8月に 女性専用車への疑問 という記事を書きました。
この記事の中で、僕は女性専用車に《 反対 》であることを表明しました。
それは、「女性専用車」は問題だらけなうえに、痴漢対策や痴漢えん罪対策として効果があるとも考えられず、むしろ逆効果でもあり、加えて、男性に対する差別にしかなっていないと考えるからでした。
前記事でのポイントをもう一度列挙しておきます。詳しくはリンクをたどってお読み下さればと思います。
・ そもそも痴漢対策として機能していない
(むしろ痴漢や痴漢えん罪を増加させかねない要素がある。他車両の混雑率の上昇など)
・ 加害者=男性,被害者=女性 という固定観念にとらわれている
(実際には男性が被害者となるケースや、同性への痴漢もある)
・ GID や Xジェンダー などセクシャルマイノリティの存在を考慮していない
(《 女性 》の定義は? どうやって判断するのか? 明確でない)
・ 痴漢対策はタテマエであり、ホンネは男性を排除したいだけ。エゴイズム
(【 女性 = 弱者 = 守られるべき存在 】という幻想の下で公然と男性差別をしている)
この問題については、基本的に前記事で僕の考えは主張できたと思うし、それで満足していたのですが、あれから3ヶ月ほどのうちに、書き加えたい事柄もいくつか出てきたので、続編としてこの記事を書くことにしました。
僕の意見をそのまま鵜呑みにせよとは毛頭思いませんが、この記事が、《 考え直す 》きっかけになれば幸いに思います。
■ 女性 = 弱者 ではない!
この件については前記事でも触れたのですが、もっと詳しく述べさせてください。
また、フェミニズムについて思うところを記した記事も後日掲載予定で、そちらでもこの問題を論ずる予定です。
『女こども』という言い方がありますが、僕はこの言葉が嫌いなんです。なぜなら、女性は《 弱者 》じゃないからです。女性の中に《 弱者 》がいるのは事実ですが、女性全体が《 弱者 》ではありません。
子どもは《 弱者 》でしょう。それは知的にも身体的にも成長途上にあり、保護が必要であるという点から、明らかです。
老人も《 弱者 》のくくりに入れていいのかもしれません。人間は年をとれば、残念ながら様々な部分において衰えが出てきますからね。でも、《 弱者 》として扱われることを嫌うご老人もいらっしゃいますね。
障がいをお持ちの方も《 弱者 》にあたるのかもしれませんが、こちらも《 弱者 》として扱われることを快く思われない当事者の方もいらっしゃるようです。
そして、『女こども』という表現からははじき出されてしまっている、男性の中にも、当然《 弱者 》がいます。このことは忘れてはならないことです。
大切なことは、社会として《 弱者 》を守ること なんだと僕は思っているのです。ただ、《 弱者 》の定義が問題で、女性全体を《 弱者 》だと思っている人にとっては、社会として《 女性 》を守ること と同義になってしまうのですよねえ。そして、これが女性専用車両を正当化する1つの根拠になっている感じがします。
でも、僕に言わせれば、そもそも 女性全体が《 弱者 》だという認識そのものが誤っている んですよ。ここを今一度見直してみてほしいなあと思います。
たとえば、女性専用車両ではなくて、《 弱者優先車両 》とか、《 思いやり車両 》とか、そういう類のものであれば、僕は全く反対しないんですけどね。だって、それは、社会として《 弱者 》を守ること につながるから。
※ ただし、現代の社会において様々な面で女性が不利な扱いを受けているというのは厳然とした事実ですし、そこは是正・解決が必要であると僕は考えています。そのあたりは記事を改めて(フェミニズムについて論じる予定もありますし)、僕の意見を書こうと思っています。
■ 男性恐怖症の女性,女性恐怖症の男性
男性恐怖症を患っている女性はたくさんいますし、かつての僕のように女性恐怖症を患っている男性も世の中には存在します。
