なるほど人権物語② ~中世から絶対王政~
さて、前回では近代の民主主義の出発点は
古代ギリシャにあることを書きましたが、
欧米の思想や科学に到るまでの過程の中には
必ずその根本にギリシャ哲学があり、
キリスト教の思想があることを知る必要があります。
これが中世になると、顕著になります。
というより、この頃のヨーロッパというのは
すべてにおいてキリスト教の世界観が正しいもので
あって、そこから外れたものは「悪魔」でした。
ゲルマン人などの主なヨーロッパ人は元々
独自の文化を持っていて、海賊文化であった
北欧に到っては独自の神話や神様がおりました。
クリスマスなど、その文化とキリスト教が
融合した部分もありますが、一部は異端として
滅ぼされました。
魔女というのは、古いヨーロッパの文化で
元々はハーブを用いて人々を治す人たちでしたが、
結局、ペストの蔓延による不安感の中で、
教会による弾圧を受け、「魔女狩り」となったわけです。
つまり、この頃は人の上にキリスト教の世界観があり、
そこから外れた者は殺されても文句は言えなかったのです。
結局、教会が全てを支配する時代だったわけなのです。
それが十字軍の遠征の失敗などで教会の絶対性が
失われると、ギリシャ哲学に戻れというルネサンス
運動につながり、教会の絶対性が薄れます。
それでも、キリスト教とギリシャ哲学という根本を
逸脱するものではなく、それがプロテスタントと
カトリックという大きな対立を生むことになるわけです。
教会の絶対性を失うと、今度は国王の力が強くなります。
中世の時代は貴族は荘園という独自の土地を持つ
領主だったので、国王と言えどあまり力はありませんでした。
むしろ、国王と貴族が対等だったわけです。
民主主義を語る上で大事なできごととして、
マグナ=カルタという貴族が国王に交わした約束事があります。
これは愚鈍なイングランド王であったジョン王が
権威を使って、傍若無人な振る舞いを続けたため、
それをいさめるために貴族が結託して、結ばせたものですが、
これも貴族と国王というのが対等に近い立場
だったためにできたことでした。
さらにこの時代にフランス王フィリリップ2世によって、
身分ごとに代表者を募って会議をする「三部会」
というのが創設されました。
ルネサンスを超えて、国王の力が強くなると、
今度は国王こそ神なのだという考え方になっていきます。
いわゆる絶対王政です。
「国王というのは神から与えられた選ばれた者である」
という王権神授説というものが唱えられ、
国民の上に国王がいて、国王こそがすべてという
考え方になっていったわけです。
そうなっていくと、貴族を中心に得られていた
民主主義に近い動きもまったく機能しなくなり、
フランスの三部会も革命前までまったく開かれなくなりました。
ここまでの時代と言うのは、教会、国王など
大きな権力が全てであって、人というのはその下で
身分と言うものを作り、上の者が下の者を自由に使う
という物として機能していました。
大きな権力に従うと言うのは非常に楽なことです。
次からは絶対王政にかげりがみえてから、
革命の紆余曲折を詳しく述べたいと思います。
今日はここまでです。