ビッグデータ時代の注目職種「データ・サイエンティスト」の第一人者がNYで学んだ、適者生存の極意【連載:匠たちの視点-工藤卓哉】
2013/03/22公開
アクセンチュア株式会社 テクノロジー コンサルティング本部
アナリティクス インテリジェンス グループ統括 シニア・プリンシパル
工藤卓哉氏
慶應義塾大学を卒業しアクセンチュアに入社。コンサルタントとして活躍後、コロンビア大学国際公共政策大学院で学ぶため退職。同大学院で修士号を取得後は、ブルームバーグ市長政権下のニューヨーク市で統計ディレクター職を歴任。在任中、カーネギーメロン工科大学情報技術科学大学院で修士号の取得も果たす。2011年に帰国し現職に。Accenture SAS Analytics Group数理統計アーキテクト顧問委員会でアジア太平洋地区代表顧問も務める
データ・サイエンティストは統計データを分析するだけの仕事ではない
データ・サイエンティスト。日本ではおそらく1000人に満たないであろう、この職に就くのはどのようなタイプの人間なのだろうか? 外界との接触を好まない象牙の塔の住人? それとも映画『マネー・ボール』の主人公、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMのような急進的なデータ至上主義者?
アクセンチュアでアナリティクス インテリジェンス グループの統括責任者を務める工藤卓哉は、そのいずれのイメージにも当てはまらない。強いてたとえるなら、複雑なパズルに魅入られた子どものような純粋さと、強い職業倫理を胸の内に秘めた熱血漢といったところだ。
「データ・サイエンティストと言うのは、数学や統計、ITに詳しいイメージがあるかもしれませんが、それだけではダメなんです。わたしなりの定義では、解析する目的をきちんと把握した上で仮説を立て、データから導いた最適化プロセスを実務にまで落とせる人間。
無論、情報処理基盤や解析手法についての知見も必要ですし、適用する業界についての知識も欠かせませんが、何より大切なのは卓越したコミュニケーション能力でしょうね。そう言う基準で申し上げると、日本に今データ・サイエンティストが1000人いると言うのは、ちょっと過大だと思います」
取材中、自分なりの「データ・サイエンティスト」の定義について熱弁をふるう工藤氏
米国の経営誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』(2012年10月号)によると、データ・サイエンティストは「今世紀でもっともセクシーな職業」だという。
事実、GoogleやAmazonのケタ外れの成功が、あらゆる統計データの分析から生み出されたものだという話が一般に知れ渡るにつれ、その最前線に立つデータ・サイエンティストにもにわかに注目が集まるようになった。
しかし、日本ではまだ、なじみのある仕事とはいえない状況だ。
「データ・サイエンティストの仕事は、統計データを分析し、数理モデルを作って終わり、という単純なものではありません。もちろん、クレジットカードの不正検知のように、数理モデルによってある程度完結できるものもありますが、銀行ローンや携帯電話の乗り換えを防ぐような場合だと、最終的には人の介在が必要になります。顧客をつなぎとめるためには顧客フォローが不得手な営業に担当させるより、優秀な営業に任せる方が成果を出せるはずです。ですからわれわれデータ・サイエンティストは、クライアントに対して人の配置や人事制度にまで踏み込んだ提案をすることさえあるんです」
工藤にとってデータ・サイエンティストとは、人の処理能力をはるかに超える膨大なデータを、情報処理基盤を駆使して最適な解を発見するだけでなく、さらにそこから現実の成果へとつなげる者。いわば、ITエンジニアとデータ分析官を組み合わせ、さらに経営コンサルタントを掛け合わせたような存在といえる。
では彼自身、どのようにしてこの難しい定義を満たすに至ったのだろうか?
ニューヨーク市幹部から直接スカウトの電話が
大学を卒業後、アクセンチュアに入社してからの「怒涛の展開」を話す
ここで工藤の経歴をおおざっぱに振り返ってみよう。
1997年から2004年まで、彼は新卒で入社したアクセンチュアの経営コンサルティング本部で、企業のビジネス改革を支えるITコンサルティングサービスを提供していた。
コンサルタントとしての職務には、当然、顧客を説得するための資料作りも含まれる。工藤も相関分析や重回帰分析などを用いた施策立案を得意としていたが、その一方で、自分自身が統計情報の扱い方やデータ分析に関して、大学の商学部で得た以上の知識を持ち合せていないことにある種の引け目を感じていた。
「知らず知らずのうちに、見栄えの良い分析結果だけを顧客に示してしまっているのではないだろうか? 常にそんな疑問を持っていました。そこでプロジェクトが一段落したタイミングで会社を辞め、著名な経済学者であるジェフリー・D. サックス教授や、情報の非対称性理論でノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E スティグリッツ教授が在籍するコロンビア大学の大学院に行き、ミクロ経済や数理モデルについてゼロから学ぶ決意を固めたんです」
2004年、工藤は望み通り同大学の国際公共政策大学院に入学を果たす。
「入学した当初は、いずれ国連のような国際機関で、政策立案にかかわるようなポジションで働ければと思っていたんですが、ある日、わたしのレジュメを見た、当時ニューヨーク市公共医療政策局で副長官を務めていたファザード・モスタシェアリ(現・米国医療IT政策オフィス局長)氏から直接電話があったんです。トーマス・フリーデン長官(現・米国疾病予防管理センター第16代長官)のもとで、ニューヨーク市の医療システムを改革するプロジェクトに参加しないかと。それでニューヨーク市政府で働くことになりました」
大学院では公共政策を学んでいたものの、工藤はこの時点まで保険衛生や医療制度システムとは無縁だった。とはいえ、かつてハーバード大学で教鞭を執り、かつ革新的なIT医療制度の設計者として知られるファザードの名には聞き覚えがあった。
もちろんそうした著名な人物からの直接の誘いに驚いたが、腰が引けてしまうほど臆病ではない。工藤は面談の翌日には、この改革のうねりに加わることを承諾した。
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