埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



戦う精神

人間の真価は、追い込まれたときの態度に現れます。

追い込まれたときこそ、下っ腹に力を溜めて気を吐くのです。

起きてしまったことは、どうあがいても取り返しはつきません。

月並みな言葉で言えば、切り替えていくしかないのです。

冷静になりましょう。

冷静な決断をする自分に戻るよう、自分の心を誘導するのです。

追い込まれたといって、自分を支えてくれている人が見えなくなって、パニックになり取り乱す者を愚か者といいます。

かく言う僕も、昔勤めていた企業で大変なミスをしてしまい、もうこれでサラリーマン人生で出世することは駄目かと思ったことがあります。

しかし今冷静に振り返れば、それは全然大変なミスではありませんでした。

本当に大変だったのは、狼狽(うろた)えて自分の人生の一部分でしかないことを、顕微鏡のような視覚でしか見れなくなっていた、縮んでゆく自分の精神状態だったのです。

その時僕に烈火の如く怒った上司は、あれほど熱く会社への思いを語ったにも関わらず、とうの昔に会社を止め、今となってはその会社自体が消滅してしまいました。

追い込まれたときは、修行の時です。

追い込まれたときほど、態度が大切なのです。

タイヘン、タイヘンと取り乱して、小者ぶりを発揮するのか。

今こそ大きく変わるときとその大変を解釈して、未来の大器を予感させる人物へと成長する為の礎(いしずえ)とするか。

追い込まれたときほど、潔く自らが置かれた状況と勝負しましょう。

対処するのではありません。

勝負するのです。

心が引いていたり、逆に調子に乗っていたから追い込まれたのだということを忘れてはいけません。

人生と戦う者に行き詰まりはありません。

困難なときほど、勝負する気持ち、戦う精神を忘れない。

非常時に対処していたら、全てが追い付かないのです。



一流の所以

残念な人には、決定的な共通項があります。

それは、自ら熱く強い思いを持って求めていかないということです。

いつも薄っぺらなバランス感覚を優先して、自らが成長しなければならない分野で、食らいついていかないのです。

石にかじりついても、という気迫がありません。

いつも、通り一編の常識的な発想しか持てないことが、自分の人生に決定的な影響をもたらす人を得ることができない原因であることを、まともに理解することができないのです。

そういう残念な人は、表面的には良い人です。

可もなく不可もない生き方を是として、その結果、可もなく不可もない人と出会い、そしてその人生において「生きた!」という実感を何も残すことなく死んでいく。

なぜ、そのような生き方になるのでしょうか。

それは熱く燃える心が、人生を形創る核となる一番重要な基本であることを知らないからです。

熱く燃えて、求めて求めて求め抜く姿勢こそが、未来の確たる自分を創る根本的な要素なのです。

にもかかわらず、ちょっと言われたくらいで簡単に引き下がる脆弱(ぜいじゃく)な精神性を何とも思っていない。

そこに違和感を全く感じない。

真の味方になる人と、可もなく不可もない人を見分けることができないのが、残念な人の大きな特徴です。

心にマスターを持ちましょう。

そのマスターたる人を見つけたら、何を言われようがその人から離れてはいけません。

出会いの本質的な意味が、ここにあるからです。

可もなく不可もない人たちと、どれだけ多くの出会いを重ねても、自らが望む真実の人生はそこにありません。

マスターとの出会い以外に、人生の道を開くことはあり得ないのです。

一流たるの所以(ゆえん)は、そうした出会いを絆に変えて、さらに持続する決意に変えていくところにあります。

熱く持続する決意は自覚に変わり、その自覚が使命に変わったとき、人はかつて望んだ道を歩いていることに気付きます。

熱く求める姿勢を、いつも持っていること。

心しておかなければならない「一流の所以」が、ここにあります。



未来を切り拓く仕事

もう一つ!


