埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



悔しさの欠如

本気になっていない!

伸びない理由は、ただそれだけです。

いちいち出来ない理由を探してきて、頭から何も考えずにその理由を丸呑みして、それを何とも思わない精神性。

そして、だんだん行き詰まってくると、そのときだけ慌てて付け焼き刃の対応をして、息咳切らせている。

その後は、喉元過ぎれば熱さ忘れるを地で行きます。

そうした生き方が何年経っても変わらない状況を作っている根源であることに、いい加減に気が付かなくてはいけません。

人間、本気になって出来ないことなど、そう多くはありません。

というより、本気になって出来ないことなど存在しないのです。

出来ない理由は、ただ一つ。

本気でやろうとしていないからです。

いつまで経っても本気になれない人の特徴は、悔しいという経験の欠如です。

どこかで、自分というこの世で唯一無二の存在を、自ら軽く見ているのです。

自分を軽んじれば、他人はさらに軽く扱います。

慣れてはならないそうしたバッシングに、知らず知らずのうちに自ら慣れていくことが大人になることと勘違いして、成功の本道を踏み外していくのです。

成功への礎(いしずえ)は、言うまでもなく継続にあります。

それでは、継続とは一体どういう意味なのでしょう。

ズバリ言います。

継続とは、「怒り」です。

いてはいけない低いレベルで、他人から軽く見られ扱われ、歯牙にもかけられない自分に心底怒りの雄叫(おたけ)びをあげたとき、初めて人は、やるべきことを継続することの意味を感じることが出来るのです。

不甲斐ない自分に、たまには正しいパニックを起こしましょう。

そして、正しく怒らなくてはいけません。

人生を変える力は、今のままじゃ駄目なんだと、本気で思えるかどうかにあります。

気を入れて、やるべきことに取り組みましょう。

何をやろうが、最後に問われることこそが、気を入れてやったのかどうかだけだからです。



イミテーション

人生最後は、誰にたどり着けるかです。

全ては、ここに収まります。

何故ならば、人生は誰とつながっているかで決まるからです。

ですから、成功者から影響を受けても、その影響は一時的なものであり、自分を変えていく力とはなりません。

成功者の真似をしても、それは偽物の自分を作ることにはなっても、それ以外には何の効果もありません。

成功者がやることのうわべだけをインスタントに真似ることで、未熟な自分がいきなり成功者へ変貌を遂げるとでも思っているのでしょうか。

そうした表層的なことしか考えられないから、自分を根底から見つめることも出来ず、その結果、イミテーションとしての人生を歩むことになるのです。

まず、自分自身が本物であろうと決意することが大切です。

本物のダイヤモンドは、何があろうと絶対に傷つくことはありません。

しかし、どれだけ巧妙に細工を施そうが、それが偽物のダイヤモンド、即ちガラス玉なら、それは簡単に傷ついてしまいます。

イミテーションに、輝く未来はありません。

ここで一つ、しっかりと理解しておかなければならないことがあります。

それは、人は引き合うという真実です。

ですから、偽物は偽物と引き合い、本物は本物と引き合うのです。

我れ、本物たらんとの気概を持ちましょう。

偽物が取るような行動は、厳に慎まなければいけません。

小さな一つ一つのことを、見事にやりきるのです。

神は細部に宿ります。

そのときは大したことのないように思える小さな一つ一つのことを、やりきり積み重ねていく精神が、自分という人間を大きく本物へと変えていきます。

そして、たどり着くのです。

あなたが、出会わなければならなかった人と。




夢へのワークタイム

緊張感を持ちましょう!

命の背骨をシャンと伸ばして、1日1日を積み重ねていくのです。

人生は勝負です。

勝負は紛れもなく、今日という1日の生き方のなかにあります。

1日1日の生き方の積み上げのなかにしか、望む人生のゴールはあり得ません。

油断大敵です。

気を抜けば、そこから魔物が間隙を縫って忍び込んできます。

何かに挫けそうになったら、自分を相手にもしないで鼻で笑った者の顔を思い浮かべましょう。

自分の価値を決めるのは、他人ではなく他ならぬ自分自身です。

自分が自分をディスカウントしていれば、自分という人間の市場価値はみるみる低くなっていきます。

さらに、何かを恐れて何もやらないことが、人生を一番危ういものにしていく元凶となっていきます。

とにかく、夢に向かって、具体的に足跡を残すのです。

足跡を残す!

