埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



残されたプレー時間

よいサッカー選手には、獲物を狙う眼がある!

常に点を取りにいくための、戦闘体勢が取れています。

まず、顔がしまっている!

そして、自分が為すべきこと以外には全く興味がありません。

人は自分の仕事以外のことで心がぶれたとき、みるみるオーラを失っていきます。

人間、全てに精通することなどできません。

ですから、どこかの時点で、自らの道を決めなければならないのです。

決めたなら、それ以外のことに興味を抱いてはなりません。

心定まらずが、一番愚かなことだからです。

心を定めて、まっしぐらに我が人生のゴールに向かいましょう。

シュートを打って打って打ちまくるのです。

細かくパスを回しても、それがシュートに結びつかなければ点は取れません。

違う言い方をすれば、シュートを考えていないパスは意味がないということです。

これが人生のサッカーです。

恐れずシュートを打ちましょう。

ためらわずに、狙うのです。

失敗を恐れてはなりません。

どのみち私たちのプレー時間は、あと数十年です。

僅かなロスタイムに目覚めても、それでは時間が短すぎて何ともなりません。

余事や些事に囚われず、ゴールを決めにいく!

さあ、出発です。




誰も見ていなくても

努力は難事を貫徹する!

力のみなぎった言葉です。

1日1日の日々の努力を見くびってはなりません。

「塵も積もれば山」という格言がありますが、実に真実を言い当てています。

天才も、繰り返されることには負けます。

詰まるところ、人生とは何を続けてきたか。

これだけです。

ですから、ちょっとやってはやめ、ちょっとやってはやめでは、何も残りません。

結果もさることながら、まずその前に、やると決めたことをやり続けているか。

ここが問われるのです。

何故ならば、やると決めたことをやり続けるには、意志を発動させなければならないからです。

意志の発動!

ここが、自分を守り構築する最後の牙城(がじょう)となります。

努力とは、意志を発動させて、日々を価値ある人生に向けて構築する行為です。

ひたむきな努力を続けましょう。

誰が見ていなくても、宇宙はあなたを見ています。

そして、ひたむきな努力は決してあなたを裏切ることはありません。

それどころか、努力は難事を貫徹します。

努力とは、継続の異名です。

そして継続は、不可能を可能にします。

ですから、継続こそが真の力なのです。

継続という言葉のなかに潜む真実を理解できたとき、今の一歩を進めることの凄さを感じることができます。

その実感こそが前に進む魂の動機となって、我が人生を構築していくことになるのです。



違和感

地球征服を狙って、幼稚園バスを襲う。

仮面ライダーのショッカーのようなことをするのは止めましょう。

言ってることとやってることが食い違っていれば、ゴールにたどり着くことなど出来ません。

世界を夢見て、町内会を気にする。

こうした類いに入ってはなりません。

楽なことをやろうとする癖が、結局は気持ちを遊ばせて、いつまでたっても弱い自分しかそこにいないという現実を作りあげてしまうのです。

課題を避けて通れば、待っているものは惨めな生活です。

持続する意志。

ここに扉を開く鍵があります。

違和感こそが気付きです。

今までと同じようなことをしていては、何も変わりません。

成長はいつも、違和感の中にあるのです。

強敵にぶつかっていきましょう。

少しくらい傷付いても、気にしないことです。

人間は死ぬ時が来るまでは、少しくらい傷付いても死なないからです。

よりよい生き方がしたいのなら、傷付くことを恐れてはいけません。

どんなに新品の靴でも、履けば必ず傷付くのです。

いちいち細かいことに神経を使っていると、大事なことに集中できなくなってしまいます。

その結果、ショッカーのような的外れなことをして、世界を狙って町内会を気にするという生き方から脱出することが出来ないのです。

違和感があなたの成長を引きずり出すということを夢忘れてはなりません。



時代意識

今回の大災害は、私たちに一体何を示唆したのでしょうか。

それは、今まで安易に続けられてきた全ての物事についての、基本的な反省を強いているのだと思います。

時代は大きく変わりました。

消費行動一つをとっても、今まではとにかく安ければいいという「利己的な消費」でしたが、震災以降は、例えば自分が消費するものがエコや節電に役立つのなら、仮に価格は少しくらい高くても我慢するといった「利他的な消費」になってきています。

