埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



命の砂時計

我れ如何に生くべきかを、今しみじみ思います。

命と時間は、貯金出来ません。

しかも、容赦なくハラハラと、命の砂時計はその砂を落とすことを止めません。

もはや迷ってなどいる暇はありません。

今という時代は、何もやらなかった者の一人負けだからです。

悩んだり、迷ったりしている時間はありません。

それでもどうしても迷ったときは、未来がある方を選ぶことが道を拓くと考えることが大切です。

残念ながら、今の日本は、察する文化の国ではなくなってしまったようです。

ストレートに物を言わなければ、伝わらないことが多くなってしまいました。

一を聞いて十を知る、という言葉があります。

一から十まで、それも何かの組み立て説明書のように、いちいち無機質な説明を受けなければ何も分からないという人が巷に溢れ返っています。

真の人材とは、一を聞いて十を知り、そして百を表現する人を言います。

心胆を持たずして、それは出来ません。

戦後66年間の地震の静寂期に、命よりも経済優先で支えられたまぐれ当たり経済の繁栄に酔いしれて、思考することを忘れてしまった人が多くなった日本。

地震の境界線に54基もの原発を建てて、レベル7というこれだけの放射能汚染にもいつの間にか慣れて、ぼんやりと生きることに何の違和感も覚えない。

こうした意味を成さないバランス感覚に、私たちは危機感を覚えなければなりません。

今の時代に求められることは、「本音」と「本気」です。

ぼんやりした人にぼんやりと合わせていたら、こちらが何を言いたいのかが伝わらないからです。

勝負しましょう。

今のままいたら、経済も何もかもが沈没してしまいます。

打って出るのです。

迫り来る未曾有の経済震災を、決して甘く見てはなりません。

今回の震災で、私たち日本人は、「日本ブランド」を失ってしまいました。

これこそが、今後の国難ともなりうる最大の危機なのです。

そうした迫り来る時代背景を想定した生き残りの戦略を、一人一人が明確に立てるべきときが今なのです。

一を聞いて十を知り、そして百を表現する!

生き残りを真剣に意識化して、はじめて迫り来る未曾有の経済震災へと立ち向かう戦略が立てられることを忘れてはなりません。




チャンスの消滅

結局、人生は、盛り上がったか、盛り下がったかのどちらかしかありません。

ですから、どうせやらなければならないことなら、盛り上がってやりましょう。

そのためには、受け身でいてはいけません。

積極的に前を向くことが大切です。

幸運は、消極的な態度に宿ることはないからです。

前を向けば、何かを言う人もいるでしょう。

しかし、人生は誰かから何かを言われてナンボのものです。

それを恐れて殻に閉じ籠れば、人からは何も言われませんが、それと引き換えに出会いという宝を差し出すことになります。

出会いを放棄すれば、その瞬間にチャンスも消滅します。

人生は、出会いと人で決まるからです。

つまらない些細なことを恐れて、殻に閉じ籠って、人との関わりを消極的なものにすれば、人生を決める出会いと人を失うことになるのです。

恐れず一歩を踏み出す!

この姿勢が心のなかで死んだとき、その人に展開される毎日は、何の刺激もない無味乾燥とした荒涼たる日々となります。

人生は挑んでこそです。

一朝事が起きれば、困難何するものぞとの覚悟を深く定めて、何があっても前に進むと決めて、一歩を踏み出すのです。

この気概が、自らの内に眠る本気を呼び覚まし、そしてその本気が本気の人を糾合します。

本気の出会いは、本気のときにしか起こりません。

人生の盛り上がりは、本気の出会いのなかにあります。

それらの全ての出発点が、一歩を踏み出す勇気のなかにあることを、決して忘れてはなりません。




やらないことを明確に

やらなくてもいいことをしない!

と決めると、やなければならないことが出来るようになります。

やるべきことが出来ないのは、やらなくてもいいことをやり続けているからです。

何かをやることよりも、やらないことの方が格段にエネルギーが要ります。

ここで一つ、重要なことがあります。

それは、人生の転機は、何かを断ち切るところから始まるということです。

例えば「決断」という文字も、何かを断つことで、何かが決まっていくと書きます。

ですから、断ち切る勇気も時には必要なのです。

本気でその方向にシフトしていくという決意があれば、技術革新は後から伴ってきます。

技術よりも、シフトをチェンジすることを本気で考えることが優先です。

シフトチェンジとは、やらないことを明確にすることから始まります。

やらないこと!

