2013年3月18日(月)

イラク戦争開戦から10年(1) ~今だ傷癒えぬイラク・アメリカ~

10年前の3月20日、アメリカはイラクへの先制攻撃を開始。
当時のフセイン政権が大量破壊兵器の開発を進めているという理由からでした。
アメリカ軍はわずか3週間で首都バグダッドを制圧。



アメリカ ブッシュ大統領(当時)
「イラクでの大規模な戦闘は終わった。
アメリカと同盟国は勝利した。」

しかし、大量破壊兵器は見つからず、アメリカの威信は失墜。
さらにアメリカが主導する占領統治に反発する武装勢力の活動によって、治安は急速に悪化します。
泥沼化した戦争でアメリカ兵4,400人以上、イラク人12万人が命を落としました。
今、イラクでは少しずつ復興が進んでいます。
石油生産が回復するにつれ、人々の消費意欲も高まり、各国企業の進出も進んでいます。
一方で、戦闘やテロの犠牲になった人たちの悲しみは今も癒えぬままです。

「(アメリカは)私の家族を殺して人々を分裂させ、多くの人を苦しめました。」

開戦から10年。
イラクとアメリカの今を見つめます。


傍田
「イラク戦争の開戦から、まもなく10年を迎えます。
今日(18日)と明日(19日)の特集は、シリーズでお伝えする『イラク戦争開戦から10年』。
1日目の今日は、戦争がイラクとアメリカに何をもたらしたのかに焦点を当てます。」

鎌倉
「まずは、イラクの復興の現状と戦争で肉親を失った遺族がこの10年をどう生きてきたのか。
イラクからのリポートです。」

イラク戦争 開戦10年 復興進むイラク

バグダッド市内です。
繁華街で目立つのは外国製品の広告です。
近代的なショッピングモールも登場。
洋服や家具、それに化粧品など最新の輸入品が揃い、人々の消費意欲をかきたてます。

女性客
「戦争後、質のよい輸入品がたくさん入ってきていますよ。」

復興が進みつつあるイラク。
しかし、戦争で家族を亡くした遺族たちの悲しみは続いています。
バグダッドに暮らすファラ・アルカーンさん、15歳。
10年前の2003年4月に両親を亡くしました。
今は祖父母と暮らしています。
親子3人で戦火を逃れ、車で避難している最中、アメリカ軍に武装勢力と間違われて銃撃されたのです。
父親と母親は病院に運ばれた後、亡くなり、ファラさんだけが一命をとりとめました。

ファラ・アルカーンさん
「父は劇場などへ連れて行ってくれました。
母は甘えさせてくれ、愛してくれていました。」



2004年の春。
児童館の絵画教室で、初めてファラさんに出会ったときの映像です。
当時6歳、両親を亡くして間もないころでした。

その時、ファラさんが描いた絵です。
イラクでよく見られるナツメヤシの木。
しかし、なぜか枯れていました。
理由を聞いても答えてはもらえませんでした。
その理由を知りたいと、ファラさんの両親が銃撃を受けた場所を訪れました。
そこは、ナツメヤシの林でした。
アメリカ軍から銃撃を加えられたとき、母親に抱きかかえられて生き残ったファラさん。
母親の肩越しに見えたのは、ナツメヤシの木だったのです。
あれから10年。
ファラさんは、枯れたナツメヤシの絵について話をしてくれました。

ファラ・アルカーンさん
「その時はとてもつらかったので、悲しみと不安を表現して描いたんです。」

ファラさんは今でも、両親の命を奪ったアメリカに対して複雑な思いを持っています。

ファラ・アルカーンさん
「独裁者を追い出したのは正しいけど、野蛮な行為もしたわ。
私の家族を殺して、みんなを分裂させ、多くの人を苦しめました。」

夏には高校1年生になる予定のファラさん。
大学で法律を学び、弁護士を目指しています。
自分と同じように理不尽な思いに苦しむ人たちを助けたいからです。

ファラ・アルカーンさん
「これからは自分自身で人生を築きたいの。
(弁護士になり)抑圧された人の権利を守りたいです。」

イラク戦争で家族を失った大勢の遺族たち。
開戦から10年、少しずつ前に歩み始めようとしています。

イラク戦争 開戦10年 イラクの現状は

傍田
「では、バグダッドの別府記者と中継が繋がっています。
別府さんと一緒にバグダットで取材をしたのが2006年から7年にかけてでしたから、もう6年以上前のことになりますけれども、当時と比べてもずいぶん様子が様変わりしているように見えますが、現地の最新の状況は今、どうなってるんでしょうか?」