ある男性恐怖症の女性が、「女性専用車両があるとほんとに安心だし助かるんです」とおっしゃいました。お気持ちはよくわかるのです。僕もかつては女性恐怖症の男性でしたから。男女が逆になっていますけれど、異性に恐怖をもちつつ生きるのって大変なことです。女性恐怖症を患っていた頃は、「ああ、男性専用車両があればいいのになあ」なんて考えたこともあります。
「女性専用車両は痴漢対策だけじゃない。男性恐怖症の女性を救済する目的もあるのだ」ということをおっしゃる方もいらっしゃいます。そういう方の場合、「女性専用車両は痴漢対策になっていません」ということをお伝えしても、「でも男性恐怖症の女性のために必要でしょ」っていう話になるのです。
しかしね、本来、男性恐怖症や女性恐怖症は克服しないといけないものだと思うのです。僕が女性恐怖症だった頃、「これは絶対克服しないといけない」って思っていましたから。世の中半分は女性です。半分の人が怖いというのでは、円滑に社会生活を営めません。その不自由さも痛いほど味わいました。だから精一杯努力して、治療・克服しました。そして、今、女性の友達もいっぱいいて、楽しく生きています。
そういう道をたどってきた人間として、男性恐怖症の女性のみなさんにも、ぜひとも同じ道を歩んでほしいのです。
とある、男性恐怖症だという女性との会話を僕はずっと忘れないでしょう。
女性「私のような人にとって女性専用車は本当に助かる。無くされたら困る。救済してもらわないと」
僕「お気持ちはよくわかるんですが、公共の場である以上、男性恐怖症の人がいるからといって男性を排除することはできませんよ。やっぱり男性恐怖症は克服しないといけませんし、どうしても耐えられないのならばマイカーなりタクシーなりを使うしかないと思いますよ」
女性「そんな無茶苦茶な。マイカーとかタクシーとか使えない人だっているじゃないですか」
僕「無茶苦茶じゃないですよ。かつての僕のように、女性恐怖症の男性だっているんです。でも、かつての僕がいくら女性が怖いからといって、公共の場から女性を排除することなんかできませんよ。僕はそれが当たり前だと思ったから、精一杯努力して治療・克服しました。そういうものなのです。それに、だいたい不均衡ですよ。男性恐怖症の女性のためには、社会として女性専用車みたいのを作って保護する。けど、女性恐怖症の男性のためには何もしない。あなたは、女性恐怖症の男性はどうしろとおっしゃるのです?」
女性「それは、自分で何とかしてください」
僕「うん。だったら男性恐怖症の女性も自分で何とかしなければいけませんね」
男性恐怖症の女性である自分たちには社会からの救済があるのが当然であり、女性恐怖症の男性は自分で何とかすればいいという無茶苦茶な論理。僕は泣きたくなりましたねえ。よくもまあ、かつて女性恐怖症の男性だった僕の前でそういうひどいことを言えたものだと。よほど男性が憎たらしいのかなあ。
その女性もまた、女性全体が《 弱者 》だという誤った認識 の持ち主なのかもしれません。だから、社会として《 弱者 》を守ること が、社会として《 女性 》を守ること に置き換わってしまっているのかもしれませんね。
いずれにせよ、公共の場においては、男性恐怖症だから男性を排除するとか、女性恐怖症だから女性を排除するとかいうことは、不可能です。
これを言い出したらキリがなくなるんですよ。犬恐怖症だから街から犬を排除するとかね。無茶苦茶でしょ。
恐怖症にかかればつらいし生きづらいですが、それはしっかり向き合って治療・克服していくべきものなんだと僕は思います。
以下、 中編,後編 へ続く。
中編は、こちら
■ 男性嫌悪社会
■ 女性専用車両 と 人種隔離政策
■ サービスだから何でもやっていいという論調への批判
■ 更衣室やトイレ と 電車 は違います 〜 道路も男女別にしますか? 〜
後編は、こちら
■ 女性の中にも女性専用車両反対派がいるという事実
■ 女性専用車両が痴漢えん罪を減らすと思いこんでいる人々へ
■ 僕の理想 〜 対立・隔絶 ではなく 共存・共生 を 〜