それをどう見抜けばよいのでしょう。

その鍵は、我欲から発想を起こさないということです。

我欲を断てと言っているのではありません。

何かを変えたいのなら、何かを止めて、そのことによって失うかもしれない何かを恐れてはならないと言っているのです。

その恐れる何かに、自ら近付く強い気持ちを持ちましょう!

恐れるものに近付いて、その正体に迫るのです。

大概のことは、見えてしまえばそれで心が落ち着いて、やるべきことが見えてきます。

やるべきことが見えれば、やらなくてもいいことも見えてきます。

余事に心を囚われて、やらなくてもいいことに振り回されたとき、人生の方向性が自分の思いとは大きくかけ離れたものに変わっていくことを知りましょう。



生きざま

「毎日毎日、必死で生きていかないと、舞台では必ず失敗する!」

「何か大変なことが起こったら、絶対に前に進んでやる、と思える自分がいる!」

女優、米倉涼子がインタビューで、このように語っていました。

プロ魂を彷彿(ほうふつ)とさせる言葉です。

毎日を必死で生きていないと、どれだけ繰り返した舞台でも、そのどこかに落とし穴があり、そこに怖さがあることを知っているからこその実感なのだと思います。

慣れることの凄さともろさを知って、真のプロが出来上がります。

この両刃の剣を、絶対に前に進んでみせるという気概でしっかりと持って、毎日毎日を真剣に生きようとする姿勢に、降りてくる何かが自分を突き動かして、名優となるのです。

ひとたび名優が舞台で舞えば、その立ち居振る舞いや一挙手一投足が、観る者を釘付けにして、その時間を魅了するのです。

真実のプロは、その舞台のどこかで必ず宇宙とつながります。

宇宙とつながることが出来れば、あとは何も考える必要はありません。

それが、その域における自然体だからです。

舞台という日々を真剣勝負で演じるときの、「ああ、生きている!」という実感こそが、魂のご馳走に違いありません。

その実感は、真剣に1日1日を生きるのだという、コミットメントのなかにしかありません。

一つの事に、慣れて慣れない!

真剣勝負の生きざまが、ここにあります。




恐れの正体

「迷ったときは、心を静めて、自らが神であることを知れ!」

マーク・フィッシャーという作家が、その著書「成功の掟」のなかで、ミリオネアという大富豪に語らせた言葉です。

迷ったときは、まず心を静める。

そして自分は、何を一体迷っているのかを客観視するのです。

迷いの根源には、必ず恐れがあります。

恐れはいつも、漠然としたなかに芽を出します。

ですから、漠然と遠くから物事を眺めていると、だんだんと恐怖する自分になっていくのです。

「我々は、恐怖することそれ自体、以外に恐れるものは何もない!」

故ケネディ大統領は、キューバ危機を回想したなかでこう語りました。

恐れや迷いには、本来はっきりとした形などありません。

ですから大切なことは、何を心に思い描いているかです。

迷ったときは、その迷いに近付きましょう。

そうすれば、迷いの奥底にある恐れの正体が見えてきます。

恐れの正体。

それは何か。

それは・・・

決断力の欠如です。

人は、飛ばなければならないときに飛べなければ、その人生をずっと小心者として生きなければならなくなります。

運は、小心者を近付けません。

迷っているのは、可能性があるからと解釈しましょう。

可能性は、いつもリスクと背中合わせです。

しかし、本当のリスクは、何もしないで逃げることです。

いつ如何なる状況にあっても、神が逃げることはありません。

心を静めて、自らが神であることを知れ!

