作家 有川 浩
 
 私の知っているとびきり素敵なおじさんといえば、児玉清さんです。
 初めてお会いしたのは、雑誌の対談でした。児玉さんのほうから、私を対談相手に指名してくださったのです。『阪急電車』という作品が出た頃で、『阪急電車』をメインにお話をしたいとのことでした。

 児玉さんが読書家だ、ということは存じていましたが、まさか、当時の私のようなペーペーの作品まで読んでくださっているとは、思いもよりませんでした。元々ファンだったので、たいへん光栄でしたが、同時に、ものすごく驚きました。
 ところが、対談当日に、更に驚かされました。対談場所に颯爽と現れた児玉さんは、
「すみません、これにサインをいただけますか」と、私の本を2冊出されました。
 一冊は『阪急電車』で、もう一冊は『図書館革命』。『図書館戦争』、というシリーズ作品の、完結編です。
『図書館戦争』をこの人が読んだのか! 私は、呆気に取られて児玉さんを見つめました。『図書館戦争』は、図書館が武装して戦うという、私の作品の中でも飛び抜けてキテレツな作品だったからです。
しかも、完結巻ということは、対談をするから試しにシリーズの一冊目だけ読んでみた、ということではなく、継続的に読んでくださっていた、ということです。
 実際、児玉さんは、『阪急電車』だけではなく、『図書館戦争』シリーズについても、あれこれ尋ねてこられました。
 こんなふざけた作品を、真面目に面白がってくれるなんて、なんて素敵なおじさんだろう、とますます児玉さんのことを大好きになりました。
 最後にお会いしたときは、ずいぶん痩せておられましたが、ご自分の持っている私の本を、トランクで十冊以上も持ってこられました。「全部は持ってこられなかったんですけど」と、残念そうに笑っておられました。
 持ってこられた本のすべてに、サインを入れさせていただきました。