その意味は、思いを形にするということです。

画家になりたいのなら、まず絵を描くことが大切です。

作家になりたいのなら、まず作品を書くこと。

そう、とにかくやりたいことを形にすることからしか、何も始まりません。

そして、さらに大事なことは、形を創るための「ワークタイム」を毎日取ることです。

夢に向かうワークタイムを取ることの重要性を、成功者は皆知っています。

凡人ほど、忙しい忙しいと言って、生活は維持しても、夢に向かうという人生を歩んでいません。

生活と夢は違います。

それは、最終的に経済力にも表れてきます。

生活のために働く人が、大金を手にすることはありません。

何故ならば、お金は夢が大好きだからです。

夢を形にしましょう。

緊張感を持って歩む1日1日のなかに、夢の足跡を残すのです。

そのための核となる発想こそが、夢に向かうワークタイムをとると決断することなのです。



一人から

数が、事を成すのではありません。

一人が事を成すのです。

志を何も持とうとしない烏合の衆がどれだけ集まっても、事を成し遂げることは出来ません。

決然たる意志を持った一人が、時代を動かしていくのです。

いつの時代も、成功者は少数派です。

ですから成功者が、大多数の人たちが引っ掛かることにいちいち引っ掛かかって、その歩みを止めることはありません。

問題と映ることの本質は、自分が気にしていることです。

さらに言えば、自分自身の乱れにあります。

なぜ乱れるのか。

それは、自らの本分を忘れたからです。

少しくらいつまずこうが、痛い目に遭おうが、そんなことは想定の範囲内のことと達観してしまいましょう。

だいたい、やること為すこと全てがうまくいくなどと思っていること自体が、救いようのない甘ちゃんなのです。

人生の勝敗は、死ぬ間際まで分かりません。

ですから、いちいち途中経過にぐるぐる振り回されていては、成功などとても覚つきません。

人生は、最後に勝てばいいのです。

大切なことがあります。

それは、いちいち囚われないということ!

いちいち雑事余事に囚われていれば、それが自分の本分を忘れていく原因となってしまいます。

忘れてならないことは、例えうまくいかないことがあっても、それを切り抜ければ、うまくいかないことと等分のうまくいくことがあるということです。

それは、人生はイーブンに創られていることを意味します。

ですから人生は、うまくいかないことを気にした者負けです。

そうしたことを、いちいち気にしないことが力になります。

この力が一人のリーダーを創り、この一人の人材が静かに状況を一つ一つ変えていくのです。

数が、事を成すのではありません。

全ての変化は、たった一人の決然とした態度から始まることを忘れてはなりません。



過小評価

私に限界などない!

もし、限界があるとすれば、それは諦めたときだ!

