◇大悪は傍観できない。故に戦うことがある。

では、社会に大きな問題を与えるような事象に遭遇したら、どうすればいいのだろう。
例えば、過去あったような「耐震強度偽装」問題はどうか。
2005年、ある建築士が、マンションの鉄骨の量を減らし、いくつもの建物を作っていた事件が発生した。
読者の皆さまも、この事件名は覚えていらっしゃるだろう。
これは、社会に及ぼす影響が極めて大きい問題であった。
もし、そのようなことが繰り返し、繰り返し行われたとするなら‥
そのことを知ったあなたはどうするであろうか?
少なくとも上司や同僚に、「これ、マズイですよね」と言うことだろう。
そのとき、上司が「いや、問題はない。これは建設業界では当たり前のことなんだ」と言って、聞く耳を持たなかったらどうか。
あなたはオカシナ話に納得がいかず、その問題を独自に調査した。
結果、それは絶対に容認できないことであった。
そこで再度、強く苦言を呈した。しかし、改善は見られない。
さあ、この後、あなたはどう振る舞うだろうか。
もし、内部告発したら会社は間違いなく大打撃を受ける。
今まで育ててくれた先輩上司、また希望に胸を膨らませて入社した同僚や社員‥
その数百人の人たちと、その家族の生活が吹き飛ぶかも知れない。
一方で、その事実を知らず、長期ローンで購入するお客様はどうなるのか。
その板挟みの中で、あなたは悶々と悩むことになる。
あなたの前に、いくつかの道が見えるだろう。
1つは黙殺すること。1つは内部告発すること。もう1つは、会社上層部に戦いを挑むこと。あるいは、悪の片棒を担げないと退社する方法もある。
いずれにしても、スッキリした解決は無理なのだ。
あなたは頭を抱えて悩むことだろう。
人生には、このように、右にも左にも歩めぬ局面で、矢面に立つ人がいる。
ともかく、このようになってしまったら、御書を読み、唱題し、日蓮大聖人や池田先生だったらどうするのかと考え、熟慮して行動するしかない。
そして、戦うならば‥ 戦うしか道がないなら‥
命がけで祈り、勝っても負けても、最後まで戦い抜くことになるだろう。
辛い選択だが、そうなってしまったら仕方ない。
尚、会社と戦うという次元とは、このような特別なケースのことで、めったに戦うべきではないと私は申し上げたいのです。
<別館>ブログトップへ<本館>ブログトップへ