人々の意識が、時代に動かされているのです。

何かを売ろうとか、伝えようとするときには、絶対に外してはならないことがあります。

それは、自分が売ろうとか伝えようとすることが、相手のニーズを満たしているかということです。

さらに言えば、相手のなかにニーズを創れるかということです。

それではそうしたニーズとは、一体何を指すのでしょう。

それこそが、まさに時代意識なのです。

今回の大震災は、人々の意識に明確なラインを引きました。

それはあたかも人類とサルを分けたとされる、あのアフリカ大陸に走る大地溝帯と同じです。

地殻の変動で起きた突然の大陥没は、今まで同じだった環境をその両サイドにおいて決定的に分断して、全く違う環境に変えてしまいました。

人類へと進化することになるサルは、今まで豊かに繁っていた密林地帯からいきなり草原地帯へと放り出されて、木の上にいれば獣に狙われることもなく安全だった日々が、ある日あるときを境にいきなり命の危険にさらされる環境へと放り出されたのです。

そうなると密林での経験は、全く役に立ちません。

襲いかかる危険を避けるためには、獣をいち早く発見しなければなりません。

そのためには二足歩行が、待ったなしで求められました。

四足歩行を捨て、二本の足で立って歩く!

サルが人間へと進化をスタートさせた瞬間が、ここにありました。

歴史的な瞬間です。

私たちが受けた今回のこの大震災も、まさに同じです。

時代意識が、地殻変動を起こしたのです。

過去の成功体験は、もはや役に立ちません。

そして、過去の失敗体験も役に立ちません。

走り出した者勝ちの時代に入っているからです。

まず自らのなかに、行動するためのニーズを創りましょう。

今がんばることが、後日の幾百倍の価値のあることを忘れてはなりません。



受難の時

夢を追いかけることの難しさ。

そして、自分という人間を支え続けてくれている人のありがたさ。

この二つが分かって初めて、本当の人生が再スタートします。

プロの魂は、難しさを知り、だからこそ、その難しさに挑戦する気概と、自分を支え続けてくれる人への感謝の念で出来ています。

挑戦と感謝。

そこに、日々繰り返される不動の日課が生まれます。

日々繰り返されることのなかにしか、未来を切り開く力は育ちません。

毎日毎日、弱い自分と戦い続ける!

そして、その継続のなかに「粘る力」を育んでいくのです。

状況を転換する力は、粘る力です。

土俵際で、俵に爪先一つでギリギリ残って、相手の寄りに耐えながら瞬間の逆転を狙う。

そんな感覚を、ここ一番のときに抱いていられるかが、次の展望を開く鍵になるからです。

夢を追い続けるとは、まさにこうした感覚です。

しかし、楽しい楽しいで取り組むことが、夢を追いかけることだと勘違いしている人が大勢います。

単純な楽しさの連続は、やがて自分に苦をもたらすことになります。

何故ならば、挑戦とは進化することであり、進化とは今までの成功体験を否定することだからです。

真の楽しさを支えるものは、夜明け前の苦しみです。

産みの苦しみとも言えます。

例えば、出産のその瞬間は「母受難の時」です。

しかし、その苦しみを経て産んだ子供であるからこそ、母は何物にも代えがたい歓喜の時を迎えることが出来るのです。

挑戦とは、新しい自分を産む受難の時と捉えましょう。

栄光を支える橋桁は、敢えて選んで立ち向かった挑戦という名の受難の時にあるのです。

そして、その時にはっきりと見えてくるものがあります。

それこそが自分を支えてくれている人であり、そのことが理解できた時、挑戦することの真実の意味を知るのです。

挑戦することの意味。

それは、感謝の念です。

ここが真に理解出来て、簡単にはへこたれない粘る力が湧いてくることを決して忘れてはなりません。



銭失い

「安物買いの銭失い!」という言葉があります。

これは、歳を取るごとに痛切に感じる真実です。

安いものには、理由がある!

