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【ラストインタビュー】15周年での解散を選んだm.o.v.e、その真相と想いを語る
BARKS 2013年02月06日 23時43分
甘くてチャラいスタイルが幅を利かせていた当時、“歌/RAP/(流行の一歩先を見据えた)ダンスミュージック”を表現の鎧として身にまとい、1997年10月に、痛い刺激を詰め込んだシングル「ROCK IT DOWN」をぬるま湯な音楽シーンへと叩きつけ、moveは衝撃的なデビューを飾った。
あれから15年。m.o.v.eは今、15周年YEARに突入している。本来なら、Anniversary Yearを楽しむべき年になるはずだった。だが2人は、途轍もなく大きな“衝撃”を今の音楽シーンへと投げつけた。それが、2012年12月8日に発表した「m.o.v.e解散!!」の言葉だった。
yuri/motsu/t-kimuraという鉄壁の布陣からスタートを切ったmove。途中、t-kimuraが表舞台から身を引き、現在の体制へと進化。anim.o.v.eとして、異なる視点から時代のmovementを描き出すことも2人は行なってきた。moveからm.o.v.eへ。2人が歩んできた15年の軌跡を、「解散発表」の真実も含めここに紹介しよう。
■ 次代の鎧を身にまとった、ポップフィールドで遊ぶ先駆者たち。
── デビューしたときからm.o.v.e(この時期はmove表記だが、すべてm.o.v.eで統一)は、「流行の一歩先をゆく先鋭的な音楽性を、メジャーというテクスチャーの中で表現」し続けてきました。
motsu:つねに時代を見据えて進みながら。だけど、何時の間にかすごい独自な路線を描き始めていましたけどね(笑)。
yuri:m.o.v.eを始めた当初は、似たようなスタイルを持ったアーティストっていなかったんです。だって、毎回ビックリするような楽曲がkimuraさんの元から上がってくるんですよ。そこへmotsuさんが多彩なラップを乗っけてくでしょ。だから、誰かをお手本にしようにも誰もいなくって、いっつも手探りだったのを思いだします。
── motsuさんとt-kimuraさんは、互いに"向かうべき音楽の未来図"を見据えながら制作していた形でしたよね。
motsu:そうですね。歳が一緒だったことや、互いに時代の中での先端音楽を追いかけてたこともあって、たとえば、「今、イギリスのクラブやロックシーンでこういう音楽が流行ってるようだ。それを僕たちなりに解釈したらどうなる?!」という意識は、言葉にするしない問わず、つねに共有していましたね。とくにデビューからの数年間は、その傾向が強かった。それが、だんだん独自な進化を遂げ始めるようになりまして(笑)。
── 独自の進化というのは、流行の先端に寄り添うだけではなく、もっと表現の解釈も広げていったということですか?!
motsu:それもあったと思います。ダンスミュージックという視点のみで捉えた場合でも、ある程度、ヒットを形作る要素を開拓し尽くし、次第に、そのフォーマットの焼き直し的な面が見えていくようになった。だからこそ「もっと枠を広げなきゃ」という意識を、2人とも持っていましたからね。
── 初のマキシ盤化となった(それ以前は8cmシングル使用)「platinum」が、最初の大きな改革ポイントになりました。
motsu:「platinum」はですね、もうぶっちゃけて言うなら、マリリン・マンソンの影響ですね(笑)。僕とkimura氏がライブを観に行ったときに、その音楽スタイルから強烈な影響を受けまして。それを、自分たちなりのフォーマットの上へ移し変えて表現してみようと。影響をみずからの解釈で広げてく作業は、長く表現活動を続けてくうえで誰もがやっていることだと思いますよ。
■ キーワードは「踊れる音楽」
── m.o.v.eと言えば、15年間ずっと「歌/ラップ/ダンスミュージック」のトライアングルなスタイルが表現の軸としてありました。
motsu:それって何でかな?!と考えたら、「自分が本質的に好きだから」なんですよ。どうにもこうにも「踊れる音楽」じゃないと演っててつまんないというか。
yuri:始めたばかり頃のm.o.v.eは、クラブでの活動が中心でしたもんね。私も当時はよくクラブへ遊びに行ってました(笑)。
motsu:対してkimura氏はクラブ・ミュージックも好きだけど、同時にゴシックなどのロック・テイストもルーツに持っているから、自然と、そういう要素も反映させたりね。
yuri:最初は打ち込み主体でライブ活動をしていたm.o.v.eが、途中でバンド・スタイルに変わったのも、kimuraさんの方向性でしたもんね。私、それまでバンドで唄った経験がなかったから、バンドで演ることの楽しさをそこで覚えました。実際、音の迫力はぜんぜん変わりますからね。
── 音楽性が変化してくという視点で言えば、ユーロやトランス寄りのスタイルを描いたり、ラテンの要素を取り入れたり、デジロックな方向性を打ち出したり。その都度、自分たちの旬な感性に合わせ、多彩な音楽性をm.o.v.eは提示し続けてきました。motsuさんやt-kimuraさんは、そこを楽しんでく人でしたけど。次々とm.o.v.eとしての音楽性の根幹の部分を変化させてゆく2人に、yuriさんは翻弄されてたんじゃない??
