あえて言わせてもらいます
ある競輪選手を形容する言葉で“魂の走り”というのがある。競輪を知ってる方なら、この言葉を聞けば誰の事かわかるだろう。
“気持ちが入った”走りをするという事からいつの間にか使われるようになったのだろうが、僕はこの言葉の“使い方”に違和感を覚える。
“魂の走り”をする事は本来“当たり前”の話であって、特別な事をしてるわけではないはずです。本人は競輪選手として当たり前の事をしてるだけだと思います。
実況や新聞などで“魂〜”という表現をむやみに使う事は、逆に言えば“他の選手は走りに気持ちが入ってないの?”といううがった見方を助長する恐れがあるという事も考えてもらいたい。
選手本人が“魂”と言う事はない。ほとんどの(全てとは言いません)選手は一生懸命走っている。気持ちを入れて走っているのです。
同じように“史上最強の支部長〜”と言う言葉も好きになれない。
“支部長で忙しいのに強い”、これはオカシイ話です。競輪選手にとって何が一番大切な事か?それは絶対的に“競輪を頑張る事”である。何があろうと競輪を一生懸命に頑張る事なんである。その一番重要とされる“競輪を頑張る事”を妨げるような仕事なんて有ってはいけない。
“史上最強の〜”という事は支部長という役職をする選手は弱くなっても仕方ないという考えが当たり前という事で、その状態でいる事を肯定してしまっている。
支部長をやってるかやっていないかで競輪選手の強さが変わるようでは選手会のあり方自体に大きな問題があると言わざるをえない。選手会もSS級は理事扱いにするとかしないといけないと思う。トップに立つ選手には全体を見て全体の事を考える“義務”があるはず。首になりかけの選手ばかりでなんの英断が出来るだろうか?
ムラカミやヤマコウさんが“魂の・・・”や“史上最強の・・・”と言われない様な競輪界になってもらいたい。
“気持ちが入った”走りをするという事からいつの間にか使われるようになったのだろうが、僕はこの言葉の“使い方”に違和感を覚える。
“魂の走り”をする事は本来“当たり前”の話であって、特別な事をしてるわけではないはずです。本人は競輪選手として当たり前の事をしてるだけだと思います。
実況や新聞などで“魂〜”という表現をむやみに使う事は、逆に言えば“他の選手は走りに気持ちが入ってないの?”といううがった見方を助長する恐れがあるという事も考えてもらいたい。
選手本人が“魂”と言う事はない。ほとんどの(全てとは言いません)選手は一生懸命走っている。気持ちを入れて走っているのです。
同じように“史上最強の支部長〜”と言う言葉も好きになれない。
“支部長で忙しいのに強い”、これはオカシイ話です。競輪選手にとって何が一番大切な事か?それは絶対的に“競輪を頑張る事”である。何があろうと競輪を一生懸命に頑張る事なんである。その一番重要とされる“競輪を頑張る事”を妨げるような仕事なんて有ってはいけない。
“史上最強の〜”という事は支部長という役職をする選手は弱くなっても仕方ないという考えが当たり前という事で、その状態でいる事を肯定してしまっている。
支部長をやってるかやっていないかで競輪選手の強さが変わるようでは選手会のあり方自体に大きな問題があると言わざるをえない。選手会もSS級は理事扱いにするとかしないといけないと思う。トップに立つ選手には全体を見て全体の事を考える“義務”があるはず。首になりかけの選手ばかりでなんの英断が出来るだろうか?
ムラカミやヤマコウさんが“魂の・・・”や“史上最強の・・・”と言われない様な競輪界になってもらいたい。
この記事に対するコメント
「魂の走り”をする事は本来“当たり前”」
確かにその通りですね。
「首になりかけの選手ばかりでなんの英断が出来るだろうか?」
たしか競輪選手会の支部長さん方は、選手としては実績の乏しい方々が勤めておられるようですね。
私が見る感じでは、競輪選手会は、競輪選手3300人の4分の3を占めるA級選手に毎月2回のアッセンを保証するために、数の論理である多数決を利用して全輪協やJKAに政治活動を行っていると思われます。
コレがプロ野球でしたら、2軍(競輪でいえばA級でしょうか?)で停滞している選手は
戦力外通告(競輪でいえば登録消除ですか?)されるはずですね。
競輪の収益に貢献できない大量のA級選手らがいまだに大量に存在する理由は、競輪界には明確な責任者(権限者)がいないからでしょうか?
地方の競輪場で開催されているF2は開催すれば赤字確実ですね。現状のF2開催は、A級選手らに仕事を提供する「公共事業」と化しています。
反論させてもらっていいですか?
なぜ俺たちが村上選手を魂の走りの男と呼んでるか分かってないのではないでしょうか?
