなたが成功したいと思ったのは、自分だけが贅沢三昧して、自分一人がやりたい放題の人生を送りたいと思ったからですか?

いえいえ、決してそうではなかったはずです。

あなたが成功したいと思った真の動機は、愛する家族一人一人の幸せのためだったはずです。

愛する家族と幸せな人生を送るために、成功を目指し、そのための目標を立てたはずなのです。

ですから、あなたの目標の正体は、紛れもなく愛そのものでした。

愛から出発した目標は、コミットメントしなければできないなどという類いのものではないはずです。

何故ならば、主婦が大切な家族にご飯を作ることを、いちいち人にコミットメントなんてしないじゃありませんか。

それは、家族にご飯を作るという行為そのものが、愛で貫かれているからです。

あなたの目標が愛であれば、あなたの情熱が冷めることは絶対にありません。

あなたが人からお尻を叩かれなければ動けないのは、あなたに愛がないからです。

どうして、そんな自分になってしまったのか。

それは、いつの間にか目標が、愛から義務に変わってしまったからです。

愛が義務に変わったとき、情熱は静かに息絶えていきます。

愛が義務に変わったとき、あなたのなかで、その目標は死ぬのです。

そしてあなたは、人からはっぱをかけられて、お尻を叩かれなければ動けない人間になってしまうのです。

目標の正体は愛です。

ここが本当に理解できれば、あなたの情熱は不滅の力を持ちます。

何故ならば、人は愛で生き、愛で力を生み、愛で命をつなぐ生き物だからです。




進化と停滞

歩き続けていれば、景色は必ず変わります。

立ち止まれば、いつまで経っても、景色は変わらず同じままです。

昔よく食べたラーメン屋さんに行って、昔のままに出されているラーメンを食べた時、

「そうそう、この味だ。変わってないなあ。」

と思った経験は誰にでもあると思います。

しかし、本当にそのラーメンは昔と同じままで変わっていないのかと調べてみると、微妙に味を変えてきたというラーメン屋さんが意外に多いことをご存知ですか?

つまり、昔食べたのと同じと思っていたラーメンは、少しずつ進化という変化を遂げていたから、昔と変わらない味だと感じたのです。

人間も同じで、進化という変化を続けていかないと腐ってきます。

では、進化につながる変化とは何なのでしょうか?

それは、ものの感じ方の変化です。

例えば、頑張るということと目指すということは似て非なるものだということが理解出来ていれば、あなたは進化につながる変化をしています。

頑張るとは漠然と動くことであり、目指すとは具体的に動くことだからです。

漠然と動くと漠然とした問題が出てきて、なかなかゴールにたどり着けない、堂々巡りの行動を繰り返すことになりがちです。

具体的に動けば、具体的な問題が出てきます。

問題が分かり易くなるのです。

問題が分かり易くなれば、対処の仕方もシンプルになります。

シンプルに行動すれば、必ず出来事が起こります。

あなたは、起こってきた出来事には、意味があると思いますか?

それとも、意味など無いと思いますか?