yuri:m.o.v.eの活動って、ずっとそうでした(笑)。だけど、その変化が毎回あったことが、長く唄ってくうえでの刺激になっていたのは間違いないです。
motsu:あの頃は、何作かラテン系にもチャレンジしてたんだよなぁ。
yuri:当時はダンサーさんを付けてライブを演ったり。私はラテン・スタイルのm.o.v.eもすっごく楽しかった。
■ 『頭文字 D』と「Gamble Rumble」
── m.o.v.eの大きな機転。そのきっかけが、ゲーム『頭文字 D Special Stage』のオープニングテーマとして流れた「Gamble Rumble」の大ヒット。「Blazin'Beat」の頃からその兆候はありましたけど、まさか「Gamble Rumble」でユーロビートを取り入れたのは衝撃でした。
motsu:デビュー曲の「ROCK IT DOWN」から「BREAK IN2 THE NITE」の頃までは、時代の流れに寄り添いながらも、“メジャーで演る意味を持った音楽”という視点で楽曲を作っていたんだけど。それ以降の「platinum」からは、時代性を意識しながらも、結果的には“時代という匂いをまとったオリジナルな楽曲”が、無意識の中、生まれてくるようになったんだよね。しかもそのスタイルを、あの頃からファンの人たちは面白がって支持してくれていた。だから自然と、時代の流れに左右されない音楽性も柔軟に取り入れ、自分たちなりの視点で音楽の遊びをするようにもなったんですよ。
yuri:でも「Gamble Rumble」でユーロビートを取り入れ、この歌がヒットしたとたん、良くも悪くも「m.o.v.e=ユーロビート」というイメージが付きましたけどね。m.o.v.eって、そんなユーロ系の要素を取り入れてないんだけど。今でもそう思う人がいるのは、「Gamble Rumble」の印象がそれくらい強烈だったからだと思います。
── 当時は、もうユーロビートがダサい音楽の象徴になり、今にも廃れようとしていた時代じゃないですか。その中へ、時代と逆行するようにユーロ・スタイルを取り入れ、結果的にm.o.v.e史上一番のヒット曲を作り上げました。
motsu:系譜的に言えば「around the world」や「Blazin'Beat」も、そう。この「Gamble Rumble」も、『頭文字 D』という作品とタッグを組んでいたことから、あの物語に寄り添った疾走感を出すうえで、速いダンスミュージックという要素が必要だったんですよ。言われたようにあの時期は、ユーロどころか、その手のダンスミュージックが終わろうとしている雰囲気がクラブ・シーンにはあった頃。だから我々も、「ユーロビートという禁断の扉を開けるか、否か」で、そうとう話しあいましたからね。結果的には、yuriちゃんも言ったように「ユーロ=m.o.v.e」というイメージも付いちゃいましたけど(笑)。あの当時、先端を追いかけていたm.o.v.eとしては、「ユーロというレッテルをm.o.v.eに貼られてしまうこと」に、正直、恐れや戸惑いを覚えていたんですよ。
── その怖さを覚えるのは当然だと思います。
motsu:だけど、僕もkimura氏も、m.o.v.eを始める前にメジャーでマニアックなことをやって失敗してるんですよ。僕で言えばMORE DEEPを。kimura氏はSUBSONIC FACTORとしてメジャーで活動していた経験もあったことから、改めて「m.o.v.eがメジャーで活動していく意味」を互いに問いかけたんですね。その結果として、「ダサいと思われようが、その曲に似合うんであればやるべき。メジャーで活動していくってそういうことでしょ」という答えを導きだし。そこからユーロという禁断の扉を開けたんだけど。とたんに、予想以上に多くの人たちに支持されちゃったという(笑)。その結果を見たときに、「なんで、今まで躊躇してたんだろう?!」と思いましたからね。
── ユーロ系スタイルって、やはり日本人の感性に……。
motsu:良くも悪くも合うんでしょうね。しかも、時代性に関係なくね。
■ 語り継がれゆくクラブ・アンセム『FLY ME SO HIGH』
── だけど「Gamble Rumble」前後には、クラブ・シーンへも強くアプローチしていましたよね。
motsu:「words of the mind〜brandnew journey〜」や「FLY ME SO HIGH」とかね。すごいのがね、「FLY ME SO HIGH」は、いまだに渋谷のイケイケなクラブでガンガン流れてるロングヒット作、クラブ・アンセム的ナンバーになっていることなんですよ。そういうところへ遊びに行くと、みんな『FLY ME SO HIGH』を聞きながらガンガンに踊ってる。むしろあの界隈では、「FLY ME SO HIGH」を歌っているのがm.o.v.eということさえ知らない若い子たちがいっぱいいますからね(笑)
── 当時のm.o.v.eは、積極的にクラブ活動も行っていました。
yuri:ユーロやトランス的な要素を押し出していた頃は、よく夜中のクラブへ行っては、イベントで歌ってましたね。各地へのクラブ・ツアーもやってましたし。私的には、趣味も兼ねた仕事としてクラブへ行けることもあって、すごく楽しくやっていたのを思いだします(笑)。
■「DOGFIGHT」を通して確立したm.o.v.e流デジロック/ラップロック!!
── さきほど「頭文字 D」の話が出ましたが。m.o.v.eの場合、『頭文字 D』ともずっと足並み揃え、歩んできました。
motsu:15年前に出した2枚目のシングル「around the world」からなんで、m.o.v.eと「頭文字 D」とは15年の付き合いなんですよ。「Gamble Rumble」を出して以降「DOGFIGHT」を出すまでの時期って、切れ目なくシングルやアルバムを出してたとはいえ、『頭文字 D』とのコラボレートに引っ張られ、なんとか前へ進めてるなぁという面も正直感じてました。ただし当時は、『頭文字 D』とのコラボレートを意識しつつも、そんなにアニメの世界へどっぷりというスタンスを持つまでには至らなかった。実際にアニメだって『頭文字 D』は観てたけど、それ以外の作品はまったく知らなかったんですね。だけど、「DOGFIGHT」を作る前頃の時期からかな?! 他のアニメ作品も観るようになったんです。そこで受けた衝撃が、テーマソングのクオリティの高さだったんですよ。
── あの頃からアニソンの世界には、“先鋭/マニアックな音楽とベタな要素をハイブリッド”させた楽曲が多かったですもんね。
motsu:そうとう音楽的にクオリティの高い楽曲も多かったですからね。それもあって我々も、もっと深くアニメの世界に浸りながら、その作品を彩る完全なる一部になろう。そういう意識で作ったのが「DOGFIGHT」であり。この歌が、m.o.v.eを次なるステージへ連れていってくれましたからね。「DOGFIGHT」は、まさにエレクトロなラップロックという路線を色濃く打ち出していた頃の作品。その流れが「GETTO BLASTER」や「How To See You Again」という楽曲を産み出し、m.o.v.eとしてあるべき一つのスタイルを確立させていったわけだからね。
■ t-kimura、表舞台からの引退。その真相は。。。
── いろいろと音楽的な表現手法を投影しながら、独自の。その中にも、いくつもの"らしいスタイル"を描き出し続けてきたm.o.v.eですが。2008年12月に、t-kimura氏が表舞台から退き、プロデューサーに専念するという宣言が成されました。今でもt-kimura氏はm.o.v.eの制作に関わっているように袂を分かったわけではないとはいえ、それでも、表舞台から去ったことは衝撃でした。
motsu:あの経験は、m.o.v.eにとってもおっきなことでした。m.o.v.eは、デビュー時期から、ずっと3人だけで楽曲制作を含めて全てを行ってきたわけですけど。いい大人なんだから、分別持って「まぁまぁまぁ」とできれば良かったんだろうけど。お互い引かないところはまったく引かないように、音楽制作面では、かなり頭を突き合わせ、喧々諤々やり続けていたんですよ。
よく解散の理由に「音楽的な方向性の違い」ってあるじゃないですか。そういうのを聴くたびに、「まーた、何を言ってんだか」と言ってたんだけど。まさか、自分たちの袂を分かった原因が、そこになろうとはね。それは、結果的に解散の理由にも繋がっていくことなんだけど……。
── t-kimura氏の中にも、m.o.v.eで音楽を表現していくうえでいろんな葛藤があったのでしょうか??
motsu:彼なりに、いろんなことはあったと思いますね。このまま3人で表舞台に立ちながら続けていくのは演りづらいというか。結果、m.o.v.eとしての表舞台からは退きつつ、でもm.o.v.eの楽曲は作り続けてくという形になったんですけど。まぁ当時は、m.o.v.eを進めてくうえでの全体の流れにも、何処か支障をきたしていたのもありましたからね。その辺のことを突き詰めだすと、つねにオンステージ(表舞台)で演っている人と演っていない人(裏方/プロデューサー)との意識の違いという話にまでなっちゃうんですけど。いろんな方向指し示していく中で生まれたいくつかの小さな溝が、何時しか修正できないくらい大きな溝になってしまってたというのが、kimura氏が表舞台から去った要因になっているとは思います。
── あの頃からt-kimuraさんは、コンポーザーしてのスタンスを強く求めていましたよね。極端に言うなら、m.o.v.eどころか、Favorite Blueの後半頃から、そんな感じだったのかな?! と思えますから。
motsu:それはあったと思います。その辺の意識の共有面で、あれこれ話しあった経験だって何度もありました。僕は僕なりに、彼は彼なりに「m.o.v.eを進めていくうえで、こうしたほうが絶対にいい」という信念があったんですよ。それを「まぁまぁまぁ」とお互い大人になって引けず、互いに一歩も譲ることなく、そのままkimura氏は表舞台からコースアウトする形になってしまいました。そこで互いに大人になれれば良かったんだろうけど。それは今の自分にも言えることで、ずーっと「なぁなぁ」なスタイルに自分を持っていくことが出来なかったんですね。いくつになっても、そこは大人になれなかったというか、中年になっても、高校生と意識的には一緒じゃないかみたいな(笑)。だけど、それが「音楽を真剣にやっているから」こその互いの答えだったんですよ。
■ anim.o.v.e誕生!!
