2013/03/18(Mon)
あほらしいWBT、醜悪な日米地位協定、成果主義や規制緩和が日本にもたらした息苦しさ。すでにTPPの行く末は見えているような気がする。
むかし羽振りの良かったころのオヤジは「青龍倶楽部」という野球チームを持っていて、当時の南海ホークスの鶴岡監督とも親しかった。
その影響を受けて小学校のころにはわけもなくプロ野球放送に夢中になったものだ。
だが大人になってから野球にはまったく興味がないのだが、今日の新聞で敗戦の報がデカデカと載っているWBCは異なった意味で興味がなくはない。
このWBCというのは沖縄の地位協定同様、アメリカと準植民地国家日本との不平等な力関係が象徴的に現れている、ある意味で醜悪な催しものだからだ。
消費税金やゴルフ場利用税など数々の税金の免除。
パスポートやビザが必要なく日本を自由に出入り可能。
軍人として働いている最中の犯罪・事件はアメリカに裁判権がある。
アメリカの運転免許証で国内を走行可能。
日本の警察が身柄の確保をしなければ捜査が出来ない。
日本への身柄の引き渡しは検察による起訴が行われた後のみ。
外国人登録の義務が無く、誰がどこに住んでいるのか把握出来ない。
有料道路料金は任務以外のレジャー等で使ったとしても日本負担。
刑務所の中でも日本人より優遇。
というのが日本とアメリカの間に交わされた地位協定らしいが、このWBCにもそのわけのわからぬ地位協定が履行される。
大会スポンサー収入の約半分以上は日本企業が占めているにも関わらず日本への分配金は総収益の13%。これに対し、メジャーリーグ機構と選手会の分配金は66%。しかも日本チームと異なり、アメリカチームにはメジャーリーグの主立った選手は参加せず、くだらない二流選手ばかり。
日本では毎年優勝して鬼のクビを取ったような騒ぎになるが、こういった搾取の権化のようなWBCに一喜一憂する日本人とマスコミには吐き気すら覚える。
つまりこの催しはWBCならぬWBTなのである。
いわゆるそのTとはTPPのTのことだ。
◉
とうとう追い込まれて安倍首相はTPPへの参加を表明したが、日米地位協定、WBCと政治から娯楽まで日米不平等に甘んじている日本人がTPPに限ってだけは対等の渡り合いをするとは考えずらい。
というより昔から異民族のぶつかり合いや、植民地抗争など血で血を洗うような百戦錬磨の交渉術を労して来た”歴史ある”西欧の詐術に、難局を鎖国政策という内向きな政策で凌いで来たような民族とは”仕込み”が違う。
例えば旅は毎日がその異民族との交渉なわけだが、私の経験値によるとその交渉術には3つの様式がある。
和をもって尊しとする農耕系の交渉術は温かく柔(やわ)である。
かりにひとつの商品を挟んで値段交渉が行われる場合、その”和”というコンセンサスに向って互いが譲歩するというメンタルが重んじられるわけだ。
これがイスラムやアラブの遊牧系になると、確かに値段交渉によって譲歩を引き出すことは出来るが、そもそも最初に設定した価格帯に農耕系にはある”基準”というものがない。
彼らはたとえば一粒の麦に1万ドルもの値をつけるということを平気でやるのだ。
西洋人とはこれとは異なって、確かに価格に彼らなりの基準というものは存在するが、そこには”譲歩”というものが存在しない。
彼らにとって譲歩とは”和”に近づくことではなく”負け”であり”プライドの放棄”なのである。
このことは一時期プロ野球の選手会が誰が見てもおかしいWBCの不平等を訴え、WBCボイコットも辞さぬという騒動を起こしたが、メジャーリーグ機構は半歩たりとも譲歩の姿勢を示さなかったことによく現れている。
そして一切の譲歩を示さず、WBCをつつがなく運営することに成功した。
黒船に乗ってやってきたペリーが大砲で脅かしながら開国を迫ったように、おそらくその水面下では相当の詐術や脅しが労されたであろうが、残念ながらそれは表に出ていない。
私がアメリカ側のコミッショナーだったら野茂以降日本人選手がメジャーリーグでいくら稼いだか、そのアマウントを提示し、WBCをボイコットするなら今後日本人選手のメジャーリーグ移籍の受け入れを行わないという爆弾を選手会にぶつけるだろう。選手会としてはグーの音もでないだろう。
いや選手会の覇気が急にトーンダウンしているところを見ると実際にその程度のことはやっているかも知れない。
ウン、さすがにWBTだ。
仕込みが違う。
そういう意味ではTPP交渉というのは和の国日本が非譲歩の国アメリカと戦う経済の太平洋戦争のようなものであり、他人事であればまことに興味深い”見もの”でもあるわけだ。
件の”単純な軍人”であるペリーの砲艦外交の交渉の席に座ったもの静かな儒学者の林復斎は、開港というカードでペリーにいい気にさせ、開国というカードは切らなかったわけだが、この平成の軟弱な政治屋に復斎のような人相がすこぶる良さそうに見えながら手練手管に長けた剛者がいるのかどうか、そのあたりはどうも疑わしいと言わざるをえない。
2013/03/01(Fri)
誤認目の誤認逮捕はシャレにもならぬ。
確実な証拠もなしに普通の人間を逮捕する。
恐ろしい時代になったものだ。
パソコン遠隔操作事件で5人目の容疑者として逮捕された片山祐輔の件である。
この逮捕はどうやらまたもやきな臭い。
2月12日のトークで彼のことに触れたおり、私は逮捕時にマスコミに彼の素顔を写させるような大々的な捕り物劇を公開した神奈川県警は、確実な証拠を握っているものとばかり思っていた。
そういう憶測をもとに”容疑者”と書いたマスコミも、そして私自身も襟を正さなければならない。
「やっぱり猫男」
あるマスコミにはこんな見出しが踊っているという。
だが片山の逮捕は確実な”証拠”に基づいたものではなく、どうやら”脆弱”な状況証拠をもとにした逮捕ではないのかということが見え隠れしはじめている。
その状況証拠とは@問題の猫にチップ装着の首輪が着いたと”推測される”1月3日に片山がその江ノ島の現場に居たこと(私はてっきり防犯カメラの映像に彼が猫に首輪を装着する場面が写っており、それを証拠としたのかと思っていたが、今のところ、そういった決定的な映像はないようだ)。
Aそして別のチップが埋めたとされる雲取山方面に彼が車で向ったこと。
そしてこれは今回の事件に直接関わる状況証拠ではないが、彼が23歳のときネットでアイドルだった「のまネコ」に酷似したキャラクターをエイベックスが無断で使い「社長を殺す」と彼が脅迫し(たとされ)逮捕された事件の前歴のゆえに、おそらく今回のB状況証拠の補強となった(彼自身はその逮捕も誤認逮捕であり、それによって自分の人生の修正を余儀なくされたと言っている)。
どうもこれまでの情報を拾い集めてもその三点以外の状況証拠は見当たらない。
押収された3台のパソコンからも証拠にあたるようなデータは出ていないようだ(小沢がらみの検察のようにそのパソコンを操作して証拠を創作することは可能なのだろうか。私はパソコンに詳しくないのでその点はわからない)。
片山祐輔はたったそれだけの、ネコが聞いてもアクビをするような状況証拠で大々的に逮捕されたのである。
1月3日の午後2時半から3時半まで片山は江ノ島の猫のいる広場におり(片山の言)、猫好きの彼は猫を触り、猫の写真も撮ったという。
その中に問題の猫も居たかもしれない、と問題の猫人に関する記憶は曖昧だ。
のちにその問題の猫を2時50分ごろ写真に撮った人がいてネットで公開しているが、その時点ではその猫には首輪はついていない。
片山の記憶の中の時間が正しければ、片山がその場を立ち去ったときには猫には首輪がついていないということになる。
ということで担当弁護士はその後にその問題のネコが写った写真を撮った人を探しているとのこと。
それ以上におかしなことは片山が取り調べの可視化を要求し、白日のもと堂々と取り調べを受けたいと言っているにも関わらず、県警がそれを拒んでいることだ。
もし県警に確実な証拠があればその可視化された画面で証拠を突きつければ一件落着ではないか。
にも関わらずそれを拒み、いまだに取り調べが行われておらず、片山はおそろしく退屈な日々を送っているらしい。
可視化を拒んでいるのは”誤認目”の誤認逮捕というシャレにもならない、そして目も当てられない失態を国民の前に曝したくないということであろうか。
そればかりか神奈川県警は容疑者を”落とす”ために異常行動に出ている。
片山の母親の家に連日マスコミが押しかけ、家の外に出られなくなった母親のもとに県警の人間が取り入り、郵便物の回収、そして買い物まで引き受け、家の鍵まで預かり、母親の心証を良くした上で、ある書類のサインを求めた。
そこには今回の事件に関与していれば親子の縁を切ると書かれていたらしい。
この書類を県警が被疑者を”落とす”材料に使おうとしたことは明白である。
聞くところによると何人目かの誤認逮捕の青年の父親に県警は「自分の子供が今回の事件を起した」という何らかの言質を取り、青年に自白を強要したという。
