観光ボランティアガイド推薦「ふるさと三重、再発見の旅」

御幸道路沿線の史跡を訪ねる その1
(ミユキドウロエンセンノシセキヲタズネル)

所要時間:半日以内

外宮から内宮に通ずる道路は伊勢磯部線(御木本道路)、旧古市参宮街道、御幸道路(旧国道一号線)等、内宮に通ずる参宮道があります。
御幸道路は、内宮まで5.5㎞あり、明治43年(1910)開通し、別名御成街道とも呼ばれ、天皇陛下の行幸時の参拝経路で、道路の左右には桜やツツジなど四季折々の花を咲かせます。
また、石燈籠は昭和28年(1953)全国の篤志家によって寄進されました。
この御幸道路沿線には数々の史跡及び博物館が点在し南北朝時代の忠臣結城宗廣ゆかりの光明寺、縄文時代の隠岡遺跡、倭姫命御陵、日蓮聖人誓の井戸、日本唯一の神道博物館皇大神宮別宮月読宮、猿田彦神社等を散策されてみてはいかがでしょうか。




語り部ガイド:不可

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指定無し

ガイドマップ

http://maps.google.co.jp/?q=34.488301017166,136.70621075597&z=15

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アクセス
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補足資料
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外宮表参道

外宮表参道
外宮表参道

(公共交通機関利用)近鉄宇治山田線伊勢市駅、或いはJR参宮線伊勢市駅下車、徒歩にて外宮参拝後、表参道前の交差点を渡り次の交差点が御幸道路です。
(マイカー利用)伊勢自動車道 伊勢西IC下車、伊勢磯部線より外宮に至ります。

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錦水橋

錦水橋
錦水橋

 外宮参拝後、表参道前の交差点を渡り、次の交差点の道が御幸道路で内宮までは外宮より5.5㎞あります。この道路は明治43年(1910)に開通し両側には御木本幸吉氏寄贈の桜が植えられ四月になると桜花爛漫となり美しい眺めとなります。
 東進約10分のところに勢田川に渡る橋があります。この橋は全長36.7m、幅16m、青銅製の擬宝珠が12基付いており「錦水橋」と名付けられました。古来より岡本の里は錦河内、錦の小河と呼ばれていたために錦水橋と命名されたといわれています。
 橋の西詰めに立っている石標は当時の知事である古荘三重県知事の書であるそうです。

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金鼓山光明寺

金鼓山光明寺
金鼓山光明寺

 錦水橋を渡り左側に金鼓山光明寺が建っています。このお寺は臨済宗東福寺派で御本尊は、木造阿弥陀如来坐像(平安後期の作)で県文に指定されています。
 寺の縁起によりますと天平年間(8世紀)に聖武天皇勅願で、前山鼓ケ岳に創建され、鎌倉時代末に恵観禅師が中興しました。
延宝3年(1338)には南朝勢力を挽回せんと後醍醐天皇皇子・義良親王を奉り北畠親房父子や結城宗廣らが、大湊から奥州に向かうとして出帆しましたが途中難風に遭い、宗廣だけが光明寺に入り再興を図ろうとしたのですが不幸にしてこの地で倒れてしまいました。
 この寺は当初吹上松原に建てられていましたが寛文10年(1670)の「なたや火事」で類焼、この地に再建されました。
 「境内の五基の宝筐塔は貴重なものでかつては旧地にありましたが昭和23年現在地に移されました。
 ちなみに明治維新以前、伊勢山田の寺院の中で梵鐘の所持を許可されたのは光明寺だけで「光明寺の一つ鐘」と言われました。

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隠岡遺跡

隠岡遺跡
隠岡遺跡

光明寺から東に進むと交差点があり、坂を登ると隠岡遺跡に至ります。
隠岡と呼ばれるようになったのは、倭姫命がこの地で石隠れされたと言われたからです。
昭和58年市営住宅建築の為、事前調査として約2300平方メートルを発掘調査した結果、当遺跡から主要な生活の跡の弥生時代後期のむらの跡と、平安時代の建築群が発見されました。
弥生時代後期の竪穴住宅22棟、出土品として壺、甕、高杯、斧などが出土し、平安時代の建築群として棟方向を揃えた掘立柱建物6棟、総柱建物3棟などの遺構及び、緑釉陶器、土師器、須恵器、志摩式製塩土器などが出土しました。
これらのことから平安時代には建物群であったと云われています。

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倭姫命御陵

倭姫命御陵
倭姫命御陵

隠岡遺跡より東に約3分歩くと、倭姫命御陵と常明寺跡の石標が建っています。
この辺りには外宮神官度曾四門の氏寺常明寺がありましたが、明治の廃仏の波に乗り廃寺となりました。
しかしながら当時の常明寺山は、神都随一の大伽藍を擁していたらしく、伊勢参宮名所図絵にも描かれています。
石標のある坂道を登ると右側に御陵があります。この墓は、一名「尾上御陵」ともいわれ倭姫命世記によると、神都において薨去せられ尾上峰に隠し奉ると云われています。
しかし、御陵の所在は不明で、元常明寺の石窟が有力な地として、明治42年(1909)宮内省が管理保全することになりました。
その後もこの陵墓については色々な諸説があります。