── まだt-kimuraさんがいた頃の話になりますが。m.o.v.eの大きな転機の一つに、アニソンシーンとのコラボレートという流れもありました。そのきっかけになったのが、アニソンの祭典<アニメロサマーライブ>への出演でした。m.o.v.eがこのイベントへ初めて出たのは何時頃でした??
motsu:まだイベントとして開催が3回目の<Animelo Summer Live 2007 -Generation-A->だったから、2007年のこと。ちょうど、m.o.v.eがデビュー10周年を迎えていた時期でした。
── デビュー10周年の時期は嬉しいアニバーサリーの年ではあったけど。m.o.v.eの内情を見た場合、「ここからどうm.o.v.eとして進むべき舵を取っていくか」で模索していた時期じゃなかったですか??
motsu:あのときアニソンの世界に出逢っていなかったら、きっとm.o.v.eは煮詰まってましたね。anim.o.v.eとしてアニソンのカバーを本格的に始めたのは、その2年後からなんですけど、アニソンをカバーしていくことで、それまでm.o.v.eが硬直化していた表現フォーマットの中へ、新しい刺激をいろいろ投影することが出来た。それが、m.o.v.eを先へ突き進めていくうえでの原動力になっていたのは間違いないです。
yuri:アニソンをm.o.v.eなりの解釈でアレンジし、その世界じゃないフォーマットで歌やラップを入れることで、また新しい解釈が生まれていったのも良かったんですけど。それをやることに、私たち自身が新鮮な気持ちで向かえられたのが、大きかったんですよね。
■ 変化し続けていくスタイルの先には……。
── m.o.v.e結成10周年の時期にアニソンと出会い、その後anim.o.v.eを演ることで、m.o.v.eは次の5年や10年という先へ視線を向けてゆく糧を得ることが出来ました。でも10周年頃は、正直、未来を描きにくい時期にm.o.v.eはいたわけですが、yuriさんはその頃のm.o.v.eのことをどう見てました??
yuri:10周年のときも、その後m.o.v.eが2人だけになったときも、「どうなっていくんだろう??」という不安な気持ちはありましたけど。それを言ったら、“先が見えない気持ち”はm.o.v.eが誕生した頃からずっとありましたからね。とくにm.o.v.eは、始まったときから、けっして同じ音楽を演ることのなかったバンドじゃないですか。だから、「この先、どうなるの??」「大丈夫かな?!」という不安は、何時も心の何処かにはありました。だけど、いろんな音楽スタイルで遊んでこれたからこそ、私はずーっと楽しく過ごせてもいましたからね。
── anim.o.v.eというカバー・スタイルを通し、m.o.v.eに新しい刺激を投影しながらも、同時に、m.o.v.eとしてオリジナルなスタイルの矛先をどう先へ向けていくのか?!そこも探していたわけですよね。
yuri:そこに感しては、よくメンバーやスタッフ内で、そうとう話しあいを続けてきましたね。
motsu:あーでもない、こーでもないと、そこでも意見をぶつけあい続けていたんでね。
■ 「解散」。それは、名誉なこと。
── 結果m.o.v.eは、15周年を迎えた年に「解散」という結論を導き出しました。その兆候は、何時頃からあったのでしょうか??
motsu:兆候として言うなら、それはデビュー当時からずっとあったこと。音楽制作の面で言えば、m.o.v.eは15年間良い意味でぶつかりあってきた。つまり、「15年間真剣勝負の場」だったからこそ、何時だって解散という言葉へ向かう兆候は内包していたことなんです。
── 考え方次第でしょうけど。大人の割り切りが出来たら、これから先もm.o.v.eを続けられたとも思うんです。
motsu:きっとそうだと思いますよ。でもね、「解散できるってすごく名誉なこと」だなぁと僕なんかは思うわけですよ。
── 解散できることが名誉??
motsu:一般的にはまず、解散の一歩手前となる“活動休止”を発表し、そのままにしておくか。その後、解散という道を辿る流れが多いじゃないですか。他にも、活動してる名目になってはいるけど自然消滅しているパターンとか。でも僕らは、しっかりと「解散」というケジメを付け、解散コンサートもやりなから、応援してくれてるみんなと一緒にその幕を閉じたかった。とにかく、うやむやなまま活動を終えていくのだけは絶対に嫌だったんです。
── 今やyuriさんも、結婚をし、子供も生まれ、家庭を持ってというように、音楽と同時に、守るべき家庭もありますからね。
yuri:そうですね。19歳でデビューが決まり、20歳でm.o.v.eのメンバーとしてデビューし、そこから15年ですから、ホントいろんなことがありました。正直、今でも、音楽活動と家庭を両立していくのは、正直難しい面もあるんですけど(笑)。
motsu:だって、臨月の時期まで歌入れしてたもんね。
yuri:しかも、子供が生まれた1ヶ月後にはレコーディングを再開してましたからね(笑)。
■ 「解散」。その言葉の意味と選択と。。。
── 「解散」という具体的な話が出たのは、何時頃だったのでしょうか??
yuri:12月8日に解散を発表したんですけど。具体的にその話が出て、その結論を出したのも、本当にその頃なんです。
── その結論を出す前に、それぞれ心の中には「解散」という想いが巡っていたのでしょうか??
motsu:すごいぶっちゃけて言うと、半年前……1年前頃からかな?! 僕の意識の中にはありました。その言葉がだんだん具体化してきたのは、半年前くらいからですかねぇ……。
── 続けるよりも、しっかりケジメをつけようと。
motsu:そうですね。いろんな状況を考えながらも、一番ポジティブになれる選択肢を考えたときに「そこだった」というところですかねぇ。あと、「解散」というカードの切りどころってあると思うんですよ。それを15周年というこの年に出さなかったら、m.o.v.eは変な感じで進んでしまうと思ったことも大きかった。
yuri:「解散」の想いって……難しいですよね。「続ける」のも、「辞める」のも、どっちも大変なことなんですよ。それはすごく感じていること。今も、こうやって「解散」へ向けたインタヴューを受けてるけど。正直、気持ちのうえでは、まだ実感は沸かないし。最後のライブを演って、それが終わったときに……どう思うのかなぁ。
■ ファンたちへの想いを詰め込んだ『Best moves〜and move goes on〜』
── 2月27日にm.o.v.eは、ラストベストアルバム『Best moves〜and move goes on〜』を発売します。
motsu:「今の僕たちを3枚に分けるなら?!」ということから、『EXTREME』盤にはちょっ速のナンバーを。『LUXURY』にはミドル系の歌を。『INITIAL-D HYPER REMIX』には、m.o.v.eがこれまでライフワークとして演ってきたリミックス盤を収録します。中には、新曲を4曲収録しているんですけど。それ以外にセレクトした曲たちは、すべてファン投票をもとに選びました。
── 選ばれた楽曲たちを見て、どう思いました??
yuri:「そうだよねぇ」って感じでした(笑)。やっぱり、m.o.v.eのイメージを象徴するような鉄板ナンバーが数多く上がってたし。中には意外な楽曲もあって、「なるほどー」と思ったり(笑)。ファンの方々も、接した時期や接し方によっていろんな想い出があると思いますから。どの曲を…じゃなくて、こうやってみなさんに選んでもらえたこと自体が嬉しいんです。
■ これぞm.o.v.eの真骨頂「Raise Up」!!
