2013/03/02(土) 22:30:47
MK2さんのブログ、『24時間残念営業』の「単なる一消費者のわがままとして」という記事が話題になってます。エロゲー世界の北の端っこくらいにかろうじて蜘蛛の糸でぶら下がっている私のところにも、さまざまな感想とともに回って参りました。そんなわけで、今回はこの記事を元ネタにして考えたことを書くことに。
▼問題の所在
最初に断っておくと、私この記事そのものについては別段なんとも思わないというか、「良い文章だなぁ」くらいの感想です。あと、『ひなたぼっこ』は私も大好きです。FDも良かった。
ただ、この記事が「エロゲーの将来の展望」とか「可能性」のように言われているのを頻繁に見かけまして、「それはちょっと違うんじゃないの?」と思ったのです。
同じブログ内の他の記事なんかも拝読したんですけど、書き手のMK2さんはものすごい「語る範囲」を正確に絞って(あと、時々巧妙にミックスさせながら)文章書かれる方ですよね。んで、タイトルが「単なる一消費者のわがままとして」なわけでして、そこから業界の展望の話に行くには、ちょっと考えるべきこともある。さしあたっては単にこの方が、そういうエロゲーほしいですという話であって、私が触手触手言ってるのと、究極的にはそう変わらない。
変わらないんだけど、巧妙に「一般的な話」を混ぜてるのがお見事と言いますか。社会人になって時間が……とか、かつてほどの熱意が……みたいな話ですね。トドメに、「この感覚は決して俺だけのものではないと思っている」という一言。一般的な話を織り交ぜることで話はぐっと理解しやすく、また共感もしやすくなる。
また、エロゲー業界に対して悲観的な展望を語った、nbkz氏(minori)のインタビュー記事、「平均年収は300万円以下?! 衰退化が止まらない美少女ゲーム業界の現状」に冒頭で言及しておられ、そこからずれていく様子が半ばカウンターのように書かれていることもあって、「エロゲーのこれからに関する可能性」を示唆しているようにも見えたのではないか……とも思います。わかんないですけど。
ただこれ、繰り返しますがやっぱり「一消費者のわがまま」なのであって、「個人の希望」ではあっても「業界の希望」の話ではない。少なくとも、個人と業界の間にある溝を埋めていくと、この記事から見えてくるのは、nbkzさんの記事以上の、暗い展望ではないか、というのが私が今回、この記事を書くに至ったモチベーションです。その理由は、読んで頂ければ早いのですが見通しだけ申し上げておきます。
(1)エロゲーを短くすることは必ずしも業界の現状打破にはつながらないのではないか。
(2)そもそも現状において、まず「長さ」にこだわっていて良いのだろうか?
という二点。では、見て行きましょう。
▼「ライトユーザー」は業界の「救世主」たり得るか
いまユーザーのニーズとして「短いエロゲー」が望まれているということ。これは非常によく伝わって来ました。そういう人たちをここでは、(一般的な用法とは違うかもしれませんが)「ライトユーザー」と呼ぶことにしましょう。
ライトユーザーからの要望として、自分たちはエロゲーを楽しみたい。でも生活環境的に楽しめない。だから自分たちにあわせた作品があったらいいなぁ。MK2さんの記事というのは、そういうことだったかと思います。そして、こうしたユーザーの声に、昨今のエロゲーの低調さというのがうまく噛み合うように見えた。業界の方を巻き込んでこの話が大きく広がった裏には、そんな事情があるのかもしれません。
もうちょっと具体的に言えば、いまエロゲーが売れない。売れないのに「大作」を作ると開発費と時間だけはかかる。つまり「今のままではやっていけない」という危機感が、作り手の側にある。この辺りは、MK2さんが引用しておられるnbkzさんのお話と逆(nbkzさんは結局は年間1本でユーザーが満足するのを出すのがベストか、みたいな話をされているので)のようにも見えますが、たとえばOVERDRIVEの社長が先日、こんな記事を書いておられました。これなんかは既存の方法ではやっぱり限界があるということで、その点についてはnbkzさんも認めておられるのではないかと思います。