 そんな児玉さんが、たいへん気に入ってくださっていたのが、『三匹のおっさん』という作品です。
 還暦を迎えた三人のおじさんが、主人公が定年退職して暇になったのをきっかけに、町の夜回りを始めるという話です。
 書こうと思ったきっかけは、私が元々かっこいいおじさんやおじいさんが好き、ということと、「最近のお年寄りは元気だよね」、と思っていたことです。
 昔は、還暦といえば、おじいさんおばあさんというイメージがありましたが、イマドキの60歳は、まだまだおじさんおばさんです。見かけも気持ちも若いし、元気です。
 まだまだ元気なんだから、定年しても、まだまだ社会で活躍していただきたい。残念ながら、今の日本はあまり元気じゃないので、楽隠居してもらっては困ります。今まで培った知識と経験を、社会で活かしていただきたい。そんな思いを籠めた作品です。
 今までは、脇役でカッコイイおじさんやおじいさんを書いていましたが、この世代をど真ん中に据えた作品を、いつか書いてみたい、という願いもありました。
『三匹のおっさん』は、おかげさまで好評を得まして、続編を書かせていただけることになりました。
 第一作目では、身近な世直しに奔走していた三匹ですが、続編では自分たちのことを少し振り返ってもらおうかな、と思い、同年代の残念な大人たちを取り上げました。
「最近の若い者は」というのは、平安時代から言われていたそうですが、イマドキは、「最近のお年寄りは」と言いたくなるような中高年も、少なくありません。
 電車の中で、携帯電話に出て喋るおじさん。最近、よく見かけます。しかも、
「ああ、例の会議の件だけど」とか
「あの打ち合わせはどうなった?」とか、
その人がどんな仕事をしているかまで、周囲に筒抜けになりそうな大声です。
 そして、歩き煙草のおじさん。これも、圧倒的に若者より中高年が多いです。あの、歩き煙草というのは、煙草を下げて歩いたときに、ちょうど子供の目に、煙草の火が当たってしまう高さなんだそうです。
 そうした残念な大人のことを書いたところ、若い人から「そうそう」とたくさん同意が来ました。やはり、そういうおじさんが目についていたのは、私だけではなかったようです。
 ですが、これは「大人だって駄目じゃん」ということではなくて、「年配の方には、尊敬できる大人であってほしい」という、若者達の願いの表れだと思います。
 ある学校の先生に、「子供たちは、実は叱られたがっているのではないか、と思うことがある」と聞いたことがあります。そうかもしれないな、と思います。
 ずいぶん前のテレビ番組ですが、「最近、どんなことがあった?」という街頭インタビューで、女子高生が、
「昨日、学校で先生に叩かれた!」と答えていました。
「でもねー、それ、あたしが悪いの! 悪いことしたから!」とあっけらかんと笑っていました。
 きっと恐いけど、生徒に信頼されている先生なんだろうな、と思います。もし、その先生が、だらしなくて、ずるくて、尊敬できない大人だったら、女子高生の反応は、まったく違っているでしょう。自分が子供の頃を思い出すと分かりますが、尊敬できない大人に叱られたとき、子供が感じるのは、反発だけです。
「子供たちは叱られたがっている」、これは少し説明不足で、正確には「尊敬できる大人に叱られたがっている」ということなのでしょう。
 その女子高生だけではなく、若い人はみんな、年配の方に対して、尊敬できる大人であってほしい、と願っているのではないでしょうか。
 先日、素敵なおばあさんを薬局で見かけました。待合室で、処方箋の薬を待っていたときのことですが、そのおばあさんの携帯電話に、電話がかかってきました。「もしもし」と電話に出た声が、少し大きかったので、待合室の人たちが、一瞬おばあさんのほうを見ました。すると、おばあさんは、申し訳なさそうに会釈して立ち上がり、声を潜めながら、外へ出て行かれました。待合室には、携帯禁止というルールがあったわけではありません。とても素敵な方だと思います。
 当たり前の気遣いができるご年配の方に会うと、とても嬉しくなります。それは、自分が目指すべき背中を、見せてもらえるからだと思います。
 人はみんな、年を取ります。昨日生まれた赤ん坊も、いつかはおじいさんおばあさんになります。みんな、少しでも素敵な人になりたいから、自分より年上の人には、かっこよくあってほしいのです。「自分も将来ああなりたい」という見本を見せてほしいのです。
 私は、児玉さんの他にも、たくさん素敵な年配の方にお会いしました。私のふるさとである、高知で出会った川漁師さんだったり、その奥さんだったり、『県庁おもてなし課』のロケハンで、案内をしてくださったタクシードライバーさんであったり、自衛官であったり、その年代や職業はいろいろです。川漁師さんは、あまりにも素敵な方だったので、『空の中』という作品で、キャラクターのモデルになっていただきました。
 私のような若輩から見て、素敵だなと思える方には、いくつか共通点があります。
 一つは、好奇心が旺盛なこと。児玉さんは、対談のとき、ご自分のほうがずっと年上で知識も深いのに、私のような若手に向かって、子供のようにいろんなことを尋ねてこられました。
 自分より若い人に向かって、自分の知らないことを「教えて」と言える人は、まず間違いなくかっこいいです。児玉さんも、共演した福山雅治さんのことを、「僕の先生」と呼んでおられました。
 もう一つは、想像力が豊かなこと。私がとても尊敬していた川漁師さんも、タクシードライバーさんも、「どうしたら相手を喜ばせることができるか」ということを、いつも夢中で考える方でした。
 そして、不思議なことに、この二つを備えている方は、例外なくフットワークが軽いです。興味のあることには、物怖じせずに飛び込んで行かれます。
 こういう方の周りには、必ず、その人を慕う若い人がたくさんいます。
 今日は敬老の日ですが、若い人は、年配者を尊敬したがっている、ということを、年配の方に知っていただければ、と思います。
 そしてどうか、私たちに、追いかけるべき背中を見せていただければ幸いです。