1. まとめトップ

対馬の盗まれた仏像は李朝の弾圧から日本が守ってきたもの 略奪とは心外【儒教と仏教弾圧】

儒教を中心とした李氏朝鮮時代が500年以上続き、仏教は弾圧されたためほとんどの寺は焼かれ、多くの仏像が破壊された。李氏朝鮮の破壊から仏像を守って、対馬に持ち込んで今日に伝えられている仏像が対馬にはたくさんあるという。

更新日: 2013年02月28日RSS

スイカのタネさん

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1 お気に入り 2768 view
お気に入り追加

伝承によると、盗難にあった仏像は李氏朝鮮時代、朝鮮半島に吹き荒れた仏教弾圧から逃れるため、対馬に持ち込まれたという。

それらの仏像は現在に至るまで、信心深い対馬の各集落の寺社や島民たちの手で大切に守られてきた

朝鮮半島では仏教が盛んだった新羅、高麗時代(7~14世紀)に多くの仏像が制作された。が、李氏朝鮮時代には仏教は弾圧され、仏像は破壊された。

「仏教弾圧により焼かれた寺から、持ち出されたものだと考えられる。それを日本人が略奪したというのは、あまりにも失礼だ」と、「観世音菩薩坐像」を盗まれた観音寺=長崎県対馬市=の田中 前住職

韓国が盗み出して、そのまま自分の物だと主張する へ理屈(強盗の論理)は、北朝鮮による日本人拉致事件と同じ

仏教を弾圧した儒教と李氏朝鮮

儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。

仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした

「寺院を秀吉に破壊された」のウソ

(韓国では現地の)旅行ガイドに『わが国に古い寺院が少ないのは秀吉軍に破壊されたためです』と説明される

しかし、これはウソで

李氏は仏教を大弾圧し、1万以上あったといわれる寺院は、秀吉軍がコリアに入った時には わずか36ヵ寺にまで減らされていたのだ

寺を廃し燃やされ、そこにあった仏像や経典は散逸し破壊された

李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。

仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。

高麗朝[918-1392]が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。

四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。

崩壊寸前の遺跡を多少無理してでも保存しようとしたら「破壊した」と罵られる日本

儒教を中心とした朝鮮時代が500年以上続き、仏教は弾圧されたため永らく放置されていた。

1909年、日本の郵便配達員が偶然仏像を発見した。当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがあった。

日本統治時代の1913年から1915年にかけ、日本により三度にわたる大規模な修復工事が行われた。

(その後)1961年から1963年にかけて韓国の文化財管理局の主導で補修工事が行われた。

仏像の配置は日本がデタラメに並べたとして、仏教の経典に照らし合わせ、独自の並べ替えを行った。しかしその補修後、発見当時の石窟庵の写真および事前調査の詳細な配置図が見つかり、日本が行った補修・配置が正しかったことが発覚した。しかし配置は今なお復元されていない。

1




このまとめへのコメント0

1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スイカのタネさん

一番作りたいものは、『動画サイトに氾濫する動画をテーマ別に効率的にわかりやすく見るための動画集まとめ』です。しかし、大量の関連動画をすべて見てから取捨選択しているので、なかなか仕事が捗りません。

このまとめに参加する



  • NAVERまとめ 編集コンペ 結果発表