昨日は「第3回NPO×IT EXPO」という大規模イベントを開催しました。160名近い方が集まり、熱量の高い場となりました。参加者のみなさま、登壇者、スタッフのみなさま、そして全体統括をしてくださった日本財団の山田さん、ありがとうございました!
出る杭になるな!と諭す日本人
イベント終了後に、大変面白い方とお話しする機会がありました。
彼女はニューヨークで長年ボランティア活動をしている女性で、最近日本に帰国したそうです。アメリカ滞在が長かったため、まだまだ日本語・日本文化に適応するためのリハビリ中だとか。
そんな彼女ですが、日本の友人に会うたびに「アメリカ的な態度は日本だと叩かれるから、気をつけた方がいいよ」とアドバイスされるそうなのです。たしかに、竹を割ったような性格の方なので、そう言いたくなる気持ちもわからないでもありません。
しかし、このアドバイスってどうなんでしょう。もちろん友人の方々は100%の善意から進言しているのだと思いますが、要するに「日本では本音を隠すべきであり、さらけ出すと痛い目をみるよ」と伝えているわけで、なんとも暴力的なアドバイスではないでしょうか。ものすごく要約すれば「黙ってろ」と伝えているわけですから。
むしろここで言うべきは「あなたの態度は日本だと叩かれると思うけど、自分の信じることを語って叩かれるのは悪いことではないから、わたしはあなたの味方になるよ」というアドバイスでしょう。「本音を隠すべきだ」というのは一抹の真実ですが、それでは社会は前進しません。
その後、日本の「出る杭を叩く文化」について話が広がりました。
日本では間違いなく「出る杭を叩く文化」があります。特に年功序列的な価値観が強いのか、年長者が若者を叩く構図はよく見かけます。米国に住んだ経験のある方のお話を伺うかぎり、やはり日米で文化的な違いがあるようです。
出る杭から離れる人々
関連して特徴的なのは、公衆の面前で叩かれた「出る杭」は、一挙に仲間を失い孤立することです。仲間だと思っていた人たちが、引き潮のようにいなくなって、退路が断たれてしまうのです。
家入さんがstudygift騒動のときに「studygiftを褒めてた人が、ぼくが炎上するやいなや、賞賛するツイートを消していた」なんてお話をしていたことを思い出します。この手の「梯子を外される」経験は、サラリーマンならほとんど誰しも経験しているものかもしれません。自分の意見を発露しているわけではなく、その場の空気に応じて意見を調整しているから、こういう情けないことになるのでしょう。
「実はおまえの味方だよ」
意見を変えた彼らが、必ずしも100%敵に回るわけではないのも日本的です。「あの会議の場ではおまえの意見を否定したけど、本音を言えば、おまえは正しいと思うよ」みたいな欺瞞にあふれたシーンですね。
これは、「叩かれている出る杭を擁護する者は、一緒に叩かれる」というメカニズムが機能しているためでしょう。擁護すると自分にも被害が及ぶため、結局、傍観することにし、マジョリティに流れてしまうのです。
彼らは味方ではありますが、いざという時の役には立ちません。「本音を言えば、おまえは正しいと思うよ」と語る先輩社員は、会議の場になったら「まぁまぁ、おまえの意見もわかるけど、部長の意見が正しいよ」と梯子と外すのがオチでしょう。
出る杭への憧れ
また、「出る杭」に対する憧れのようなものも、日本的だと思います。つまり、出る杭として叩かれている人は、「叩かれている」というその事実だけで、多くの人の耳目や「尊敬」を集めるのです。
日本では「出る杭」は希少な存在です。同調圧力が強いので、お互いがお互いの顔色を見ながら、調整作業に奔走します。そんななか、突然変異的に空気を読まない「出る杭」が登場すると、調整者たちは「空気を読めよ!」と出る杭を叩こうとします。同調圧力が強ければ強いほど、出る杭が受ける攻撃は苛烈になるでしょう。
「出る杭」に対して、度を超えた攻撃が行われるようになると、「何もそこまで叩かなくても良いのでは?」という意識が人々の間に芽生えます。彼らは人前でそれを主張することはありませんが、心のうちでは「あの人は人々の無理解に耐え、戦いつづけている」という尊敬・憧れといった感情を抱きます。
「出る杭」は孤独ですし、強烈に叩かれますが、決して悪いものではないとぼくは思います。自分を偽らない生き方は気持ちがいいですしね。というか、これからの時代「出る杭」じゃないと生きていけないような気もします。
「叩かれるから、日本では自己主張しない方がいいよ」ではなく、むしろ積極的に「日本では出る杭は希少だから、ガンガン自己主張した方がいいよ」というアドバイスの方が、実際に役立つと思います。
関連本。1月半ばに出たばかりの新刊。面白そうなのでポチ。
「出る杭はたたく」と云う諺があるように旧来より、社会において目立った行動をすると何かと批判を受ける事がままあります。
しかし、この厳しい環境の中、新しい発想やチャレンジ精神をもった若者を育てるのは社会の要請でもあります。是非、出る杭をたたくことなく、温かく見守り、育てましょう。
photo credit: Dunechaser via photopin cc