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ソチ五輪3枠を死守した羽生と高橋。苦境の中でも見せた責任感ある演技。

Number Web 3月19日(火)11時15分配信

 ポーズを決めて叫ぶと、崩れ落ちるように倒れこみ、何秒だっただろう、動けずにいた。

 3月15日(現地時間)、カナダ・ロンドンで行なわれたフィギュアスケート世界選手権の男子フリー。

 羽生結弦のその姿が、すべてを物語っていた。

■満身創痍の状況で羽生が見せた意地。

 2月の四大陸選手権のあと、練習拠点であるカナダ・トロントに渡った羽生は、インフルエンザにかかって休養を強いられた。その後は左膝を痛め、本格的に練習を再開したのは世界選手権開幕の1週間ほど前から。しかも左膝は完治しないままで臨んでいた。

 迎えたショートプログラム。安定感を誇っていた4回転トゥループで転倒するなど、75.94点で9位にとどまる。今シーズンのショートの出来を考えれば、信じられない出来であったことが、羽生の状態を示していた。

 しかし、羽生はそのままでは終わらなかった。フリーでは公式練習で右足首も負傷し、満身創痍と言ってよい中、周囲の心配を吹き飛ばす滑りを見せる。ショートでは転倒したはじめの4回転トゥループで着氷すると、その後もミスのない、いや、渾身の滑りを見せつける。

 そして、総合4位と巻き返して、大会を終えた。

「ショートの悔しい気持ちをぶつけて、最後まで気合いで乗り切りました」

 と、羽生は振り返った。

 そして、「やりきりました」という印象深いひと言も残したが、羽生は、昨年の世界選手権でも右足首捻挫の負傷を押しての出場の中、銅メダルを手にしている。そのことも思い合わせると、あらためて、羽生の気持ちの強さを感じさせた世界選手権だった。

■来年のソチ五輪出場3枠を死守した、日本代表としての責任感。

 羽生の滑りには、個人としての悔しさとともに、日本代表としての責任感もこめられていた。

 今大会には、来年のソチ五輪の出場枠がかかっていた。上位2名の合計順位が13以内であれば最大の3枠を得られるが、ショートが終わった時点では高橋大輔と羽生の順位を合わせると13。ギリギリの状況でフリーを迎えていたのだった。

「日本代表として申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

 と言うように、責任にも後押しされた滑りだったのだ。

■ジャンプに精彩を欠いた高橋は「気負いすぎました」。

 羽生が4位、日本勢で2番目の順位の高橋大輔が6位となり、上位2名の順位の合計が13以内。規定により来年のソチ五輪の3枠を無事確保した。

 その高橋は、ショートを4位で折り返しながら、フリーでは4回転ジャンプの1つめは両足着氷で回転不足、2つ目も成功させることができなかったほか、トリプルアクセルでも転倒するなど、ジャンプに精彩を欠き、総合6位にとどまった。

「やってきたことができず、悔しい気持ちでいっぱいです。調子が上がりきりませんでした」

 また、こうも言った。

「気負いすぎました」

 高橋もまた、出場枠獲得の責任をもって臨んでいた。

 高橋は、2月の四大陸選手権、そして世界選手権と、昨年末の全日本選手権以降、調子を落とした感は否めない。その中にあっての6位は、出場枠を確保するという責任は果たしたものでもある。

 また、これまでも挫折や失敗をばねにしてきたのが高橋である。今シーズンの不本意な成績を来シーズンの起爆剤とすることは可能なはずだ。

■SPでの出遅れから立ち直り、パーソナルベストを叩き出した無良。

 2度目の世界選手権出場であった無良崇人は、総合8位で大会を終えた。

 ショートこそ11位と出遅れたが、フリーでは5位に食い込み、パーソナルベストとなる234.18点。

「高橋選手が不在だった前回と違い、今回は自分で勝ち取った代表だと思っています」

 そういう思いで臨んだ大会で、失敗を引きずることなく立て直した。

「緊張の中でよくやったと思います」

 と自身も言うように、今回の経験は、次へときっとつながる。

■3連覇したチャン以上の存在感を見せたデニス・テン。

 日本の3人が、それぞれの戦いで終えた世界選手権を制したのは、地元カナダのパトリック・チャンだった。3連覇である。

 今シーズン、苦しみ続けたチャンだったが、ショートでは圧巻の演技で、羽生の持つ世界歴代最高得点を塗り替える98.37点で2位以下を引き離し、首位に立つ。フリーではジャンプのミスなどが出たものの、ショートの貯金で逃げ切った。

 チャン以上のインパクトを残したのは銀メダルを獲得したデニス・テン(カザフスタン)。フリーが終わった瞬間は、チャンを逆転したのではないか、そう感じさせるほどだった。ショートでは90点を超える高得点を叩き出し、「眠れなかった」という緊張を乗り越え、フリーでも完璧な滑りを見せた。

 そしてショートとあわせ266.48点と、優勝したチャンの267.78点に僅差に迫ったのである。

 テンは19歳、大きな自信を得たことで、銅メダルのハビエル・フェルナンデス(スペイン)とともに、ソチへ向けて名乗りを上げた大会となった。

 こうして終わった男子は、あらためて、オリンピックの出場枠を獲得することの重さを実感させられるものであった。

 日本の3人の選手たちがそれぞれに、収穫と課題を見つけ、表彰台こそなかったものの、心に残る滑りを見せた大会でもあった。

 来シーズンは、オリンピックへの3枠をめぐり、巻き返しを図る小塚崇彦、織田信成らも交え、厳しい戦いが続くことになる。

(「フィギュアスケート特報」松原孝臣 = 文)

最終更新:3月19日(火)11時15分

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