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日蓮上人の誓の井戸

日蓮聖人誓いの井戸
日蓮聖人誓いの井戸

倭姫命御陵から御幸道路に出てしばらく歩くと、右側に「日蓮聖人の誓の井戸」があります。約500坪の用地正面には信者の寄進による大宝塔が建てられています。
その南東に石積の枠に守られた井戸があります。
日蓮は貞応元年(1222)2月16日、安房の小湊の漁師の家に生まれました。12歳で天台宗の清澄寺に預けられ出家し、その後鎌倉に出て浄土宗の教義、のちに比叡山に登り天台教義を学びました。
その後12年間遍歴の旅を続け建長5年(1253)伊勢に来て常明寺で参籠し境内の井戸で潔斎をしました。
「我、日本の柱にならん」、「我、日本の眼目とならん」、「我、日本の大船とならん」との三大誓願を皇大神宮に誓願しました。
この年日蓮宗は立教開宗されたと云われています。

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皇大神宮別宮倭姫宮

誓の井戸から御幸道路のゆるやかな道を歩くと、左手皇學館大学及び付属高校・中学を眺め、しばらく歩くと交差点があります。
交差点を渡り鳥居をくぐり倭姫宮の神苑に入り、木々を眺めながら手水舎で手を洗い神前へと進みます。
御祭神は倭姫命をお祀りしています。
倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女であらせられ、天照大神の、御杖代として諸国を巡幸、五十鈴川の川上に天照大神をご鎮座されました。
その功績は偉大なものであったので、大正10年に勅旨をもって本宮御創立の御事が仰せられ、大正12年11月5日に御鎮座が執行されました。
倭姫命の功績を永遠に残そうと願っていた宇治山田市民の願いはここにかなえられました。

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神宮徴古館

神宮徴古館
神宮徴古館

倭姫宮の参道を出ると目の前の建物は神宮徴古館で、後ろには神宮農業館、前に見える建物は平成5年に第61回神宮式年遷宮を記念して建てられた式年遷宮記念美術館となっています。
大岩芳逸、山中崔十、村井恒蔵、古市備前屋太田小三郎らが神苑会を創立し、神苑整備の事業として、この地、倉田山文教地区に倉田山歴史博物館建設が行われることになり、明治33年(1906)11月赤坂離宮(現在の迎賓館)、東京・奈良の国立博物館を設計した片山東熊氏の設計による工事が行われました。
これはルネッサンス式の平屋建、建坪303坪(1,000㎡)、前庭は内苑局の市川之雄によりベルサイユ宮殿を模し設計されました。
明治44年3月31日、神苑会の事業が終わり徴古館の前庭で解散式が行われる事になり、同年4月1日に神宮に全てを献納されました。
昭和20年1月14日戦災にあい収蔵庫が全焼するという最悪な事態になり、その後復興工事が行われ昭和28年第59回神宮式年遷宮の記念として改装、現在には御装束御神宝を始め、重要文化財11点、歴史、美術工芸品等13,000点が展示されています。

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大鳥居

大鳥居
大鳥居

徴古館から御幸道路に戻り、正面に御師の門、福島御塩焼太夫八脚の薬医門をくぐり石畳の坂を登ると左側には神宮文庫、右側には皇學館大学神道博物館が建っています。
神宮の祭祀のことが良く理解できますから入館されてみては如何でしょうか。
もとの道に戻りますと、目の前に建っている大鳥居は、多度町の勢濃工業株式会社の伊藤源一社長が寄贈されたものです。
かつて、伊勢市には故松下幸之助氏が昭和31年に寄贈された鉄筋コンクリート製の大鳥居が建っていましたが、県道拡張工事に伴い昭和63年に撤去されました。
その後、再建の話があり、それを新聞報道で知った伊藤社長が再建を申し出られ平成5年に再建工事が始められました。
総工費3億3千万円ともいわれています。
大鳥居は鋼鉄製で高さ22.7m、幅30.7m、夜間はライトアップされくっきりと浮かび上がり、伊勢市に相応しい景観となっています。

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皇大神宮別宮月読宮

月読宮
月読宮

大鳥居をくぐるとゆるい下り坂になります。
左側に伊勢市民病院、その向こう側のその昔宇治地区と山田地区の争いで宇治方がホラ貝を吹いたといわれる貝吹山を眺めながら更に進み、近鉄ガードをくぐると左手に森が見えてきます、月読の森です。月の世界を支配する天照大神の弟月読命、外宮の別宮月夜見宮のご祭神と同じ神様で、向かって右に月読荒御魂宮、左に伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の三別宮がご鎮座されています。
境内には皇大神宮末社葭原神社があり、ご祭神は大歳神の児佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比売命の三柱の神で、これらの神様は田や畑を守護し五穀の神様であります。

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