つまるところ、こうした閉塞を何とかするために、エロゲーから離れつつあるライトユーザーの取り込みを図りたいという考えが出てくる。すると、ちょうどそういうユーザーは、「大作」を望んでいないという声があがった。これ幸い、渡りに船と、「ライトユーザーのニーズに合わせるのも1つの選択肢ではないか」みたいな主張を積極的に打ち出した……というような話が今回のことなのかな、と。
しかし、本当にこの二つって簡単に結びつくのでしょうか。
というのは、MK2さんの方の問題意識って「エロゲーに段々関心持てなくなってきた」っていう話じゃないですか。ものすごいざっくり言うと。「長いからエロゲーをやめた」んじゃなくて、「エロゲーに対する比重が軽くなったから、長いのをやらなくなった」わけですよね。MK2さんのお言葉を借りれば、「「本当に大好き」ならばどんな状況でもやるわけだが、現在の俺にとってエロゲはそういうものではない」。
これたぶんすごく重要なポイントで、要するに(ここで定義した)ライトユーザーの人たちって、そもそもエロゲーにこだわる理由がまず無い。あるいは無くなりつつある。もっといえば、アニメとかラノベとか、そういうので代替可能なものとしてエロゲーを扱ってるということです。そして、エロゲーにこだわる理由が無いってことは、すぐにそっぽを向いて違うコンテンツに走る可能性が十分にある。
それが悪い、と言いたいのでも、エロゲーに忠誠誓ってる俺SUGEEEと自慢したいのでもありません。そういう話だと思って読んでる人はお引取りください。言いたいのは、純粋なユーザーの傾向(あるいは嗜好)の違いです。
エロゲーというコンテンツ自体に特にこだわりがないということは、他のコンテンツと容易に比較されるということです。エロゲーで抜くこともなく、ADVという形式にこだわりもなければ、当然アニメやラノベが比較の対象として浮上してくるでしょう。その時、エロゲーというコンテンツはどれだけ、他の媒体に比べて「優位」を保てるのでしょうか?
これと似たようなことを、minoriのnbkzさんも言及しておられます。「スピード感」だとか、「支持層ではなく購入層が違う」というあたりのお話ですね。私は、これ結構その通りだろうと思う。
エロゲーとラノベやコミックスではフォーマットが大きく違う。たとえばエロゲーにはインストールの手間がかかります。お金だってかかる。PCだと、スペックの問題とか場所の問題とかも出てくる。ちょっと乱暴にまとめると、ラノベやコミックスで代替可能なものをエロゲーで提供したところで、競争になったら負ける率が高い――少なくとも、積極的にエロゲーを選択する理由が少ないのではないか。
ライトユーザーというのは、生活時間の変化や金銭的な事情、あるいは情熱の低下など、さまざまな要素によってエロゲーの中心から距離をとっている人びとです。そんな彼らが、エロゲーのプレイにかかるもろもろのコスト(手間)を惜しむこと無く、他の競合するコンテンツを押しのけてエロゲーを消費し続けてくれるかというと、私は結構怪しい気がする。これから先、景気が悪くなっていったら、まっさきに切られる娯楽かもしれない。
だからライトユーザーのほうを見るな、と言っているのではありません。それだけは誤解しないでほしい。そうではなくて、ライトユーザー的欲求を、エロゲーの作り手の方が有効なかたちで反映するというのは非常に大変ではないか、ということです。なんたって、既に飽きつつある人(それだけではないかもしれませんが)、エロゲーを第一だとは考えていない人を、うまく飽きさせないようにしながらエロゲーというものに接続させないといけないのですから。本質的な問題は「プレイ時間がかかるかどうか」というところになどなくて、根本的な魅力の組み換えが必要なのだと思います。
ちょうどネットゲーム業界では、ソーシャルゲームがその役割を担いました。「ネットゲーは時間がかかりすぎるから」と言っていた人びとが、それ以上の時間と金を、ソーシャルゲームにつぎ込んだりしている。もちろんカジュアルなプレイスタイルを構築することで「時間」の要求には応えたわけですが、それ以上の根本的な魅力を提出することによって、ソーシャルは時代の寵児たり得たのでしょう。