── ここからは、収録した新曲4曲と新録リミックスについて聴かせてください。まずは、『頭文字 D Fifth Stage』オープニングテーマとなる「Raise Up」です。
motsu:先に『頭文字 D Fifth Stage』のお話をいただきまして。最近でもゲームとか、アニメ以外の形で『頭文字 D』に接してはきましたけど。アニメ版『頭文字 D』のテーマ曲 としては「DOGFIGHT」を手がけて以来になりました。自分たちの中にも、アニメ版『頭文字 D』のテーマ曲を唄いたい気持ちがすごくあったことから、作品に対して想いの沸き上がるがままに、曲も、歌詞もブワーッと書きました。アレンジを、m.o.v.eの後半時期のトラックを担っているSiZK氏にお願いをし、『頭文字 D』らしい速いテンポに。しかも音色の面では、あえてレトロっぽい雰囲気を出しながらまとめてもらいました。やはり『頭文字 D』の場合、どっかベタな懐かしさがあったほうが似合うんですよね。歌詞も、思いきり『頭文字 D』の世界へ寄り添って書いてます。もう自分的には、これまでにm.o.v.eが持っていた『頭文字 D』という絵の具を、全部ここに出し尽くしたナンバーですから。
yuri:我ながら、新しい『頭文字 D』シリーズにピッタリの作品になりました。まさに、『頭文字 D』のためにある楽曲ですよ、「Raise Up」は!!
■ モダーンでエクストリームな「Cross The X」
── 「Cross The X」は、アーケードゲーム『頭文字 D ARCADE STAGE 7 AA X(クロス)』のオープニングテーマとして誕生。
motsu:これはチョット前に作った楽曲なんですけど。タイトルに“X(クロス)”と出てくるよう、このゲームは、2人のエースがクロスしていくことがテーマ。なので「Cross The X」は、このゲームの劇伴的な感覚で書きました。歌詞では、日本語英語っぽいというか、英語を日本語っぽく置き換えてく手法を心がけています。
yuri:これはkimuraさんが作った楽曲なんですけど。まさにt-kimura節って感じの歌で、また「Raise Up」とは違った意味でm.o.v.eっぽい歌になりました。
motsu:昭和な感じの楽器音を用いたオブリガードでの演奏なども曲の中へと盛り込みながら、今のモダーンな音でアレンジしていった楽曲だけに、音の仕様も聞きどころだと思います。
■ もう一つの?!「Gamble Rumble(Stage 7 Version)」
── 中には、「Gamble Rumble(Stage 7 Version)」も収録になりました。
motsu:「Gamble Rumble」は、本当にいろんなRemixが存在するんですけど。これはアーケードゲーム『頭文字 D ARCADE STAGE 7 AA X(クロス)』のエンディングと挿入歌として使われているバージョンです。
yuri:これ、歌のパートがちょっとだけ短くなっているんですよね。そこも特徴です。
■ m.o.v.e史上最速ナンバー「Ignite The Fire」
── 「Ignite The Fire」は、『TOKYO DRIFT』のテーマソングです。
motsu:これは「ドリフトのイベントにピッタリな曲を書いてくれ」ということから、まさにちょっ速な楽曲を書きました。うちらも、ドリフトしている車に乗せてもらい、その中で歌った経験もありますからね、メロもリフもアレンジも、「いかにもドリフトを体感している雰囲気を出さなきゃ」ということから、BPM220というアホみたいなテンポの曲に仕上げました。とにかくドリフトしていく様をマックスで注ぎ込んだ歌になりましたね。
yuri レースっぽい雰囲気も曲のアレンジの中から見えてくる歌なんですけど。これは、あまりにもテンポが速いから、歌までラップしているような感覚でした(笑)。
■ m.o.v.eからの本音のラスト・メッセージ。それが「夕愁想花」。
── 最後は、『頭文字 D Fifth Stage』のエンディングソング「夕愁想花」です。ここには、m.o.v.eとして活動してきた15年間の想いを詰め込みました。
motsu:「解散」という言葉を間近に迎えた時期に耳にしてもらう歌でもありますから。こういうインタヴューでも言えない想いを。たぶん、これからも口では言えない気持ちを『夕愁想花』には詰め込みました。なかなか言葉としては言いにくい部分も、この歌詞には散りばめられてるんだけど。みなさん、どう受け止めてくれますかね??これ、夕方に、街を見下ろす場所に立って聴いてるとグッときちゃうと思う。
yuri:この曲が、m.o.v.eとして一番最後のレコーディング作品になりました。散々激しい曲を歌ってきたm.o.v.eが、最後に、こういうしっとりとした曲で終わるというのも意外なんですけど。でも、いろんな感情入り交じりながら歌えたように、最後の最後に、しっかり想いを込めた歌を届けられて良かったなと思います。
■ 有終の美は、シャンパンファイトで!!
── 3月16日(土)には、赤坂BLITZを舞台に『Best moves〜and move goes on〜』購入者対象(の抽選による無料招待)ラストライブが開催になります。
motsu:この日のライブは、自分たちでもどうなるのか、まだ予測できないですね。このまま…まとめきれない想いのままに向かっていくのか、気持ちを上手くまとめあげて演るのか。とにかく、その場でm.o.v.e15年の歴史にしっかりケジメを付けたいと思っています。
yuri:この日のライブでは、私の提案のもと「シャンパンファイト」をやるつもりです。これまでパーティソングをいっぱい歌ってきたm.o.v.eだし、ライブと言えばパーティ。パーティと言えばシャンパンファイトということから、最後はグチャグチャになって楽しく終わりたいなと思ってます。それこそがm.o.v.eらしいじゃないですか。
motsu:そうだね。そのためにも僕らの15年間の歴史を詰め込んだ『Best moves〜and move goes on〜』を聴いてもらい、「m.o.v.eという現象とは一体何だったのか?!」を、ぜひ手に取って検証して欲しいですね。
── では最後に。それぞれ「m.o.v.eとはどんな存在」でした?