神は決断力に導かれてその姿を現し、不可能を可能にするのです。




魂の基盤

今日という1日を、どのように生きるのか。

この意識を持って、1日1日を意図的に生きることが大切です。

何となくポカンとしてぼんやりと1日を過ごせば、それはたまには許されるでしょうが、そうしたことが生き方の常態となれば、そこにあるものは魂の衰退だけです。

人間として生まれて、一番してはならないこと。

それが、魂の衰退です。

魂は、使わなければ必ず、劣化し衰退していきます。

それでは魂は、どう使えばよいのでしょうか。

それは、目の前にあるやらねばならないこと、何としてもクリアーしなくてはならないことに集中することです。

人生の基盤は、単純にやりたいことを追いかけるなかに形作られることはありません。

やらねばならないことをやり抜く強い精神性のなかに、人生の必須科目である魂の基盤が形作られるのです。

実は人生とは、そうした基盤が出来上がるなかで、真に自分がやりたいことが見えてくるという構造で出来ています。

ですから、やりたいことだけを追いかける人生などというものは、今乗り越えていかなくてはならない障害を放棄する者には、あり得ない現実なのです。

いつの時代も、試練が人を磨き、そのときやりきらなくてはならない壁が、人を創っていきます。

そこを幼稚なテンションでごまかし逃げて、やりたいことだけを追いかける人生に、真に自分がやりたいことなど見つかるはずがありません。

時代は紛れもなく、今までやるべきことを忘れ、創るべき魂の強さをないがしろにしてきた日本人に、厳しく警鐘を鳴らしています。

帰るべき原点を忘れて、やりたいことだけを追いかけるという時代は、まさに転換点を迎えたのです。

心に強い言葉を持って、そして強い想像力を抱けたとき、そこに強い魂の復活が始まります。

その積み重ねが、今日という1日をどのように生きるのかという意識にあることを、油断なく心に刷り込むことが、時代を生き抜くポイントになるのです。



活路

恐れない!

良いときも、そうでないときも、小さな失敗に、いちいち一喜一憂してはなりません。

そもそも、一喜一憂しているそのことなど、よくよく考えてみれば大したことではありません。

やってもやらなくてもどちらでもよいことだから、細かく心が揺れ動いているのです。

それでもどうしても気になることは、その懐に飛び込んで、ノーガードで打ち合う位の気迫が大切です。

無難なスタンスで、お利口に距離を取りながら、常識的な視点で事態を眺めているから、何ともならなくなってくるのです。

大切なことは、飛び込む勇気を持つことです。

渦中に自ら近付いて、自ら飛び込むのです。

失敗することを恐れてはなりません!

駄目なら駄目でいいのです。

いつもいつも思い通りに、うまくいく日が続くことなどあり得ません。

天気が晴ればかりではないように、雨の日も風の日も、そして時として嵐の日もあるのが人生です。

生きてさえいれば、人生に敗北が訪れることなどありません。

死ぬこと以外はかすり傷であり、全て誤差と解釈しましょう。

畢竟(ひっきょう)するに人生は、吹っ切れた者勝ちであり、やらない者負けです。

一つの小さなつまずきに引っ掛かって、今までやってきたことの全てを投げ出すような愚を演じてはなりません。

つまずいたのは、起き上がる術(すべ)を学ぶためです。

何回つまずこうが、起き上がればいいのです。

失敗から起き上がる姿を見せることが、リーダーたる者の真の仕事であると心得ましょう。

ですから、いつもいつも格好よくなくてもいいのです。

人生なのですから、いろいろあるのです。

そのいろいろを乗り越えて、人生は光を増していきます。

我が身に起きる全てのことを、前進するための力に変える!

この命の姿勢に、活路が開けてくるのです。



賞味期限

係わる人を間違えれば、状況は悪化こそすれ、好転することはありません。

運命の変更とは、イメージの変更から始まります。

そのイメージは、誰と係わるかによって決定的な違いを持つことになるのです。

人にはそれぞれ、賞味期限があります。

その賞味期限が最もダイレクトに影響するのは、他ならぬ自分自身です。

燃えているときに、やりきってしまう!

思い立ったときに、即行動に移してしまう!

間髪を置かずという姿勢が、更に次のステージへと、自分の気持ちを加速させていきます。

よく言われることですが、出来る人はリアクションが早いのです。

やるべきことを先延ばしにすることは、全くありません。

その逆に、仕事が出来ない人は、100%先延ばしの達人です。

何事も、追い詰められなければやる気になりません。

そのうち自分自身の気持ちが、まっいいかとなり、やがてやろうとしたそのことをすっかり忘れてしまうのです。

賞味期限も何もあったものではありません。

かくしてこうした出来ない人は、人から信頼を失って、やがて決定的な局面を向かえることになります。

それは要するに、まともな人から相手にされなくなって、死活問題を抱えることになるということです。

人から信頼を失えば、それを回復するのには相当の時間と、今までの数十倍の努力が必要となりますが、それでも失った信頼を取り戻すことは難しいでしょう。

為すべきことをいい加減にして、何かをみすみす失って後悔する者を「馬鹿者」と言います。

為すべきことから、決して逃げてはなりません。

どうせやらなければならないことなら、さっさととやる!