エロゲーでも、そういう「新機軸」を打ち出す必要が、おそらくはある。そうでないと、本当に一時的には「お手軽」な作品に満足を覚えても、(手軽なだけに何本もできるので)やがてマンネリを感じて「飽きた」と言い出すか、他のもっと手軽なコンテンツに乗り換えていくか、リアルが忙しくなって撤退していくか……という先細りの未来が待ってるように思われます。それならまだ、既存のヘビーユーザーからむしり取ってるほうが楽だし確実だと思います。もちろんついていけないくらい絞っちゃうと焼畑農業にしかならないので、生かさず殺さずで。
まあこれぞ、nbkzさんがおっしゃるところの「タニマチ商法」ですね。nbkzさんは、上に述べたような「新機軸」を打ち出すことの困難をおそらくは強く意識しておられるのだと思う。だからこそ、エロゲーはエロゲーらしさをより掘り下げていくという方向を、1つの案としてではあるけれど提示した。そしてMK2さんもまた、「これが実現できるかっていうと、まさに「できない」というのがリンク先のインタビューの話なわけで、俺が言うことは絵空事に過ぎないわけではありますが」と自己言及しておられる。
あともう少し考えを進めれば、もしライトユーザーにあわせていったとして、その結果できあがった市場が、「どうしてもエロゲーじゃないと!」と考えていた層(「ヘヴィユーザー」とでも呼びましょうか)にとって魅力的かどうかという問題もあります。エロゲーへの依存度が高い人は、生半可なことでは離れないから多少放置しても平気かもしれませんが、当然行き過ぎるとそっぽ向かれる可能性はある。
ライトユーザーにターゲットを移したけれどすぐに飽きられ、気づいたらヘヴィユーザーも情熱を失っていた……というのは、ある種考えうる最悪の自滅シナリオではないかと思います。
この記事から見えてくるのは、したがって、現状の閉塞打開への手がかりよりもむしろ、ユーザー、特にライトユーザーの望んでいる方向性というのを実現しつつエロゲー界隈に残ってもらうことの困難であり、同時にそれを何とかしなければnbkzさんが言うところの「タニマチ商法」に頼っていくしか先が見えない、苦しい現状なのではないでしょうか。まあ皆さん(特にクリエイターの方は)、そんなこと百も承知で読んでおられるのかもしれませんが。
▼こだわるべきはまず「長さ」なのか?
さて、思いのほか一つ目の問題が長くなってしまいましたが、次の話に移ります。もう少しお付き合いください。
もうひとつの問題というのは、MK2さんの記事内容そのものからは少し離れまして、これが読まれている現状に関する話、もう少し具体的に言えば、エロゲーユーザーと、クリエイターの意識に関わる問題です。ゲームクリエイターでもない、作ったこともない私が作り手の意識に言及するなんておこがましいにも程が有るのですが、あくまで「作り手の態度から演繹される、ユーザーから見た作り手の意識」であって、実際のそれと必ずしも一致するとは思っていません。また、自身が論説系とはいえかきものに携わる身としては、畑違いかもしれませんが一応、無関係ではないという意識もございます。
たとえばですけど、ある学生街に1000円で凄いボリュームの定食があるとします。で、昔は体育会系の学生が多くて、この定食がバンバン売れていた。ところが最近になってそういう学生は減り、お客さんも貧乏学生やサラリーマン(ワンコイン族)が増えた。材料費も、昔と比べると随分かかるようになった。周囲では最近、サイ○リヤとかラーメン屋とか移動弁当屋が人気で、この定食屋としてはボリューム減らして500円くらいの新しい定食だしたほうが売れるし生き残れるんじゃないか。少なくとも今のまま、1000円の定食出し続けるのはキツい……。