確かに他の選手も一生懸命に走っているかもしれませんが乞食のように安易に4〜5着あたりの着拾いにいったり先行しても捲られた時点で簡単に垂れていったりしています。
俺たちは命の次にくらいに大切な金を賭けてるわけです。
なのにそんな糞みたいな走りをされたら怒りを越して情けなくなります。しかし村上選手だけは違います。
外併走になって絶体絶命になっても諦めません。
先行して捲られても最後までペダルを踏んでます。
レースを見て感動して涙が出る事も多々あります。
村上選手の車券を買ってハズれても悔しくありません、むしろあれだけ熱い魂の走りを見れた事に感動します。
村上ファンは強い村上選手が好きではないんです。
ファンのために最後まで諦めないあの熱い魂こもった走りをする村上選手が好きなんです。
なんか難しい内容で考えてしまいました(・・;)。
わたしが競輪を見始めた頃、村上兄は怪我をしてからの低迷期でした。
それまでの経緯を知らないわたしは、なんでこの人はこんなにマスコミに注目されファンから人気があるんだろう?と不思議に思いました。
兄の競走を観るたびに、その理由が分かるようになりました。
「このままで終われるか」という兄の言葉がとても印象に残ってます。
その想いの強さを、競走を通して観る側は感じるんだと思います(^.^)
史上最強の支部長については…
よく分かりません(汗)
山岸さんと大前選手が同じことを言われてたのが印象に残っていて、根性練習はできて当たり前で村上選手の強さは考えて走っているとこだと思っています。
魂のにしろ最強支部長にしろ、言葉が軽いなと感じます。
私の言葉足らずな文章で誤解を与えてしまったみたいですね、スイマセン。
私が理想としずっと追いかけ続けていたのが村上選手です。私の中で“競輪選手”と言えば“村上義弘”なんです。
彼の走りは“特別”だと思います。ただ“特別”であってはダメだと思います。彼の走りが“当たり前”な競輪界になって欲しいと言う思いを書こうと思ってました。
読み返してみたら、ちょっと違う印象を与える部分がありました。難しいです。
私が引退を決めたのも彼のように“魂の走り”が出来てない自分が競輪選手でいることが競輪界にとってマイナスだと感じたからです。
分が競輪選手でいることが競輪界にとってマイナスだと感じたからです。
山岸さんの日記を見て、厳しいとは思いつつ
概ね同感です。
そして、コメントへのレスと見て・・・山岸さん、ご自身にも厳しいなと。
自分が競輪界にとってマイナスだなんて
そういう問題意識を持っている人は
むしろ問題ないのに、と思いました。
誰もが一所懸命生きていはいるけれど
こんなに集中して必死になることは
普通の人にそうそうあることではありません。
職業の違いだと言ってしまえばそれまでですが
そう思うと、走っている選手に厳しいことなんてとても言えない、甘いファンです。
魂の走りなんて選手皆が一生懸命走っているので、全選手に言えること、
発送台に立ってから、誰が最初から負けようと思うか
当たり前の事をマスコミが魂の走りと名付けただけ!
支部長最強も、仕事内容は解らないが、多忙なイメージなんだろうが、その中でもやれることをしっかりやれば忙しくても本人次第。
本人がやるかやらないか。
山幸は有言実行!!
あいつは本当に尊敬します。
山岸さんのお気持ち、よく分かりました。
胸が熱くなりました。
ありがとうございます。
これから第二の人生、頑張って下さい。
心の底から応援します。
初めてブログを拝見いたしました。
こんなに熱い内容に対し匿名でコメントするのは失礼だと思い、あえて本名でカキコミをさせていただきます。
多分・・・・なのですが
村上選手の事を「魂の走り」と最初に表現したのは私だと思います。
2009年の岸和田ダービー。
村上選手のほとばしる気迫に胸を打たれ、思わず口をついて出た言葉でした。
実況アナウンサーの役割は、もちろんレースを的確に伝えることが一番大事なのですが、それだけではなく、視聴者の方が感じているものを即座に言語化することにより、レースに対する感情移入を促進する事だと思っています。
例えば、村上選手の最後まであきらめない走りをテレビで見た方が
「凄いな〜普通なら、もうズルズル後退してしまってもおかしくない状況なのに、何故、あんなところからもう一度、巻き返すことができるのだろう?凄いな〜」
と感じたとします。
これを簡潔に表したものが
「魂の走り」
であり、このフレーズを使ったことは間違っていないと、今でも思っています。
レースの主役はもちろん選手です。
しかし、おこがましいようですが、私はいつも自分は「10人目の選手」だと思って実況しています。
レースに命を吹き込む、といえば大袈裟かも知れませんが、そのくらいの強い信念を持ってしゃべっています。
しかし、時として、主役は選手であるにもかかわらず、私自身の自己顕示欲を抑制することができず、得意気に選手にキャッチフレーズを付け、くだらない自己満足に浸ったことがあるのも事実です。
この事については弁解の余地もありません。
そんな紆余曲折を経て
今思う、一番大事なことはやっぱり、お客さんに喜んでもらう実況をすること
であり、そのことを一番に考えるがあまり、もしかすると走っている選手が違和感を感じる表現になったり、場合によっては不愉快に感じる表現があったりするかもしれません。
それでも、お客さんが喜んでくれるのならば、それも仕方ないのではないか?
