司会 そして今も教わっている長光歌子コーチに出会いました。
高橋 お互い仙台で合宿しているときに、偶然会ったんです。(そのときに)振り付けをしてもらい、「いいよ、いいよ」って調子に乗せてくれて、とても楽しかったことを覚えています。
(実家のある岡山県倉敷市から)長光先生のいる大阪は通えることもあって、週末に教わるようになったんです。平日は1人で自主練だったので、週末がとても貴重で、いっぱい教えてもらえる喜びを感じていました。
■世界ジュニアを制してからがつらかった
司会 「周りを見すぎる子」だったとか。それは目立つことが大切なフィギュア競技ではマイナスだったのでは?
高橋 地元でお世話になっていた方から、「田舎者なんだから、ちゃんと周りを見て気を使ってやりなさい。出しゃばるんじゃないよ」って言われていたんです。
見たくないものが見えすぎて、(そうしたことが)邪魔になったことはあります。でも、いろんな方の様子を観察してから接することで、良かった面もあります。気づかないうちに役立っている部分はあると思います。
司会 高校1年で世界ジュニアを日本男子で初めて制しました。
高橋 「何番になれるかな」って、なんの構えもなく出たら、ポンと1位になれました。でも、翌シーズン、シニアに上がってからがつらかった。意識がついていっていませんでした。
今の日本人選手はメンタルも強いし、自分というものを持っていて、目標をきっちり定めています。僕はそういうものが全くなく、ぬるい環境で育ってきていたので、最初の衝撃は大きかったですね。
当時は4回転ジャンプ時代で、最低でも2度跳ばないとメダルに届かなかったし、全く蓄積のない選手がポンと出てもなかなか勝てない。試合前から「もう無理」っていう感じで完全に引いていて、そこからはい上がるのが大変でした。
「(もし当時の自分に声をかけることができるなら)もうちょっと頑張れよ」って言いたいですね。でも、もし早い時期からガンガンやっていたら、つぶれていたかもしれません。遠回りでも、いろんな経験ができたのは良かったと思います。
司会 そのころカナダ、米国、ロシアに練習に行っています。いろんなことを教わりすぎて、混乱はしませんでしたか?
高橋 とりあえず言われたことはすべてやってみて、(自分に)合わなければやめる。昔からいろんな人に習ってきたので、そういう選択はできるんです。いろんな意見があるけれど、全部できるわけはありません。自分で調整しないといけません。
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