その後この親子の間には取り返しのつかない亀裂が生じたらしい。
◉
以下、誤認逮捕され、家裁が保護観察処分を取り消した男子大学生(19)少年の父親の声明。
マスコミの皆様へ
今回の誤認逮捕の件につきまして、一言述べさせていただきます。
大学生の息子は、学業半ばにして深夜突然、連行・逮捕されました。
当人の強い否認にもかかわらず、十分なパソコンデータの解析も行われないまま取り調べが続きました。
警察・検察双方からの不当な圧力を受け、理不尽な質問で繰り返し問い詰められ続けました。
勾留期限が迫り、また家族への配慮と自分の将来を考え、絶望の中で事実を曲げ「自分がやった」という自供をし、保護観察処分となりました。
無実である証拠が出てくることを切望し待ち続けながらも、諦めざるを得なかった息子の心情を思うと、やりきれないものがあります。
そして、真実を封印しながら生きていくことを選んだ息子の胸中を察すると、親としては、断腸の思いです。
こうして警察・検察が誤認逮捕を認め、家庭裁判所が保護処分取り消しを行うという結果にはなりましたが、逮捕されてからの息子本人と家族の苦悩と心の痛みは決して癒えることはありません。
最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです。
この件は、警察の構造的な問題、体質的な問題であり、本来国民を守るべき警察が、捜査の怠慢によって無実の国民、しかも少年を誤認逮捕し、冤罪に至らしめるという最もあってはならない事態です。
真犯人の方が遙かに警察当局よりも優れたコンピュータの技量をもっているのを指をくわえて見ている情けない状況です。
このようなことが二度と起きないように徹底的な検証と意識改革をするべきだと思います。
保護観察処分取り消しとなった息子には、心と体をゆっくりと休め、落ち着いた生活をさせたいと思います。
マスコミの皆さんには、過日のような加熱した取材を厳に謹んでいただきたいと思います。
この書面が私と息子、および家族の今回の件に関するすべての意見です。
今後の取材にはいかなる形でも一切応じませんので悪しからずお願いいたします。」
◉
家族から外堀を埋める。
またぞろ県警は同じ手口を使っているわけだ。
片山祐輔が100パーセント”犯人ではない”という確実な証拠があるわけではないが、それ以上に神奈川県警の大失態の焦りから生じたかのようななりふり構わない逮捕劇と、それに関連する”異常行動”は異様としか言いようがない。
それにしても猫に関連したこの事件、気候も良くなったことだし、一度件の猫に会いに江ノ島に行って来ようと思う。
2013/02/27(Wed)
酒と薔薇の日々
今日の夕方見知らぬ人から電話があった。
というより私の門司港の友人Kの友人ということらしい。
「とつぜんこんな不躾な電話を差し上げもうしわけありません」
という言葉からはじまった、電話の内容は「アル中をなんとか治したい」ということだった。
「それでなぜ私に電話をして来たのですか?」
「K君が藤原さんは酒を止めるといったらピタっと止め、タバコを止めると言ったらピタっと止めることのできる人だから、一度話を聞いたらいいかも知れないと言っていたものですから」
私は酒をピタっと止めたことはない。
というより、30代のころ大酒を飲んで肝臓を壊したから止めただけの話だ。
以降、飲まないので酒好きの瀬戸内寂聴さんなどから「藤原さんは酒を飲まないのが玉に瑕」と口癖のように言われる。
確かに肝臓を壊しても、酒への未練が断てず、盗むようにチビチビ飲みつづけ、臓器というものは連動しているから他の臓器まで壊し、廃人のようになる人もいる。
「肝臓を壊しても飲み続けるとどのようになるのですか?」
私は医者に問うた。
「一度拝顔しますか」
医者は重篤な肝硬変を患って寝たきりになっている患者のところに往診に行く際に私を連れて行った。
ベッドに臥せった50代とおぼしき男の顔は死んだような目の周りに白い粉が吹いており、痩せこけ、肌はくすんだ土色をしていた。
私はアウシュビッツを思い出した。
ゾクっとした。
そのゾクっとしたリアルな感情は彼と私の身体がどこかで繋がっているというところから来ているのかも知れない。
ぞのゾクっと背筋が凍るような感情はずっと私の中に居残っていた。
私が酒を断つことが出来たのは、その言葉に出来ない感情があったからだと思う。
「ちょっと仕事に行き詰まったり、難しいことがあると酒に浸ってしまうんです。お会いしてお話が出来ればいいのですが、お忙しいと思いますので電話ででも話をおうかがいさせていただけないでしょうか。10分1万円お支払いするということで」
私はほどほどにあしらうつもりでいたが、金の話が出たことで気分が変わった。
10分1万円というような金の勘定までするということは、単なる甘えじゃなく、この人かなり追いつめられ切羽詰まっているのだな、と思ったのである。
聞くと栃木の高校で美術の教師をしているという。
性格は実に良さそうだ。
「いやお金がどうのこうのじゃなく、私はただの写真家のようなものでカウンセラーでも何でもありません。そんな人間が他人様と電話口のやりとり程度のことをしてあなたの症状が改善するとは思えないのです」
正直困った。
ひとりの人間が崖っぷちに立っている。
それは私とは関係のない赤の他人だ。
そのまま電話を切ろうと思えば切ることは簡単だ。
そして私に彼のアル中を治す能力があるとも思えない。
仮に私があの廃人であったら「私を見ろ」と体に穴が空くほど私自身の無様な姿を見せるだろう。
だが私は健康でぴんぴんしている。
だが彼は私にSOSを出している。
荒れる海にあって、どこかの船がSOSを出している場合、どんなリスクを侵しても私は自分の船の舳先をそちらに向けるだろう。
陸地だと違うのか。
……同じことじゃないのか。
「3月に入ってもう一度電話いただけますか。そのときまで、私のあなたに対する態度を決めておきます」
そう言ってその場をお開きにした。
一度会ってみようかとも思う。
そこで自分の無脳と能力のなさを思い知らされるのか、そうでない何かが生まれるのか。
それはさっぱりわからないことではあるが。
◉
ヘンリー・マンシーニ作曲の「酒と薔薇の日々」という歌をご存知の方もおられると思う。
20代のころ見た同名の映画で私はこの歌のおよそのメロディは覚えていた。
その歌がそらで唄えるようになったのは歌の好きだった兄が喉頭癌を患い、手術にかかる前に、もう声が出なくなるだろうとの思いで自分が好きだった歌10数曲をCDに吹き込んだ、その中の一曲だったからだ。
兄は酒が好きだった。
酒気を帯びて唄うその兄の唄う「酒と薔薇の日々」が妙に心に染み、自分も唄えるようになりたいと機会あるごとに歌い、覚えた。
下手の横好きで自分が覚えた歌の中でもっとも好きな歌かも知れない。
この「酒と薔薇の日々」という映画はアル中の映画である。
ジャックレモン扮するアル中のセールスマンと結婚した酒を飲んだこともない育ちのよい女性が、結婚生活を営むうちに酒を飲むようになり、二人してアル中にかかり人生を転落していくという筋立てだった。
転落しながら薔薇園を彷徨うふたりの姿が妙に美しい。
◉
昨日したためたトークには少なからぬ投稿をいただき、全部じっくりと読まさせてもらったが、酒にはひとそれぞれの思いがあるようだ。
そんな中、会員の中に長年アルコール依存症の治療に携わった方がおられ、内容を読むとその世界の深淵を覗き込んだかの印象が深い。
投稿の中にもあるアルコール依存症自助サークルというのは「酒と薔薇の日々」にも出て来るから依存症というものの歴史は長いのだろう。
会員の中にも依存症の方がおられるなら(半分冗談だが)読まれるといい。
どうやら映画のようには味わい深いものではないようだ。
◉
差出人 T.K.さん
題名 Kさんのこと アルコール依存症
藤原さま
昨日のトークの件でメールをしました。
私は精神保健福祉士という資格で、精神科病院に勤めています。
10年ほどアルコール依存症の専門病棟に勤務をしていました。
今は同じ医療法人のシステム部門に移り、電子カルテシステムの開発という全く臨床と離れた場におります。
アルコール依存症という病は不治の病です。
不治の病という意味は、酒を自らの意思でコントロールしながら適度な飲酒を続けられるような体には、一生戻らないと言うことです。
もし「自分はアル中だったが、今では上手くコントロールできる」という方がいらしたら、「その方はもともとアルコール依存症ではなかった」と、現代の医学界は回答するでしょう。
アルコール依存症からの回復とは、酒を上手に飲めるようになることではなく、酒を飲まない生活を死ぬまで続け、かつその人生を受け入れ楽しむことに他なりません。一生付き合わなくてならない、不治の病であることが大きなポイントです。
