反原発市民科学者の故高木仁三郎さんのテレビが放映されます。必見です!

市民科学者がいのちをかけて訴えたものは?
小坂正則

原子力資料情報室の代表で日本を代表する核科学者の高木仁三郞さん。彼は生前大分にも来ていただきましたし、何度かお会いしたことがあります。何せ日本の反原発・脱原発運動の理論的支柱でした。高木さんが亡くなって12年が経っています。彼は末期ガンの身体を奮い立たせて、最後の訴えをNHKで行った貴重な番組です。私も当時涙を流しながら見た記憶があります。皆さんぜひこの再放送の番組ご覧になって下さい。彼は最後まで六ヶ所村再処理工場を止めたいと訴えていました。
高木仁三郞さんがもし存命だったら福島原発事故を徹底的に追及していたでしょう。

3月23日(土)午前1時1分(22日の深夜25時)からEテレで放送
Eテレ・アーカイブス『未来潮流 科学を人間の手に~高木仁三郎・闘病からのメッセージ』

(1999年放送 74分)

原子力資料情報室の生みの親で、2000年に他界されるまで日本の脱原発運動をリードした核化学者の高木仁三郎さん。
この番組は1998年、末期がんを宣告された高木仁三郎さんに、半年かけて行ったロングインタビューを中心に構成されています。

「もうこれ以上、ごまかして生きるわけにはいかなかった」

NASAに招聘されるなど将来を嘱望されながら、エリート科学者の道を捨て、「市民科学者」を選んだ高木さんが、自らの言葉で自らの人生を語ります。

3.11をへて、ふたたび原発をめぐる状況が混迷するいま、高木さんの言葉は以前とは違った響きを放っているように感じます。
耳を傾けることが「未来」にむかう道筋をもう一度とらえ直すきっかけになれば幸いです。

七沢 潔
NHK放送文化研究所
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by nonukes | 2013-03-21 20:13 | 福島原発事故 | Trackback | Comments(0)

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