しかし、現実はそう甘くはない。1つは、農村の教育レベルは低く、農村周辺の公立学校からの大都市の大学へ進学は至難の業だ。そして、厳しい競争を勝ち抜いてなんとか北京や上海の有名大学に進学したとしても、農村戸籍者はやはり差別されている。先日、河北省濮陽県出身の北京大学医学部三年生の女子大生と食事をして世間話をしたが、彼女はこんなことを言っていた。
「県で北京大学に進学したのは2003年以来、私ひとりよ。村では奇跡だ、天才だと持てはやされた。県の書記がわざわざ会いにきた。でも、そんなこと大学では何の自慢にもならない。1カ月の生活費は300元。学費を納めるために必死でバイトして、勉強についていくだけで精いっぱい。北京市戸籍の学生たちが、楽しそうにカフェでお茶しているのを見ると、同じ北京大学生だけど、実はまったく違う世界の人間だなあ、と思う。この壁はどんなことをしても乗り越えられないのよ」
北京大学医学部という教育レベルを獲得しても、農村戸籍者にはこうした深い絶望が付きまとうのかと、驚いた。いわんや、親の期待を受けて勉強三昧の生活をしてきたのに結局、大学に進学できずに、親と同じ農民工として出稼ぎ仕事をしている若者たちの、コンプレックスや挫折感はどれほどのものだろう。
昨年秋に、日本人を震撼させた反日デモ暴動の参加者には、都市に出稼ぎにきていた若者も多かった。彼らが日本に個人的に強い恨みや反感を持っていたというよりは、出稼ぎの若者の内なる不満、鬱屈、いらだちが政治的空気に刺激されて暴力衝動となってはじけたという見た方が、私としては納得がいく。江田島の事件は情報が少ないので、何事も断定はできない。だが、きっかけは社長の厳しい叱責の言葉にあったのかもしれないけれど、そこには反日暴動に見られたような、あるいは都市部で犯罪に走る80后、90后の出稼ぎ者に共通して見られるような、暴力・破壊衝動があるのではないだろうか。
技能実習制度が突出して厳しいわけではない
日本の技能実習制度については、日本国内で批判が多い。日本の若者が嫌がる重労働を低賃金で途上国の若者に課す奴隷制度だという指摘がある。実際、技能実習生の過労死問題、賃金のピンハネ問題、逃亡防止のための多額の保証金制度や外出制限などの厳しい労務管理については、日本でも多く報道されている通りであり、問題がないとは思わない。途上国の人たちに技能を習得してもらい祖国の発展に役立ててもらうという技能実習制度の目的はあくまで建前で、実際は実習生にとっては「出稼ぎ」であり、受け入れ企業にとっては途上国から来た低賃金労働者だ。
ではこの制度はけしからんのかというと、やはりそれによってまとまった金を得て故郷に家を建て、起業の資金を得て、満足している中国の若者も非常に多い。山東省泗水県は対外労務派遣による収入が県民収入の4割を支える海外出稼ぎ村が集中する地域だが、私が現地を訪れて聞き込みをしたところ、日本への出稼ぎが一番人気であることは間違いないようだ。その村の様子は拙著『中国絶望工場の若者たち』に詳述しているが、ある若者はこう言っていた。「日本に出稼ぎに行って一番驚いたのは、社長が工場の現場に出て僕らと同じ仕事をしていること。同じように残業をして、残業後、居酒屋に食事に連れて行ってくれることがあった」。それは彼にとって感動的な思い出だった。