motsu:そうですねぇ……走り?!ですね。
yuri:私の人生そのものです。わたし、学生を卒業後、すぐにm.o.v.eのメンバーとして活動を始めたように、最初から音楽へ就職していたんです。だから仕事と言えばm.o.v.eしか知らないように、m.o.v.eはわたしにとって人生そのものです。
text by 長澤智典
◆ ◆ ◆
m.o.v.eは、2月27日にラストアルバム『Best moves. 〜and move goes on〜』をリリース。この作品を含めると、シングル31枚、アルバム27枚の計58作品ものCDを世に残し、活動に終止符を打つ。
また、アルバムリリースに先駆けて、「夕愁想花」の配信が2月6日よりスタートしている。
◆BARKS インタビュー チャンネル
◆m.o.v.e オフィシャルサイト
● m.o.v.e、最後の作品「夕愁想花」ミュージックビデオを公開 -2013-01-24
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● yuri(m.o.v.e)のボカロキャラ・Lilyの萌え焼酎、発売 -2012-12-27
あれから15年。m.o.v.eは今、15周年YEARに突入している。本来なら、Anniversary Yearを楽しむべき年になるはずだった。だが2人は、途轍もなく大きな“衝撃”を今の音楽シーンへと投げつけた。それが、2012年12月8日に発表した「m.o.v.e解散!!」の言葉だった。
yuri/motsu/t-kimuraという鉄壁の布陣からスタートを切ったmove。途中、t-kimuraが表舞台から身を引き、現在の体制へと進化。anim.o.v.eとして、異なる視点から時代のmovementを描き出すことも2人は行なってきた。moveからm.o.v.eへ。2人が歩んできた15年の軌跡を、「解散発表」の真実も含めここに紹介しよう。
■ 次代の鎧を身にまとった、ポップフィールドで遊ぶ先駆者たち。
── デビューしたときからm.o.v.e(この時期はmove表記だが、すべてm.o.v.eで統一)は、「流行の一歩先をゆく先鋭的な音楽性を、メジャーというテクスチャーの中で表現」し続けてきました。
motsu:つねに時代を見据えて進みながら。だけど、何時の間にかすごい独自な路線を描き始めていましたけどね(笑)。
yuri:m.o.v.eを始めた当初は、似たようなスタイルを持ったアーティストっていなかったんです。だって、毎回ビックリするような楽曲がkimuraさんの元から上がってくるんですよ。そこへmotsuさんが多彩なラップを乗っけてくでしょ。だから、誰かをお手本にしようにも誰もいなくって、いっつも手探りだったのを思いだします。
── motsuさんとt-kimuraさんは、互いに"向かうべき音楽の未来図"を見据えながら制作していた形でしたよね。
motsu:そうですね。歳が一緒だったことや、互いに時代の中での先端音楽を追いかけてたこともあって、たとえば、「今、イギリスのクラブやロックシーンでこういう音楽が流行ってるようだ。それを僕たちなりに解釈したらどうなる?!」という意識は、言葉にするしない問わず、つねに共有していましたね。とくにデビューからの数年間は、その傾向が強かった。それが、だんだん独自な進化を遂げ始めるようになりまして(笑)。
── 独自の進化というのは、流行の先端に寄り添うだけではなく、もっと表現の解釈も広げていったということですか?!
motsu:それもあったと思います。ダンスミュージックという視点のみで捉えた場合でも、ある程度、ヒットを形作る要素を開拓し尽くし、次第に、そのフォーマットの焼き直し的な面が見えていくようになった。だからこそ「もっと枠を広げなきゃ」という意識を、2人とも持っていましたからね。
── 初のマキシ盤化となった(それ以前は8cmシングル使用)「platinum」が、最初の大きな改革ポイントになりました。
motsu:「platinum」はですね、もうぶっちゃけて言うなら、マリリン・マンソンの影響ですね(笑)。僕とkimura氏がライブを観に行ったときに、その音楽スタイルから強烈な影響を受けまして。それを、自分たちなりのフォーマットの上へ移し変えて表現してみようと。影響をみずからの解釈で広げてく作業は、長く表現活動を続けてくうえで誰もがやっていることだと思いますよ。
■ キーワードは「踊れる音楽」
── m.o.v.eと言えば、15年間ずっと「歌/ラップ/ダンスミュージック」のトライアングルなスタイルが表現の軸としてありました。
motsu:それって何でかな?!と考えたら、「自分が本質的に好きだから」なんですよ。どうにもこうにも「踊れる音楽」じゃないと演っててつまんないというか。
yuri:始めたばかり頃のm.o.v.eは、クラブでの活動が中心でしたもんね。私も当時はよくクラブへ遊びに行ってました(笑)。
motsu:対してkimura氏はクラブ・ミュージックも好きだけど、同時にゴシックなどのロック・テイストもルーツに持っているから、自然と、そういう要素も反映させたりね。
yuri:最初は打ち込み主体でライブ活動をしていたm.o.v.eが、途中でバンド・スタイルに変わったのも、kimuraさんの方向性でしたもんね。私、それまでバンドで唄った経験がなかったから、バンドで演ることの楽しさをそこで覚えました。実際、音の迫力はぜんぜん変わりますからね。
── 音楽性が変化してくという視点で言えば、ユーロやトランス寄りのスタイルを描いたり、ラテンの要素を取り入れたり、デジロックな方向性を打ち出したり。その都度、自分たちの旬な感性に合わせ、多彩な音楽性をm.o.v.eは提示し続けてきました。motsuさんやt-kimuraさんは、そこを楽しんでく人でしたけど。次々とm.o.v.eとしての音楽性の根幹の部分を変化させてゆく2人に、yuriさんは翻弄されてたんじゃない??
yuri:m.o.v.eの活動って、ずっとそうでした(笑)。だけど、その変化が毎回あったことが、長く唄ってくうえでの刺激になっていたのは間違いないです。
motsu:あの頃は、何作かラテン系にもチャレンジしてたんだよなぁ。
yuri:当時はダンサーさんを付けてライブを演ったり。私はラテン・スタイルのm.o.v.eもすっごく楽しかった。
■ 『頭文字 D』と「Gamble Rumble」
── m.o.v.eの大きな機転。そのきっかけが、ゲーム『頭文字 D Special Stage』のオープニングテーマとして流れた「Gamble Rumble」の大ヒット。「Blazin'Beat」の頃からその兆候はありましたけど、まさか「Gamble Rumble」でユーロビートを取り入れたのは衝撃でした。
motsu:デビュー曲の「ROCK IT DOWN」から「BREAK IN2 THE NITE」の頃までは、時代の流れに寄り添いながらも、“メジャーで演る意味を持った音楽”という視点で楽曲を作っていたんだけど。それ以降の「platinum」からは、時代性を意識しながらも、結果的には“時代という匂いをまとったオリジナルな楽曲”が、無意識の中、生まれてくるようになったんだよね。しかもそのスタイルを、あの頃からファンの人たちは面白がって支持してくれていた。だから自然と、時代の流れに左右されない音楽性も柔軟に取り入れ、自分たちなりの視点で音楽の遊びをするようにもなったんですよ。
yuri:でも「Gamble Rumble」でユーロビートを取り入れ、この歌がヒットしたとたん、良くも悪くも「m.o.v.e=ユーロビート」というイメージが付きましたけどね。m.o.v.eって、そんなユーロ系の要素を取り入れてないんだけど。今でもそう思う人がいるのは、「Gamble Rumble」の印象がそれくらい強烈だったからだと思います。
── 当時は、もうユーロビートがダサい音楽の象徴になり、今にも廃れようとしていた時代じゃないですか。その中へ、時代と逆行するようにユーロ・スタイルを取り入れ、結果的にm.o.v.e史上一番のヒット曲を作り上げました。