私の病院には、30年酒をやめ続けて「回復者」として人生を送ってきたにもかかわらず、何かのきっかけでいっぱいの酒に口をつけ、あっという間にぼろぼろになって再入院をしてきた方が何人もいました。
特別なことではないです。
アルコール依存症は酒に依存をしますが、本質は、「人間」や「関係」への依存です。
「関係」への依存は当然行き詰まります。
行き詰まった時の解決策として酒が使われているだけです。
誤った解決策なので繰り返します。
酒をやめても「関係」への依存から回復しない限り、他の何かに依存するか、また酒に戻るということになります。
回復の最初のステップはもちろん酒を断つことですが、依存の対象を安全で正しいものに変えていくことが次のステップです。
それが断酒会やAAと呼ばれる自助グループ(アルコール依存症からの回復者のグループ)です。
自助グループに依存することが、酒からの依存の第一歩です。
アルコール依存症者の「関係」へ依存するエネルギーは強大で、家族や会社は等に巻き込まれ、疲弊しています。
治療者も巻き込まれ、役には立ちません。
同じ病から立ち直っている回復者だけが彼らを回復の道に導けるというのが、現代のアルコール依存症治療の考え方です。
エリッククラプトンも重度のアルコール依存症者です。
彼も自助グループに通い続けて回復の道を長年歩いています。
日本にコンサートにやってきても、その夜は自助グループに参加しているそうです。
アルコール依存症にかかった人の平均死亡年齢は52歳と言われています。
10代後半から大量の酒を飲み始め、肝臓が耐えられなくなるのがそのくらいの年齢なのでしょう。
お酒に問題があったと言われる大物芸能人の死亡年齢もこの年齢の当たりに集中しています。
YやHなどはこの世界では有名な話しです。
Kさんはとてもまじめに、本当に酒をやめたいと思っているのでしょう。
今、一生懸命他に依存する何かを探しているのだと思います。
しかし、自助グループには依存したくないと思っているかもしれません。
なぜか?それは、「他の方法でやめられるのではないか?」つまり、「自分はまだアルコール依存症ではないのではないか?」という段階だからです。
アルコール依存症ではないと思っていると言うことは、「自分はお酒をコントロールできるはず」と思っていることに他なりません。
これを専門家は「否認」と言います。少しの間酒をやめても、また戻ってしまうのは、ここに落とし穴があるからです。
不治の病ですから、飲めるようにはなりません。
回復のための本当の最初のステップは「自分はアルコール依存症であり、アルコールに対しては無力である」ことを認めることです。
ここに落ちてくるまで(否認から抜け出すまで)、飲み続けるのです。
落ちる前に体が耐えきれなくなり、死んでしまうことも多いです。
アルコール依存症の回復率は、治療を始めた方の中で20%といわれています。
Kさんはいま、酒の代わりになるもの=他に依存するものを(無自覚に)必死に探しているのだと思います。
しかし、それは「また飲めるようになるために、今酒を止められる手立てを探している」ことに他ならないので、おそらく失敗してしまうでしょう。
藤原さんには釈迦に説法だとは思いますが、つい書いてしまいました。
◉
「酒と薔薇の日々」においても女房は旦那の依存症を治そうとし、その強大なエネルギーに巻き込まれ、いわゆるミーラ獲りがミーラになる。
T.K.さんの言によるとKさんは私に依存してきたということになる。
この底知れぬ奈落。
きりもみ状態で共に深みに落ち込むのか、あるいはその淵でとどまるのか、これが映画であればなかなかスリルに富んだシナリオあるわけだが、現実というものはそんなに甘くはないようである。
2013/02/12(Tue)
猫だけにしか心を通わすことができないという人生に追い込んだものは何か。
遠隔操作ウイルス事件。
片山祐輔容疑者(30)は無類の猫好きだったらしい。
この案件、Cat Walkと関係あるようなないような。
メンバーの皆さんの中には鼻をつまれる人も居るかもしれないが、私は彼をCat Walkのメンバーに入れてもよい、と思った。
いくつかの情報を繋ぎ合わせるに、小学時代から今まで彼は世間から疎外された人生を送って来たようだ。
そういった人間が何らかの事件を起す。
昔からよくあるパターンである。
江ノ島の猫につけた首輪に仕込んだそのチップの中にも自分の人生があることで大きく軌道修正されたという恨みのようなものが書かれているらしい。
そんな彼の人生とその風貌を窺いながら13年前のある日の夕刻、渋谷ハチ公前広場での胸の悪くなるような小さな出来事を思い出す。
私のそばにいる4人の女子高生が雑踏の向こうを指をさしながら笑いころげていた。
何事かと、その指さす方を見ると5、6メートル離れた雑踏の向こうに同じ年代と思える一人の私服の少年がいた。
私はてっきり、女子高生とその少年は知り合いだと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
指さされた少年は女子から干渉されたことに一旦ははにかんだ表情を見せるのだが、それはやがて青ざめた真顔へと変わる。
女子高生が口々に大きな声で仲間と顔を見合わせながら「キモーい!」と言ったのだ。
どうやら少年と女子高生は赤の他人のようだ。
少年は小太りでちょっとオタクっぽかったが、私には別段指をさされるほと変わった人間には見えなかった。
だがこういった年代には独特の嗅覚というものがあり、その嗅覚の投網に引っかかったということかも知れない。
少年は青ざめた表情で身を隠すように雑踏の向こうに消えた。
残酷な情景だった。
私は「てめえの方がキモいだろう、帰ってちゃんと鏡を見ろ!」と毒づいた。
女子高生は私に何かされると思ったのか、口々に奇声を上げながら交差点の向こうに走って行った。
◉
思うに逆算すると片山容疑者はあの八公前の少年とほぼ同じ年齢である。
30歳にしてすでに頭は薄く、その面がまえも中年のように見受けられる彼が、その30年の年月の中で(あの女子高生が見せたような)数々の残酷な排除の仕打ちを経験したであろうことは想像に難くない。
だから他人のパソコンから逮捕に至るような危険な暴言を世間に撒き散らしてもよいということにはならないのは自明だが、世間から排除されてきた彼には、その痛みをすくいとる何らかの装置があったなら少しは健全な精神を回復できたのではないかと思ったのだ。
彼がCat Walkのメンバーであったなら、と思った所以である。
野良猫に餌をやったりする行動、そして猫カフェで猫を抱く彼の表情を見るに、彼は基本的には優しい男なのだろうと思う。
話は飛ぶが、それにしても、ネットで人を殺せ、殺す、と書き込むと逮捕に至るわけだが、街頭でそのようなプラカードを持って練り歩くぶんには逮捕されないというこの差異は何か。
昨今多国籍化している新大久保で「在特会」なる集団が頻繁にデモを行い、「善い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」「朝鮮人 首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書いたプラカードを掲げてねり歩いている。
こういった基本的人権を抹殺するような言葉の暴走を見逃す公安とは何か。
普通ネットでの言葉より、現実空間における言葉の方がダイレクトに人を傷つけると思うのだが。
そして遠隔操作ウイルス事件とこの案件はまったく無縁とも言えない。
これほど毒のある言葉を編み出すということは「在特会」なる面々もまた、その過去の生活の中で”排除”された経験があるということは考えられることである。
人はされたことを仕返すものである。
2013/01/29(Tue)
騒動の影でなにか物騒なものを鼠が運んでいる。
嵐のごとくやって来て過ぎ去ったアルジェリア。
原発と同じようにのど元過ぎれば熱さ忘れる日本人の熱の急降下。
少しはおさらいくらいやったらどうかと思う。
私個人は国葬とまでは行かないが、遺体を空港で出迎える大臣ら一行の献花、そして総理以下閣僚の黙祷が大変気色が悪かった。
確かに日本人が10人死んだ事実は重い。
だがこの準国葬並みの”おもてなし”にはほとんど違和感がある。
そこには海外における資源調達の企業戦士は日本のために闘っており、その恩恵を私たちは受け……、つまりそこには殺害された人々は”国民生活の犠牲者”という暗黙の合意が見え隠れするからである。
だが日揮はあの彼らが関わったフィリピンの悪名高いエタノールプラント事業やわずか数千万円のプレハブを数億円もの血税をくすねて作った”お笑い”ムネオハウスと同じように企業として利潤を上げるために砂漠に行ったに過ぎない。
日本人の生活を支える役目を担っているということなら何もエネルギー資源を調達している企業に限った話しではなく、働く者すべてが日本と日本人を支えているのである。
日揮の顛末は自己責任に負うべきことであり、ことさら特化すべき事案ではないのだ。