同性愛(ノンアダルト) ブログランキングへ
この記事の中で、僕は女性専用車に《 反対 》であることを表明しました。
それは、「女性専用車」は問題だらけなうえに、痴漢対策や痴漢えん罪対策として効果があるとも考えられず、むしろ逆効果でもあり、加えて、男性に対する差別にしかなっていないと考えるからでした。
前記事でのポイントをもう一度列挙しておきます。詳しくはリンクをたどってお読み下さればと思います。
・ そもそも痴漢対策として機能していない
(むしろ痴漢や痴漢えん罪を増加させかねない要素がある。他車両の混雑率の上昇など)
・ 加害者=男性,被害者=女性 という固定観念にとらわれている
(実際には男性が被害者となるケースや、同性への痴漢もある)
・ GID や Xジェンダー などセクシャルマイノリティの存在を考慮していない
(《 女性 》の定義は? どうやって判断するのか? 明確でない)
・ 痴漢対策はタテマエであり、ホンネは男性を排除したいだけ。エゴイズム
(【 女性 = 弱者 = 守られるべき存在 】という幻想の下で公然と男性差別をしている)
この問題については、基本的に前記事で僕の考えは主張できたと思うし、それで満足していたのですが、あれから3ヶ月ほどのうちに、書き加えたい事柄もいくつか出てきたので、続編としてこの記事を書くことにしました。
僕の意見をそのまま鵜呑みにせよとは毛頭思いませんが、この記事が、《 考え直す 》きっかけになれば幸いに思います。
■ 女性 = 弱者 ではない!
この件については前記事でも触れたのですが、もっと詳しく述べさせてください。
また、フェミニズムについて思うところを記した記事も後日掲載予定で、そちらでもこの問題を論ずる予定です。
『女こども』という言い方がありますが、僕はこの言葉が嫌いなんです。なぜなら、女性は《 弱者 》じゃないからです。女性の中に《 弱者 》がいるのは事実ですが、女性全体が《 弱者 》ではありません。
子どもは《 弱者 》でしょう。それは知的にも身体的にも成長途上にあり、保護が必要であるという点から、明らかです。
老人も《 弱者 》のくくりに入れていいのかもしれません。人間は年をとれば、残念ながら様々な部分において衰えが出てきますからね。でも、《 弱者 》として扱われることを嫌うご老人もいらっしゃいますね。
障がいをお持ちの方も《 弱者 》にあたるのかもしれませんが、こちらも《 弱者 》として扱われることを快く思われない当事者の方もいらっしゃるようです。
そして、『女こども』という表現からははじき出されてしまっている、男性の中にも、当然《 弱者 》がいます。このことは忘れてはならないことです。
大切なことは、社会として《 弱者 》を守ること なんだと僕は思っているのです。ただ、《 弱者 》の定義が問題で、女性全体を《 弱者 》だと思っている人にとっては、社会として《 女性 》を守ること と同義になってしまうのですよねえ。そして、これが女性専用車両を正当化する1つの根拠になっている感じがします。
でも、僕に言わせれば、そもそも 女性全体が《 弱者 》だという認識そのものが誤っている んですよ。ここを今一度見直してみてほしいなあと思います。
たとえば、女性専用車両ではなくて、《 弱者優先車両 》とか、《 思いやり車両 》とか、そういう類のものであれば、僕は全く反対しないんですけどね。だって、それは、社会として《 弱者 》を守ること につながるから。
※ ただし、現代の社会において様々な面で女性が不利な扱いを受けているというのは厳然とした事実ですし、そこは是正・解決が必要であると僕は考えています。そのあたりは記事を改めて(フェミニズムについて論じる予定もありますし)、僕の意見を書こうと思っています。
■ 男性恐怖症の女性,女性恐怖症の男性
男性恐怖症を患っている女性はたくさんいますし、かつての僕のように女性恐怖症を患っている男性も世の中には存在します。
