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戦後沖縄を代表する民謡歌手で「セイ小(ぐゎー)」の愛称で親しまれた登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、肝不全のため、入院先の沖縄市内の病院で死去した。80歳。兵庫県生まれ。告別式は未定。
ここ数年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。
登川さんは、父親の影響で幼いころから三線に親しみ、沖縄諮詢会が設立した「松」劇団に1948年ごろ入団。その後も、珊瑚座などの劇団で古典音楽や民謡などを幅広く習得。「早弾きの天才」として脚光を浴びた。
62年設立の琉球民謡協会の評議員に就任し、同会師範としても民謡ブームのけん引役を担った。伝統組踊保存会初代会長の故真境名由康さんにも巧みな演奏やレパートリーの広さを見込まれ、創作舞踊の地謡を務めるなど、民謡以外のジャンルでも力を発揮した。
70年には民謡では初めてという声楽譜付き工工四(くんくんしー)を発刊。「歌の心」「豊節」など自作の歌も多く、レコードやカセットテープ、CDなどは100点以上に上る。
泡盛が好きで、ユーモアにあふれ人なつっこい言動からファンも多く、沖縄発の映画として全国ヒットした「ナビィの恋」(1999年)で、平良トミさんの夫役としても存在感を示した。知名定男さんや徳原清文さんら多くの弟子も育てた。
89年県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者、98年琉球民謡協会名誉会長。2002年沖縄タイムス賞文化賞、沖縄タイムス出版文化賞、12年県功労者表彰。