ここを理解できなければ、あとで必ず後悔することになります。

簡単にやれることばかりを続けていても、そこには真実の建設的な価値はありません。

今の自分が簡単にできることは、安物を買うことと同じだからです。

価値あるものは、それを手に入れるために、自分自身を再構築していかなければなりません。

価値あるものは、いつの世も安くはありません。

何故ならば、それだけの価値があるからです。

人間関係にも、そうしたことは当てはまります。

人の真贋(しんがん)を見抜きましょう。

贋作(がんさく)はどこまでいっても贋作であり、偽物はいつまで経っても偽物です。

偽物が時と共に、何かの拍子で本物に変わることなど絶対にありません。

これから時代は、いよいよ曖昧な態度を取る者を許さなくなります。

峻厳たる態度を持って、時代は偽物と本物を振り分けていくからです。

いい加減な考えや、やる気のない者は、有無を言わせず振り分けられていく時代に入ったのです。

人を見抜きましょう。

その際、もう一つ分かっておかなくてはならないことがあります。

それは、自分もまた時代に見抜かれるのだということです。

ですから、決して安物の生き方をしてはなりません。

本物の生き方を標榜して、今日という1日のテーマを成し遂げる!

安物をどれだけ買っても、買えば買うほど大切なものを失うという真実を理解しなくてはならない時代なのです。




精神のシステム

人生は単純に、シンプルにできています。

ですから、単純にシンプルに考えて、そのまま立ち向かえばいいのです。

恐れるという感覚は、それ自体が複雑に考えている最たるものです。

街を歩いていて、角を曲がっていきなり虎と出くわしたとかでもない限り、恐れという感情を引き出すものは複雑に考えたことにあります。

要するに、いちいち考え過ぎなのです。

人は自分が考えているほど、複雑に細かく自分のことを考えてはいません。

ですから、伝えたいことがあれば、さりげなくシンプルに言ってしまえばいいのです。

「虚心坦懐(きょしんたんかい)」という言葉があります。

広辞苑を引くと、その意味がこう記されています。

虚心坦懐とは、心に何のわだかまりもなく、さっぱりして平らな心。

また、そうした心で物事に臨むさま。

この、「心に何のわだかまりもなく」というところが、とても大切であり難しいところだと思います。

どのようにすれば、そうした境地になれるのでしょうか。

それは恐らく、何を見ているかにあります。

心の眼が、何を見ているのかです。

さらに言えば、「何だけを」です。

古来、事を成し遂げた人たちは、一点だけを見て、その事のためだけに取る行動を選択しました。

要するに、見つめた一点以外の事にはピントを合わせていませんでした。

目指す一点以外は、適当にぼやけていたのです。

かくして、必然的に虚心坦懐という精神のシステムが立ち上がり、結果直結のシンプルな行動が取れたのです。

私たちも今日からは、目指す一点だけを見つめて、いちいち複雑に考えないで、シンプルな行動を続けていきましょう。

虚心坦懐!