今テレビをつければ不安なことばかり。

だからもうテレビをつけない。

こういう反応をする人たちが増えているようです。

しかし面白いもので 世の中の景気が暴走しているときには、この根拠なき過熱経済は危ないと警鐘を鳴らしても、人々は心配し過ぎだといってそうした情報に耳を貸すことはありません。

景気が悪くなったらなったで、そんな暗くなる情報は聞きたくも見たくもないという。

景気がまだ落ち込む前に、景気は悪化するから準備をと言えば、そんな情報は聞きたくも見たくもないという。

結局、そういうことなのです。

景気がよくなろうが悪くなろうが、そうした情報を聞かない人は聞かないし、聞く人は聞くということです。

今の自分の状態を、世の中の状況のせいにしてはなりません。

現に、どれだけ世の中の状況が悪くても、豊かな人はずっと豊かです。

逆に、どれだけ世の中の状況が良くても、経済的に厳しい人はずっと厳しいのです。

現状を変えていく力のベースは「情報」です。

情報の基本は、今の自分の現実と世の中の流れを冷静に見ることです。

チャンスの芽は、皆が不安に感じている心理の中に潜んでいます。

皆が縮こまっているときにこそ、打って出ましょう。

今という現実の生活を支える仕事を必死でこなしながら、もう一つ未来を切り拓く仕事を決意した人だけが頭ひとつ抜け出すのだ、ということを忘れないでください。

苦しいときほど、

不安なときほど、

「もう一つ!」

という積極の精神を持つことが大切です。

不安な時代だからこそ勝負を。

いつの世も、時代は過去からの結果と未来への種を同時にはらんでいることを忘れてはなりません。



運を味方に

自分に少しでも根本的な躊躇があると、事の始まりが創れない!

ここが大事な観点です。

始まりが創れなければ、文字通り新しい未来の可能性はありません。

全ての転機は、始まりが創れるかどうかにかかっています。

始まりとは未知数を言うのであり、成るか成らないかの確率は「フィフティ・フィフティ」です。

そこに戸惑いや迷いやためらいがあれば、たちまち百・ゼロで、可能性はゼロとなってしまいます。

人生を狂わす魔物は、躊躇のなかに住んでいます。

ということは、人生を進める大いなる力は、躊躇を越えたところにあるということです。

人生を進め、人生を変える大いなる力があります。

それは一体、何を指すのでしょうか。

それは、 「運」です。

人生を根底から変える力の正体は、運なのです。

躊躇する人に、運は寄り付きません。

ですから、ためらったときこそが、運と遭遇するチャンスのときと理解しましょう。

躊躇を一歩越えていく!

この勇気の一歩の積み重ねが偉大な足跡に変わるのだと、信じることができるかどうか。

こうしたとらえ方ができるかどうかで、未来が大きく違ってきます。

運を甘く見てはいけません。

時と空間を超えて、運を敵に回して勝利した人はいないからです。

躊躇は、運を敵に回す行為と理解しましょう。

それでは、運を味方に付けるにはどうしたらよいのか。

それは・・・

口説くのです!

運は、口説いて味方に付ける!

これが、運を味方にする唯一の方法です。

これ以上の理屈はありません。

感覚でとらえるのです。

あなたの取っている行動は、運を味方にする行動ですか?

熱い思いで、運を口説けていますか?

そうした視点で自らを眺めることが、原点に戻るための思いもよらない視点になることを忘れてはなりません。



最強の基本

危機を救うものは、基本です。

そして、その基本の中の基本こそが行動です。

停滞は危機に直結することを忘れてはなりません。

停滞を安定と勘違いしてはなりません。

停滞とは、物事がはかどらないで、たまり滞(とどこお)ることをいいます。

なぜ物事がはかどらず、たまり滞っているのかをシンプルに考えましょう。

答えは、

動いてない。

これだけです。

成功者の秘密は、動きに動くというシンプルにして最強の法則の繰り返しにありました。

停滞の原因は文字通りです。

動かないで、立ち止まっていることが原因なのです。

動かないからフィールドが変化しません。

いつも同じフィールドで、同じことを繰り返している。

「ボールが見つからないのは、ボールが無い所を探しているから。」

ボールがない所で、どれだけ熱意を込めてボールを探しても、ボールは見つかりません。

ボールがある所へこちらから動かなければ、ボールは見つからないのです。

動けば必ず次のフィールドがあります。

動けば必ずやる気になってきます。

動けば必ずテンションが上がります。

さあ、動きに動きましょう。

動きに動くこと。

これこそが、危機を救う最強の基本なのです。



戒め

最近つくづく思うことがあります。

それは、無精卵はかえらないということです。

無精卵たる本人が、いかんせん今の自分が無精卵であることに気付いていない!

