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2013-03-04

[]エロゲの本編は物語ではなく日常パートだ

エロゲに必要だったのは本当にボリュームなの?

読んでた。

結論の出ない議論だし、各論にいちいち突っ込んでいても無駄なので俺の言いたいことを短く一つだけ言う。みんなそれを指摘しないし、だれも気にせずまるでコンセンサスがとれていたように扱われてたから言わせてもらいたい。

だらだらとした日常パートのなにが悪い

この議論の前提として持っていなければいけないはずの認識が抜けてる。シナリオの長大化の原因はなんだ?

それは日常パートの肥大化のせいだ

物語の本筋と関係ない部分を長くやるからシナリオが長大化する。シナリオを削ろうと思えば削れる部分はあるはずで、それを実現したときまず削られるのは無駄な日常パート。これに文句のあるやつはここで撤収したほうがいい。これ以上書いても長くなるばかりだから書かないから。

だが、ここで重要視するべきはどうしてシナリオが長くなったかという根本的な問いだ。なぜ?そんなもんユーザーが望んだから以外にないだろう。メーカーの戦略のせい?マーケティングのミス?だったら、大手メーカーのシナリオが長いわけがない。エロゲメーカーの大手が長いってことは、多くのユーザーがボリュームのあるシナリオを求めたというわけで、そのニーズを汲み上げてメーカーは制作しただけの話。

じゃあ問題はなんだ?それは

シナリオが長くて

フルプライスで一万円近くした上に

”おもしろくなかった作品”だよ

おもしろければ長くてもいいんだよ。むしろ、おもしろくて長いものをユーザーは求めた。それはエロゲーの歴史が証明してる。だらだらとした日常パートですらもおもしろさに含まれる、そんなエロゲーをエロゲーマーは求めてる。

じゃあなんで、つまらない日常パートが批判されてるのかといえば、それがやり玉に上げやすいからだよ。批判しやすいからだ。だって、つまらないうえに長いって目立つだろ。1時間近くつまらないものをプレイしてれば、そりゃ真っ先に否定される。シナリオがワンパターンなどといった批判がエロゲーではされてしかるべきなのに、今最も批判されるのはだらだらとした日常パートだ。この理由は、シナリオは批判するのが難しいってのがある。下手な批判すると”それはお前が納得できてないだけの話だろ?”とか”フィクションに対して現実性求めすぎ”とか言われるから、そこには批判入れない。これを意識下でやってるのか無意識下でやってるのかは知らんが、大抵のやつはこれを理解してるからそれをやらない。でも批判したいときはあるもんで、そのときやり玉にあがるのが日常パート。

でも、よく考えればこれほど意味のない批判もない。エロゲーの存在意義を否定してる。今のエロゲーはどういうのがあるか。大体は学園系で日常いちゃラブもの。主人公とヒロインのどうでもいいイチャラブをプレイヤーは読むわけだ。だけど、エロゲーの目的はそこだろ。高尚なものが読みたければ文学を読めばいい。

エロゲーマーがエロゲーをプレイするのは女の子と男の子とのイチャつきやエロイことをしてるのを見たいからだろ。

その目的を果たしているのは日常パートだ。物語を読みたいなら文学やラノベを読めばいい。

今は物語性を重視するエロゲー多いから、エロゲーにそれを求めるなとは言わないが日常パートを排除することを望むな。それを外したらエロゲーじゃない。日常パート=イチャラブで定義するのは乱暴だと思うけど、学園系が跋扈してる現状だとこの定義が間違ってると言うことも難しいはずだ。

はっきり言っておくが、俺はなにも起きずに延々といちゃいちゃしつづけるヒロインを見て「かわいいなぁかわええなぁ」言ってられればいい。昨今の大作志向をどうかと思ってるからな。もちろん、大作志向が悪いと言うわけじゃない。『バルドスカイ』や『装甲悪鬼村正』『フェイクアズール・アーコロジー』『穢翼のユースティア』などの物語重視の大作、どれも大好きだ。だけど同時に『大図書館の羊飼い』や『のーぶる☆わーくす』『プリマ☆ステラ』『DRACU-RIOT!』などの物語性の薄い日常系作品群も大好きだ。その極北である『ラブラブル』なんかよだれダラダラたらしながらプレイしたね。

 重要なのはどちらか一方に偏ることじゃない。様々な作品が市場に存在しているという多様性だ。それがユーザーにとって最も望ましい状態であるはずだ。日常系を排除するような偏った議論は少数の勝者を生むだけで全体的にはマイナスしかない。そのことを理解して、この議論は出発するべきだと俺は思う。

上のプリズム◇リコレクションがかなり評価低くて、その理由がこの議論でされているようなポイントで、こういう作品から淘汰されていくと思ったらなんだかね。体験版しかやってないんだけど、そこまで批判される作品と思えなくて。日常を楽しく書くのもライターの力量だし、それが出来なかったライターが悪いとしか言えないけど、物語にばかり期待するユーザーの現状に対しては以前から思うところがありましてね。

『大図書館の羊飼い』はおそらく今年プレイした中で、最高の一作になることが3月時点で確定的なんだけど、それも評価が伴ってなくて多くのユーザーと俺の意見が一致してないことが気になってる。これは思いっきり学園の日常を楽しむことを重視して、それをライターが丁寧だけどばっさりと日常を切り出してて、それがむしろ居心地のいい日常空間を生んでて「けいおん!」以来のヒットだなーと思ってプレイしてたんだけど、その良さが全くと言っていいほど共有されてない。この作品は出来れば50時間でもプレイしたい。物語はほとんどなくてもとにかくあの作品を終えたくないという病的な気持ちに駆られたんだけど、そういう気持ちは多くの人は持ち合わせてないもんなんだろうか。

これAugust(通称八月)という大手メーカーなんだけど、思いっきり大作志向で壮大な物語をつくりあげた前作『穢翼のユースティア』で大ヒット飛ばした。おかげでファンは今作も大作期待してたんだけど、学園日常系で肩透かし喰らって評価が上がらないという現状。今のエロゲ見てるとそういうの多い。期待が先にあって、それを超えられなければ評価がネガティブになる。

とりあえず、おもしろい日常系作品をそのまま評価できる目を養うところからユーザーが始めないと、現状はどうしようもないのかもしれない。ユーザーに目がないわけじゃないが、期待してたんだけど落胆して作品のおもしろさを探す努力もせずに終わるってパターンが多い。そのあたりに問題意識をつくっていく議論からはじめていったらいかがかと。

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