精神のシステムを、今こそ立ち上げるのです。



新しいルート

未来とは、今をどうするのかということです。

今どう行動するかが、そのまま未来に直結するからです。

そのために、結果を決めましょう。

結果を決めて、原因を創るのです。

結果を決めるとは、構想を描くことを意味します。

例えば、原発問題もそうです。

自然エネルギーを2020年代に20%にするとか言っても、そんな考えはまるで役に立ちません。

それは構想でも何でもなく、ただの部分的な思いつきだからです。

原因から突き詰めて結果に至ろうとしても、それはしょせん無理な話なのです。

結果を決めていない原因は、ただの思いつきで終わるからです。

真に自然エネルギーを開発するには、原発を全て止めると決めることです。

全て止めると決めるれば、必然的に止めたその分の代替エネルギーをどうするのかを考えざるを得なくなります。

即ち、何が構想だったのかと言えば、未来に生きる子供たちのために原発を止めると決めることだったのです。

決めれば、新しい道が見えてきます。

何をやるのかより、何をやめるのかを決めた方が、新しいルートが容易に見つかります。

駄目なことは、どれだけ継続しても駄目な結果しかもたらしません。

やめる勇気を持ちましょう。

駄目な何かをやめて、一直線に望む目標に立ち向かうのです。

その吹っ切れた姿勢に、今まで見えなかった重要な何かが見えてくることを忘れてはなりません。




失う勇気

人生が行き詰まったのではありません。

思いが行き詰まったのです。

思いが行き詰まりを感じているから、道が見えて来ないのです。

人生に行き詰まりなどあり得ません。

それどころか、人生はいつでも扉を開けて待っていてくれます。

それにもかかわらず、その扉の奥に入ろうとしないのは、他ならぬ自分自身です。

それは一体なぜ?

何かを恐れているのです。

それは、何かを失うことや誰かから否定されることです。

そうしたことをリアルにイメージして、気持ちから力が抜けて、少しずつ思いが行き詰まっていったのです。

何かを得たければ、何かを失う覚悟を持たなければなりません。

誰かから認めて欲しければ、全員から認めてもらおうという気持ちを捨てなければなりません。

何かを得るためには、捨てる勇気が必要だからです。

何でもかんでも得ようとすれば、そこには必然的に閉塞感が訪れます。

その閉塞感は、進もうとすること以外には払拭することはできません。

進む!

この気概に道が開けてきます。

進むとは、失う勇気を持つことです。

こう理解できたとき、突然視界が開けてきます。

混迷のなかに、展望が開けてくるのです。

その展望には力が宿ります。

それは、諦めない力です。

そして、その力が、思いの行き詰まりを打開するのです。

人生に行き詰まりなどありません。

思いが行き詰まったのです。

この視点に、状況を好転させる鍵があることを忘れてはなりません。




fight out

要らない迷い!

それは、ヘタに明日を考えることです。

正解も不正解もない今というこのときに、自分が持っている全てを投入する!

人生に、ゴールはありません。

ですから、正解も不正解もないのです。

大切なことは、今日という1日に全力で集中すること。

人生を本気で変えようと思うなら、いちいち局部的な敗北にめげていては、作戦を進めることはできません。

一にも二にも心すべきこと。

それは、作戦を前に進めることです。

何があっても、決して止まってはいけません。

起きている状況に振り回されてはならないのです。

もうやるしかない。

人生を本気で変えたいのなら、これくらいの気構えが必要です。

明日を悩まず、今日を戦い抜く!

この姿勢に、目標実現の原因が宿るのです。



求められる人材

どこかに保証を求める生き方に、行き詰まりを作る本質的な原因が潜んでいます。

人生は、その人がどのような価値観を持って生きたかで決まるからです。

価値観は二つです。

一つは、所属価値。

そして、もう一つは存在価値。

どこかに所属することで、あとは何も考えずにその組織の保証という恩恵に預かって生きていく。

思考停止と引き換えに安定した人生を送るという生き方は、最早通用しません。

一人一人が自らの意思で情報を取り、そしてどう動くのかを決定していく時代だからです。

自らの頭で考えることを放棄すれば、そこに待っているものは過酷な現実です。

自らの意思で積極的に行動することを放棄すれば、そこに待っているものは、孤独ではなく孤立です。

そういう人を、まとな人は相手にしません。

まともな人。

まともな人とは、どういう人なのでしょう。

その答えは、まともでない人を考えればすぐに分かります。

まともでない人の大きな特徴は、とにかく自分に弱いということです。

自分に勝ちきれない!

ですから、組織や人から脅されないと腰を上げません。

それ以外のこと、即ち自分で考えて自分でやることを面倒くさく感じます。

その結果、人望を失う決定的なことをしでかすことになります。

それは、約束を簡単に破るということです。

やがてそれは、ドタキャンという形で表れます。

あれだけ約束していたのに、土壇場でキャンセルして何とも思わない。

そのうち、そうした精神性が、他ならない自分自身をも裏切っていくことになるのです。

かくして、まともな人から相手にされなくなって、孤独をはるかに突き抜けた孤立に至ります。

所属することを、いつの間にか絶対の価値として生きることの危うさがここにあります。

まともな人の価値観は、存在価値です。

その考え方は、どういう会社に所属するかではなく、どういう生き方を選択するのかという価値観に立脚します。

突き詰めていけば、人生はどのような生き方をしたのかしか残りません。

どこかに保証を求める生き方ではなく、自らの存在を証明していく生き方。

今、そうした人が求められていることを忘れてはなりません。



なんのために

自分という人間が何たるかを自覚する!