で、「おやっさん、ボリューム多いと思うよ」っていう人に対して、「だよねー。俺もそう思ってたんだよねー。いやマジ、あの体育会系の学生たちは図体も声もでかいし、数も多かったからずっと出してきたけど正直無理があると思っててさ。やっぱりこれからはよく食べてくれる普通の人に向けて、量も減らして値段も下げて、500円くらいの軽食をメインでやっていこうかと思ってるんだよ」って言ってるの聞いちゃったら、好きで通っていた体育会系学生としては、傷つくところもあるわけじゃないですか。
また個人的な感傷とは別に、「え、これまでお店で出してたメニューをそんな簡単に方向転換しちゃえるような、そういうこだわりで作っていたの?」というのもちょっと気になります。定食やめてラーメンやりますとか、バーガーショップにしますっていうのは、生き残ることを考えたらわからんでもないけど、いままで出していたものは本当に「道具」だったんだなぁと。
私はそういう転身をやむなしと考える部分もある反面、ちょっとした寂しさも覚える。それはおそらく、提供されるものが「商品」なのか「作品」なのかということに由来するのではないかと考えます。
この辺りの問題って言うほど単純ではなくてかなり複雑なんですが強引にまとめると、商品という側面を大きく取れば、ユーザーのニーズにあわせたものを出すというのはわかるけれど、創作物という側面を大きくとるのなら、ニーズにあわせたものばかり出てくるのは面白く無い……といったところでしょうか。作り手の人が作りたいものを作って、それを見たいのだ、という思いも強くあります。
下は、ALcotのみやぞうさんのツイート。これなんかはリサーチも踏まえて非常に「戦略的」に長さを決定しているようですが、「作り手も冒険しやすかったりもしますしね」という最後の文言からは、むしろ作りたいもののために長さのほうをあわせた、という作品性本位の印象を受けます。
ちなみに文庫ラインのアンケート見てると、短い、という意見より、社会人にはとても丁度良いボリュームです、という意見の方が多かったりします。やっぱりあのくらいのボリュームが欲しい層は確実にいらっしゃる。あれくらいだと作り手も冒険しやすかったりもしますしね。
— みやぞう@今日の久美子、ちょっと大胆さん (@miyazo) 2013年2月27日
もちろんバランスの問題ではありますけれども、それこそ「いち消費者」の立場として言わせてもらうならば、私は作り手の人が自信を持って送り出した、そして「これがやりたかったんだ」と思って送り出された作品をやりたい。別の言い方をすれば、市場の動向がこうだから……というようなことで作り手の人の意識が過分に曲がってしまうようなことは、あまりあってほしくないなぁ、と。もしもエロゲー市場というのがそればっかりになってきたら、野心的なクリエイターは皆、エロゲーから離れていってしまうでしょう。(なお、みやぞうさんはこの後、「勿論規模の大きいタイトルもあるべきですよ。選択肢は多い方が良いです。多様性が無いと業界が死にますしね。」ともおっしゃっておられ、これはある意味、単一のターゲットに絞ることの危険を意識した発言であると思われます)
そのように考えた時、「ユーザーが望んでいるから長く/短くしよう」というのは、商品における誠実さである一方、その裏返しとして作品としての不誠実さ(キツい言い方ですが、他に思いつかなかったので)にも見えてしまう。ふつうに作品本位で考えたら、「この作品に必要だったのはこの長さなんです」ということですから。下に引用する元長柾木さんのツイートは、「人生」という喩えで簡潔かつ的確に、作品と作家との関わりの本質を言いとっておられます。
個人的には、エロゲが長すぎるというのは、人生が長すぎるというのとほぼ同じ。ボクは早死にしたくないですね
— 元長柾木さん (@motonaga_masaki) 2013年3月1日
こりゃまったくその通りで、たとえば私が自分の書いた文章――それはこのブログの記事も含めてですが――を、本気で書いて、これ以上は付け加えることも削ることも無い、という自負のもとに送り出したとして、それを「長い」とか「短すぎる」といわれたら、その批判は受け入れたとしても、簡単に変えようとは思わないだろうと思います。私ですらその程度のこだわりはあるのですから、況やプロのライターさんをや。