こう思うことが出来れば、何がどんな形で起きようが、その人に失敗が訪れることはありません。

真に成長を望むなら、常に忘れてはならないことがあります。

それは、限界は自分自身が決めているということです。

自分で自分を過小評価して、そして値引きして自分を安売りしていることに、全ての伸び悩みの原因があることを知らなければなりません。

同じ人間として生まれて、あの人が出来たことが自分に出来ないことを、オカシイと感じていなくてはなりません。

人間の価値を決めるものは、当たり前のレベルです。

自分という人間の当たり前のレベルを、どこに置いているのか。

考えるべきは、まずそこにあります。

やれる人間なのか。

それとも、端(はな)からやれない人間なのか。

本家本元の自分が、他ならぬ自分のことをどう思っているかです。

人生は、本当に思ったことだけが実現します。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

思いはいつも、行動の前にあるということです。

何故ならば、人間は思ったことを行動で表すからです。

ですから、行動の前にある思いをどう創るかに、全ての出発点があるのです。

思いは常に、意識で創られていきます。

意識が低ければ、当然の帰結としてその思いも低く脆弱なものとなり、その結果、取る行動もレベルの低いものとなります。

意識を上げましょう。

意識を上げるには、意識の高い人とつながろうとすることです。

そのためには、求める姿勢を強く持つことが大切です。

その姿勢は、人間の強さにつながります。

人を魂のレベルで強くするものこそが、成長へのこだわりであり、そこには必ず真実の素直さがあります。

その素直さが、限界をはね除けて、自らを高みへと導いていくことを知りましょう。




一点突破の決断力

その結果について、自分が納得できていればオーケーです。

納得とは、原因がはっきり分かっているということです。

さらに言えば、それはそのとき自分の心がどう動いたかということにつながります。

前向きに動いたのか。

それとも消極的に、後ろ向きに動いたのか。

いずれにせよ行動には、必ず動機があります。

何が言いたいのかと言えば、起きてしまった結果よりも、そのときの自分の動機にこそ、これからの全ての展開の鍵があるのです。

時として人間は、合理的に考えて、不合理なことをする生き物です。

そこにまた人間たるものの矛盾と、理屈では計れない底知れぬ力強さがあります。

その力強さは、勇気となったり、局面を打開する一点突破の決断力となります。

しかし、それはまた全くそうした力とは別の弱気となって、自分から力を奪う魔物ともなります。

どちらに転ぶかは、一にそのときその瞬間、心がどう動いたかにあるのです。

全ては、その行動の奥に潜む動機にあります。

何故ならば、動機こそが行動を呼び、その行動が結果の原因となるからです。

動機はものの見方感じ方によって、知らず知らずのうちに形創られていきます。

怒るべきときには正しく怒り、畏(おそ)れるべきときは正しく畏れることが、その基本です。

そのためには、自分の旗色をはっきりさせることが大切です。

自分がこうしようと思ったことに対して、決して疑いを抱いてはなりません。

自分が思ったことを、自分で実行する!

これが人生だからです。

行動するそのときに、迷いを入れない!

ここに、透明な精神性が出来上がります。

人生はやってみなければ分かりません。

やりさえすれば、どう転んでも前進です。

あとは、そのときそのときに感じた何かをそのまま受け止めて、自分に正直に一歩を踏み出せばいいのです。

前に進んでさえいれば、人生はどう転んでも大丈夫だからです。



想定外

今を変わるチャンスととらえる!

その感覚が才能です。

命は絶え間なく揺らぎ、移り変わります。

一時も停滞することはありません。

ですから、常に変わり続けることが生き抜くということになるのです。

今の時代くらい、生き抜くということの意味が、重い意味を持って迫ってくる時代はありません。

何が起きても不思議でない時代に入っているからです。

こうした時代には、禁句が一つあります。

それは、「想定外」という言葉です。

東電と日本政府が起こした福島第一原発の放射能漏れ事故も、決して想定外ではありません。

分かっていた最悪に、故意に備えなかっただけです。

地震や津波や電源喪失は充分に想定出来たのに、想定しようとしなかっただけのことです。

これからの時代を生き抜くために、大切な発想があります。

それは、想定外を生き抜くという発想です。

そのためには、確固たる自分自身の軸を持ちましょう。

何があってもぶれない自分を確立するのです。

想定外を超えるのです。

ですから、少しくらい思い通りにいこうがいくまいが、うまくいこうがいくまいが、いちいち一喜一憂しているようではとても覚つきません。

そうなったら、そうなったまでのこと!

こう開き直るくらいの太さを気持ちに持って、今を生き抜くと決めるのです。

想定外のアクシデントが起きたときこそ、自分自身を変えるチャンスととらえるのです。

私たちは生かされています。

ですから、死ぬときまで死ねません。

ならば、座して敗れるのではなく、打って出る!

ここに、人生の本懐があることを忘れてはなりません。




人生はプレゼンテーション

今の時代は、人柄だけで勝負は出来ません。

そういう時代になってきました。

この時代の仕事とは、こだわりというブランドを創ることです。

売るのではなく、創る!