真実の再出発は、ここからしか始まりません。

自分自身の存在理由を考えずして、自分らしい人生を歩むことはできないからです。

成功者の取る行動は、いつも目的意識に貫かれています。

何のため?

今、それをするのは何のため?

その発想は、いつも行動と目的がリンクしています。

この一貫性が、ぶれない行動とメンタリティーを支えます。

事に処して、根拠のない弱気や臆病風に吹かれるのは一体何故でしょう。

それは、何のためという目的意識を忘れたからです。

ただやみくもに動いても、そこに意識が走っていなければ、それはただの暴走に過ぎません。

やがて自分が疲れてきます。

そして、不安にかられて自信がなくなっていきます。

ピンチに人を支えるものは、紛れもなく意識です。

その意識は、何のためという目的観でできています。

この意識が走っていない行動が、望む結果を引き寄せることはありません。

ですから、何のためという問いを、自分に発し続けることが大切なのです。

この意識に貫かれた行動は、自分という人間の存在価値へとつながっていきます。

少し大袈裟な言い方をすれば、天命というやつです。

人生には必ずエンドがきます。

ですから、大なり小なり何歳まで生きたのかという物差しは、さほどの意味を持ちません。

生まれてからエンドを迎えるまで、どのように生きたのかだけが問われるのです。

長さではありません。

人真似ではない、自分自身の人生をどう生きるのか。

この発想のなかに、自分という人間の旗色が決定されていきます。

旗色が決まれば、そこには何のためという目的意識が走ったぶれない行動が生まれます。

そこに成功への臨界が起こることを理解できたとき、真実の再出発が始まることを忘れてはなりません。



逆風の意味、失敗の本質

逆風が吹かないときは、何もやっていないときです。

何もやっていないから逆風など吹かないし、吹くわけもありません。

そして、何の結果も出ません。

逆風と結果は、表裏の関係だからです。

逆風を避ければ無事安穏ですが、そこにチャンスはありません。

何がチャンスの兆候かと言えば、やって駄目だったときです。

そこには、何人(なんぴと)も入り込めない経験があるからです。

経験こそが宝と知りましょう。

やって駄目だったという経験は、自分の心の奥深くで、不屈の精神を作り上げていきます。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