motsu:系譜的に言えば「around the world」や「Blazin'Beat」も、そう。この「Gamble Rumble」も、『頭文字 D』という作品とタッグを組んでいたことから、あの物語に寄り添った疾走感を出すうえで、速いダンスミュージックという要素が必要だったんですよ。言われたようにあの時期は、ユーロどころか、その手のダンスミュージックが終わろうとしている雰囲気がクラブ・シーンにはあった頃。だから我々も、「ユーロビートという禁断の扉を開けるか、否か」で、そうとう話しあいましたからね。結果的には、yuriちゃんも言ったように「ユーロ=m.o.v.e」というイメージも付いちゃいましたけど(笑)。あの当時、先端を追いかけていたm.o.v.eとしては、「ユーロというレッテルをm.o.v.eに貼られてしまうこと」に、正直、恐れや戸惑いを覚えていたんですよ。
── その怖さを覚えるのは当然だと思います。
motsu:だけど、僕もkimura氏も、m.o.v.eを始める前にメジャーでマニアックなことをやって失敗してるんですよ。僕で言えばMORE DEEPを。kimura氏はSUBSONIC FACTORとしてメジャーで活動していた経験もあったことから、改めて「m.o.v.eがメジャーで活動していく意味」を互いに問いかけたんですね。その結果として、「ダサいと思われようが、その曲に似合うんであればやるべき。メジャーで活動していくってそういうことでしょ」という答えを導きだし。そこからユーロという禁断の扉を開けたんだけど。とたんに、予想以上に多くの人たちに支持されちゃったという(笑)。その結果を見たときに、「なんで、今まで躊躇してたんだろう?!」と思いましたからね。
── ユーロ系スタイルって、やはり日本人の感性に……。
motsu:良くも悪くも合うんでしょうね。しかも、時代性に関係なくね。
■ 語り継がれゆくクラブ・アンセム『FLY ME SO HIGH』
── だけど「Gamble Rumble」前後には、クラブ・シーンへも強くアプローチしていましたよね。
motsu:「words of the mind〜brandnew journey〜」や「FLY ME SO HIGH」とかね。すごいのがね、「FLY ME SO HIGH」は、いまだに渋谷のイケイケなクラブでガンガン流れてるロングヒット作、クラブ・アンセム的ナンバーになっていることなんですよ。そういうところへ遊びに行くと、みんな『FLY ME SO HIGH』を聞きながらガンガンに踊ってる。むしろあの界隈では、「FLY ME SO HIGH」を歌っているのがm.o.v.eということさえ知らない若い子たちがいっぱいいますからね(笑)
── 当時のm.o.v.eは、積極的にクラブ活動も行っていました。
yuri:ユーロやトランス的な要素を押し出していた頃は、よく夜中のクラブへ行っては、イベントで歌ってましたね。各地へのクラブ・ツアーもやってましたし。私的には、趣味も兼ねた仕事としてクラブへ行けることもあって、すごく楽しくやっていたのを思いだします(笑)。
■「DOGFIGHT」を通して確立したm.o.v.e流デジロック/ラップロック!!
── さきほど「頭文字 D」の話が出ましたが。m.o.v.eの場合、『頭文字 D』ともずっと足並み揃え、歩んできました。
motsu:15年前に出した2枚目のシングル「around the world」からなんで、m.o.v.eと「頭文字 D」とは15年の付き合いなんですよ。「Gamble Rumble」を出して以降「DOGFIGHT」を出すまでの時期って、切れ目なくシングルやアルバムを出してたとはいえ、『頭文字 D』とのコラボレートに引っ張られ、なんとか前へ進めてるなぁという面も正直感じてました。ただし当時は、『頭文字 D』とのコラボレートを意識しつつも、そんなにアニメの世界へどっぷりというスタンスを持つまでには至らなかった。実際にアニメだって『頭文字 D』は観てたけど、それ以外の作品はまったく知らなかったんですね。だけど、「DOGFIGHT」を作る前頃の時期からかな?! 他のアニメ作品も観るようになったんです。そこで受けた衝撃が、テーマソングのクオリティの高さだったんですよ。
── あの頃からアニソンの世界には、“先鋭/マニアックな音楽とベタな要素をハイブリッド”させた楽曲が多かったですもんね。
motsu:そうとう音楽的にクオリティの高い楽曲も多かったですからね。それもあって我々も、もっと深くアニメの世界に浸りながら、その作品を彩る完全なる一部になろう。そういう意識で作ったのが「DOGFIGHT」であり。この歌が、m.o.v.eを次なるステージへ連れていってくれましたからね。「DOGFIGHT」は、まさにエレクトロなラップロックという路線を色濃く打ち出していた頃の作品。その流れが「GETTO BLASTER」や「How To See You Again」という楽曲を産み出し、m.o.v.eとしてあるべき一つのスタイルを確立させていったわけだからね。
■ t-kimura、表舞台からの引退。その真相は。。。
── いろいろと音楽的な表現手法を投影しながら、独自の。その中にも、いくつもの"らしいスタイル"を描き出し続けてきたm.o.v.eですが。2008年12月に、t-kimura氏が表舞台から退き、プロデューサーに専念するという宣言が成されました。今でもt-kimura氏はm.o.v.eの制作に関わっているように袂を分かったわけではないとはいえ、それでも、表舞台から去ったことは衝撃でした。
motsu:あの経験は、m.o.v.eにとってもおっきなことでした。m.o.v.eは、デビュー時期から、ずっと3人だけで楽曲制作を含めて全てを行ってきたわけですけど。いい大人なんだから、分別持って「まぁまぁまぁ」とできれば良かったんだろうけど。お互い引かないところはまったく引かないように、音楽制作面では、かなり頭を突き合わせ、喧々諤々やり続けていたんですよ。
よく解散の理由に「音楽的な方向性の違い」ってあるじゃないですか。そういうのを聴くたびに、「まーた、何を言ってんだか」と言ってたんだけど。まさか、自分たちの袂を分かった原因が、そこになろうとはね。それは、結果的に解散の理由にも繋がっていくことなんだけど……。
── t-kimura氏の中にも、m.o.v.eで音楽を表現していくうえでいろんな葛藤があったのでしょうか??
motsu:彼なりに、いろんなことはあったと思いますね。このまま3人で表舞台に立ちながら続けていくのは演りづらいというか。結果、m.o.v.eとしての表舞台からは退きつつ、でもm.o.v.eの楽曲は作り続けてくという形になったんですけど。まぁ当時は、m.o.v.eを進めてくうえでの全体の流れにも、何処か支障をきたしていたのもありましたからね。その辺のことを突き詰めだすと、つねにオンステージ(表舞台)で演っている人と演っていない人(裏方/プロデューサー)との意識の違いという話にまでなっちゃうんですけど。いろんな方向指し示していく中で生まれたいくつかの小さな溝が、何時しか修正できないくらい大きな溝になってしまってたというのが、kimura氏が表舞台から去った要因になっているとは思います。
── あの頃からt-kimuraさんは、コンポーザーしてのスタンスを強く求めていましたよね。極端に言うなら、m.o.v.eどころか、Favorite Blueの後半頃から、そんな感じだったのかな?! と思えますから。
motsu:それはあったと思います。その辺の意識の共有面で、あれこれ話しあった経験だって何度もありました。僕は僕なりに、彼は彼なりに「m.o.v.eを進めていくうえで、こうしたほうが絶対にいい」という信念があったんですよ。それを「まぁまぁまぁ」とお互い大人になって引けず、互いに一歩も譲ることなく、そのままkimura氏は表舞台からコースアウトする形になってしまいました。そこで互いに大人になれれば良かったんだろうけど。それは今の自分にも言えることで、ずーっと「なぁなぁ」なスタイルに自分を持っていくことが出来なかったんですね。いくつになっても、そこは大人になれなかったというか、中年になっても、高校生と意識的には一緒じゃないかみたいな(笑)。だけど、それが「音楽を真剣にやっているから」こその互いの答えだったんですよ。
■ anim.o.v.e誕生!!