ここに決定的な、独自化があります。

差別化ではない、独自化。

今の時代を生き抜く鍵が、まさにここにあります。

どれだけ痛手を受けても、そこにブランドという力があれば、それが最後の砦となって、そのビジネスを守り復活させます。

ですから、仕事の本質は、自らが依って立つ領域のブランドの構築とその発信力にあります。

そのためには、その仕事を発信する自分自身がブランドたる自覚を持たなければなりません。

人がブランドだから、扱う製品もまたブランド足り得るのです。

情報はその人の持つ発信力によって、全く違ったものになります。

その最たるものが、プレゼンテーション能力です。

突き詰めてみれば、人生はプレゼンテーションであると言っても過言ではありません。

「う・し・も・お(牛モォ~)」という言葉を覚えておきましょう。

「う」→売り込まない!

「し」→しゃべり過ぎない!

「も」→もったいぶる!

「お」→お願いしない!

プレゼンテーションの肝が、ここにあります。

さらに言えば、説明で人の気持ちは動きません。

ですから、説明を続けているうちはたいした結果は期待出来ません。

それでは一体どうしたらよいのでしょう。

それは、説明ではなく意見を言うのです。

意見と言い方は違います。

言い方は、相手に失礼のないように。

内容は、自分の意見を確信を持って述べるのです。

その際、相手から断られることを気にしたらいけません。

イエスがあるのはノーがあるから。

これ位の達観が、こちらのオーラとなります。

プレゼンテーションと態度は、表裏の関係です。

今の時代、一番まずいのは、薄っぺらなバランス感覚です。

それを日和見といいます。

日和見の、ただ軽く人に合わせるだけの人は、本物から遠ざけられていきます。

自らの立ち位置を、ブランド足るべく意識しましょう。

人柄はもちろん大切ですが、それだけでは何ともならない時代に入ったことを認識出来ずに、未来は拓けてこないからです。




量から質への転換

本質をぶつけていないから、伝わらないのです。

それは、自分自身の行動や発言が曖昧だからです。

何故、行動や発言が曖昧なのでしょう。

それは、自分が何に向かって何のために行動しているのかが曖昧だからです。

あれやこれやと心をふらつかせて、心ここにあらずで、できたらいいなぁ位の気持ちで事に臨んで、もしそれで思う結果が出たとしたら、それは奇跡です。

あり得ない奇跡を薄らぼんやり期待して生きれば、その姿は極めていい加減な人間としてしか映りません。

出発点は強気で構いません。

しかし、その強気に根拠を持ちましょう。

その根拠は、どれだけ動き切れたかにあります。

いついかなる時代においても、やろうとする仕事の成否は、行動の量に正比例するのです。

行動の質ではなく、行動の量に視点を置きましょう。

何故ならば、量が質に転換するからです。

とにかく、予定を入れる!

とにかく、稼働する時間を多くスケジューリングする!

ここに、強気の根拠ができあがります。

やるべき事をまっすぐに見て、まっしぐらに突き進みましょう。

失敗を恐れてはなりません。

失敗のない生き方など、誰からも評価されない生き方だからです。

失敗したらまた立ち上がる!

この繰り返しのなかに、真実の生き方があることを忘れてはなりません。



セオリー

一心不乱。

必死に懸命に、我が人生と戦う!

ひたすら、前へ前へ!

今と向き合いましょう。

素直に、今という状況を受け入れて、まっすぐに立ち向かうのです。

やればできる!

我が胸中に刻まれた言葉は、このワンフレーズです。

やればできる!