これが救いようのない、いかんともし難いところです。

それがいつかは分かりませんが、人は変わらなければいけない期間に変わることができなければ、もうその後はかなりの高い確率で、変わることはできないということです。

変わるためには「エネルギー」が必要です。

そして、「旬」という「時」も必要です。

このエネルギーと旬という時は、いつまでも持続するものではありません。

それらを少し乱暴な言葉で言えば、賞味期限とも言えます。

賞味期限を過ぎれば、どれだけ努力しても変わることは相当難しくなります。

旬の時とは、自分がやる気の時です。

人間はニワトリではありませんから、初めから無精卵の人はいません。

みな全員が有精卵です。

しかし、カラを破って自ら本来の自分に孵化(ふか)しようとしなければ、それはやっぱり無精卵なのです。

カラを破るためには、自ら負荷をかけなくてはなりません。

その負荷を突き抜ければ、自分を変えることができます。

しかし、その負荷に負ければ、期待ハズレの無精卵で終わります。

無精卵という刻印が刻まれた魂が、何かの拍子に変わることは、残念ながらあまりありません。

人生を考えたとき、そこに重くのしかかるものは困難な状況です。

困難のない人生など、あり得ないからです。

そこで試され、鍛えられして、人は一枚また一枚と自分の古いカラを打ち破っていきます。

人間としての力量を少しずつ上げていくのです。

その力量の中心にあるものが、心です。

すなわち、心の標準装備を上げていくことが、人間としての力量を上げることになるのです。

心の標準装備とは、考え方であり、話す言葉であり、醸し出す空気です。

無精卵はかえらない!

自分への厳しい戒めとしたい言葉です。



勇気の一歩

良いことも、そうでないことも、過ぎ去ったことは全て過去です。

成功も失敗もさっと洗い流して、どうでもいい細かいことにいちいち引っ掛かからないで、きっぱりと前を向きましょう。

いかに前を向くかに、全てがあるからです。

ですから、自分が発する言葉も、その響きに前向きさがなければなりません。

マイナス発言は、厳に慎みましょう。

何故ならば、マイナス発言は自分自身を後退させるからです。

他人を羨むことも止めましょう。

他人を羨むという行為は、自分自身のこれまでの人生の否定につながるからです。

建物には土台があり、その土台が脆弱なものであれば、その建物は何かの拍子で簡単に壊れてしまいます。

人間も同じで、目には見えない心という土台が肝心です。

心という土台を、日々磐石に積み上げる!

ここに、意識を置くことが大切です。

そのために、この1ヶ月の勝負処を見極めて、勇気を持って勝負する気概を持ちましょう。

迷ったときは、難しい道を選ぶ!

こう自分に言い聞かすのです。

それは、楽な方に流されれば自分の未来が傷つくからです。

岐路に立ったときに、心すべき視点がここにあります。

目指す未来が傷ついた未来ならば、そのために過ごす1日1日は、日を追うごとに劣化した1日となってしまいます。

目指す未来が輝く未来ならば、そこへ続く道は決して楽な道ではありません。

勇気を持って、常に正々堂々と立ち向かう自分であることを意識する!

成功者は、いつの時代もひたむきな少数派です。

しかし、少数派といっても決して少ない人数ではありません。

何が言いたいのかと言えば、頑張っているのは、決して自分1人だけではないということです。

人知れず、営々と黙々と頑張っている人たちが沢山います。

そうした人たちの姿を目に焼き付けて、今日の課題に勇気の一歩を踏み出す!

その事実に、未来があることを忘れてはならないのです。



根拠なき自信

限界は自分自身が決めている!

決して、他人が決めているのではありません。

意味もなく、訳もなく、自分ができないと思ったからできないのであり、そこに神秘的な理由など存在しません。

やってみなければ分からないのに、そういうことは信じようとしません。

真の問題は、そうした精神性にあるのです。

できないという思いの根拠は精緻に組み立てられるのに、できるという思いは黙殺する!

