22歳、ちょうど(一般的には大学を卒業して)社会人になる年齢だったし、いろんな面でメンタル的に最悪だったんです。ようやくやる気が出てきた08年秋、右ヒザ靱帯を断裂してしまいました。
■単純作業が続くリハビリ、つらかった
司会 同じ大学の織田信成選手が入れ替わるように、モロゾフコーチについて……。気になりませんでしたか?
高橋 織田選手が自分で決めたことだし、みんなトップを目指していて、習いたいコーチに習うのは当たり前。それはストレスではなかったですね。
それより手術後のリハビリがストレスでした。五輪のために、病院が時間を多く割いてくれて、そのありがたさは分かっていても、もう単純作業がエンドレスに続くんで……。(リハビリ映像を見て)金髪。精神的に荒れているときに、僕は金髪になるみたいです(笑)。今じゃ、考えられないですね。
司会 つらいリハビリから何を得ましたか?
高橋 自分の体を知る大事さですね。逆に頭で考え過ぎて、ケガの後、大変でしたけれど。それまで感覚でやってきた人間だから、慣れるのに2、3年かかりました。
今は体が動くメカニズムが分かるので、トレーニング効果も一層あがるようになったと思います。ケガの前は、(体が動くので)調子の良さを維持しようという感じでしたけれど……。
司会 リハビリ中も「目標は金メダル」と言い続ける一方で、「現実は厳しいかな」とも漏らしていましたね。
高橋 (見えを張ろうにも)取り繕えないくらい焦っていました。復活劇は絶対に成し遂げたいって思ってはいましたが、自分で自分の状況は一番分かりますから。
ジャンプ勘がまったくなくなってしまったので、ケガをした後、最初にジャンプを跳んだときは「絶対無理」って思いました。五輪に行くのがやっとかって。
試合でも成績が出ない上に、いい演技もできない。公式練習でも、僕だけジャンプが跳べなかったりして……。今までそんな心配はしたことがなかったから、情けなくて、恥ずかしくて、みっともなくて……。自信を持てずに大変でした。
よく長光コーチらとケンカしました。原因は僕の八つ当たり。トレーナーには携帯を投げちゃったことも……。トレーニングより、心のケアのための時間の方が多かったと思います。
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