記念のベルトを林JBCコミッショナーに贈呈するIBFピープルズ会長(右)=東京都文京区の後楽園飯店で(竹下陽二撮影)
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JBC(日本ボクシングコミッション)と世界4大団体の一つであるIBF(国際ボクシング連盟)は21日、東京都内で記者会見し、4月1日付でJBCがIBFを承認・加盟することを発表した。これに伴いJBCは、1984年に当時JBC未公認ながら日本人として初のIBFバンタム級王者になった新垣諭(しんがき・さとし、49)を歴代世界王者として公認する方針も明かした。JBCは先にWBOの加盟を発表しており、老舗のWBA、WBCと合わせた4団体すべてを公認することになる。
歴史に抹殺された悲運の世界王者が“復拳”する。JBCがIBFに加盟し、過去にさかのぼって世界王者を公認する方針を固めたことで、唯一の歴代IBF世界王者である新垣にスポットライトが当たろうとしている。
新垣は1981年、沖縄水産高時代にインターハイでライトフライ級優勝。卒業後、当時史上最高額タイの契約金1000万円で奈良池田ジムからプロ転向。83年12月、IBFライトフライ級王座決定戦ではドディボーイ・ペニャロサ(フィリピン)に12回TKO負けし、試合後に意識を失って病院送りとなった。だが、翌年4月、同バンタム級王者決定戦でエルマー・マガラーノ(同)に8回TKO勝ちし、日本人として初のIBF王者になった。
しかし、JBC未公認ということでこの偉業は国内で評価されなかった。85年4月の2度目の防衛戦でジェフ・フェネック(オーストラリア)にKO負けし、さらに大腿(だいたい)骨が壊死(えし)する難病も発症。90年に波瀾(はらん)万丈のボクシング人生の幕を下ろした。
「新垣は時代に翻弄(ほんろう)された悲運のボクサーかもしれない。JBC未公認とはいえ、彼が戦ったペニャロサは後の2階級世界王者だし、フェネックも3階級制覇の名王者。新垣の実績も正当に評価されるべきだ」と大橋秀行日本ボクシング協会会長。近く、JBC内に発足する資格審査委員会で、新垣が正式に歴代世界王者として公認される。 (竹下陽二)
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