NHKがラジオ放送を始めたのは、1925(大正14)年のきょうだった。聴取者は日中戦争前に大新聞の読者数を超え、この新メディアは国策の宣伝を担うことになる。破局に至る熱狂は、朝日などの大手紙とラジオの共作といえる▼マスコミの戦争責任を自問する「NHKスペシャル」によると、放送の活用は、演説を拍手や歓声と共に伝えるヒトラーに倣ったそうだ。「耳から心に響き、戦意高揚につながった」との解説に、苦い思いで頷(うなず)いた▼対象は大人に限らない。昭和初めから戦中、「子供の時間」という番組が毎夕流された。内容を知らせる月刊誌「ラヂオ子供のテキスト」を、東京の収集家三澤洸(ひかる)さん(78)が見せてくれた▼たとえば昭和13年11月の「支那(しな)の軍隊」。〈抗日排日の支那人には一歩もひけを取らず、ぴしぴし懲らしめて正しい道に立ち帰るよう……〉と高圧的だ。「銃後の少国民」なる言葉もよく出てくる。少年少女は、立派な臣民になろうと思ったに違いない▼盛衰を経たラジオの実力が、震災で見直された。手軽に送受信でき、非常時には情報の交差点にと期待される。在京大手は、都会では聞きづらいAMからFMへの転換を思案中という。いざという時の役割を心得ての策だろう▼ネットを含め、メディアの真価は「社会の逆境」で試される。扇動の洪水は国を過つが、一片のお知らせが多くを救いもする。世が一色に染まらぬよう、確かな情報を選び取る力を養いたい。そんな放送記念日もいい。