始まりに根拠など必要ありません。

ですから、根拠なき自信でスタートしても何の問題もありません。

問題なのは、あれこれできない理由を付けて、何も始めようとしないことです。

ゼロにいくらかけ算しても、結果はゼロです。

無をいくら積み重ねても、無は無であり、そこから有が生まれることはありません。

始まりに「1」という数字を立てましょう。

ゼロではいけません。

意志の力で、無から有を生むのです。

まずやってみる!

動く!

行動こそが道を開くからです。

ウジウジしていても、何も変わりません。

自信なんてあったって無くたって、行動するそのときが来れば、そんなものは何の役にも立ちません。

自信があるとかないとかの不確かな気分に振り回されて、いつまでも何もやらなければ、自信など付く訳がありません。

何もやらないでいるから、限界がますます大きなものになっていくのです。

やると決めて、一歩を具体的に踏み出しましょう。

そこにこそ、歩むべき道が見えて来るからです。



前進のキーワード

決断とは迷わないこと!

勝負のときに迷っていたら、もうそれだけで、命取りになります。

いつの時代も、迷って成功した人は1人もいません。

悩んでもいいから、迷わない!

迷いが、決断につながることなどありません。

ですから、迷ったらゴーです。

迷ったときは、何らかの可能性があるから迷っていると解釈しましょう。

1%の可能性に99%の挑戦。

一番危ないのは、迷いを諦めに結び付けることです。

迷ったらゴーという発想は、諦めかけている想念(ネガティブマインド)に強制終了を促します。

勝負のときに、最もやってはいけないこと。

それは、諦めにつながるイメージを増幅させることです。

何故ならば、その想念がクセになるからです。

そして、その想念が、毎月毎月同じような諦めの堂々巡りをさせることになるのです。

道を開くためには、どこかで勝負しなければなりません。

勝負のそのときに、やるのかやらないのかといつまでも迷っているような幼稚な精神性は、いい加減に卒業しましょう。

決断とは迷わないこと!

ここに、心すべき前進のキーワードがあります。



二者択一

やる気と本気は違います。

やる気は気分であり、ただの気まぐれです。

本気は、状況がどうあれ、勝負の舞台から何があっても降りないという決意です。

物事をやり遂げる人とそうでない人との差は、一体どこにあるのでしょうか。

それは、一言で言えば「覚悟」です。

事を為さない人に、共通して見て取れること。

それは、覚悟が無いということ。

だから、夢があるとか言っても、覚悟という担保が無いから、結局その夢は夜見る夢にしかならないのです。

夢に期限を付ければ、具体的な目標になります。

そして、その目標に差し出すものを乗せたとき、夢の実現に向けて走り出す魂を得ることができるのです。

覚悟を持って事に当たる人に、限界はありません。

何故ならば、覚悟の人に恐れはないからです。

あなたは今、何を恐れているのですか?

その恐れに飲み込まれて、そこにあなたの未来はありますか?

人間、覚悟を核とした本気のモードに入ったとき、そこに越えられない試練は存在しません。

進むか!

それとも引くか!

人生のラインには、いつもこの二者択一があります。



お金について

お金の使い方が、人生を決めていきます。

お金の貯め方ではありません。

何故ならば、お金をトコトン使わずに、やりくり・節約・我慢で貯金をしても、それで成功した人はいないからです。

お金の使い方が、なぜ人生を決めるのかというと、お金をどう使うかで、お金の稼ぎ方が決まるからです。

さらに言えば、お金を使うべきところでパッと使えない人は、自分自身をコントロールできていない人です。

自分自身をコントロールできなければ、時間のコントロールも当然できません。

ですから、1日1日がだらしなく制御不能のまま流されていきます。

1日1日のメルトダウンです。

人生において最も重要なことは、自分という人間が制御できているかどうかということです。

発展の基盤にあるものは、制御機能の稼働です。

思いつきで、そのときそのときにやりたいことだけをやり、そしてちょっと行き詰まれば簡単に撤退する。

こうしたことをどれだけ繰り返しても、未来につながる経験にはなりません。

未来につながる経験とは、制御された行動のなかにしかないからです。

人生はお金を未来のための投資と捉えて使わない限り、開けて来ることはありません。

お金持ちになりたいのなら、お金を浪費したり、消費のレベルで捉えてはならないのです。

お金に、生産性を持たせましょう。

それは、再生産を意味します。

未来につながることには、お金を使う!