答えは、両方正解です。

漠然と頑張っている人には、出来事に意味など感じません。

感じなければ、無いのと同じですから、出来事に意味などありません。

具体的に目指している人には、全ての出来事に意味を感じることが出来ます。

感じたのですから、起こってきた出来事に意味が宿ったことになるのです。

起こってきた全ての出来事を、必要・必然・ベストという「意味」で感じることが出来れば、全てを許容出来ます。

意味を感じることが出来なければ、進化に続いていく変化の拒絶へとつながることは否めません。

許容か、拒絶か。

進化か停滞か。

答えは、自ずから明白です。



壁か階段か

意識と自覚は、全くの別物です。

意識することは、普通に生きていても出来ます。

男性は女性の前では自然に男性を意識し、女性もまた同じです。

意識するとは、ある意味「自然に」という無意識が、その行動の基底部にあるということなのです。

そうであるならば、犬は犬という意識で生きていることになり、猿は猿、猫は猫という意識で行動を決定しているということになります。

即ち、この世に生きている全ての生き物は、自分を成立させている意識を振る舞いの基底部として、無意識的な「自然に」という感覚で動いているのです。

しかしその一方で、動物と人間というくくりで考えてみれば、明らかに違うものがこの両者の間にはあります。

それが「自覚」です。

自覚とは、ハッキリと顕在化された意識であり、明確な思いであり、自らの代名詞となる立ち位置であり旗色です。

猫は猫という無意識的な「自然な」意識で、猫という行動をします。

しかし、猫が自らの猫としての使命を自覚して動くことはありません。

動物に、自覚という意識は存在しないのです。

自覚とは、人間だけに与えられた天賦の才であることを再認識しましょう。

そうであるが故に、人生の高低浅深は、意識していることではなく、自覚していることが決定していくのです。

人生は、何を意識しているかではありません。

人生は、何を自覚しているかなのです。

通り一辺の意識でチャレンジしても、たちまち行く手を阻む問題に直面してたじろぐことになります。

それは、その通り一辺の意識が、その問題を、行く手を阻む壁と見たからです。

しかし、自覚という心眼でその問題を眺めれば、その問題は壁ではなく、階段と映るのです。

壁と階段は違います。

問題を壁と見れば、その瞬間、脳裏に「よじ登るのは困難!」というイメージがよぎります。

問題を階段と見れば、その瞬間、脳裏に「その階段を一歩一歩上がればいい!」という落ち着きがイメージとしてよぎります。

人生を決定づけるものは、自覚なのです。

あなたが、時代を先駆するリーダーたらんことを自覚すれば、あなたは素晴らしいリーダーとなります。

あなたが、やっても駄目かもというような弱気を自覚すれば、あなたは敗れ去ります。

自覚した通りになるのです。

自覚とは、自ら覚(さと)ると書きます。

心に自覚という電流が流れた時に、人は変わることが出来るのです。

意識から自覚へ。

そして、壁に見えた問題を成功への階段に変えていきましょう。

やれば出来る!

意識を自覚に昇華させた時に手にする、究極の境地です。



あり得ない!

本当に思ったことは、必ず実現します。

これは宇宙から与えられた法則です。

それでは一体、本当に思うとはどういうことなのでしょうか?

強く思うことでしょうか?

精神を集中して、何か一点を見つめながら、願いを思い浮かべて念じることでしょうか?

鏡に向かって、背筋をスクッと立てて、目標達成の期日を入れて「私は何年何月何日に何々を達成した。」と過去完了形でアファーメーションすることでしょうか?

本当に思う!

とは、そんなにややこしいものなのでしょうか?

観念で捉えようとするから、ややこしいのです。

もっとストレートに、単純にアプローチすればいいのです。

本当に思ったことは、必ず実現する。

その答えは、

「あり得ない!」

と思ったことだけが実現するということです。

本当に思うとは、あり得ないと思ったことであり、何をあり得ないと思っているかが現実を形作るということを忘れてはいけません。

何故私は貧乏なのだろう?

それは、貧乏があり得ると思っているからです。

何故私は、もっと広い家に住めないのだろう?

それは、狭い家に住んでいる自分が、あり得るからです。

あの人に出来て自分に出来ないなんて、あり得ない!

こう思ったら、あなたは出来ます。

人生は、何をあり得ると思い、何をあり得ないと思うかで決まるからです。

心にストレートにスイッチを入れる呪文は「あり得ない!」という実感から発せられる、瞬間の思いなのです。

あなたが今までの人生で成し遂げてきたことを、静かに振り返ってみてください。

それらは意識する、意識しないを越えてシンプルに思った、あり得ないことでした。

例えば、この人と一緒に居られないなんて、あり得ない!

私がそこに居ないなんて、あり得ない!

その思いを実現する、折れない心の出発点は、あり得ないと思った瞬間から始まり、その心に灯った火が消えることはありませんでした。

「あり得ない!」

この思いを持った瞬間から、一切の泣き言や言い訳は消えてなくなります。

今日一日、自分と向き合って、私は何をあり得ると思い、何をあり得ないと思ってきたのかをハッキリさせましょう。

そして、今日から何を、あり得ないとして生きていくのかを決定してみてください。

これこそがシンプルにして強力な力を、あなたの内側から発揮させる宇宙の法則に直結することだからです。



安全基地

心に「安全基地」を、あなたは持っていますか?

いざという時に立ち返ることが出来る安全基地を持っている人は、新しいチャレンジが出来るようになるのだそうです。

自らリスクに飛び込んで、新しい可能性に挑戦することが出来るということです。

何か問題を起こした子供というのは、安全基地がないケースが多いといわれます。

これはイギリスの心理学者ジョン・ボウルビィの研究で、子供が発達するうえで安全基地がないとうまく発達が出来ず、新しいことにチャレンジ出来ないという理論です。

これは大人になってからでも同じです。

大人になってからの安全基地は二つです。

それは、まず人です。

あなたがピンチに陥った時に、あなたを心から支え励まし、温かく包み込んでくれる人を、あなたは持っていますか?