ある男性恐怖症の女性が、「女性専用車両があるとほんとに安心だし助かるんです」とおっしゃいました。お気持ちはよくわかるのです。僕もかつては女性恐怖症の男性でしたから。男女が逆になっていますけれど、異性に恐怖をもちつつ生きるのって大変なことです。女性恐怖症を患っていた頃は、「ああ、男性専用車両があればいいのになあ」なんて考えたこともあります。
「女性専用車両は痴漢対策だけじゃない。男性恐怖症の女性を救済する目的もあるのだ」ということをおっしゃる方もいらっしゃいます。そういう方の場合、「女性専用車両は痴漢対策になっていません」ということをお伝えしても、「でも男性恐怖症の女性のために必要でしょ」っていう話になるのです。
しかしね、本来、男性恐怖症や女性恐怖症は克服しないといけないものだと思うのです。僕が女性恐怖症だった頃、「これは絶対克服しないといけない」って思っていましたから。世の中半分は女性です。半分の人が怖いというのでは、円滑に社会生活を営めません。その不自由さも痛いほど味わいました。だから精一杯努力して、治療・克服しました。そして、今、女性の友達もいっぱいいて、楽しく生きています。
そういう道をたどってきた人間として、男性恐怖症の女性のみなさんにも、ぜひとも同じ道を歩んでほしいのです。
とある、男性恐怖症だという女性との会話を僕はずっと忘れないでしょう。
女性「私のような人にとって女性専用車は本当に助かる。無くされたら困る。救済してもらわないと」
僕「お気持ちはよくわかるんですが、公共の場である以上、男性恐怖症の人がいるからといって男性を排除することはできませんよ。やっぱり男性恐怖症は克服しないといけませんし、どうしても耐えられないのならばマイカーなりタクシーなりを使うしかないと思いますよ」
女性「そんな無茶苦茶な。マイカーとかタクシーとか使えない人だっているじゃないですか」
僕「無茶苦茶じゃないですよ。かつての僕のように、女性恐怖症の男性だっているんです。でも、かつての僕がいくら女性が怖いからといって、公共の場から女性を排除することなんかできませんよ。僕はそれが当たり前だと思ったから、精一杯努力して治療・克服しました。そういうものなのです。それに、だいたい不均衡ですよ。男性恐怖症の女性のためには、社会として女性専用車みたいのを作って保護する。けど、女性恐怖症の男性のためには何もしない。あなたは、女性恐怖症の男性はどうしろとおっしゃるのです?」
女性「それは、自分で何とかしてください」
僕「うん。だったら男性恐怖症の女性も自分で何とかしなければいけませんね」
男性恐怖症の女性である自分たちには社会からの救済があるのが当然であり、女性恐怖症の男性は自分で何とかすればいいという無茶苦茶な論理。僕は泣きたくなりましたねえ。よくもまあ、かつて女性恐怖症の男性だった僕の前でそういうひどいことを言えたものだと。よほど男性が憎たらしいのかなあ。
その女性もまた、女性全体が《 弱者 》だという誤った認識 の持ち主なのかもしれません。だから、社会として《 弱者 》を守ること が、社会として《 女性 》を守ること に置き換わってしまっているのかもしれませんね。
いずれにせよ、公共の場においては、男性恐怖症だから男性を排除するとか、女性恐怖症だから女性を排除するとかいうことは、不可能です。
これを言い出したらキリがなくなるんですよ。犬恐怖症だから街から犬を排除するとかね。無茶苦茶でしょ。
恐怖症にかかればつらいし生きづらいですが、それはしっかり向き合って治療・克服していくべきものなんだと僕は思います。
以下、 中編,後編 へ続く。
中編は、こちら
■ 男性嫌悪社会
■ 女性専用車両 と 人種隔離政策
■ サービスだから何でもやっていいという論調への批判
■ 更衣室やトイレ と 電車 は違います 〜 道路も男女別にしますか? 〜
後編は、こちら
■ 女性の中にも女性専用車両反対派がいるという事実
■ 女性専用車両が痴漢えん罪を減らすと思いこんでいる人々へ
■ 僕の理想 〜 対立・隔絶 ではなく 共存・共生 を 〜