それは、成功を構成する要素は、一定の失敗した分量であるということです。

うまくいかない出来事は、結果的に気持ちを鍛えます。

いちいち驚かなくなります。

びくびくしなくなるのです。

失敗の連続のなかで、それでも狙って前に進むことの凄さを、知らず知らずのうちに学ぶ機会となります。

状況は後ろ向きでも、気持ちは前を向いている自分を創ることが、失敗という経験の本質であることが理解できるようになるのです。

それを、健全な鈍感さといいます。

そうした鈍感力を持てれば、鬼に金棒です。

何故ならば、失敗ですら楽しめる境地になれるからです。

失敗を想定内のプロセスとして楽しめれば、そこには最早壁など存在しません。

壁など、はじめから存在しない境地。

そこに至るために、逆風は必要なのです。

何もしなければ、逆風は吹きません。

ですから、逆風をどう理解できるかが、成功のボーダーラインとなるのです。




ぶれない自分

人が近寄って来ないのは、その人に気をかけてこなかったからです。

こちらから何もアプローチをかけないで、相手からこちらに何かを求めてくることなどありません。

コミュニケーションにおいて大切なことは、その人に対してどのようなアプローチをかけ続けたのかということです。

仕事の肝がここにあり、情報を伝達することの難しさもまたここにあります。

アプローチには「壁」があります。

要は、そのアプローチの壁をどう乗り越えていくかです。

そのポイントは、相手に興味を持つところから始まります。

もし自分が相手に興味を持てなければ、アプローチの壁どころか、その遥か以前でその人との関係は終わります。

全ての可能性は、誰と関わり、つながっていくかにあります。

一時的に誰かから影響を受けても、その影響が人生を変える決定打とはなりません。

結局、誰とつながっているか。

ここに帰着します。

素敵な人とつながりたいのなら、まず自分が素敵な人になろうとすることです。

その第一歩は、ぶれない自分を持つことにあります。

そのためには自分という人間が、今まで何にぶれてきたのかを知ることです。

何が、今までの自分に足りなかったのか。

こうした姿勢を持って自分に迫ることが、真のアプローチの始まりであると理解しましょう。

アプローチの壁は、何かあるとすぐにぶれる自分自身のあり方にあったのです。

自分を超えていくポイントが、ここにあります。



戦闘体制

毎日のちょっとした小さなことの積み重ねが、いざというときの勝敗のラインを分ける分岐点になります。

それは、ほんのちょっとの微差の世界です。

しかし、多くの人は、そのほんのちょっとを笑います。

毎日のそうした微細な差をどう組み立てていったのかが、他者との大きな差になるということを理解できないのです。

ほんの少しの労力を惜しまない!

この発想のなかに、次の飛躍の燃料となる何かが蓄積されていきます。

「そんなことやっても大したことはない」と皆が思うことのなかに、次代の宝が隠れているのです。

実際、プロと呼ばれる人たちが、その専門領域で追及していることは微差の世界です。

彼らは、コンマ1ミリのこだわりを積み上げて、自らのイメージという仮説を実現していこうとします。

ですから、プロと呼ばれる人たちは、いつもそのことと係わる微細な何かを気にしています。

気にしているということは、それに出会えば即座に反応できるということです。

自分が今まで積み上げてきた何かを、さらにバージョンアップできるかもしれない微細な何かとの出会いに、直感的に反応できるのです。

それは、いついかなるときもです。

要するに、結果を出す人は、24時間戦闘体制だということです。

毎日毎日、瞬間瞬間の小さな一つ一つのことを、丁寧にやり遂げましょう。

気持ちも技術も知識も人間関係も、それら全ての飛躍の燃料となるものが、日々の微細な何かのなかにあるからです。



道を開く力

迷ったら上を見ましょう。

下を見てはいけません。

気にしていることのレベルが低いと、どんどん自分からオーラが消えていきます。

オーラは正直です。

何故ならば、オーラは気にしているレベルに正比例するからです。

思いが現実を創ります。

貧乏なのは、思いが貧乏だからです。

思いはやがて意識に変わります。

意識はさらに強力に環境を創ります。

環境とは、紛れもなく意識の投影だからです。

ですから、環境を変えたければ、意識を変えようとする方が早いのです。

しかし、目に見えず曖昧模糊(あいまいもこ)とした意識に、注意を払う人は多くはありません。

その結果、手っ取り早いことばかりをやろうとして、何かをやるそばから何かが崩れていくという人生を歩むことになります。

人生の核をなすもの、それは意識です。

望むものに、まっすぐに意識を向けましょう。

意識のエネルギーを一点に集めて、ただひたすら淡々とその光を望むターゲットに当て続けるのです。

そのときに心すべきこと。

それが、上を向くことです。

やると決めて歩き出したら、下を向かない!

心配しないということです。

悪いことばかりを考えないということです。

上を見て、意識のエネルギーを信じましょう。

下を見て細かく心配して生きても、そこに道を開く力は存在しないからです。



言い訳

常識とは、何もやらない人の言い訳です。

何故ならば、飛躍とはそれまでの常識を否定することであり、勝負するそのときに可もなく不可もなくといった普通の発想をしているようでは、とてもチャンスを手にすることなど出来ないからです。