かりにフリーの取材者がイラクで拘束され、殺された、あるいは拘束され開放された事件があった。
このCat Walkでインタビューした安田純平さんもその一人だ。
あの折の”自己責任”の大バッシングと今回の準国葬並みの日揮の扱いの異相も気色が悪い。
単身の取材者であれ、それは現地の貴重な情報を命がけで収集している、日本のみならず世界シーンで役立っている”労働者”なのだ。
起きたことの劇的な展開、あるいは人間の死にかまけて本質を置き忘れがちな昨今のマスコミは以上のことを銘記すべきだろう。
またそれ以上にこの劇的な展開の騒動のさなか、その騒動の陰に隠れるようにして日本人の今後の生活に大きく関わる問題が密かにねじ曲げられようとしていることに私たちは注視しなければならない。
例の「発送電分離」である。
電力会社は新政権に日参し、これを受け、アルジェリア騒動を利用して政府はいま「発送電分離」うやむやにしょうとしている。
私は最近新聞を読んでいないが、この件はきちんと報道されたのだろうか。
報道されていないとすれば、マスコミも無意識国民並みの熱に浮かされた無意識集団ということになる。
何か大きな事件で世間が沸き立てば、その騒動の陰で秘密裏に鼠が動き回るのは毎度のことなのだ。
今からでも遅くない。
ちゃんと報道しろ。
2013/01/21(Mon)
美しい国ニッポンの危機管理。
30代のころ長い外国生活で日本に帰って来て思うことは日本という国は内向きということだった。
島国で生の情報が直接飛び込んでこないということもあるだろうが、それが脆弱なものであろうと、自分の持っている基準というものが諸外国でも通用する普遍的なものだと思い込んでいるふしがある。
そのことが示すように私が常々思っていることは日本および日本人は自分を外側からの視点で眺めることが苦手だということだ。
たとえば今回のアルジェリアの人質事件関して、世間では人質が何人死んだ、武装グループが何人死んだ、というようなことばかりが報道されているが、それとは少し異なった視点から今回の事件を眺めてみる必要がある。
それは人質事件に際し、各国の首脳が出したコメントについてだ。
今回の事件に関してはフランス以外のさまざまな国の首相のコメントが紹介されているが、特にイギリスのキャメロン首相と日本の安部首相のコメントが繰り返し流され、目だった。
ご承知のように阿部首相は”絵に描いたように”終始「人命尊重」の一点張り。
しかし私は彼が繰り返す言葉になぜかリアリティを感じない。
人命尊重、そして人質が助かってほしいことは言わずもがな。
国民の誰もが願っていることである。
彼の言葉はその国民の総意を代弁し、大原則を繰り返しアナウンスしているに過ぎない。
それは彼の淡々とした表情とも相まってなぜか聞くごとに虚しい。
一国をあずかる首相であるからには、国民の総意や大原則をトレスするのではなく、もたらされた情報を駆使し、つまり現場の空気を察知し、一歩も二歩も踏み込んだもう少しリアリティのある、”発言”をすべきなのである。
その点においてイギリスのキャメロン首相のコメントは安部コメントとは対照的だった。
「我々は事態が深刻なものになることを覚悟しなければならない」
政府が収拾した現場の情報を元に口にする彼のコメントにはひしひしと現場の状況が伝わり、その厳しい表情とともにリアリティが伝わる。
そして国民にむかって”覚悟”をするように促す。
そして当然のことのように事態は彼がコメントする無残な方向へと動く。
この時点でまだ安部首相は”人命尊重”的発言を繰り返している。
私は彼の繰り返される人命尊重コメントを聞いて、彼が最初の首相の座に就いたときのキャッチフレーズ「美しい国ニッポン」を思い出す。
安部のコメントはどこまでも”美しい”のだ。
美しく、そしてリアリティが乏しい。
そしてこの外の空気に疎いリアリティのなさは日本そのものであるように感じる。
たとえばここで小さな実験をしてみよう。
キャメロン首相と安部首相のコメントを入れ替えてみる実験である。
キャメロン首相。
「我々は人命尊重を第一に考えている」
安部首相。
「我々は事態が深刻なものになることを覚悟しなければならない」
キャメロン首相がなんとのどかでノーテンキに見えることか。
そして美しい国ニッポンの安部さんにこのキャメロンの言葉ななんど似つかわしくないことか。
アルジェリア軍政権基準では、今回のような方法が取られることは大方の国が想像したはずであり、私もそのように思っていた。
だがこのキャメロンのように”危機を覚悟すべき”と言った国と、人命尊重をトッププライオリティとしてあげた国の今回の件に関するその後の危機管理はどうだったのか。
イギリスは大手石油企業BPと協議の末、すでに18日には3機の救援機チャーター便を現地に飛ばし、現地の外国人従業員ら数百人をアルジェリアから移送ししている。
そして国独自のチャーター機も飛ばし、ガスプラントのフィリピン人従業員34人を乗せて、ロンドンに向かわさせた。
さらには英外務省が自国民保護のための特殊チームを航空機でアルジェリアに派遣している。
当然のことながら危機管理に長けた米国もチャーター機を飛ばし、救出された米国人の移送のためにイナメナスの空港に向かった。
イギリスが今回の事件とは関わりのない地域のプラントで働く大量の現地従業員を退避させたのは、武装グループの計画が9・11のときのように連鎖計画であることを警戒してのことであることは明白だ。
ところがこの時点、つまり安部首相が”人命尊重念仏”を繰り返しているそれらの日々、日本はまったく”人命尊重”にむかって行動していない。
開放された日揮の社員は自分で帰国便の切符を買うために右往左往しているありさまなのである。
この好対照。
危機を口にする国が即座に危機管理に動き、人命尊重を繰り返す国の危機管理が機能しない。
政府は今日つまり事件がほぼ終息に向かっている21日になってすでにオペレーションを終えている各国の敏速な危機管理を見て(一説にはアメリカからの忠告を受けて)あわてて政府のチャーター機をアルジェリアに飛ばしている。
私には今回の政府の詰めの甘さ、リアリティの欠如、は民主党政権下における原発事故対応と二重写しに見えてしまう。
政権が変わろうと、それは平和ボケ島国における日本人から日本人の手に為政が受け渡されたに過ぎないのである。
2013/01/15(Tue)
体罰は犯罪か。
先日、門司港での同窓会の折、古沢先生がお亡くなりになったとの報に接した。
古沢先生は私が中学校三年の折の担任で職業担当の先生だった。
職業担当というと先生方の中ではマイナー立場で、そういったこともあるのか、男性だが非常に押し出しの弱い、どちらかと言うと慎ましい感じの先生だった。
しかし私はこの先生にビンタを食らったことがある。
中間テストの折に何のテストだったか忘れたが、生意気な私は机の上に教科書を堂々と出し、カンニングを行っていたのだ。
古沢先生が見回り、私のそばを通った時も私はそのままカンニングを続けた。
先生は私の横で立ち止まり「立て」と小さな声で言った。
立つとビンタが飛んで来た。
平手打ちである。
痛みよりもこの日頃は慎ましい先生がビンタを張ったことに驚くとともに小さなショックを覚えた。
古沢先生はビンタを張ったあとに私の目をじっと見つめていた。
その眼鏡の背後の目を見たとき、少し血の気の引くのを覚えた。
彼は涙ぐんでいたのだ。
その古沢先生の眼は言葉にならない多くのものを語っており、ワルだった中学生の私は言葉にならない何かを感じた。
以降、テストでカンニングをすることはなくなった。
このことが示すように私はあまり勉強の出来ない子だった。
というより勉強というものが嫌いだったのだ。
したがって高校受験の時も商業高校程度の私立(当時は私立は出来の悪い子が行く高校だった)にしか行けないと自他ともに思っており、私立に行くつもりで公立高校は一応形どおりに受けただけで、通るとは思っておらず、合格発表の時も見に行かなかった。
だがその合格発表の日の午後、私の家に電話が入った。
公立に合格したという知らせだった。
いったい誰が知らせて来たのと母に問うと、古沢先生だと言う。
彼は私のことを気にかけており、わざわざ合格発表を見に行ったらしいのだ。
たぶんおそらく私が知る限り、彼が生徒にビンタを張ったのは私だけで、ひょっとしたら彼はそのことをずっと負い目に感じていたのかも知れない。
半世紀後の同窓会でその古沢先生が亡くなったと聞いたのだ。
そして亡くなる前の先生のことを知っている同級生の口から聞いた言葉に私は胸の傷むのを感じた。
彼の家の本棚には私の出版した本がずらりと並んでいたというのである。
生前にお会いしておけば良かったと悔やんだ。
次の帰郷のおりには墓に花を手向けるつもりだ。
◉
大阪の高校で体育の教師が生徒を殴り、生徒が自殺したという報道で世間の論調が沸騰しているおり、私が思い出したのはその古沢先生のことだった。
あの古沢先生のビンタは温かかった。