人生は晴れの日もあれば、曇りの日も、雨の日も、嵐の日もあります。

それをちゃんと分かっていて、あなたが逆境の時にも、逆境のなかのあなたを見るのではなく、未来に羽ばたくあなたを見ている人が、あなたの安全基地なのです。

もう一つの安全基地は、あなたの信念であり哲学です。

未曾有の経済不安が容赦なくふりかかってくるこの時代に、軸をぶらすことなくあなたが立ち返れる確固たる安全基地こそ、あなたの信念であり哲学です。

「不撓不屈(ふとうふくつ)!」

今、最も求められている信念であり哲学です。

不変の力を持つ信念と哲学を、我が内なる心に刻み込んでいきましょう。

我が内なる心に刻み込まれた信念と哲学は、生き方の原理・原則となり、人に影響されない確固たる安全基地へとその形を整えていきます。

そして今度は、あなたが、あなたを慕う人たちの安全基地とへと姿を変えていくのです。

あなたを支えてくれる人たちは、あなたが支えた人たちであることを忘れてはなりません。

それが理解出来れば、あなたの進化・成長はあなた一人のことではないということに気付くはずです。

心に安全基地を持って、雨の日には雨のなかを、晴れの日には晴れのなかを颯爽と前進していきましょう。



全て自分から

虎穴に入らずんば、虎児を得ず。

何事かを成さんとする者にとっての究極の心構えです。

どれだけ精緻に計画を立てて準備を整えても、最後にその勝負の舞台に飛び込むことが出来なければ、何の成果も得ることは出来ません。

話をしてみるとそれなりのことを語る人が、一年経っても、二年経っても、三年経っても変わらないのはその為です。

人生の究極は、リスクに飛び込む覚悟を持つことが出来たかどうか。

これだけです。

自分が望むことを実現する為には、敢然と危険に飛び込む覚悟が出来ているかどうかだけなのです。

うだつの上がらない人に共通するのは、願い事のわりにムシがいいという点です。

リスクは取らないが、結果は全部欲しい。

やらずぼったくり。

行動の原点は、気分オンリー。

故に些細なことで簡単にめげて、それを他者のせいにしたり、仕方ないとあっさり処理して終わりにしてしまう。

しっかりと自分自身と向き合えば、これまでの様々な経験から貴重な教訓を引き出すことが出来ます。

それは、人生を形作るのは自分自身だということです。

この紛れもない事実をしっかり受け止めた時、あなたの内側から驚くような力が湧き出てきます。

あなたが今直面している全ての状況や環境は、他人ではなく他ならぬあなた自身が創り出したものであり、今後起こる全ての出来事も、あなたが原因で起こるのだという不変の真理に耳を傾けましょう。

これが理解出来れば、状況を変える機会は何度でもあったのに、そのまま手をつけずにいたのは自分自身であったと気付くはずです。

成功者は、自分の人生に起こる出来事は、他の人間や状況や環境などではなく自分が原因となって発生することを信じています。

失敗ばかりしている人は、現在の不本意な状況や環境は他の人間の妨害など不可抗力のせいにしてしまいがちです。

全て自分から始まる!

