「死を想え -memento mori-」(2004)
日本仏教と「死」
普段の一年生の授業では、何度も話している分かりやすいテーマにすることにしています。今回の授業は、未発表のものでまだ十分こなれない内容だったっために、少し難しかったかもしれません。それでも、思ったよりも多くのいろいろな意見や質問があって、楽しく読ませていただきました。
問・外国の場合を含めて、死体の扱い方の例をもっと教えてほしい。
答・世界中のさまざまなお葬式を紹介した本に、松濤弘道『世界の葬式』(新潮選書)があります。参考文献で挙げた『死者の文化史』でも、ヨーロッパの葬式の歴史がわかりやすく紹介されています。この本の所在を教えてほしいという質問もありましたが、勉強のために自分で図書館等を検索してみて下さい。市販されているので、本屋さんでも入手可能です。
問・「現世」と「異界」というよりは、「既知」と「未知」といった方が適切ではないか。
答・なるほど。そういう考えもありえますね。ただ、「未知」というとあまりにも漠然としてしまうようにも思われます。素粒子の世界や、深海の底も未知の世界ということになりますので。
問・日本人の死生観と輸入された宗教との関係について教えてください。とくに「救う」という概念をめぐって。
答・大きな問題ですね。人間には本質的に死者が安らかに眠ってほしいという願望があるのではないでしょうか。それに応えようとするのが「救い」であり、それは土着・外来を問わず宗教一般にみられる観念ではないかと考えています。
問・霊魂は存在するのか。
答・率直に言って、私にはわかりません。ただし、かつて圧倒的に多くの人々が霊魂は実在すると信じていました。なぜそう信じたのかが、面白い点だと思います。
問・これから「現世」と「異界」の関係はどうなっていきますか。
答・これはわりとたくさんあった質問でした。難しい質問ですね。私は「異界」は決して消滅しないと思います。異界は人間の心のもっとも深い部分と結びついていると考えているからです。異界を不合理な世界として切り捨ててしまうのではなく、きちんと目を向け、対話していくことも必要だと思います。それは自分の心と向き合うことにほかなりませんので。
問・日本人の骨に対する執着は、今後変化していくでしょうか。
答・これも難しい質問ですね。すぐには変化しないと思います。ただ今後散骨・自然葬といった、多様な葬送儀礼が取り入れられるようになることは間違いないでしょう。死者や骨にたいする見方も多様化してくるでしょうね。
問・墓を作らない人々、骨を埋葬しない人々はなぜそうするのか。
答・簡単には答えられない質問です。自分で考え調べて、レポートにしてみたらどうでしょうか。
問・なぜ「家」ではなく、「イエ」とカタカナで表記するのか。
答・学問の世界で、建物としての家と区別して、制度としての家を表記する場合には、通常「イエ」とカタカナで記すことが一般的です。
問・魂ってどこにあるのですか。脳死の場合などには、魂のことはどのように考えるべきなのでしょうか。
答・面白いところに気づきましたね。魂が身体のどこに位置しているかについては、古今東西でさまざまな見解があります。心臓にあるという考え方も多かったようです。ぜひ調べてみて下さい。
問・古代以前、たとえばネアンデルタール人などは、死者をどのように考えていたのでしょうか。
答・むしろ私が知りたい質問です。なにかわかったら教えて下さい。
このほかにも実にたくさんの質問をいただきました。どれも大きな問題で、簡単には答えられないものばかりでした。私がはっとさせられるものもありました。
疑問を持つことはとても大切なことです。その疑問を大切にして、ぜひ自分自身の手で探求していった下さい。それが大学での研究の第一歩なのです。