と考えています。
レースの主役は選手ですが、私は選手の為だけに実況をしているのではありませんから。
今、私は競輪の実況アナウンサーとして、少々実験的なことも行っています。
選手からの批判を受けることもあります。
しかし、それでもいいと思っています。
向日町の選手宿舎はもの凄く美しい建物なのに、客席はかなり老朽化しています。
宿舎がボロボロでも、客席を真っ先にきれいにすべきだと、感じています。
事の本質は、このことと同じだと思います。
誤解を恐れずに言うならば
私は、選手よりお客さんが大事です。
そのポリシーは貫いていきたいと思っています。
長々と書いてしまいすいません。
思いがうまく伝わったかどうか?自信は余りありませんが、山岸さんのもの凄くストレートな文章に、コメントしない訳にはいかない気持ちになりました。
直球には直球で返したつもりなのですが・・・・
いかがでしょうか?
直球コメントありがとうございます。
“魂の走り”という言葉自体に何も言う事はありません。岸和田ダービーの村上選手の走りを見てコレだけ単刀直入にその走りを表現する言葉はなかったと思います。
それだけ素晴らしい表現だったから、そしてこの言葉に“魂”がズッシリと乗っていたからこそいろんな場面で多用されるようになったのだと思います。
私が違和感を覚えたのはブログでも書いていますようにこの言葉の現状の“使い方”なんです。
言葉は発せられた時にその発した人間の“魂”というものが乗っています。ですが、その言葉がドンドンと他の人間が使うにつれ、そして多用するにつれその“魂”というものは薄れていくと感じます。
今は、その最初のインパクトが薄れてしまい逆に村上選手だけが気合が入ってるような印象を与えてしまう恐れがあるように感じたので書かせてもらいました。
私は競輪選手が“魂の走り”をするのは当たり前の事だと感じています。全員が“魂の葉走り”をしていれば、実況でその部分に関して取り上げられる事はなくなると思います。
“魂の走り”が取り上げられないような競輪界であって欲しいというのが私の思いです。
実名でコメントしていただけた事、本当に感謝しております。ありがとうございました。
丁寧なお返事ありがとうございます。
匿名で意見を書き込むのはずるいと思いましたので・・・・・実名で書かせていただきました。
選手みんなが、魂の走りをするのが大前提にあるというのは、よく分かります。
しかし、選手全員が闘志をむき出しにすればいいか?というと、それは少し違うような気がします。
かつて、阪神タイガースのエースに村山実という投手がいました。
阪神が「10−0」で勝っていても最後まで手を抜くことなく、鬼の形相で投げ続け、周囲が「ワンサイドゲームなのに、そんなに必死にならなくてもいいじゃないか」
というアドバイスにも耳を貸さず、勝っても涙。打たれても涙。
という、まさに村上選手のような熱血漢だったそうです。
一方、今や日本球界のエースに君臨する、ダルビッシュ投手。
クールかつスマートな風貌で
村山投手や星野仙一さんのように誰が見ても
「燃える男」という雰囲気ではありませんが、心の底にもの凄い熱いものを持った骨太な雰囲気を私は感じています。
要するに選手も人間で、性格は千差万別。
闘志を表現する方法も、人それぞれです。
魂の出し方も色々です。
みんなバラバラだから面白いし、その中で村上選手から感じる闘争心が半端なく凄いので
みんなが「魂の〜」と表現してしまう。
中には「クレバーな走り」がいてもいいし、「ワイルドな走り」がいてもいいし、「トンチンカンな走り」がいてもいいと思います。
やる気がない走り
は問題かもしれませんが・・・・・・
きっと山岸さんは
レースに全力を賭ける走り=魂の走り
ということなのかな思いますが、私は
全力を賭ける走り=魂の走り
ではないと思っています。
このあたりの認識の違いなのかな?と私なりに考えてみました。
何か、見解が分かれてしまいましたが、私は山岸さんのように、色んな疑問を提示し、自分の考えをダイレクトに伝えてくださる方が大好きです。
おかげで、魂の走りという事についても、深く考える機会ができましたし、私自身にとってもいい勉強になりました。
たとえ意見が分かれようとも、相手の考えに迎合することなく、意見をぶつけ合う。
ぬるま湯にいるのではなく、喧嘩してでも議論する。
この姿勢が、今の競輪界に最も必要なものだと、そう思います。
またしても、長文すいませんでした・・・・・
本当に熱い思いで実況に取組まれているんだなと改めて感じさせて頂きました。
選手を始め競輪に携わる全ての人達がそれぞれの場面で“プロ”としての己の信念を持ち活動していく事が一番大切なことだと思います。
今後とも競輪をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
こちらこそ感謝しています。
惰性で物事に取り組むのが嫌いで、
もっといい方法はないだろうか?
もっと良くなる方法はないだろうか?
そう思いながら、競輪の仕事に携わっているのですが・・・・・・
なかなか思うようにいかないのが現状で・・
歯がゆい気持ちばかりがつのります。
ですので、文章から伝わる山岸さんの思い
なんとなく分かります。
山岸さんのブログで投じている一石は、誰も投げたくない一石です。
正しいとか、間違ってるとかではなく
石を投げること
それ自体がもの凄く意義のあることだと思っています。
その一石が波紋となり、やがて大きなうねりに変わっていくことを願ってやみません。
あらためてありがとうございました。