一人ひとりに忘れられない日があるように、国や社会にも記憶に刻む日がある。たとえば、東日本大震災がおきた3月11日、阪神・淡路大震災の1月17日――。国内外に多大な犠牲を[記事全文]
政府が示した電力システム改革案を、自民党の合同部会が了承した。電力会社が強く抵抗する発電と送電の分離については、実施時期をあいまいにしたと取られかねない表現へ修正された[記事全文]
一人ひとりに忘れられない日があるように、国や社会にも記憶に刻む日がある。
たとえば、東日本大震災がおきた3月11日、阪神・淡路大震災の1月17日――。国内外に多大な犠牲をもたらした先の大戦にまつわる日も同様だ。
安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開くと決めた。1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合国による日本占領は終わった。
「経験と教訓をいかし、わが国の未来を切りひらく決意を確固なものとしたい」という首相のことば自体に異論はない。
自分たちの考えで、自分たちの国があゆむ方向を決める。その尊さに、思いをいたすことは大切である。
だが、外国の支配を脱した輝きの日という視点からのみ4・28をとらえるのは疑問だ。
独立国として再出発した日本に、奄美、小笠原、沖縄はふくまれていなかった。最後に沖縄が復帰したのは72年5月15日。それまでの間、米軍の施政権下におかれ、いまに続く基地の過重負担をもたらした。
4・28とは、沖縄を切りすてその犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日でもある。沖縄で「屈辱の日」と呼ばれるゆえんだ。
屈辱を味わった人はほかにもいる。朝鮮・台湾の人々だ。
政府は条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で、旧植民地の出身者はすべて日本国籍を失うと定めた。日本でくらしていた人たちも、以後、一律に「外国人」として扱われることになった。
領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。
この措置は在日の人々に対する、法律上、社会生活上の差別の源となった。あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。
こうした話を「自虐史観だ」ときらう人がいる。だが、日本が占領されるに至った歴史をふくめ、ものごとを多面的、重層的に理解しなければ、再び道を誤ることになりかねない。
日本人の忍耐づよさや絆をたたえるだけでは、3・11を語ったことにならない。同じように4・28についても、美しい物語をつむぎ、戦後の繁栄をことほぐだけでは、首相のいう「わが国の未来を切りひらく」ことにはつながらないだろう。
影の部分にこそ目をむけ、先人の過ちや悩みに学ぶ。その営みの先に、国の未来がある。
政府が示した電力システム改革案を、自民党の合同部会が了承した。
電力会社が強く抵抗する発電と送電の分離については、実施時期をあいまいにしたと取られかねない表現へ修正された。
部会長らは「大きな改革の方向性に変更はない」と強調するが、疑念はぬぐえない。
電力システム改革は、福島の原発事故を教訓にした新しいエネルギー政策の基盤であり、安倍政権が掲げる経済再生のカギでもある。
「結局、骨抜きにした」と言われないよう、残る党内手続きから今後の法案審議や改革の着実な実施まで、与党として責任ある行動を求める。
文言修正は語尾を変えた程度で、中身は政府案を踏襲した。発送電分離に反対を唱えていた一部議員に矛を収めてもらい、全体をまとめるための方便と見ることもできる。
ただ、これまでも言葉をあいまいにし、後から解釈を広げられるようにして、さまざまな構造改革をなし崩しに形骸化してきたのが自民党だ。
「参院選が終わるまでの我慢ではないか」との見方もあり、予断を許さない。
発送電分離への反対論の中には「原発の再稼働も、原発や火力などの将来的な電源配分も決まっていないのに、なぜこの改革だけ進めるのか」との声があったという。
だが、電源に余裕がないからこそ、電力システム改革が大きな意味をもつ。
多様な電源を分散して設けたり、消費者が賢く節電したりしやすい環境を、急いで整える必要があるからだ。送電網を発電部門から切り離し、中立的な存在にすることは、そのための大きな柱である。
改革によって、新しいビジネスや地域の活性化につながるような工夫を引き出したい。
情報開示が進んで、消費者が自由に電源を選べるようになれば、どんな電源配分が望ましいかについても、おのずと合理的な結論が導かれるはずだ。
もちろん、電力の安定供給に支障があってはいけない。技術的な課題があればきちんと克服し、法整備を順序立てて進める必要がある。
息の長い改革になる。そのためにも全体像を示し、工程表をあらかじめ設けておくのは当然のことだ。
「骨抜き」「既得権保護」の汚名を返上し、新しいエネルギー社会の構築に力を注ぐ。
自民党にとっても、またとない機会ではないか。