実際問題、「本当は3キャラにしたかったのに、ユーザーが満足しないから5キャラになった」とか、「このくらいの長さにしたかったけどユーザーから不満が出るのが怖くて長くした」みたいな話って、誰も幸せにならないですよね。ユーザーからするとそれって(もちろん「サービス」として肯定的に受取ることもできますが、どっちかというと)、本当はやりたくなかったのに水増ししたのかっていう印象。作り手の側からしても、自分がやりたかったことの本意を曲げて妥協したうえに、体制的にも無理して作ったということになります。それはどちらも、とても哀しい。
エロゲーのライターでもありラノベ作家でもある橘ぱんさんも、次のような言い方で、誰も望まない方向へと業界が進みつつあることに警鐘を鳴らしておられます。
しかし、お値段据え置きCG据え置きでシナリオ量だけが、どんどん増えていった今は、やっぱりおかしい気がするなぁ。本当にユーザーが求めたことなのかな。値段据え置きってことは、どっかが薄給になって、徐々にクオリティ落ちるってことだし。
— 橘ぱんさん (@pan_baron) 2013年2月27日
いまエロゲー業界のプロ意識は、商売ということについて主に発揮されている。でも、表現ということに関して言えば、妥協してしまっている。そんなふうには言えないでしょうか。それは、ユーザーを説得するだけの作品を作り続けられなかった作り手の側の問題でもあり、またそういう作り手を支えられなかったユーザー(市場)の問題でもあると思いますが、責任をゴタゴタ言うのは不毛なのでここではやめておきましょう。
多様化するユーザーの要望に、どう応えるか。積極的に聞き入れてユーザーの希望に適う作品を作るのか。あるいは、「これが作品に必要なのだ」とつっぱって、いままでやってきたことの魅力をより的確に伝えるようブラッシュアップするのか。行き着く先はおそらく、作り手の側が作品に対する最適なスタイルを自己決定しづらい現状をいかにして打開するか、というところです。エロゲーの「長さ」問題というのは、そのような根深い問題の、あくまでも1つの典型的なあらわれにすぎないのではないでしょうか。
▼まとめにならないまとめ
上に挙げたような二つの問題の直接の原因は、作り手の、あるいはユーザーの持つ多様な価値観を受け入れるだけのフトコロの深さみたいなのが、なくなりつつあるエロゲー市場の脆弱さなり縮小化なりというところになるのだとは思います。そして私は1ユーザーである以上、直接かつ効果的な業界への貢献なんて大それた真似はやはりできません。
せいぜいが、エロゲー買って、良いと思った作品を「良かった」と言い、ダメだと思った作品については「ここ良くなかった」と率直な感想を言って、ああ楽しかったと満足するのが関の山です。もちろんそれだけでは成り立たなくなっていった現状をユーザーとして重く受け止める必要はありますが、結局のところ業界の舵取りをするのは現場の人でしかないわけで、問題意識を手放すつもりはないけれど、そこに自分が参与できるとは思わないし、思ってはならないのだと考えている。業界から離れていった人を批判したり、あるいは彼らへ働きかけて呼び込むなんてのは到底無理。そもそも、いまはエロゲーマーの間で内ゲバやってる場合じゃないので、思想的対立(笑)とかどうでもいいです。
じゃあ、私は何をするのか。個人的にはまず「基本」に立ち返ろうと思っています。
「基本」というのは、エロゲーをガンガン買うことでも、感想を言うことでもありません。もちろんそれらは最終的にどこかには含まれてくるかもしれませんが、一番の基本ではない。基本は、何よりもまず、エロゲーを楽しむということ。楽しい気持ちでゲームをすること。開き直り、あるいはふざけた肩透かしにしか聞こえないでしょうか。そもそも、それができないのが問題じゃねぇかって話ですからね。でも、作り手の人を信頼し、感謝して、できあがった作品をいろんな意味で楽しみながらプレイすることこそが、いま現役でエロゲーをプレイしているユーザーとしての、まずもって欠かすべからざる関わり方ではなかろうかと思うのです。
おしまい。