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誇り 忘れない 宮城、女川四小・二中校舎お別れ会

校舎との別れを惜しむ児童生徒と島民たち=16日正午ごろ、宮城県女川町出島

 東日本大震災の影響で、本年度で閉校となる宮城県女川町の離島・出島にある女川四小と女川二中の校舎お別れ会が16日、四小・二中の体育館であった。児童5人と生徒13人のほか、島民ら約130人も集まり、歴史と思い出が詰まった学びやに別れを告げた。
 四小と二中は一つの校舎で学んでいた。児童代表で6年の木村直樹君(12)は「何をするのも一緒だった。大家族のような学校生活が懐かしい」と述べた。中学生は全員が一言ずつあいさつし、3年の阿部諭紀君(15)は「二中生としての誇りを忘れない」と誓った。
 四小と二中の校舎は地震で損壊し、多くの児童生徒は自宅も津波で流失。震災後はそれぞれ町中心部の女川二小、女川一中で授業を受けていた。新年度、町内の小中学校は各1校に再編される。

◎人口激減女川の離島「出島」/「島廃れる」「架橋を」

 宮城県女川町の女川四小と女川二中の閉校で、離島の出島から学校が消える。東日本大震災の前に約500人だった島の人口は現在100人ほど。高齢者の姿が目立ち、「島が廃れてしまう」との懸念は深まる。
 「本当はこの春、孫が小学校に入るはずだった。島で子どもの声が聞こえなくなった」。校舎お別れ会に訪れた主婦須田あつ子さん(58)は、寂しさを募らせた。
 震災前はギンザケ養殖を営む夫、長男一家らと暮らしていた。自宅は津波で流された。長男一家は石巻市に移り、夫と2人で島内の仮設住宅に入った。
 「出島は、海も山も恵み豊かでいい所。震災で若い世代は仕事や子どもの学校のことを考え、出てしまった。若い世代が住めなくなる島の状況が悲しい」と嘆く。
 震災後、島内から診療所や郵便局、商店がなくなった。1日6、7便だった島と町中心部を結ぶ巡航船も3便に減った。
 「本土と島を結ぶ橋があれば」。不便な生活が長引くにつれ、島民が長年の悲願とする「出島架橋」の実現を求める声も一段と高まっている。
 出島行政区長の酒井実さん(71)は「橋があれば、子どもも若い人たちも安心して島で暮らせる。島存続のためにも橋を架けてほしい」と切実に訴えた。


2013年03月17日日曜日


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