やってないから、できないのです。

自分には力があるということを、今までどこまで分かろうとしてきたのか。

ここが、全てのスタートラインです。

自信があるとかないとかの問題ではありません。

誰かができたことが自分にできない訳がないと、強く思えているかどうかなのです。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

それは、勝負は取り組む前についているということです。

この考え方には、深い意味があります。

それは成功を目指す者が、絶対に知らなければならないセオリーです。

そのセオリーとは、「限界は自分自身が決めている!」という真実です。

何故、他ならぬ自分がそうした限界を決めてしまうのでしょう。

それは、人間に与えられた最強の武器を使わずに、神秘的な何かに事の成り行きを委ねて諦めているからです。

人間に与えられた最強の武器。

それは、「ひたむきさ」です。

ひたむきに、一心不乱に、前へ前へと我が人生と戦うファイティング・スピリッツを、心にたぎらせているかということです。

まっすぐに進みましょう。

迷っていることが、一番もったいない生き方だからです。

迷いの人生が、どこかにたどり着くことはありません。

ひたむきに、今日1日を生きるのです。

やるべきことから、引かず逃げずに!




心に風を

「ゼロからの風」を起こす!

今日の不可能を、明日の可能に変えるのです。

出発点は、いつもゼロから。

昨日を引きずらず、明日を思い患わずに、今日という1日をゼロから踏み出すのです。

カタチが無いことをゼロといいます。

ですから、ゼロから風を起こすとは、まず心に風を起こすことから始まります。

気を入れて一歩を踏み出すことが、全ての始まりです。

大切なことは、気が入っているかということ。

その気は、「やる気」ではいけません。

その程度の気まぐれ・気分では、何ともならないからです。

気を入れるとは、「本気」であることを指します。

今日の壁を何としても乗り越えると、気を引き締めることが本気の始まりです。

今日の壁。

目指すとは、今日の壁がはっきり見えていることです。

今のままでいいと思っている人が、新しい何かに挑戦することはあり得ません。

いいですか?

人生を輝くものにしたいのなら、がんばらなくてはならないのです。

例えば男子フィギュア・スケートにおいても、前半のショートプログラムで4回転ジャンプを成功させることは、勝つための必須科目となりました。

人生は勝負です。

そのように捉えることが出来たなら、勝負に好き嫌いはないということをまず理解しなければなりません。

現代男子フィギュアで勝とうとするなら、4回転に挑まなければ勝つことは出来ないのです。

勝負を意識した者が、日々そこに見るもの。

それは、1日1日の越えていかなければならない壁です。

その壁には、いつも不可能と書いてあります。

その不可能を、明日の可能に変えていく!

ここに本気を宿した挑戦があり、その行為が人生を輝くステージに変えていくのです。



命の姿勢

人生を測る物差しを持ちましょう。

人の物差しではない、自分自身の物差しを。

人の物差しで、自分の行く道を測れば、そのうち自分自身が分からなくなってきます。

自分の物差しを持って、しっかりと人生を見ることが出来れば、不甲斐ない自分に怒りを覚えることは必然です。

その理由は、目指す自分は遥かかなたにあると思えるからです。

生ある限り学び、弱い自分と戦い続ける!

今はまだ夢の途中であることを知る!