このような自発的な態度を持って、リスクを恐れず事に当たることこそが、成功に向かって歩き始める為の最も重要なポイントなのです。




イメージ力

思わなければ、どんなことも叶いません。

思うとは、想像することです。

ですから人生は、毎日毎日何を想像して過ごしたかで決まります。

想像力は感情を生み、その感情が進む力や何かを恐れて退く力となったりします。

感情を、軽く侮(あなど)ってはいけません。

なぜならば、感情と理性がイーブンでぶつかりあえば、そのときは、ほぼ間違いなく感情が理性をねじ伏せるからです。

そのようにとらえると、感情をどのようにコントロールするかが大事だと考えがちですが、実はそうではありません。

ひとたび感情が顔を見せれば、それを制御することは至難の技だからです。

ですから、感情はコントロールするのではなく、その大元から形創るのです。

想像力を駆使して、自らを望む方向に導いていく力となる感情を創り出す、といった発想を持ちましょう。

起きてしまったことをコントロールすることは、容易くはありません。

ですから、機先を制するという発想を持ちましょう。

この発想が、確たる自分を構築していきます。

感情は、想像力を駆使して、自らの内に創り上げるものです。

人生は1日1日を、何をどのように想像して生きるかだけと言っても過言ではありません。

想像する力。

即ち、イメージする力を甘く見てはいけません。

なぜならは、イメージこそが運命を変更する本質的な力となるからです。

仏教のなかに、「あると思えばある。無いと思えば無い」という教えがあります。

自分流に解釈すれば、それこそがイメージの持つ力なのではないかと思います。

イメージの変更は、運命の変更です。

自分自身を燃やす力となる感情を、日々創り上げていきましょう。

その積み重ねのなかに、輝く未来があるからです。



効率より効果

それは、それ!

何か起きた時、起きた何かに振り回されてはいけません。

それはそれと、パッと切り替えてやるべきことに集中しましょう。

1秒で切り替える。

1秒で集中する。

はじめから100%の集中力を発揮することを意識するのです。

集中とは、他の余計なことを考えない精神状態をいいます。

ただ今この瞬間に没頭する。

没頭没我の中に、命の輝きがあることを学びましょう。

意図的に頭を切り替えていく訓練を自分に課していくのです。

例えば何かをやろうという時、態勢を整えてこの準備をして、あと5分したら始めようとぐずぐずすることが効率的だと思っていたら、それは大間違いです。

仕事は効率ではなく、効果で測るものだからです。

効率的に何かをやろうとするより、集中力を付けることの方がはるかに効果的です。

何か閃いて行動しようと思ったら、その瞬間心にスイッチを入れて、すぐに行動を起こすことが効率的な効果性につながるのです。

事に当たって、パッと切り替えられる集中回路をイメージしましょう。

脳にそうした回路が出来れば、あとは脳が勝手に動いてくれるからだそうです。

脳科学者の茂木健一郎氏は、瞬間で集中する方法を以下のように述べています。

(1)スピード/タイムプレッシャーを常に意識して、問題集を解く場合でもスピードを意識する。

(2)分量/学習の作業量を多くする。常に忙しい状態が集中力を高める。

(3)没入感/周囲の雑音を無視して、夢中になって取り組めるか。

思い立ったらすぐに始める。

脳がその気になった瞬間を逃さないことが大切なのだと、茂木氏は語っています。

脳を本気にさせましょう。

集中とは、脳の本気度の現れだからです。



シークレット

たとえ今行き詰まっているとしても、それは大したことではありません。

何故ならば、行き詰まっていると感じていることそれ自体が、がんばろうとする気持ちを失っていないことの表れだからです。

行き詰まりと焦りは違います。

行き詰まったと感じている人のほとんどは、余程のことでもない限り、その感覚は焦りに起因しています。

それでは一体、焦りとは何なのでしょう。

それは、比較です。

うまくいっているように映る誰かと、今の思うに任せない自分の状況とを比べているのです。

人の成敗みな時ありです。

高く飛ぼうとするなら、一瞬屈(かが)まなければならないように、真に成長する人生には、必ず節目節目に思うに任せないない困難が訪れて来ることを理解しましょう。

ここで一つ、大切な視点があります。

それは、行き詰まったように見えたことは、自分がそのとき直面している「状況」であって、自分という人間ではないということです。

ですから比較したのは、うまくいっているように映る人の状況と、思うに任せない自分の状況だったということです。

決して自分という人間が、行き詰まったのではない。

この発想こそが、状況を転換させる肝心要の発想です。

ここが、出発点です。

こうして自分を取り戻せさえすれば、あとは以外に簡単です。

状況を転換するシークレット。

それは、シンプルにやるべきことを積み上げることです。

何年か前に、世界的ロック歌手のビリー・ジョエルが来日したときに、このように語っていたことが印象的でした。

インタビューで、「あなたのようなロック歌手を目指す日本の若者に、何かアドバイスを」と聞かれたときの言葉です。

彼は、こう語りました。

「小さなところでグッドになること」

実にシンプルにして、深いアドバイスだと感じます。

小さなところでグッドになる!

そうなのです。

これこそが、行き詰まりを打開する唯一のシークレットだったのです。

毎日のやるべき小さなことを、グッドに積み上げていきましょう。

決して人の状況と比較して、自分を見失ってはいけません。

やるべきことをやる!