別府記者
「宗派抗争が激しかったあのころと今を比べますと、様変わりしたと言ってもいいかもしれません。
当時は毎朝、数10もの遺体が路上に放置されて見つかっているような状況でした。
爆弾テロや迫撃砲弾の爆発音が断続的に続いていました。
瓦礫が広がり、人影もまばらな町でした。
『バグダットの町全体が死んでしまった』こう表現する人もいました。
しかし今、息を吹き返したかのようです。
繁華街には全面ガラス張りの店も増えています。
もはやテロの爆弾の爆風を心配していないということを主張しているかのようです。
原油の生産量が開戦前の水準を超えたことも、人々に自信を与えています。
とはいえ、インフラの復旧はまだまだです。
中心部でも舗装されていない道路が目立ちます。
停電もしょっちゅうです。
まだ発電機が生活に欠かせません。」

イラク戦争 開戦10年 イラク 治安情勢は

鎌倉
「そういった状況の中ではありますけれども、イラクは安定に向かっていると言っていいんでしょうか?」

別府記者
「なかなか難しいところだと思います。
2011年終わりのアメリカ軍の撤退後、治安の悪化が懸念されました。
確かに今は落ち着いてきました。
しかし、もともとイラクのテロはフセイン政権崩壊後の混乱の中で、外国から入り込んだアルカイダ系の過激派が主体に行っていました。
彼らにとっての、いわば主要な敵であるアメリカが撤退した以上、もはやイラクを闘いの舞台に利用する必要がなくなったという面もあります。
とはいえ、昨日も南部のバスラで自動車爆弾で10人が死亡するなど、テロや襲撃が散発的に続いています。
先月(2月)だけで、全土で200人以上が犠牲になっています。
こうしたテロが無くならない背景には、イスラム教の異なる宗派間の対立があります。
アメリカは大量破壊兵器が見つからないとなると、今度はイラクに民主主義をもたらすのだと言い始めました。
しかし、イラクの政治は宗派間の激しい権力闘争の場となり、対立が先鋭化しました。
アメリカが開けた宗派間の抗争という『パンドラの箱』。
この箱が閉じないままアメリカは出ていき、残されたイラクは今もその影響に呪われ続けています。」

傍田
「バグダッドから別府記者でした。」

鎌倉
「一方で、戦争を仕掛けたアメリカもまた、今、そのばく大なツケに苦しんでいます。
イラク戦争の教訓からアメリカが選択したのは、紛争への地上部隊の派遣には慎重に対応するという10年前とは正反対の外交方針です。
アメリカの現状についてワシントンからの報告です。」

イラク戦争 開戦10年 帰還兵はいま

首都ワシントン郊外にあるアーリントン国立墓地。
イラク戦争で死亡したアメリカ兵の多くが、ここに埋葬されています。
戦争では4,400人以上のアメリカ兵が死亡し、後遺症の残る大けがを負った兵士は3万2,000人。
イラク戦争は、アメリカにも大きな傷痕を残しています。

樺沢記者
「ここは南部フロリダ州にあるホームレスの帰還兵を収容するための施設です。
戦場で精神的な傷害を負って、仕事や住む場所も失なった帰還兵がここで収容されています。」

アメリカでは、ホームレスの7人に1人が帰還兵です。
死と隣り合わせの戦場から帰国して、社会に適応できなくなってしまった人が多いからです。
この施設で暮らすデニス・メディンさん。
イラクから帰国後、精神的に落ち込むことが多くなり、軍を退役。
その後、仕事も失いました。
3年前には妻と離婚し、3人の子どもとも離れて暮らしています。