優しかった。
そういった身体行為を”体罰”という言葉でひとくくりする世間の論調に危うさを感じる。
こういう身体の接触行為というものは百あれば、そこに百の個有の事情と差異がある。
大阪での事例はその一件がどのような状況でどう行われたのかという報道が一切ないのは報道の体を成していない。
個人的には何十発も殴るというのは、確かにこれは常軌を逸脱しているとは思う。
殴るのは一発、思いを込めたものでしかも平手であるべきであり、拳を握って殴るというのはこれも常軌を逸脱している。
いわゆる報道で判断のつくのはその程度のことであり、この一件があったから教師と生徒の身体接触のすべてが悪であるという一方的な世間論調は危い。
ある女性の教育評論家は”再犯率”という言葉を使っていた。
つまり”体罰”を行う教師は”再犯率”が高い、とまるで犯罪者扱いである。
この教育評論家の言に倣えば古沢先生は”犯罪”を犯したことになる。
その”犯罪”によってワルだった私は更生したことになる。
評論家はその矛盾をどのように穴埋めするのか。
2012/12/28(Fri)
言葉は風なり(Cat Walkより転載)。
選挙に関する投稿は適当な時期に締め切りにしょうと思っていたが、関連して次々に投稿が寄せられているうちに、他のテーマまで掘り起こされたり、小さな対論が立ち上がったりもした。
そのうちにまとめて私個人の意見も差し挟もうと思いながら、そのようなわけでなかなかタイミングが掴めず、加えて投稿を全部読んで消化し、取捨選択してまとめるのにいっぱいいっぱい、ということもあり(こんな時にノーテンキに歌は唄ったが)まだ私の意見は述べていない。
よく車座対論などで喧々諤々、口を挟もうにもなかなか出番が回って来ないというアレのようなものだ。
だがCat Walkはじまって以降、ゴミ問題に同じく百家争鳴。
これはなかなかの見ものである。
私は皆さんのご意見は掲載していない(あるいは掲載を不可)分を含めて全部プリントアウトし、バインダーで閉じ、一冊のノートのようにしているのだが、そのようにして通読してみると2012年暮れという時代の潮目における普通の市民の証言として大変貴重なものに思えて来た。
そんな中、投稿掲載2回目(19日)の、一回目の投稿を読み、それらの投稿が私の意見(トーク)に流された信者のように見え不気味だ、と投稿していた方がいらしたが、とてもとてもそんなものではなく、これほど個人の顔の見えるバライティに富んだ論調各論は、この”空気読み”で自分の意見を飲み込む風潮のある時代においてはむしろ珍しいのではないかとさえ思っている。
ちなみに通読してみると、その批評的投稿をなされていた方の書かれていた選挙に関する意見が(バランス感覚を重んじるあまり)いちばん自分を殺した無個性なものだったのは皮肉なものだと思う。
他者を批判するおりは、その批評に叶うだけの自分のしっかりした見解を構築しないとみっともないことになる、という見本のようなものだ。今一度ご自分の意見を読まれ、今後に生かしていただきたい(ごめんなさい。私ははっきりモノを言うたちなので)。
まあそんなことも含め、今回は大変面白い展開となったが、ひとつほほうと思ったのは、今回の選挙で落ち込んでた方がこの場で展開されたさまざまな意見を読むうちに癒され、力が湧いて来たというような投稿を読んだ折りだ。
この時代、とりわけ3、11以降、直近の選挙まで、この世の中を覆う閉塞状況に対する手っ取り早い答えというものはない。
だが、その閉塞の中においてさえ、個人としてのその思いを吐露する”言葉”が生きている、ということはまさに”生きている”ことの証であり、それは一つの風通しのよい穴であり、酸素不足の、そして線量に満ちた世の中の空気の浄化行為でもあるわけだ。
その意味において”言葉”とは場の空気に命を与える”風”のことなのだ。
さて、暮れも押し迫って、昨日は昨年の「書行無常展」に携わった10数名のスタッフに忘年会を兼ねて飲食を振る舞い、家の帰るのが朝方となったが、暮れはそれなりに忙しく、今回の投稿に関する私の意見は年末から正月開けのCat Walkの休み期間内にまとめてみようと思っている。
そして以下におそらく最終回となるだろう、投稿を掲載する。
投稿者内における対論に関してK.S.さんは「私は基本的にS.Sさんの意見に賛成です。」と書いているが、掲載不可で投稿された方の中には「S・Sさんの投稿に対するT・Aさんのコメントは、冷静かつ、的確であると感じました。」との意見もあることを付け加えておく。
「言葉は風」の思いを残して今年のトークの最終回とする。
みなさん、よいお年を。
2012/12/17(Mon)
あちら側の神経系とこちら側の神経系はどこかでぷっつりと切れているのかも知れない。
今年の夏前にいささかショックを覚える出来事があった。
6月のことだが、夏用のカーテンを作るために工務店の業者を呼んだ。
30代半ばの劇作家の三谷幸喜を小振りにしたような、感じのよい営業の青年がやって来た。
仕事もなかなか誠実で、持って来た資料の中に好みのデザインがないと言うと、わずかな賃金の工事のために暑い最中、大きな重い見本帳を何度も持って来てくれた。
そして二週間後に無事取り付けは完了した。
その日、お礼にと、近くのレストランで昼をごちそうし、四方山話をしたのだが、その折にふと原発のことに話を振ってみた。
「ところであなたのような勤め人は原発なんてどのように考えてるのだろうね」
青年は「えっ」と浮かぬ顔をした。
それからちょっと口ごもって言う。
「原発ってどうなってるんですか?」
「あれっ、知らないの?今福島の人が一つの市の人口の6万人くらい家や土地や仕事を失って全国に逃げているんだけど」
「へーっそんなことがあるんですか」
私は呆然とした。
あまりの無知に一瞬この青年はウソをついているのではなかと疑ったが、そのような青年ではない。
彼は中堅の大学も出て、都内各所に店舗を張る中堅どころの工務店の営業マンである。
頭も良いし、人間的にもすこぶる感じが良い。
それだけにこの”おそるべき”と言って差し支えない無知にはいささかショックを覚え、一瞬しばらく会話が途絶えた。
「あのう、たとえば君たち、お勤めをしている仲間で原発問題とかが話題になったりすることはないの?」
私は気を取り直してあたらな質問をした。
「えー、そういうのぜんぜんないですねぇ」
「ぜんぜんって、まったく話題にならないということ?」
「そうですね、これまで一度も話になったことはありませんね」
悪気もなく彼は淡々と答える。
「じゃどういう話をするの?」
「やっぱり仕事の話が多いですね。
あいつが大口の注文を取ったとか、
下請けはあそこがちゃんとした仕事をするとか、
だけどここ数年はどの会社もよくないですから、仕事の話をしていても暗くなることが多いですけど」
◉
その青年と別れてのちもいささかショックは長引いた。
そのショックとは、このような普通に常識的な会話の出来る青年が、人間の生き方の根幹にかかわる原発問題に関してまったく無関心だったということもあるが、それ以上に、そういう信じ難い人たちがこのような状況下の日常に暮らしてるということをまったく知らなかった私自身の無知にもいささかショックを受けていたのである。
思うにこの青年が置かれているポジションはおそらく企業国家日本という国の就労者におけるマジョリティ層を形成しているという見方が出来るだろう。
ということは日本で暮らすマジョリティを形成する人々は原発問題に無関心ということも出来る。
いやというより、何かを無意識に遮断しているのかも知れない。
意識的に、あるいは無意識に”耳を塞ごうとしている”のかも知れない。
「原発」その言葉は最終ステージの不治の癌のという言葉のように、もう”聞きたくもない”忌語であるのかも知れない。
そして何よりもこの青年とその仲間のたちにとって彼らの関心は「原発よりメシの種」なのである。
私はその青年に会って以降、原発問題はこの日本においては広がりを見せないだろうと感じていた。
なぜなら青年はマジョリティ層を確実に形成する一人であるからだ。
つまり今回の選挙の争点のトップが雇用や経済で、原発問題が下位に来ていることは普通のことであり、なんら不思議なことではないのである。
かりに山本太郎が杉並区の選挙に出て、28パーセントの得票があったとするなら、案外それは大出来で、件の青年ショックがいまだに気持ちの中にくすぶっている私としては原発問題を、そしてフクシマをわがことして考えているのは10人に1人、つまり10パーセントくらいではなかろうかと思う。
(日本の)世の中とはそういうもの、とたかをくくるつもりはない。
だが自分の隣に普通の生活を営んでいる人間の”神経系”というものは、あんがい神経系の異なる人々のそれとは繋がらず、ぷっつりとどこかで切れているのではないか、との思いを強くする、今回の選挙結果ではあった。
2012/12/14(Fri)