── まだt-kimuraさんがいた頃の話になりますが。m.o.v.eの大きな転機の一つに、アニソンシーンとのコラボレートという流れもありました。そのきっかけになったのが、アニソンの祭典<アニメロサマーライブ>への出演でした。m.o.v.eがこのイベントへ初めて出たのは何時頃でした??
motsu:まだイベントとして開催が3回目の<Animelo Summer Live 2007 -Generation-A->だったから、2007年のこと。ちょうど、m.o.v.eがデビュー10周年を迎えていた時期でした。
── デビュー10周年の時期は嬉しいアニバーサリーの年ではあったけど。m.o.v.eの内情を見た場合、「ここからどうm.o.v.eとして進むべき舵を取っていくか」で模索していた時期じゃなかったですか??
motsu:あのときアニソンの世界に出逢っていなかったら、きっとm.o.v.eは煮詰まってましたね。anim.o.v.eとしてアニソンのカバーを本格的に始めたのは、その2年後からなんですけど、アニソンをカバーしていくことで、それまでm.o.v.eが硬直化していた表現フォーマットの中へ、新しい刺激をいろいろ投影することが出来た。それが、m.o.v.eを先へ突き進めていくうえでの原動力になっていたのは間違いないです。
yuri:アニソンをm.o.v.eなりの解釈でアレンジし、その世界じゃないフォーマットで歌やラップを入れることで、また新しい解釈が生まれていったのも良かったんですけど。それをやることに、私たち自身が新鮮な気持ちで向かえられたのが、大きかったんですよね。
■ 変化し続けていくスタイルの先には……。
── m.o.v.e結成10周年の時期にアニソンと出会い、その後anim.o.v.eを演ることで、m.o.v.eは次の5年や10年という先へ視線を向けてゆく糧を得ることが出来ました。でも10周年頃は、正直、未来を描きにくい時期にm.o.v.eはいたわけですが、yuriさんはその頃のm.o.v.eのことをどう見てました??
yuri:10周年のときも、その後m.o.v.eが2人だけになったときも、「どうなっていくんだろう??」という不安な気持ちはありましたけど。それを言ったら、“先が見えない気持ち”はm.o.v.eが誕生した頃からずっとありましたからね。とくにm.o.v.eは、始まったときから、けっして同じ音楽を演ることのなかったバンドじゃないですか。だから、「この先、どうなるの??」「大丈夫かな?!」という不安は、何時も心の何処かにはありました。だけど、いろんな音楽スタイルで遊んでこれたからこそ、私はずーっと楽しく過ごせてもいましたからね。
── anim.o.v.eというカバー・スタイルを通し、m.o.v.eに新しい刺激を投影しながらも、同時に、m.o.v.eとしてオリジナルなスタイルの矛先をどう先へ向けていくのか?!そこも探していたわけですよね。
yuri:そこに感しては、よくメンバーやスタッフ内で、そうとう話しあいを続けてきましたね。
motsu:あーでもない、こーでもないと、そこでも意見をぶつけあい続けていたんでね。
■ 「解散」。それは、名誉なこと。
── 結果m.o.v.eは、15周年を迎えた年に「解散」という結論を導き出しました。その兆候は、何時頃からあったのでしょうか??
motsu:兆候として言うなら、それはデビュー当時からずっとあったこと。音楽制作の面で言えば、m.o.v.eは15年間良い意味でぶつかりあってきた。つまり、「15年間真剣勝負の場」だったからこそ、何時だって解散という言葉へ向かう兆候は内包していたことなんです。
── 考え方次第でしょうけど。大人の割り切りが出来たら、これから先もm.o.v.eを続けられたとも思うんです。
motsu:きっとそうだと思いますよ。でもね、「解散できるってすごく名誉なこと」だなぁと僕なんかは思うわけですよ。
── 解散できることが名誉??
motsu:一般的にはまず、解散の一歩手前となる“活動休止”を発表し、そのままにしておくか。その後、解散という道を辿る流れが多いじゃないですか。他にも、活動してる名目になってはいるけど自然消滅しているパターンとか。でも僕らは、しっかりと「解散」というケジメを付け、解散コンサートもやりなから、応援してくれてるみんなと一緒にその幕を閉じたかった。とにかく、うやむやなまま活動を終えていくのだけは絶対に嫌だったんです。
── 今やyuriさんも、結婚をし、子供も生まれ、家庭を持ってというように、音楽と同時に、守るべき家庭もありますからね。
yuri:そうですね。19歳でデビューが決まり、20歳でm.o.v.eのメンバーとしてデビューし、そこから15年ですから、ホントいろんなことがありました。正直、今でも、音楽活動と家庭を両立していくのは、正直難しい面もあるんですけど(笑)。
motsu:だって、臨月の時期まで歌入れしてたもんね。
yuri:しかも、子供が生まれた1ヶ月後にはレコーディングを再開してましたからね(笑)。
■ 「解散」。その言葉の意味と選択と。。。
── 「解散」という具体的な話が出たのは、何時頃だったのでしょうか??
yuri:12月8日に解散を発表したんですけど。具体的にその話が出て、その結論を出したのも、本当にその頃なんです。
── その結論を出す前に、それぞれ心の中には「解散」という想いが巡っていたのでしょうか??
motsu:すごいぶっちゃけて言うと、半年前……1年前頃からかな?! 僕の意識の中にはありました。その言葉がだんだん具体化してきたのは、半年前くらいからですかねぇ……。
── 続けるよりも、しっかりケジメをつけようと。
motsu:そうですね。いろんな状況を考えながらも、一番ポジティブになれる選択肢を考えたときに「そこだった」というところですかねぇ。あと、「解散」というカードの切りどころってあると思うんですよ。それを15周年というこの年に出さなかったら、m.o.v.eは変な感じで進んでしまうと思ったことも大きかった。
yuri:「解散」の想いって……難しいですよね。「続ける」のも、「辞める」のも、どっちも大変なことなんですよ。それはすごく感じていること。今も、こうやって「解散」へ向けたインタヴューを受けてるけど。正直、気持ちのうえでは、まだ実感は沸かないし。最後のライブを演って、それが終わったときに……どう思うのかなぁ。
■ ファンたちへの想いを詰め込んだ『Best moves〜and move goes on〜』
── 2月27日にm.o.v.eは、ラストベストアルバム『Best moves〜and move goes on〜』を発売します。
motsu:「今の僕たちを3枚に分けるなら?!」ということから、『EXTREME』盤にはちょっ速のナンバーを。『LUXURY』にはミドル系の歌を。『INITIAL-D HYPER REMIX』には、m.o.v.eがこれまでライフワークとして演ってきたリミックス盤を収録します。中には、新曲を4曲収録しているんですけど。それ以外にセレクトした曲たちは、すべてファン投票をもとに選びました。
── 選ばれた楽曲たちを見て、どう思いました??
yuri:「そうだよねぇ」って感じでした(笑)。やっぱり、m.o.v.eのイメージを象徴するような鉄板ナンバーが数多く上がってたし。中には意外な楽曲もあって、「なるほどー」と思ったり(笑)。ファンの方々も、接した時期や接し方によっていろんな想い出があると思いますから。どの曲を…じゃなくて、こうやってみなさんに選んでもらえたこと自体が嬉しいんです。
■ これぞm.o.v.eの真骨頂「Raise Up」!!