ここさえ積み上げていけば、必ず状況は転換することを忘れてはなりません。



悩まない

我れ、事にあたりて後悔せず。

好きな言葉であり、自分を支える精神です。

悩まないと決めましょう。

悩んでも、悩まなくても、さほどのことは生じないからです。

全ての現象は、自分という存在が原因で起こっていると気付くことが変化成長への出発点です。

他者のせいや環境のせいにしている限り、あなたは悩み続け後悔し続けることになります。

世の中に神秘的なことはそうそう起こりません。

起こってくる事象には理由があると解釈しましょう。

目指せば出来事に意味を感じ、流せばその出来事はただの風景にすぎません。

人は意味を感じて、五体に電気が走ることを知りましょう。

ただ動いても何も起こりません。

心に電気が走って、はじめてその行動が真実への連続性を持つのです。

その時、自分は何故そういう行動をとったのかが分からなくても、その行動が心に電気が走っていた行動ならば、一見点のように脈絡のない行動であっても、必ず大いなる真実につながっています。

後日振り返った時に、ああそういう意味だったのかと理解出来るのです。

あなたが忘れてならないのは、ピュアで美しい自分自身の心です。

そして、その底流に流れている善なる動機です。

大切なものは、行動の底流にある動機であることを忘れてはなりません。

この動機がピュアである限り、一時的なつまずきはあっても、本質的な敗北はありません。

故に、少々の事があっても悩む必要など全くないのです。

悩まないと決める。

クヨクヨしないと決める。

私は出来る!

私は出来る!

こう自分自身を鼓舞して進んだことが、あなたの家系という次世代の精神に引き継がれていくことを忘れてはなりません。



イイ人

四六時中イイ人を演じていると疲れてきます。

往々にしてイイ人とは、「都合のイイ人」を指すのだということを覚えておきましょう。

今まで本当の自分を出さないで、何かに脅えてイイ人を四六時中演じてきて、自分が思った通りの人生が歩めていますか?

自分を主張して、その結果、相手に誤解されて自分が変に思われたらどうしよう。

ここで自分が相手とのバランスをとって、穏便に遠慮という形でイイ人を演じれば、のちのち自分が思い描く素晴らしい結果へとつながっていくのではないか。

ここでイイ人を演じれば、誰も失わないのではないか。

本当にそうでしたか?

周りの風評を気にしてイイ人をずっとやってきて、本当にあなたの思うような結果につながって、生涯の友となる価値観の仲間を手に入れることが出来ましたか?

答えは、ノーだったはずです。

人生は本音を語らずして、形作られることなど決してないからです。

成功の扉には、押すと書いてあります。

引くとは書いていません。

弱気は最大の敵です。

強気のつまずきはあっても、弱気の成功はありません。

イイ人という弱気のカタマリを演じても、あなたの思い通りの人生は絶対に歩めないのです。

他人の陰口なんかを気にしていたら、もうそれ自体がイイ人の始まりであることを知りましょう。

あなたに陰口を叩く人は、結局はあなたを気にして、あなたに一目置いているのです。

私にエネルギーを送ってくれてありがとう!

こう軽く受け流すことです。

ズバリ、

くだらないことは、相手にしない。

こう決めて、目標だけを見て前進していくのです。

心にスイッチを入れましょう。

簡単に消えない情熱という松明(たいまつ)を、心に掲げるのです。

今日からは、言うべきことはキッチリと言い、その上で優しさを湛えた強きリーダーへと自分自身を変革していきましょう。



ギフト

愛は万人に、信頼は少数の人に。

万人に信頼を得ようとすると、自分で自分が分からなくなってきます。

人生は、審査員の前でコンテストをやっているのではありません。

人に評価されることが気になりだしたら、何かがずれてきていることに気付きましょう。

信頼を少数の人たちと築き上げることが、全ての基盤です。

万人に信頼を得ようとする生き方は、ノイローゼの生き方につながります。

ノイローゼの生き方を捨てる。

信頼は主体的自我の確立から始まることを忘れてはなりません。

主体的自我の確立とは、自分を磨こうとすることであり、自分の心を研ぎすましていこうとする態度をいいます。


大切なことをいいます。

あなたがあなたであることを証明出来れば、運命は向こうからあなたに頭を下げてきます。

人生は、自分とは一体何者なのかを明らかにする舞台であることをハッキリと理解して事に臨みましょう。

自分を証明する舞台が人生ならば、そこには当然、人生の研磨剤としての試練が待ち受けています。

試練は人生の必須科目だからです。

それを知った上で、一つ心しなくてはならないことがあります。

それは、

越えていける者に、運命は試練を与える!