そうすれば、そのことが楽しくなってきます。

楽しいと苦しいでは、天地の差があります。

どうせやるなら、さっさと楽しくやる!




原因と結果の法則

腑に落ちない厳しい結果には、怒りを持ってその原因に迫らなければなりません。

全ての原因は、原因を創ろうとしたそのときの、自分自身の在り方と考え方にありました。

一つのぶれない脈絡のなかで、きちんと考えていなかったのです。

持続する上げ潮を創りたければ、油断してはなりません。

瞳に映る景色を、間違えてはいけません。

現象現実の奥に潜む本質を逃して、どれだけ今をこなしても、望む未来への展望は開けてこないからです。

決意の眼(まなこ)を持ちましょう。

目の前に展開される様々な事象それ自体に振り回されるのではなく、ひと呼吸置いて、未来への脈絡のなかでそれらの出来事を捉えるのです。

それは一体どういうことなのでしょう。

それは、自らに起きる一切合切の出来事を、そのまま決意の材料に変えるということです。

我が身に起きる全ての出来事は、自分を成長させるために起きる必然の出来事であり、そこを避けていては、いつまで経っても同じことを繰り返さなければならないのです。

決意の眼で出来事を眺めることができれば、そこには必ず行動が付いてきます。

状況の転換は、決意がもたらす行動のなかにあります。

様々な条件状況は、決意が電流のように流れている行動によって整ってくることを理解しましょう。

意に沿わない結果には、不甲斐ない自分の在り方と考え方がありました。

そうした自分に怒りを向けたとき、原因と結果の深秘の法則に近付くことができるのです。




唯一のエネルギー

目指すゴールと、そこに向かう覚悟が同じならば、それだけで80%達成したようなものです。

大切なことは、チームで仕事に取り組むことの重要性を、しっかりとリーダーが認識することです。

仕事が成るか成らないかの境目がチームの意識にかかっていることを知らない人は、強いリーダーシップを取ることは出来ません。

チームの意識は、リーダーのゴールに向かっていく意識にかかっています。

全ての事は、長の一念、即ちリーダーの思いの強さにかかって、結局それが最後の決め手となっていきます。

何がなんでもやり遂げてみせると、いつも強く思っているか。

思いの強さは、時空を超えて目的に向かって走る、唯一のエネルギーであることを理解しているかが重要です。

私たちは、そうした最強のエネルギーを内に秘めていることを、どこまで知ろうとしているのでしょうか。

どこまで、そうした人生を変える最強のエネルギーを、素直に受け入れようとしているのでしょうか。

事が成らなかった理由をよくよく突き止めていくと、そこには明快な原因がありました。

それは、初めから諦めていたのです。

取り組む前に、敗北という前提を受け入れて、どうせ無理という一念をエネルギーに変えて、宇宙に放射していたのです。

出来ないという一念が宇宙を走って、出来ないというゴールに一直線に届いたのです。

リーダーの抱くほんの僅かな負のエネルギーは、チームの1人1人に伝播して、瞬く間にチームが目指すべきゴールを曖昧にし、そして覚悟とはほど遠いぼんやりしたあやふやな空気をつくり上げていきます。

全ては、自覚に貫かれた強い思いを持った、1人のリーダーの意識から始まることを忘れてはなりません。

事の成否の全ての原因が、明確なゴールとそこに向かうチーム1人1人の覚悟にあるからです。




次の力

大切なものは、追い求める心です。

失うことを心配するのではなく、前に進むための気持ちを優先させることが大切です。

生きるとは、前に進んでこそだからです。

前に進んでさえいれば、失敗は必ず次の力になります。

前に進むとは、あたかも車が給油しなければ走り続けられないように、人は進みながら次のエネルギーを給油しているということを指します。

ですから、止まったら次に進めません。

如何なる理由があっても、止まればそこで終わりです。

ですから、前に進むという生(せい)の基本を忘れたとき、人は行き詰まります。

間違ったらどうしよう。

しくじったらどうしよう。

このような想念に取り憑かれてビクビクし出したら、キリがありません。

どこかで思い切るのです。

ビクビクする思いを断ち切って、いさぎよく前進するのです。

負けて分かったこと。

そして、勝って分かったこと。

この二つが、今の自分を創っています。

負けるも勝つも、前に進もうと挑んだからこその結果です。

そうであるからこそ、全ての可能性が前進の二文字にあることを忘れてはならないのです。