── ここからは、収録した新曲4曲と新録リミックスについて聴かせてください。まずは、『頭文字 D Fifth Stage』オープニングテーマとなる「Raise Up」です。
motsu:先に『頭文字 D Fifth Stage』のお話をいただきまして。最近でもゲームとか、アニメ以外の形で『頭文字 D』に接してはきましたけど。アニメ版『頭文字 D』のテーマ曲 としては「DOGFIGHT」を手がけて以来になりました。自分たちの中にも、アニメ版『頭文字 D』のテーマ曲を唄いたい気持ちがすごくあったことから、作品に対して想いの沸き上がるがままに、曲も、歌詞もブワーッと書きました。アレンジを、m.o.v.eの後半時期のトラックを担っているSiZK氏にお願いをし、『頭文字 D』らしい速いテンポに。しかも音色の面では、あえてレトロっぽい雰囲気を出しながらまとめてもらいました。やはり『頭文字 D』の場合、どっかベタな懐かしさがあったほうが似合うんですよね。歌詞も、思いきり『頭文字 D』の世界へ寄り添って書いてます。もう自分的には、これまでにm.o.v.eが持っていた『頭文字 D』という絵の具を、全部ここに出し尽くしたナンバーですから。
yuri:我ながら、新しい『頭文字 D』シリーズにピッタリの作品になりました。まさに、『頭文字 D』のためにある楽曲ですよ、「Raise Up」は!!
■ モダーンでエクストリームな「Cross The X」
── 「Cross The X」は、アーケードゲーム『頭文字 D ARCADE STAGE 7 AA X(クロス)』のオープニングテーマとして誕生。
motsu:これはチョット前に作った楽曲なんですけど。タイトルに“X(クロス)”と出てくるよう、このゲームは、2人のエースがクロスしていくことがテーマ。なので「Cross The X」は、このゲームの劇伴的な感覚で書きました。歌詞では、日本語英語っぽいというか、英語を日本語っぽく置き換えてく手法を心がけています。
yuri:これはkimuraさんが作った楽曲なんですけど。まさにt-kimura節って感じの歌で、また「Raise Up」とは違った意味でm.o.v.eっぽい歌になりました。
motsu:昭和な感じの楽器音を用いたオブリガードでの演奏なども曲の中へと盛り込みながら、今のモダーンな音でアレンジしていった楽曲だけに、音の仕様も聞きどころだと思います。
■ もう一つの?!「Gamble Rumble(Stage 7 Version)」
── 中には、「Gamble Rumble(Stage 7 Version)」も収録になりました。
motsu:「Gamble Rumble」は、本当にいろんなRemixが存在するんですけど。これはアーケードゲーム『頭文字 D ARCADE STAGE 7 AA X(クロス)』のエンディングと挿入歌として使われているバージョンです。
yuri:これ、歌のパートがちょっとだけ短くなっているんですよね。そこも特徴です。
■ m.o.v.e史上最速ナンバー「Ignite The Fire」
── 「Ignite The Fire」は、『TOKYO DRIFT』のテーマソングです。
motsu:これは「ドリフトのイベントにピッタリな曲を書いてくれ」ということから、まさにちょっ速な楽曲を書きました。うちらも、ドリフトしている車に乗せてもらい、その中で歌った経験もありますからね、メロもリフもアレンジも、「いかにもドリフトを体感している雰囲気を出さなきゃ」ということから、BPM220というアホみたいなテンポの曲に仕上げました。とにかくドリフトしていく様をマックスで注ぎ込んだ歌になりましたね。
yuri レースっぽい雰囲気も曲のアレンジの中から見えてくる歌なんですけど。これは、あまりにもテンポが速いから、歌までラップしているような感覚でした(笑)。
■ m.o.v.eからの本音のラスト・メッセージ。それが「夕愁想花」。
── 最後は、『頭文字 D Fifth Stage』のエンディングソング「夕愁想花」です。ここには、m.o.v.eとして活動してきた15年間の想いを詰め込みました。
motsu:「解散」という言葉を間近に迎えた時期に耳にしてもらう歌でもありますから。こういうインタヴューでも言えない想いを。たぶん、これからも口では言えない気持ちを『夕愁想花』には詰め込みました。なかなか言葉としては言いにくい部分も、この歌詞には散りばめられてるんだけど。みなさん、どう受け止めてくれますかね??これ、夕方に、街を見下ろす場所に立って聴いてるとグッときちゃうと思う。
yuri:この曲が、m.o.v.eとして一番最後のレコーディング作品になりました。散々激しい曲を歌ってきたm.o.v.eが、最後に、こういうしっとりとした曲で終わるというのも意外なんですけど。でも、いろんな感情入り交じりながら歌えたように、最後の最後に、しっかり想いを込めた歌を届けられて良かったなと思います。
■ 有終の美は、シャンパンファイトで!!
── 3月16日(土)には、赤坂BLITZを舞台に『Best moves〜and move goes on〜』購入者対象(の抽選による無料招待)ラストライブが開催になります。
motsu:この日のライブは、自分たちでもどうなるのか、まだ予測できないですね。このまま…まとめきれない想いのままに向かっていくのか、気持ちを上手くまとめあげて演るのか。とにかく、その場でm.o.v.e15年の歴史にしっかりケジメを付けたいと思っています。
yuri:この日のライブでは、私の提案のもと「シャンパンファイト」をやるつもりです。これまでパーティソングをいっぱい歌ってきたm.o.v.eだし、ライブと言えばパーティ。パーティと言えばシャンパンファイトということから、最後はグチャグチャになって楽しく終わりたいなと思ってます。それこそがm.o.v.eらしいじゃないですか。
motsu:そうだね。そのためにも僕らの15年間の歴史を詰め込んだ『Best moves〜and move goes on〜』を聴いてもらい、「m.o.v.eという現象とは一体何だったのか?!」を、ぜひ手に取って検証して欲しいですね。
── では最後に。それぞれ「m.o.v.eとはどんな存在」でした?
motsu:そうですねぇ……走り?!ですね。
yuri:私の人生そのものです。わたし、学生を卒業後、すぐにm.o.v.eのメンバーとして活動を始めたように、最初から音楽へ就職していたんです。だから仕事と言えばm.o.v.eしか知らないように、m.o.v.eはわたしにとって人生そのものです。
text by 長澤智典
◆ ◆ ◆
m.o.v.eは、2月27日にラストアルバム『Best moves. 〜and move goes on〜』をリリース。この作品を含めると、シングル31枚、アルバム27枚の計58作品ものCDを世に残し、活動に終止符を打つ。
また、アルバムリリースに先駆けて、「夕愁想花」の配信が2月6日よりスタートしている。
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◆m.o.v.e オフィシャルサイト
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