崩れていく人の特徴は、勝負しなければならないときに普通に守ってばかりいて、全く打って出ようとしないことです。

それは、何としてもやり遂げようとする気持ちがないということです。

ですから、またその次も同じことを繰り返します。

いつもいつもやるべきことを先延ばしにして、意味不明の常識にしがみつく。

だから、いつまで経っても学べていないのです。

攻めなければいけないときに前に進もうという気持ちを持たずして、何のために今まで頑張ってきたのかなど、学べない人には全く感じることが出来ません。

ですから、当然やると言っていたことが出来ません。

そして、出来ない理由を常識でコーティングして、自分を正当化するのです。

要するに、自分で自分を望まない方向に騙すのです。

ですから、常識とは何もやらない人の言い訳なのです。

人間が成功するためには、過去の常識を打ち破らなければなりません。

成功とは創造であり、創造とは過去の常識の否定だからです。

過去の常識に囚われず、一歩前に出る勇気を持ちましょう。

迷ったら行くのです。

後退する者に、未来はありません。

その一歩が踏み出せるかどうか。

決断の意味が、今、ここにあります。



方程式

始まりの日に大切なこと。

それは、気合いの行動です。

気合いのこもった具体的な行動を取る!

その具体的な行動こそが、このひと月を決めるコミットメントになるからです。

コミットメントを甘く見てはいけません。

決意出来ない者に、明日はないからです。

気を吐くことが、テーマとなる1日があります。

気は目には見えませんが、気を吐くことが出来ずして、そこに未来を展望するビジョンは生まれません。

始まりは、気を吐くことから!

ここが理解出来なければ、人を引っ張ることは不可能です。

何故ならば、人は確信に付いてくるからです。

始まりの1日に確信を創れるかどうかは、その1ヶ月の生命線と言えます。

役者が役づくりをするように、リーダーたらんとする者は、リーダーとしての心構えを常に創らなければなりません。

その心構えを即、具体的な行動に移して決意に変え、その決意の集積を確信とするのです。

始まりの1日は、好スタートを切りましょう。

そこにこの1ヶ月の成否がかかっているのです。

そのためには、まず行動です。

気合いの行動を取る!

勝利の方程式が、その行動によって出来上がることを忘れてはなりません。




奇跡を引き寄せる思い

決断とは迷わないこと!

どれだけ迷い抜いても、迷いのなかに進むべき道はありません。

ですから、どこかで決断しなくてはならないのです。

進むか退くか。

二者択一の選択です。

中間はありません。

状況打開の鍵は、吹っ切れた行動にあります。

ですからその迷いが、一体何と天秤にかかっているのかを考えなければ、前に進むことはできません。

我が心にブレーキをかけているものの正体を、慧眼(けいがん)を持って見破りましょう。

恐れているものに、今こそ近づくのです。

その正体が見えてしまえば、案外それはたいしたものではありません。

あとは、どうその恐れを細切れにして、時間という流れのなかで処理していくかを考えるだけです。

恐れを課題に変える!

ここに、一点突破のヒントがあります。

そのためには、その恐れを長期でとらえることです。

決して短期で眺めてはいけません。

短期でとらえて一気に片付けようとすれば、ますます迷い悩むだけだからです。

長いスパンでとらえて処理すれば、時間の経過のなかで不必要な迷いや悩みが自然に削げ落ちていきます。

ですからデンと構えていちいち心配しないで、一度やると決めたことは何としてやりきりましょう。

一途に貫く姿勢を堅持するのです。

迷ったら進む!

この強い思いが、奇跡を引き寄せることを忘れてはなりません。



究極の敵

人生はやるべきことをやっていないと、やりたいことがやれません。

ですから、やりたいことがあるのなら、今やらねばならないことは何なのかを考えましょう。

人生はステップ・バイ・ステップです。

このステップという一段の階段をしっかり昇りきるなかにしか、真にやりたいことは見えてきません。

それは、気分でやりたいことは見つからないということです。

大切なことは、今に生きるという姿勢を持つことにあります。

あれこれいちいち悩む前に、あれこれやってしまうことが道を開く鍵であることを知る!

何故ならば、行動こそが道を開くからです。

迷ったら、とにかくやってしまいましょう!

