複数の週刊誌で話題になっている新刊書籍があります。元後藤組組長・後藤忠政氏の『憚りながら』(宝島社)です。何が話題って、創価学会が1960年代末から70年代にかけて静岡県富士宮市で土地を買い漁っていた頃、地元住民の反対運動を封じるために後藤組を利用していたエピソードを、一方の当事者である後藤氏自らがつづっているからです。本書は、5月29日付で発刊されたもので、元山口組後藤組の組長・後藤忠政氏(現在は天台宗で得度し、得度名は忠叡)の自叙伝です。後藤氏の生い立ちから現在までがつづられる中、「創価学会との攻防」に一章が割かれています。

  後藤組が創価学会から依頼を受けたのは、創価学会がまだ日蓮正宗から破門される前。当時、創価学会は日蓮正宗の本山である大石寺の周辺の土地を買い漁り、正本堂や霊園の建築・造成を進めていました。しかし左翼などの反発にあい、地元で反対デモなどが起こりました。このとき後藤氏は、創価学会の顧問弁護士だった山崎正友氏(故人)から、「何とかならんか」と相談を持ちかけられたといいます。山崎氏は1980年に創価学会から除名されますが、公明党関係者が後を引き継いで、引き続き後藤氏に時もいと対策を依頼。後藤組が反対派と「話をつけた」そうです。本書によると、反対派対策が終結した後、創価学会は「山崎とあんたが勝手にやったことで、ウチは一切知りません」という態度になったとのこと。そこで後藤氏は創価学会に内容証明郵便を送ったそうです。一部を抜粋します。

   『憚りながら』100ページ
  ・・・百条委員会に関しては中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処するときは、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。ですからこの件にしても、もしこれが刑法二二三条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。(略)この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いたように、藤桜自然墓地霊園造成問題に関係した、私の若い者が学会のために六年もの刑を受け今だ(ママ)に受刑中です。それを知り、あえて私に百条委調査打ち切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭うことのできない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも分かって頂けると思います。

  この内容証明で後藤氏は、「池田大作氏の真の声を聞きたい」としています。ところが返事は来ず、この3ヶ月後に、富士宮署に突然「後藤組壊滅対策本部」が開設され、後藤組では「若い衆が片っ端からパクられていった」(本書より)そうです。こうした経緯から、1985年に東京・信濃町の創価学会文化会館で、後藤組系幹部らが発砲事件を起こすに至ります。これに対して、学会から「X」なる人物が後藤氏に詫びを入れに来たとのこと。後藤氏はX氏の名を明かしていませんが、編集部の註によると、この人物は藤井富雄・元公明党東京都議会議員とのことです。このときの両者の密会ビデオが、後にメディアで取りざたされました。

  後藤氏が創価学会とのかかわりを語るのは、これが初めて。その理由は、「あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いやそれ以上に悪くなっているから」「創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、見過ごせない」からだそうです。富士宮市において創価学会が後藤組を利用していたことはすでに知られていましたが、本書は、それについて改めて当事者自らが証言している点で、非常に価値あるものと言えます。
(2010年5月18日、抜粋)

  島田紳助さんが引退せざるを得なかったほどの「黒い交際」。創価学会=池田大作=公明党から後藤組が「依頼を受けた」という当事者本人からの明白な証言があるのです。公明党はトラブルが生じたら暴力団に解決を依頼するのが慣例なのでしょうか? そのような過去を持つ政党が釈明も処分もなく、白昼堂々と国民の税金で政治活動をする資格があるのでしょうか? 公明党は以前の事件だからと自分自身で不問になどせず、紳助さんの引退も踏まえた昨今の情勢を考慮した対応が求められます。鉢呂大臣も辞任しました。代議士である国会議員の倫理感覚が、テレビタレントやお笑い芸人以下であってもよい、という傲慢・横暴な態度では世間に通用する筈もありません。
 
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