バンクーバー五輪フィギュアスケート銅メダリストの高橋大輔選手(25、関大大学院)を招いて12日、「ステップ、ステップ、ステップ~明日への一歩」と題した電子版スポーツセミナーが東京・八重洲で開かれた。トークショーではケガからの復活劇や五輪秘話など、山あり谷あり、決してエリート街道ではないスケート人生をユーモアたっぷりに語った。
(聞き手、電子報道部・原真子)
■4回転―3回転は自分でもびっくり
司会 昨年12月の全日本選手権ではショートプログラム(SP)で4回転―3回転の連続ジャンプを決めて優勝。今季は好調ですね。
高橋 4回転―3回転は僕がびっくり。(周りの選手がすごくて)やらざるを得ないというか、心に火がついたというか、半信半疑でするのはいけないのですが、奇跡的に成功しました。
これで去年の運をすべて使ってしまって、フリーまでは続かなかった感じ(ミスが重なり、フリー自体の得点は3位)。でも、今季は怠けて失敗しているのでなく、自分なりに考えてやっている中での失敗なので、すべてに意味があると思っています。
司会 それでは現在に至るまでのスケート人生、まずは始めたころから教えて下さい。
高橋 兄が3人いまして、何かで表彰状をもらってきたときに、僕もほしいと駄々をこねたらしいんです。それで僕にもスポーツをやらせようとなった。ただ兄がしていた格闘技や球技には興味を示さなかったので、近所のスケート好きな方の勧めで始めたんです。
始めて1カ月で試合に出たのですが、4人中4番目。「そりすべり」という曲で滑って、最後のスピンでこけてボロボロでしたね。
■小さいころは特段うまいわけではなかった
司会 その後、初めて出たノービス(9~13歳)の全国大会で上位に入るんですね。
高橋 5位かな? 田舎の子って感じだったと思う。特に踊れるわけでも、うまいわけでもなかった。今の同年代の子の方が、断然うまいですよ。
人前で踊るのは、恥ずかしくはなかったですね。ただ、周囲に「(踊りが)うまくない」「姿勢が悪い」って言われ続けていたので、それが嫌で「僕は(もっと)踊りがうまくなりたいんだ」って思いはすごいありました。
当時のコーチは踊りについて(どちらかといえば)疎い方だったので、フラストレーションがたまって、中学に入ってから離れるんです。
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