決して、お金に使われてはいけません。

お金の使い方が人生を決めるからです。

その視点は、お金の再生産にあることを忘れてはなりません。



時を知る

今だからできることがあります。

今しかできないこともあります。

そして、今やらなければならないことがあります。

この3つをきちんと理解するところに、目指す未来があることを知りましょう。

今だからできること。

それは、過去を積み上げてきた結果得た、自らの財産です。

強みと言ってよいかもしれません。

今しかできないこと。

それは、タイミングを意味します。

今というタイミングだから、恐れずに我が心のままに突き進むことを許された時間です。

今、やらなければならないこと。

それは、未来という結果につながる原因を創ることを意味します。

全ての土台は、この「今やらなければならないこと」を理解できているかどうかにあります。

結果が欲しければ、原因を創る以外に方法はありません。

原因を創るとは、今、何をチョイスするかということです。

それはどういう行動を、今、取るのかということです。

時を感じましょう!

時を知りましょう!

賢者と愚者の違い。

それは、時を知る能力にあります。

今は自分の人生において、如何なる時なのか。

この発想を抱くことができるかどうか。

ここが、未来の原因を創る行動となって、状況を根底から変化させていくことを忘れてはなりません。



予感

本当に思ったことは必ず実現します。

人が行き詰まるのは、この言葉の持つ意味を信じていないからです。

行き詰まりは、できなかったことの積み重ねで起きる現実です。

では、何故できなかったのか。

結局、本気ではなかったのです。

何としてもやり遂げると、決めていなかったのです。

人にできたことが、自分にできない訳がないと思うことを否定したのです。

思いの力を見くびる者に、道が切り開かれることなどありません。

いつもできないと思い、いつしかそう思うことすら面倒くさく感じて緊張感のない日々を送る!

いずれ眼は死に、そこから出る空気には一切のオーラが消え失せています。

オーラとは予感です。

ですから、予感を与える空気は、出会いを制していきます。

その逆に、予感を感じさせない空気に、人が寄り付くことはありません。

できるという前提で事に臨むことが、その人物の空気を創ります。

本当に思ったことは必ず実現する!

実現しなかったのは、本当に思っていなかったから!