という真実です。

越えていけるから、あなたは試練を感じたのです。

試練の時は、あなたの持てる限りの力、即ち100%の力で立ち向かっていきましょう。

その時を100%の力で越えていかない限り、未来は拓けて来ないからです。

今を出し惜しみして生きれば、力を失います。

出来るとか出来ないとかではなく、遭遇した試練には意味があることを感じることが大切なのです。

心に眼(まなこ)を持ちましょう。

覚悟の眼を心に持つのです。

覚悟の眼は、真実を見抜きます。

枝葉末節に惑わされることなく、真実の道を歩き続けましょう。

試練はあなたを飛躍させるためだけにある、運命からのギフトだからです。




信念の選択

人生は選択です。

出会いではありません。

生きている限り毎日誰かと出会い、そして別れていきますが、そこに選択という意識がなければ何の意味も成しません。

選択はいつも、迷いを伴います。

迷ったら、勇気の要る道を選びましょう。

楽な道は、敢えて選択しない。

楽な道を歩んでも、たどり着く為には、結局来た道を戻ることになるからです。

人生にごまかしは通用しないことを肝に据えましょう。

やらねばならぬことや、通らなければならない門はショートカット出来ないのです。

それでは一体、勇気の必要な道とはどんな道なのでしょうか?

それは面倒くさそうな道です。

簡単にやれそうなことをやっても、その先は何処にもつながっていないことに早く気付きましょう。

それどころか、簡単に手に入れたものは簡単に失います。

例えば人間関係です。

表面的な薄っぺらな付き合いで、真の友人は作れません。

本音でじっくり付き合って、真の友人が出来るのです。

人間関係に促成栽培はありません。

促成栽培で出来る友人は、環境が決めた友人です。

一方、何があっても揺るがない友人は、価値観でつながった友人です。

こうした友人を持っている人は、土壇場で巻き返せる心の強さを持っています。

本音をぶつけ合って互いに磨き合う仲間を、あなたはお持ちですか?

混迷の時代に、岐路に立って大切なことは、信念の選択が出来るかどうかです。

楽な道に逃げてはいけません。

望むところと、自ら積極の精神で勇気の要る道を選択するのです。

進めば次があります。

退けば、そこでゲームオーバーになるだけではなく、今までの歩みが全て泡と消えて無くなります。

あなたの人生を転換する、宿命の強敵に立ち向かいましょう。

その道こそが、あなたが求めていた道です。

柔(やわ)な気持ちをはね除けて、真の勇者として信念の道を歩んでいくのです。



最強の戦略

人生は、駄目元です。

駄目で元々と達観して、面を乾かせて事に臨めれば、どんな結果が出ても落ち込むことはありません。

状況打開の第一歩は、そのままならない状況をあるがままに受け止めることが出来る、気持ちのスペースを持っていることです。

進化成長という人生の頂きを目指す者にとって、艱難の峰が待ち受けるのは理の当然と腹をくくりましょう。

蚊に刺されたようなことで簡単に傷つくようなリアクションは、記憶から削除するのです。

我が人生に益なき行動は、削除です。

マイナスの発想が気持ちに芽生えてきたら、「ストップ!」と停止命令を脳に送りつけて下さい。

人生は面を乾かせて行動する人に微笑む、ということを覚えておきましょう。

面が湿っていたら駄目です。

くよくよしたり、愚痴を言ったり、ため息をついたりしても、何も変わらないのはもとより、自分から幸運が逃げていってしまいます。

困難はあって当たり前。

アクシデントは起きて当たり前。

駄目で元々!

駄目で元々!

こう心の中で唱えながら、事にぶつかっていきましょう。

「大数(たいすう)の法則」という確率論があります。

これは簡単に言えば、コインを限りなく投げ続ければ、裏と表の出る確率は半々に近づくというものです。

例えば営業においても、結果を出している人と同じ行動を沢山やれば、同じ結果が出るということです。

仕事において結果を追及する時に、確率という概念を頭に一つ入れておきましょう。

結果が出る、出ないという現象には、意外なほど謎はないということです。

同じことをどれだけ情熱を持って繰り返すことが出来るか。

シンプルにして、最強の戦略がここにあるのです。