東日本大震災から2年。今回のテーマは自閉症など発達障害の人の避難です。
発達障害の人は、環境の急な変化が苦手とされ、震災のときには避難所にいられず、車の中などで過ごした人も多くいました。
そうしたなか、発達障害の人が安心して避難できるようにするための取り組みが始まっています。
茨城県内に住む女性です。
2年前の震災で自閉症の小学生の息子と一緒に近くの中学校の体育館に避難しました。
しかし、そこでつらい経験をしたと言います。
「息子は異常に興奮してしまって、もう大声は出す、走り回る。そんな風にやってるとお叱りを受けるわけですよね、強い口調で。『捕まえてろよ』とか、一番多く言われたのは『なんなんだ、この子は』っていう感じですよね」とこの女性は当時を振り返り、こう話しています。
自閉症の人は環境が急に変わると不安になり、騒いだりパニックになることがよくあります。
避難所で男の子は、隣の家族のスペースに入ったり、夜、懐中電灯でほかの避難者の顔を照らしたりして、周囲から迷惑がられ、親子は一晩で避難所を出ることになったのです。
この母親は「いちいち『この子は自閉症です。障害を持っています』って言った方がいいのかなって、叫んじゃおうかなって思いましたけど、でもそこまでする勇気もなく、ただひたすら謝ってればいいかって、最後はなげやりですね」とつらかった避難所での気持ちをこのように語っています。
茨城県自閉症協会が行ったアンケートです。
発達障害の子どもがいる家庭で、震災のとき、この女性のように避難所に行ったケースは、実はごく一部です。
多くの人はこうした事態を予想して、最初から避難所には行かず、不自由な生活を強いられていたことが分かります。
アンケートの回答を見ると、「避難所に入れず車中泊」「車の中にいたが、寒さに耐えられなかった」と食料も手に入らない不自由な生活がうかがえます。
こうしたなか、正式な避難所ではないのに、自閉症の子どもと家族を受け入れた特別支援学校があります。
この学校の在校生と母親が一晩を過ごしました。
当時、この学校の校長だった寺門洋一さんは、切羽詰まった母親の様子を見て受け入れを決断しました。
「行く場所がないということを考えた場合に、少しでも安心できる学校がいいだろうということで、学校で受け入れることになりました」と寺脇さんは言っています。
ふだんから通っている学校で、子どもたちはパニックにもならず、落ち着いて過ごせたといいます。
その秘けつの一つが、ふだん学校で聞いている音楽のCDです。
教師が機転をきかせてかけました。
「こうやって音楽を聞いていると、子どもたちは体を動かしたり、口ずさんだり、だんだん音楽に飲み込まれるような感じで、落ち着いていくんですね。ああ、こういうこともできるんだと」と寺門さんは当時の状況を振り返っています。
寺門さんは、発達障害の子どもはふだんの学校で受け入れるのが一番だと認識し、自分の学校を災害のときに自閉症の子どもなどを専門に受け入れる「福祉避難所」として水戸市に認めてもらいました。
水戸市の指定を受けて、寺門さんの学校では今、実際の避難に向け準備が進められています。
災害のときはどうなるのか、子どもたちに慣れてもらおうと、学校が避難所になった場合の生活を学ぶ授業を始めました。
教室では「お水が使えないときは、学校のお水が飲めます。そして電気がつかないときは学校で電気が起こせます。火が使えないときは、まき、木を燃やしてお料理ができます。学校ってすごく安心だよね、みんなも地震のときに来てください」と教師がやさしく教えます。
学校には、災害に備えて水も食べ物も蓄えてあることをあらかじめ伝えておきます。
子どもがパニックになったとき、落ち着くための小部屋も用意されています。
教室に段ボールの仕切りも作って実際に避難生活を体験してみます。
この日は保護者も授業の様子を見学しました。
保護者らは「避難所でご迷惑をかけてしまうということが一番心配なので、もしいつもの学校に避難できるということになると、そういう心配が親にもないので、皆さんに理解していただけているので、安心していられます」とか、「この校舎内を全部知り尽くしているという段階で、避難してくるわけなので、すごく落ち着いて生活することができると思います」などと話しています。
自閉症など発達障害の人は、どうすれば安心して避難できるのか。
障害の特性に応じた具体的な取り組みが求められています。
福祉避難所は、高齢者や障害者などを対象にした避難所で、国が制度化していますが、発達障害の子どもなどを専門に受け入れる避難所はあまり例がないということです。