日本の心(Cat Walkより転載)。
差出人: Spoonful さん
題名: 沖ノ島からの風
「日本の心-後編」を写真とともに読ませていただきました。この慌ただしい師走と選挙戦の季節に、心静まり、身が清められる思いです。かっての日本には(神道に限らず)このような場所があちこちにあって、人々の心を支え、戒めてきたのでは…。子供の頃、蝶を追いかけ、迷い込んだ森の奥で感じた凛とした空気を思い出しました。
モニターという電子機器を通してさえ、沖ノ島からの霊気を含んだ風が吹いてきます。
差出人: T.K.さん
題名: 日本の心、後編をみて
大学1年のものです。
日本の心、沖ノ島の旅、大変こころうごかされました。
海の底深くでたしかに世界とつながりつつも、群れずなれあわず独立独歩、
沖ノ島に生き方を学んだ気がします。
さっそく島を案内しよう、と藤原さんのあとについていくと、自然とぐっと背筋が伸び
なんだか石上神社に行ったときと似たような不思議な感覚につつまれました。
露出した木の根の生命のエロさ、話しかけてくるような耳、おもわず手を合わせてしまう巨きな岩。
なんでもないような草葉に感動してシャッターを押す藤原さんのとなりで、僕はじーんとしてしまってそれに見とれていました。
しばらくして藤原さんが土器のカーブを掘り出して僕がそれを手に取ろうとすると藤原さんはただ静かに制したので、
僕はそっとしておきました。そのかわり穴があくほどそれに見とれていたので藤原さんにおいていかれました。
喉が渇いたのや腹が空いたのも忘れて、ひとりになった僕はここの空気を胸いっぱいに吸いながら、木々の間から
遥か彼方に見える夕日に見とれていました。
こんなに感動したのは久しぶりです。
連れて行ってくださって、どうもありがとうございます。
差出人: T.Hさん
題名: 沖ノ島
沖ノ島の写真にびっくりして投稿します。
穢れの無い美しさに、うたれます。僕が見てきた自然とは何だったのかとまで考えてしまいます。
祝詞をあげる神主さんの横の太鼓が、満月に見え(幻視)、次のページの水晶の写真には、本当にドキドキしました。今、こうしてメールを打っている間も、まだドキドキしています。
是非これらの写真が欲しい。もちろん、できることなら、この目で見て、この手で足で触れたいと思いますが、それは叶わぬ願いの可能性が大きいですから。
CatWalkオフ会が、こんな場所でできたら、、、さらに叶わぬ夢ですね。
◉
『日本の心』沖ノ島篇 楽しんでいただいたようである。
私がこのような時期にたまたま出会った沖ノ島という島にこだわったのにはある理由がある。
たくさんいただいた感想にはおおむね穢れのないこの世離れした世界を見て癒されたという趣旨が見られるが、それもひとつの見方感じ方だが、私がこの島にこだわったのは、こういった世知辛い世の中を一時的にでも”忘れ去る”ためではない。
この禁忌の島に入る機会に恵まれ、入島した時、その空気感の穢れのなさに虚を突かれ、同時に私の頭には”フクシマ”がちらついたのである。
人は自然というものを”所有”し、その土地を自らの愚かさによって蹂躙し、また自らが依って立つ場を失った。
こういったかつてない他傷自傷の大きなダメージの中で”非所有の概念”、つまり人事の及ばない自然を(かりにそれがこの地球上の極小の一点であれ)設定した古代人の想念の豊かさと謹慎の心が、今という時代の人間の愚かさに大きく相対化されていることに”島”をレポートする意味を見いだしたわけだ。
つまりこの”島”は科学やテクノロジーの進化の過程の中で全能の錯誤を身につけてしまった人間の”心身の海”の一点にあらためて杭打つべき想念なのである。
以上のような意味において私が島を訪れてあらためて強く感じたことは人間と人間社会は科学やテクノロジーの進歩、経済活動の肥満に応じて心や想念が”退化”して行った動物であるということだ。
それは戦後の、そして昭和の、さらに平成の時代に入ってからの日本民族の民度の惨憺たる低下と軌を一にするわけだが、夏目漱石の「三四郎」で三四郎が上京のおりの列車で目の前の男に「これからは日本もだんだん発展するでしょう」と言うと、男は「滅びるね」と一喝する場面などが描かれているところを見ると、どうらやその民度の低下は戦後のことにとどまらず明治のころからはじまったことかも知れない。
◉
さてそしてこのたびの選挙ではその民度の低下の”仕上げ”としてグズグズにふやけ、まるでクラゲのように無方向に浮遊しながら流れに乗って掃き溜めのよう一所に密集する平成民族の民度を反映し、自公民が圧勝するとの観測が出ている。
そのことが示すように選挙の争点は一にも二にも経済(金)であり、空気汚染から食品汚染、河川、そして海汚染、そしていよいよ人体汚染へとシフトして行きつつあり、一国を滅ぼす可能性の消えない4号機問題を抱えた原発問題は二の次と、とりあえず”目先”にぶら下がっているアンパンを追っかける民度の浅ましさが浮き彫り。
そのような浮遊クラゲで満ち満ちた平成日本の海にCat Walk島は沖ノ島の想念をいただく独立島としてさらに強靭でありたいと思うこのごろである。
2012/12/11(Tue)
コックリさん指示待ち選挙の脱力感。
さて選挙も終盤にさしかかっているが、この乱立した政党の顔を見ていると昔ユニクロの戦略に興味を持って店舗を取材した時の事を思い出す。
ユニクロには縁がないので今はどういう風になっているかわからないが、その折は一品多種という戦略があって、実際は1品種しかないのだが、フリースにしろジャージにしろ多くの色を演出して多種あるように見せかけるというものだ。
大量生産品でありながら一見個性を着ているような錯覚を与える方法らしいが、今回の乱立した政党の顔を見るとあのユニクロの一品多種を彷彿とさせる。
見方によっては政策によって差別化されてはいるが、どれもこれも安物の一品種の色変わりにしか見えない。
そういった一品多種選挙の中でも辛うじて未来の党には淡い期待があるものの、嘉田さんという人はこの乱世に存在感を示すキャラクターではない。
しかも事前調査によれば各紙自民が圧勝の勢いとある。
またぞろ先祖帰りかとうんざりするわけだが、この自民への傾倒というのはある意味で3.11以降の不安定な世の中における漠然とした根拠のない安定志向の現れと見ることもできるだろう。
ただこれは笑い話として聞いてほしいのだが一品多種、どれでも所詮同じ商品を選ぶ場合、当たるも八卦、どの色のジャージを着ればツキがあるかということも選択の基準にはなり得るだろう。
というよりこれは単なる笑い話でもない。
この政治におけるツキというものは所得倍増論を唱えた池田勇人や日本列島改造論を唱えたが田中角栄が時代の風に後押しされたように、歴代の日本の国政は哀しいかな政治家は為政能力より政局運営とツキのあるなしが大きなファクターであり、為政は官僚が執り行っていたわけだ。
いかにも日本的と言えば日本的ではある。
そういう意味では東日本大震災と原発で血まみれになった民主党は政治の能力がない以上にツキのない(不運な)政党だったということができる。
しかし時期政権を担う公算の大きい安倍晋三の顔にツキがあるかというと、写真家の私が見てもこの顔はツキのある顔ではない。
というよりもうこの人は前政権での総理の折、閣僚の自殺が相次いだり、選挙中に中越沖大震災が起きたり、参議院選に大敗したりとツキがないことは証明されており、ツキのなさにおいては民主党、前現各総理と似たり寄ったりなのである。
まあそれにしても一品多種の不毛の時代、どの色がツキがあるかと、当たるも八卦、コックリさんのお告げに最後の望みを託さなければならない平成国民もまたツキがないと言わねばならない。
しかし各党党首ざっと見渡したところ池田勇人や田中角栄のような”ツキ顔”は見当たらない。
こうなったら為政能力はどうでもいいから人相、手相、四柱推命、星占い、亀甲占い、その他もろもろの占いを総動員してツキのある人材を捜し出し、党首にすえるという手もあるかも知れぬ。
2012/12/07(Fri)
福島第一原発を通って笹子トンネルへ抜ける道。
先ほどなじみのドライブインで夕飯を食っていたら、また三陸沖で地震があり、テレビでは異様に緊張した続報が流れ、ドライブインの客たちも食い入るようにテレビを見ていた。
この様子を見ると、昨今の日本人は平静に戻ったかに見えるが、いまだ深層心理の中では3.11トラウマからまだ抜け出しておらず、そのトラウマは水害、各地で吹き荒れる強風や竜巻、といった自然災害が起こるたびに意識のおもてに浮上するようである。
「選挙なんかやってる場合じゃないですよねぇ、こんな危なっかしいことばかり続いているのに。この前のトンネル事故もそうですが、なんで日本はこんなに事故ばかり続くんでしょう」
勘定の折に話好きの女主人が溜め息をつくように言う。
「ああ、笹子トンネルのことですか。あれは福島第一原発の余震のようなものですよ」
「原発の余震?