こう素直に思えたとき、人生が静かに変わり始めることを受け入れましょう。



後悔を行動に・・

深い後悔の念から起こる反省が、脳を再活性させるという話を聞いたことがあります。

成功者と呼ばれる人は、意外に後悔ばかりしています。

それは、自分でも気が付かないうちに、閃きを即、行動に変えてしまうからです。

閃いたら、もう動いているのです。

ですから、その結果として当然失敗も多くなります。

成功者ですから、そんな失敗は織り込み済みと思われがちですが、そんなことはありません。

結構うまくいかなかったことに引っ掛かって、くよくよと後悔しているのです。

しかも、かなり真剣に後悔しています。

もう少しよく考えてから行動すればよかったとか、あのときああ言えばよかったとか、あれこれごちゃごちゃと考えて後悔しています。

しかし、それはうまくいかなかったことに引っ掛かっているだけで、魂がそこに囚われている訳ではありません。

それはどういうことかというと、その引っ掛かかりが次の閃きを呼び、その閃きが反省でコーティングされた行動になるということです。

本来、閃けば即動く魂ですから、そのときはもう新しい何かを始めています。

その行動には前回の反省がきっちりと生きていますから、同じ失敗を繰り返すことはありません。

ここで一つ、きちんと理解しておかなければいけないことがあります。

それは、失敗に引っ掛かかるということと、囚われるということは全く違うということです。

囚われるとは、そのことが自分の全ての発想と行動を縛って、今までの全てを否定して未来の可能性をも封印することです。

しかし、引っ掛かりとは、一時的に立ち止まっただけで、その失敗の本質を未来のために検証しているに過ぎません。

魂が深い後悔の念と共に、未来へと立ち向かうための力を溜め込んでいるのです。

その行為は、脳を物凄い速度で再活性しています。

ですから、深い後悔の念がもたらす反省は成功への入り口です。

引っ掛かることと囚われることの違いを、きちんと理解しましょう。

前に進むためには、その分量だけの失敗が必要です。

その失敗に囚われて、過去と未来を封印するか、それともその失敗を次の行動の力とするか。

その分岐点が、後悔というフィルターを通してあることを忘れてはなりません。



百の迷い

右に行くか、左に行くか。

実はどちらに行っても正解であり、どちらに行っても不正解です。

これは一体どういうことなのでしょう。

理由は簡単です。

右に行く道を選ぼうが、左に行く道を選ぼうが、その選択に迷いが無ければどちらを選んでも正解です。

しかし、迷いに迷って選んだ道は、どちらを選択しても不正解です。

何故ならば、迷ったということは、どちらがマシかというレベルで選択したものであり、このどちらがマシかという発想に魂は宿らないからです。

魂の宿らない選択は、何をどのようにチョイスしようとも全てが間違いであると心得ましょう。

人生は、何をやるかではありません。

やりたい何かと、いかに巡り合うかです。

やりたい何かは、迷いのなかにはありません。

魂のときめきは、迷いのなかにはないからです。

シンプルに感じましょう。

成功者はあれこれやっているように見えますが、実はやっていることは一つです。

魂が喜ぶことをやっているのです。

考え方の原則はこれだけです。

魂が喜びときめけば、そこに迷いが生じることはありません。

それでも仮に誰かに相談したとしても、その人は迷わない人です。

迷わない人は、迷わない人に相談します。

その逆に、迷う人は、迷う人に相談します。

そして、ますます迷いに迷うことになるのです。

何があってもぶれない、自分自身のシンプルな原則を持ちましょう。

一つのシンプルな原則は、一つのシンプルな発想を生み、その発想が百の迷いを振り払うからです。




始まりは出会いから

不安なのは、自分がやればいいという決意が揺らいでいるからです。

死ぬまで戦う!

この決意ができているかどうか。

なまじ休もうとか、疲れたとか、そんなことを考えているから不安に襲われるのです。

人を頼りにすれば、その瞬間から自分という人間の軸がぶれていきます。

軸がぶれてくれば、見るもの聞くもの全てが不確かなものとなって、自分を有らぬ方向へと導くことになります。

そうなれば、まず出会いを間違えることになります。

物語の始まりは出会いからです。

その出会いを間違えれば、それは初めから進もうとする方向を間違えたことになります。

ミリ単位の誤差が、後日、想像を絶する誤軌道となって自らの人生を狂わせていきます。

そこに至っての軌道修正は、はっきり言って不可能に近いと言えます。

ですから、今の状況を変えようともがくより、その状況をつくった考え方に迫り、そこから新たな気持ちでゼロからやり直そうとする方が早いのです。

状況は状況として認めながら、そこに良いとか悪いとかの気持ちを入れない!

その状況は認めるが、あとは無視!

そして、これからやり直すと決意するのです。

新たな決意をする!

人に頼らず、人のせいにせず、自分がやりきると強く心にその思いを刻むのです。

思うにまかせない状況が現れたのは、全て自分の考え方が原因です。

ですから、考え方を根本的に変更しなければ、状況の転換はありません。

考え方のベースは決意にあります。

自分がやる!

全てやりきる!

何があってもやりきる!

全ての転換点が、ここにあります。



心の制御

やるべきことが一つになったとき、自分というチームが一つにまとまります。

やるべきことが分散していれば、心があちこちにふわふわと浮気して、いま為すべきことに集中できません。

いま為すべきことを、はっきりと見極めましょう。

そして、その一つのことだけを考えて、自分の心を一つにまとめるのです。

心を甘く見てはいけません。

すべては、こいつが何を見ているかで決まるからです。

やろうとする心と、諦めようとする心。

油断すれば、心はいつも安易に、浅きへ低きへと流されていきます。

浅きを去って深きに就く!

低きを去って、高きに就く!