やって失敗したとしても、そのときはそのときです。

これで、真の学びが得られると開き直ってしまえば済むことです。

戦うときに、心しなくてはならないこと。

それは、決して恐れないということです。

勝負のときに恐れを抱けば、それはもう一人の究極の敵をつくるからです。

究極の敵。

それは、自分自身です。

自分を敵に回して勝利した者は、この世に一人もいません。

結果的にたとえ勝利できなかったとしても、そのとき戦おうとした自分を肯定できていることが、次のステップへ進むための財産となるのです。

敵は我れにあり!

勝負のときに心すべきは、この一点以外にありません。



手放す

豊かになれるかどうかは、環境によって決まるのではありません。

もしそうなら、ある地域に住む人たちは全員裕福で、ある地域に住む人たちは全員貧乏といった状況が生じてもおかしくはありません。

しかし、そのようなことは全くなく、至るところで豊かな人と豊かでない人が隣り合って暮らしています。

環境も職業も同じで、例えば同じ町に住む二人の同業者がいたとします。

この二人、片方はいつまで経っても貧乏なままなのに、もう片方が成功してお金持ちになっているとすれば、その違いとは一体どういうことなのでしょう。

それは、豊かになれるかどうかを決定する重要な要因は、環境ではないということを意味しています。

さらに、豊かになるためには、ただ才能があればいいという訳でもありません。

何故ならば、多大な才能に恵まれた人が貧しいままであったり、その逆に才能に恵まれない人が豊かになったりすることも珍しくはないからです。

豊かになるのは、節約や倹約をした結果でもありません。

ケチに徹した人の多くがお金に恵まれない一方で、金遣いの粗い人が豊かになることもよく目にするからです。

こうして、豊かになった人たちやそうでない人たちのことを見てくると、人と比べてとりわけ才能や能力に恵まれることが豊かになる決定打とならないことが分かります。

それどころか、極めて普通の人たちが、ある日を境にして変わっていったというのが真相に近いと言えます。

それでは、そうして豊かになった普通の人たちは何を変えたのでしょう。

それは、考え方です。

彼らは考え方を変えたのです。

その考え方とは、他人の目線で自分を見ないということです。

そして、自分が欲しいと思うものに対してまっすぐに向かっていく姿勢を持ったということです。

さらに言えば、何かを得たければ、何かを失うことを覚悟するという、シンプルな法則を受け入れたということです。

選ぶとは失うこと!

すなわち、選択とは手放すことだったのです。

豊かになった人たちや、その道で成功した人たちに共通しているものは、あれやこれやではなく、失うことを恐れず、一つのことに集中したということだったのです。

ただ頑張るのではなく、時には自分の考え方をこうした視点からチェックするのです。




ビジョンの根底

根拠は後付け!

まずビジョンありきです。

戦後の焼け野原から、日本を高度経済成長へと向けたものは、時の池田隼人内閣が打ち出した「所得倍増計画」というビジョンでした。

収入を倍増させる!

ここに当時の日本国民一人一人が、ストレートに燃えたのです。

目指す方向を明確に持てたとき、人は変われます。

大切なことは、やり方や技術とかをはじめに探すことではありません。

自分はどこへ向かうのかという、ビジョンを持つことです。

何故ならば、意識はそこについてくるからです。

如何なる分野であれ、「こうなれたらいいなぁ」位の気持ちで、そうなれた人は一人もいません。

それは思いつきであって、ビジョンではないからです。

ビジョンと思いつきは違います。

ビジョンの根底にあるものは、我が魂を理屈抜きで揺さぶる動機です。

その動機は、自分がやりたいと思うことのなかには育ちません。

自分が理屈もへったくれもなく、やりたくないことのなかに育ちます。

それは、今の毎日の仕事かもしれませんし、人間関係かもしれませんし、人それぞれです。

いずれにせよ、真のビジョンが生まれ育つ背景には、「こんな生活イヤ!」という、是が非でも抜け出したい何かがあるのです。

真のビジョンには力があります。

真のビジョンは、真の自由に行き着くからです。

真の自由とは、やりたいことをやる自由ではありません。

やりたくないことを、やらない自由です。

ビジョンを持ちましょう。

その姿勢に、自分を変革していく強い力が降りてくるからです。