「あなたにとって戦争は終わっていない?」

デニス・メディンさん
「私を含め、ここに住む帰還兵にとって戦争はまだ終わっていません。
不幸にも、戦争は私の人生を変えてしまったのです。」

イラク戦争 開戦10年 アメリカ 負の遺産

イラク戦争の後遺症は、アメリカ政府の財政も蝕んでいます。
最新の試算によりますと、イラク戦争とアフガニスタンでの軍事作戦をあわせた戦費は、日本の国家予算の4年分にあたる380兆円に上ります。
さらに、戦争に派遣された150万人の兵士と遺族への恩給など、今後40年にわたり、さらに200兆円もの負担がのしかかると予想されています。
大規模な陸上戦を伴う戦争は国力を著しく低下させる。
アメリカがイラク戦争で得た最大の教訓です。

ブッシュ政権時代、『Boots On The Ground』をかけ声に、日本にイラクへの陸上部隊の派遣を迫ったアメリカ。
そのアメリカが今、外交の基本方針として打ち出しているのが『No Boots On The Ground』。
陸上部隊は派遣しないという原則です。

パネッタ国防長官(当時)
「ブーツ オン ザ グラウンド(陸上部隊の派遣)という選択肢はない。
平和維持部隊としてならあり得るが、紛争地域に派遣することはあり得ない。」

陸上部隊の代わりとなるのが、空からの目です。
先月、西部ネバダ州の空軍基地で、アメリカ軍は偵察や情報収集活動に焦点を絞った軍事演習を行いました。
最高機密扱いの偵察機が、これほどの規模で集まるのは極めて異例のことです。
一方、アメリカ軍からの情報を受けて、戦いの前面に立つのは同盟国です。
今回の演習でも、アラブ首長国連邦やオーストラリアの戦闘機が参加しました。

アメリカ 情報偵察司令部 司令官
「私たちは戦地での意志決定に必要な情報を与えることができる。
多くの同盟国と密接に関わっていく必要がある。」

多くの犠牲と多額の戦費を費やしながら、中東での反米感情を強めるだけに終わった超大国アメリカ。
イラク戦争の経験は、その外交政策や軍事政策を大きく変えようとしています。

イラク戦争 開戦10年 アメリカの評価は

鎌倉
「取材にあたった、ワシントン支局の樺沢記者に聞きます。
イラク戦争の開戦から10年が経って、アメリカ自身はこの戦争をどう総括しているんでしょうか?」

樺沢記者
「間違った戦争だったという評価は定着しています。
ただ、その正当性を表立って否定することは、死亡したり、けがを負った兵士を否定することにもつながるので、あえて誰も声を上げないというのが現状です。
冷静に総括するにはもう少し時間がかかると思います。
一方、イラク戦争によって、アメリカが財政的に膨大なツケに直面しているのも事実です。
アメリカはイラク戦争で兵士を確保するため、給与や福利厚生を大幅に改善し、陸軍では兵士の基本給を1.5倍に増やしました。
こうした待遇は、退役後も年金や医療保険の全額補助などのかたちで続きます。
アメリカでは、巨額の財政赤字削減に向けて、国防費の強制削減が発動されており、国防費の中で大きな割合を占める人件費をどう圧縮するかが大きな課題となっています。」

傍田
「地上兵力の投入に今、慎重になっているこのアメリカの軍事戦略、これシリア情勢への対応にもこの戦略が反映しているというふうに見ていいかと思うんですけども、こうしたアプローチはどうなんですか、国民からはやっぱり支持されていると見ていいんでしょうか?」

樺沢記者
「野党・共和党の議員など一部からは批判もあります。
しかし国民の大多数は戦争に嫌気がさしており、オバマ大統領も地上戦を伴う軍事介入には慎重にならざるを得ません。
リビアのカダフィ政権に対する軍事作戦では、アメリカ軍はヨーロッパ各国の部隊の支援に徹しました。
また、北アフリカのマリ情勢でも陸上でのイスラム武装勢力との戦闘はフランス軍に任せて、アメリカ軍は無人偵察機による情報収集や兵士の輸送などにしか関わりませんでした。
同盟国を前面に立たせて、みずからは後方支援にまわる。
イラク戦争を教訓にしたアメリカの戦略転換は、中国などとの緊張を抱える日本としても、直視しなければならない現実となっています。」

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