これを志といいます。

志を忘れて、充実した人生を歩むことはできません。

人生とは1日1日です。

ですから、1日1日を制覇できれば、人生を制覇できます。

勝負は1日1日にあります。

この1日を制覇するためには、最大の魔物と戦わなくてはなりません。

最大の魔物。

それが、我が心なのです。

心を制御する!

心をコントロールする!

「己に打ち克てば、天下はその徳に従う」

二宮尊徳は、こう語り残しました。

いつの時代も、鍵は自分自身に打ち克つことにあります。

それでは、自分自身に打ち克つとは一体どういうことを言うのでしょうか。

それは、心を制御する意識の確立にあります。

足るを知って、心の贅肉を削ぎ落とすことです。

易きに流されず、困難に挑むことです。

一点突破、全面展開!

やるべきことを一つに絞り、心を一点に向かわせるのです。

奇跡はいつも、心を制御した意識が起こす必然と理解しましょう。



無精卵

無精卵は返りません。

同じ命としてこの世に生まれて、かたや無精卵となり、かたや有精卵となる。

鶏の卵なら、それで済むことです。

しかし、それが人間となると、何とも残念な気持ちになります。

珠のような赤ちゃんとして、ピカピカ輝きながらこの世に生を受けて、月日とともに絶対に返らない無精卵になる人がいます。

その原因は様々でしょうが、一つ言えるのは、緊張感を持って生きていないということです。

何となくボンヤリと生きている。

面倒くさいという気持ちに、簡単に流される。

要するに、仮にそれが自分が乗り越えるべき大切な課題であっても、それを嫌だと思ったら簡単に先延ばしにして平気なのです。

これを、先延ばしの心理といいます。

そして、先に延ばしたそのことを見事に忘れてしまう。

やがて逃れられない形で、先延ばしにしたそのことが自分に返ってきても、あたかもそのことに初めて遭遇する不運であるかのように慌てふためくのです。

そのことは、決して初めてではなく、自分がシカトしたことなのに。

かくして、無精卵はその完成度を上げていきます。

無精卵は、いつも同じ失敗を繰り返します。

そして、いつも同じところで引っ掛かって落ち込みます。

彼らは、目に見えるものしか理解できません。

ですから、決意することの意味などどこ吹く風です。

いつもうそぶきながら、あっちにフラフラ、こっちにフラフラして、自分のことを本当に心配してくれている人の気持ちを裏切っていきます。

しかし、彼らは生きるための最低限のことはやります。

人から命令されてやる仕事は、そこそここなせるからです。

しかし、人生を人生として生きるためには、これだけでは何ともなりません。

人生は自分で決めて自分で行動しなければ、思うような生き方はできないからです。

無精卵は返りません。

人生は、誰とつながっているかです。

係わる人を間違えれば、そこにどれだけ努力を払っても、その努力が報われることはないのです。



前提の罠

今の悩みよりも、より大きな悩みが出たら、今の悩みは消えます。

ということは、今のその悩みは、絶対的な悩みではないということになります。

悩みに絶対はありません。

その時その時の、相対的なものが悩みだからです。

ですから、悩みを解決しようとしても、深みにハマるだけで無駄です。

悩みは解決出来ません。

悩みに理屈はないからです。

悩みに理屈がないのなら、悩みを解決しようと理屈をこねくり回しても何ともなりません。

理屈で解決出来ないことには、問答無用の発想で対処するのです。

それは、前提の罠にはまらないことから始まります。

悩みを何とか解決しようという発想は、はじめから悩みという存在を前提として認めています。

悩みを前提として認めたから、解決出来ないことをさらに拡大解釈して、自ら意味のない迷路へと入りこんでしまったのです。

それでは、悩みにはどう対処するのか。

それは・・

悩まないと決める!

この発想を是とすることです。

いちいち悩まない!

細かく振り回されない!

こう、問答無用で割り切ることです。

真の力を生む土壌は、敏感さではありません。

鈍感さです。

健全な鈍感力を培いましょう。

健全な鈍感力は、集中する自分を意識できたときから身に付き始めます。

ポイントは、集中力!

強い集中力を身に付けましょう。

恐怖や悩みの処方せんは、事に集中すること以外にはあり得えないのです。