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ナパーム弾被害の少女、来日へ ゆるす心、4月に講演

写真:南ベトナム側によるナパーム弾の爆撃を受け、裸で泣き叫びながら逃げる9歳のキム・フックさん(中央)。この写真は米ピュリツァー賞を受賞した=1972年6月8日撮影、AP/アフロ拡大南ベトナム側によるナパーム弾の爆撃を受け、裸で泣き叫びながら逃げる9歳のキム・フックさん(中央)。この写真は米ピュリツァー賞を受賞した=1972年6月8日撮影、AP/アフロ

写真:キム・フックさんと息子のトーマスくん=1995年撮影、キム財団提供
拡大キム・フックさんと息子のトーマスくん=1995年撮影、キム財団提供

 【井上未雪】1970年代のベトナム戦争中、ナパーム弾の炎に肌を焼かれ、裸で逃げる少女の写真が世界に伝えられた。その少女は後遺症を負いながらも生き延び、カナダに亡命した。憎しみを乗り越えてゆるしを説く写真の少女、キム・フックさん(49)が来月、日本で初めて講演することになった。

 フックさんは9歳だった72年6月8日、旧サイゴン(現ホーチミン)郊外の村で、南ベトナム側の戦闘機が投下したナパーム弾の被害に遭った。全身を炎に包まれ、燃える服を脱ぎ捨てて「熱い、熱い」と泣き叫びながら走る様子を、現地にいたAP通信の写真記者が撮影。世界に配信され、この写真は翌年、米ピュリツァー賞を受賞した。

 AP通信の記者は撮影後、すぐに重傷を負ったフックさんを病院に運んでいた。入院生活は14カ月に及び、退院後も合わせ17回の皮膚移植を繰り返した。一命を取り留めると、今度はベトナム政府が被害国のシンボルとしてフックさんを利用。外国記者の取材を受けさせられ、政府の宣伝映画にも出演させられた。

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