へぇ、そりゃまたどういうことで」
「まあ、余震というのは言葉のあやですが、こういう風に重大事故が続くというのは何も偶然の機運とかそういうものじゃなく、福島原発も笹子トンネルも日本の公共物のいたるところで安全維持管理を怠っていることから起きた事故という意味で地続きということです。」
◉
福島も笹子もこれは偶然ではなく必然の結果との思いを強くしたのは、トンネル事故を起こしたNEXCO中日本という会社幹部の記者会見の模様の”無感動”を見たことによる。
確かに会見の席では当然のことながらその表情に萎縮した様子はうかがえるが、ヌカに刺した釘のように何かがスカスカだ。
そこにはつい先ほど、9人の尊い命が、それも轢圧、毒煙吸引、燻焼、という考えうる限りの無惨な苦しみの中で逝ったという、その人の命に対する想像力のようなものがすっぽりと抜け落ちているのである。
確かに定期点検など、どのようにトンネルを維持管理しているかという話は必要だが、弔意、慰霊、というその前段にあるべき内証の空気がどこにも見当たらないのだ。
そしてそのことを自ら気づいてすらいない。
おそろしいことだと思う。
思うに、日本の高度成長期にはこういった無感動なエリートがわんさか製造された。
そして東電にもこういった無感動なエリートがわんさかいたであろうことは想像に難くない。
つまり、福島と笹子は地続きなのだ。
その意味で、今後この無感動人間が引き起こす”人災”は継続的に起こる可能性があると言わねばならない。
経団連の米倉弘昌や石原慎太郎もそうだが、こういったイケイケどんどんの高度成長期に強者の無痛青春期を過ごした人間の、言わば発達障害ともいうべき精神構造が今の日本を牽引しているという不遇のジェネレーションの中に我々は居るわけだが、
そこで思うのはバブル以降、恒常的なマイナス成長の中で、あるいはあらゆるシステムがアポリア(絶対閉塞)の中にある弱者の痛い青春期を送っている今の若年層が高齢になり世の中を牽引する立場に立ったとき、彼らはどのような社会のモデルを発信するのだろうかということである。
そういう意味では昨今の政治を見ても分かるように、今はちょうど指導層の”人材””人格”が”底をついた”状態にあるわけだから、これ以上は”落ちない”という意味において、その先には希望の微光が見えないということではないのかも知れぬ。
2012/11/20(Tue)
政治と有権者をバカにしたマニュフェストの闇鍋化に非難の声の上がらぬ不思議。
15日のトークでは、得難い体験にも関わらす読通したところかなり粗雑な書き方になっているので再構成する。
◉
先日同窓会に参加したおり、私の本をよく読んでいる友人の口から面白い逸話が飛び出した。
かなり昔のことだが石原慎太郎の弟の俳優である石原裕次郎が何かのテレビ番組のインタビューを自宅の居間で受けているとき、その背後の本棚に私の著作の「インド放浪」の背表紙がちらりと見え驚いたという。
私の処女作(処女作という言い方は今では差別用語にあたり公には使うことは出来ない)「インド放浪」が上梓されたのは1972年のことだから、それ以降の話ということになる。
それを聞いて感慨深いものを感じた。
私が小学校から高校生にかけてのころは映画の全盛時代で、昨今のタレントや俳優などとは異なり、映画スターというものはある種神格化すらされる時代だった。
そんな中でも石原裕次郎というと、おそらく昭和の大スター長谷川一夫に匹敵するほどの大スターだった。
私の旅館には門司港が交通の要所ということもあってさまざまな歌手や俳優が泊まったが、その裕次郎も私の門司港の旅館に宿泊した。
「鷲と鷹」という映画を撮るためである。
調べてみるとその映画は1957年の作というから私が13歳の中学生の時のことである。
昨今ではテレビ時代になって大衆とスターとの距離は縮まり、テレビの有名タレントが街でロケしていたとしても黒山の人だかりが出来るということはないが、当時は映画スターというと雲上の人だった。
特に裕次郎というと神格化されたとも言えるスターであり、彼の泊まっている(多分、三国連太郎も泊まったと思う)私の旅館の前には連日何百人もの野次馬が人垣をつくり、整理の警官が出るほどだった。
そのような黒山の人を玄関の内側から眺める私は何か自分が特別な場所にいるようでちょっと優越感を覚えたものである。
そんな中、裕次郎一行がロケのために玄関に出ようものなら大歓声が上がり、警官も大わらわになった。
藤乃屋旅館の前にはすでに廃業している古びた3階建ての料亭があり、その3階の大広間をアパート代わりに使っている夜の商売女たちがいた。
朝の早い時間にその女たちが化粧を落とし、シュミーズ姿のあられもない格好で窓から乗り出し“ゆうちゃーん!”歓声を上げると、野次馬たちはご当地の恥をさらしたかのように眉間に皺をよせて振り向いたが、サングラスをした裕次郎は群衆に向って手を振ったこともないのに彼女たちに向っては面白親しげに手を振った。
映画の中では彼は弱者のために体を張って闘う役柄が多かったが、私は夜の女に向って手を振る彼の姿を見て、少なからず感極まるものがあった。この人は映画のまんまの人だと思ったのである。
私の裕次郎に対するもっとも強烈なイメージは夜の女に向って優しげに手を振る彼の後ろ姿なのだ。
私はそんな裕次郎とその一行が玄関を出るたびに、母から怒られながらも一行に金魚のフンのようについて行ったのだが、何回目かの外出時に彼は私の顔を覚えてくれたのか「ボン」といって頭を撫でてくれた。
その大きな手の感触には映画で見るような悪人をやっつける鉄拳とは異なった柔らかさがあった。
門司港でロケされた「鷲と鷹」という映画の主題歌は「錆びたナイフ」だったと思う。
映画が公開されると少年の私は似合いもしないのに裕次郎の気分になってその大人っぽい「錆びたナイフ」を粋がって口ずさんだものだ。
砂山の砂を
指で掘ってたら
まっかに錆びた
ジャックナイフが 出て来たよ
どこのどいつが 埋めたか
胸にじんとくる
小島の秋だ
この歌は石川啄木の以下の詩に酷似する。
いたく錆びしピストルいでぬ
砂山の
砂を指もて堀りてありしに
ご承知のようにその後、裕次郎は87年、52歳の若さで亡くなる。
思うに裕次郎は正面だけではなく、後ろ姿が物語を生む数少ない俳優のひとりだった。
その後ろ姿に垣間見える彼独特の哀愁は、ジェームス・ディーンや赤木圭一などの短命な俳優が期せずして備えている共通のペーソスであり、それはまた諦念を歌った石川啄木の詩に心を寄せる彼の心情の外形であるようにも私には思える。
◉
そのよう個人的な裕次郎体験の中でひとかたならぬシンパシーを感じている私だが、その兄慎太郎に関してはただ粗暴としか感じられないこの落差の不思議が妙に悩ましい。
弱者差別、独断、偏見、狭量、カラ威張り、敵愾心旺盛と慎太郎は不思議なくらい裕次郎の真逆なのである。
慎太郎には裕次郎に備わる“後ろ姿”が欠落しているのだ。
彼の言動の中に垣間見えるそのようなさまざまな人格構成に通底して流れる基調は「自我の肥大と他者の不在」と言えるだろう。
この他者というものの存在の希薄な彼の独善に満ちた居振る舞いには、時にふと彼はどこか発達障害というべきものを抱えているのではないかとすら感じさせるものすらある。
そういう意味では彼が書いた小説「太陽の季節」や「狂った果実」やさらに映画のために書いた「処刑の部屋」などはレイプ、リンチ、近親相姦、同性愛、輪姦後殺害など目を覆いたくなるような性暴力が満載で、このアグレッシブさは80歳になった今も変わらないばかりか小説の中に見られる抑止、抑制が年齢とともに抜け落ち、衰え、その独断の危うさだけが一人歩きをしているように思える。
そのような性暴力をテーマとした小説を書くこと自体はバツということにはならないが、ひとつ気になるのはこの性暴力という人間の行動の基調あるものは自分だけの世界を完結するために他者の存在がある、つまり他者の存在がないということである。
◉
大集団の記者を集めた今日の橋下大阪市長と石原元都知事の合同記者会見を見て思うのもそのことだ。
こういう言葉は慎むべきだと承知の上で喝破するなら自分だけの世界を完結するために飲料水に睡眠薬を混入し、女性をレイプするその小説の一シーンを彷彿とさせるがごとく、石原は橋下を公衆の面前でレイプしたのである。
少なくとも私にはあのシーンはそのように猥褻なものとして見えた。
いや「自我の拡大と他者の不在(敵視)」と言う意味では共通の人格を有する橋下もまた自分だけの世界を完結するために石原を逆レイプしたのかも知れぬ。
そのようにこの二者の行動が自分の世界を完結するためのレイプごっこであることは、民主党のマニュフェストのウソを非難する当の為政者がマニュフェストとしていた二大政策、原発とTPP問題をその野合のためにいとも簡単に(選挙前に!民主党のウソは少なくとも選挙後だった)闇鍋化し、世間の眼をくらましたことからも明らかである。