未熟者であることを分かって、人生の勝負に立ち向かうのです。

そこには、別れと新しい出会いが待っています。

生生流転。

人生は、片時も同じ時空に止まることはありません。

出会いとは必然であり、決して偶然ではありません。

その人とその人との、命の根底にある同じ何かが響きあって起こる必然です。

ですから、その出会いが真実の出会いであれば、別れを心配する必要はありません。

真実の出会いに、別れはこないからです。

真実でない出会いも、さほど心配しなくても大丈夫です。

何故ならば、勝手に向こうが離れていくからです。

大切なことは、自分自身の根底に何が流れているかです。

その根底が素晴らしければ、必ず素晴らしい人との出会いが待ち受けています。

ですから、人との比較ではない、自分自身の人生の物差しを持ちましょう。

その物差しこそが、自分を鍛え育てていく確たる基準となって、力ある人材へと命の姿勢を整えていくからです。



視点の置きどころ

良いことも悪いことも、自分が真に気にしたことだけが実現します。

気にすれば現実。

気にしなければ、ただの風景。

ここに、視点の置きどころがあります。

故に、気にしてはいけないことを気にしていれば、それが実現して不本意な人生を送ることになります。

ほとんどの人間は、避けがたい宿命的な病気を抱えて生まれてきます。

その病気とは、「臆病」という病気です。

この病気は、何を気にしたかで、発症の形態と時期が異なります。

気にしてはいけないことを気にし続ければ、臆病という病気が身体中に転移して、やがては情緒不安定となって、自分を見失っていきます。

その逆に、気にしなければいけないことに立ち向かえば、そこに勇気が湧いてきて、その勇気がワクチンとなって臆病という病を、前進するための免疫力に変えていきます。

こうして得た力は、元の臆病を細心の注意力へと変えて、決断力に事を成し遂げる確率を与えます。

あなたにとって、今、気にしなければならないことは何ですか?

そして、今、気にしてはいけないことは何ですか?

行動しなければならないときに、どうするのかを考えることを気にすれば、そこに待っているものは破局以外にありません。

ですから人生とは、今、何を気にしているかで決まるのです。

そうであるが故に、気にしてはならないことを気にしていれば、もうそれだけでアウトであることを知りましょう。

気にしなければただの幻であり、錯覚です。

しかし、真に気にしなければならないことを侮れば、そこには深刻な危機が待っています。

忘れてはならない視点の置きどころが、ここにあります。



最大のインテリジェンス

正しく情報を解釈出来れば、正しい行動を取ることが出来ます。

正しさの前提は、タカをくくらないことです。

簡単にタカをくくるという態度は、自分自身の無知さ加減をそのまま表現しているということに他なりません。

今の時代において無知であるということは、生存をも危うくする脅威となります。

無知の入り口は、素直さの欠如にあります。

素直さこそが最大の力であり、最大の知性であり、最大の理性であることをしっかりと認識しましょう。

情報に対する態度が、人生に対する態度を決め、その積み重ねが緊急事態のときの咄嗟の行動を決定します。

それこそコンマ何秒かの判断の差が、生き死にを分ける究極のラインとなるのです。

先が見通せないときは、最悪の想定にたって情報を取りましょう。

それが杞憂(きゆう)に過ぎなければ、それこそそれで胸を撫で下ろすことが出来るからです。




違和感と成長

成長は、違和感のなかにあります。

ですから成長の節目節目には、過去の成功体験を捨てなければならないという違和感を味わうことになるのです。

過去の成功体験は、いつの間にか自分のなかで、慣れや楽となって陳腐化していきます。

ここが大切なところです。

慣れや楽は、未来への成長の芽とはなりません。

時代は常に目まぐるしく、その様相を変化させていきます。

その変化のなかで、変えてはならないものと、変えなくてはならないものをしっかりと見極めていくことがとても大切です。

それは考えても分かりません。

感じて行動するなかでしか、会得出来ない感覚です。

そうした感覚は、偶然がもたらす違和感のなかにあります。

よく好き嫌いで物事を判断してはいけないと言う人がいますが、それは土台、生身の人間にとっては無理というものです。

何故ならば、理性と感情が五分五分で向き合えば、どれだけ理屈を並べても必ず感情が勝つからです。

何故ならば、それこそが人間だからです。

それを踏まえたうえで、一つの着目点があります。

それは、新しい可能性は自分が好きなことにあるのではなく、嫌いなことのなかにあるということです。

実は、直感的本能的な可能性は、感情というフィルターを通さずに感じることがとても難しいのです。

ですから好き嫌いという感情は、それだけでストレートな直感的かつ本能的な感覚です。

そして、です。

この好き嫌いの嫌いのなかにだけあるものが、人を根底から変える違和感となるのです。

違和感は、やり慣れたことからくる楽という発想を否定します。

ですから、そこにあるものはむしろ不快感です。

ここが、人生のマジックです。

その不快感をコントロールして、今までの自分に足りない何かに気付くことが出来るかどうか。

ここに、成長の可否があるのです。

ほとんどの人たちが乗り越えられない壁が、ここにあります。

成長は違和感のなかにある!

ここを理解しようとするだけで、成長への格段の心構えが出来ることを覚えておきましょう。