どうやらなんらかの発達障害の垣間見えるご両人が、今後ニッポンの舵取りの一翼を担うかも知れぬことの危うさは、睡眠薬入りの闇鍋をつつくどころではない不安を感じざるを得ないのである。
2012/11/17(Sat)
石原兄弟に関する覚え書き。
先日同窓会に参加したおりに面白い逸話があった。
かなり昔のことだが石原慎太郎の弟の俳優である石原裕次郎が何かのテレビ番組のインタビューを自宅の居間で受けているとき、その背後の本棚に私の著作の「インド放浪」の背表紙が見えてびっくりしたという。
私の処女作(処女作という言い方は今では差別用語にあたり公には使うことは出来ない)「インド放浪」が上梓されたのは1972年のことだから、それ以降ということになる。
それを聞いて感慨深いものを感じた。
私が小学校から高校生にかけて石原裕次郎というとおそらく以降彼を凌駕する者は現れないほどのビッグスターだった。
その裕次郎が私の門司港の旅館に宿泊したことがある。
「鷲と鷹」という映画を撮るためで、調べてみると1957年の作というから私が13歳の時のことである。
今ではいかにテレビの有名タレントが街でロケしょうと人山が出来るということはないが、私の旅館は連日何百人もの野次馬で包囲されていて警官が人山の整理をするほどだった。
そういう人の山を玄関の内側から眺めるというのは何か自分が特別な場所にいるようでちょっと興奮したものである。
そんな中、裕次郎一行がロケのために玄関に出ようものなら大歓声が上がり警官も大わらわになった。私にとっても当然裕次郎はスターであり、映画も見ていたから彼ら一行が玄関を出るたびに金魚のフンのようについて行ったのだが、何回目かで裕次郎は私の顔を覚えてくれたのか「ボン」といって頭を撫でてくれた。
大きな手の感触の中で天にも上る気持ちだった。
確かその「鷲と鷹」という映画の主題歌は「錆びたナイフ」という歌でよく口ずさみ歌詞の一番は今でも覚えている。
砂山の砂を
指で掘ってたら
まっかに錆びた
ジャックナイフが 出て来たよ
どこのどいつが 埋めたか
胸にじんとくる
小島の秋だ
それから11年後の私が24歳の時に世界放浪の旅に出てインドにも行き、27歳の時に「インド放浪」を上梓したわけだが、その本をひょっとしたら石原裕次郎は読んでいる可能性があるわけだ。
感慨深い時の流れだ。
ご承知のようにその後裕次郎は87年、52歳の若さで亡くなる。
子供の勘というか、私があのときに見た、そして触れられた裕次郎は、あまりにも格好良かったが、あまり偉そうぶらない気持ちの大きな温かい人という好印象がある。
ところが不思議なことに裕次郎の兄、慎太郎は独断と偏見、狭量、威張り癖、敵愾心旺盛と不思議なくらい裕次郎の真逆である。
その偏狭な立ち居振る舞いを観察するに、時に彼はどこか発達障害というべきものを抱えているのではないかとすら感じさせるものがある。
そういう意味では彼が書いた小説「太陽の季節」や「狂った果実」やさらに映画のために書いた「処刑の部屋」などはレイプ、近親相姦、同性愛、輪姦後殺害など目を覆いたくなるような性暴力が満載だ。
そのような性暴力をテーマとした小説を書くことがバツということにはならないが、この性暴力という人間の行動には自分だけがあり他者の存在がないということからすると、石原慎太郎の性格と妙にダブルものがある。
今後彼が国政の表舞台に出て来る可能性を考えるとそのあたりのことはひとつ検証してみる必要があるだろう。
2012/11/01(Wed)
家族の堰堤(えんてい)が決壊する時。

拙著『渋谷』の映画がDVD化されるということで今日、パーッケージのデザインが送られて来た。
佐津川愛美以外の写真は助手のT君の撮影だが、送られて来た色味がちょっと気になる。
マゼンタの乗り過ぎで皆夕日のように赤い。
おそらく私が注意しなければこのまま進行していたと思われるが、この暖色基調の画像はただ単に技術的色味の問題にとどまらない。
小説および映画の内容を表すものがこの色調でよいのかという表現の本質にかかわることなのだ。
『渋谷』という映画は決して明るい内容の映画ではなく、シリアスなテーマを扱っている。
そういう意味では皆夕日に当たったような健康的な色味の顔をしていては映画の内容とそぐわない。
最近のデザイナーは、デザインするものの内容まで消化する姿勢に乏しく、それがこういったミスマッチで無神経な色味となるわけだ。
とりあえず、このようにしてちょうだいと、少し色味を調整したものが右のパッケージで、並べてみるとたったこれだけのことで映画の内容すら異なって見える。
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このマイナーな映画が上映後何年も経ってDVD化されるのは、おそらく映画に出演した面々がその後活躍するようになったからだと思われる。
ご承知のように主演の綾野剛は昨今もっとも注目されている若手男優のひとりとなり、佐津川愛美も活躍しているし、大島優子は当時は知る人しか知られていなかったが今では知らぬ人はいない。その他の俳優もおしなべて『渋谷』出演後、飛躍を遂げている。
べつに『渋谷』という映画が彼らを持ち上げたわけでもないが、名もない特定の映画に出ていた無名の俳優がこぞって名を成すという、映画界にはよくこういうジンクスがあるらしい。
それはまたそういった新人を起用した監督の目でもあるように思う。
笑い話ではないが、名を上げなかったものは私くらいのものだ。
いやちょい役で出ていれば今は少しは名の売れた渋い役どころについていたかも知れないと残念である。
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さて『渋谷』という小説は「お願い、わたしを探して」というコピーにもあるように小さいころからの母親の過干渉によって”わたし”を失い、ゆきずりの男との性交渉などによって満たされぬ愛情の埋め合わせをしょうとする娘の葛藤を描いたものだ。
この母の娘に対する過干渉というものはいまだ延々と続く家庭問題の永遠のテーマであり、大変はしょった言い方になるが、その母親の子供に対する過干渉というものは、ひとつには父親不在、もしくは弱体化した父性に起因していると私は考えている。
昨今草食系男子という言葉がよく飛び出すが、なにもそれは若年層に限った話ではなく、草食系中年、草食系壮年、はたまた草食系老年と、ニッポンの男性はおしなべて弱体化しており、古い世代の誰もが草食系男子を笑える状況ではないように思う。
おそらくそのことと関連している出来事のように思えるが、何年か前に知り合いに頼まれて赴いた会合で面白い経験をした。
その頼み事というのは何年かに一度開かれているらしい立教大学美術部OBの美術展を見て、その後の宴会において講演をしてくれというものだった。
そこで前もって画廊に赴き美術展を拝見したのだが、私はそれらの絵を見てなるほど立教大学の美術部というのはほとんどが女性によって構成されているのだなと理解した。
だが宴会の会場に赴いて驚いた。
その美術部員OBの大半が白髪、あるいは禿頭のいい歳をした男性だったからだ。
にもかかわらず美術展で私が見た絵画のタッチや色合いは女性のそれだったのだ。
私は講演をしながらも心ここにあらず、この人たちは一体何者?という思いが頭を巡っていた。
しかし講演を終え、帰路についているときはたと思い当たることがあった。
恰幅からすると、その老美術部員の多くは長年企業に勤め、その多くが定年退職しているものと思える。
そういう生活環境に思いをいたすなら、ひよっとすると人間の自我というものを押し殺ろさざるを得ない長年の企業勤めというものが彼らをして”女性的”メンタルに変えて行ってしまったのかも知れない。
ふとそのように思った。
つまり日本の父親の弱体化、あるいは女性が男の役割を担わざるをえないような家庭内における父性の存在感のなさというものは、この日本独特の就労様式に負うところが大きいのではないかと思うのである。
◉
そんなことを思いながら、その”父性弱体化”のイメージが昨今世間を賑わせている兵庫県尼崎市を中心に起こってる、いわば”家族乗っ取り事件”とも言うべきあの忌まわしい事件に私の中で結びつく。
主犯格とされる角田美代子被告(64)が女性というのも意味深長だ。
一家を乗っ取られる。
この”肉弾戦”に命を張って対処するのは当然男であり父であらねばならない。
しかし事件のあらましを検証するに、弱い父親の顔ばかりがちらつく。
父という”防波堤”が脆くなっているのではないか。
そして家を囲う堰堤が脆弱になっているのではないか。
そんな予感が走る。
そのような意味において、この”家族乗っ取り”という新しいタイプの事件は”今的”であり、今後さらに広がりを見せるかも知れぬとの危惧を抱くのだ。
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