第二部 安全の指標(3) 研究者の苦悩 予想されていた批判
長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の山下俊一(60)=現福島医大副学長=が福島医大に到着したのは平成23年3月18日午後4時すぎだった。迷彩服姿の自衛隊員が慌ただしく駆け回り、傷病者を除染するためのテントが組み上がっていた。
山下はすぐに、長崎大から派遣された先導生命科学研究支援センター教授の松田尚樹(56)、大学院医歯薬学総合研究科教授高村昇(44)とともに福島医大のスタッフの前で話し始めた。定員250人のホールは満席で、多くの職員が地べたに座り込んだ。その表情から山下らはスタッフの不安が手に取るように分かった。
3人は放射線の基礎知識、被ばくのリスクなどを伝えた上で、福島医大の放射線量を示しながら大量被ばくの心配はないことを強調した。「医療スタッフが逃げ出したら終わり。腹を据えて頑張れ」。山下はげきを飛ばした。
東日本大震災以降、緊張で極限状態だった福島医大だが、当時、山下の言葉を聞いたスタッフの多くは「この瞬間、医大に踏みとどまることを決意した」と振り返る。
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一夜明けた19日、山下と高村は福島市の県自治会館内にある県病院局で知事の佐藤雄平(65)と面会した。県災害対策本部が入った館内は多くの職員でごった返していた。ロビーには布団を持ち込んで仮眠する職員や報道関係者の姿があった。山下は空間放射線量の測定結果から、発がんリスクが高まる被ばく線量100ミリシーベルトには達しないことを説いた。「このくらい(の線量)じゃ、心配はいらない」と助言し、佐藤が差し出した手をしっかりと握り返した。
山下と高村はこの日、県幹部とも面談した。チェルノブイリで取り組んだ健康調査、放射線が健康に与える影響などを1時間にわたって話した。「とにかく放射線に対する正しい知識を広めてほしい」。県からの要請で、県放射線健康リスク管理アドバイザーへの就任が決まった。
県は2日前の17日に原発事故に対応する相談電話を設けたばかりだった。職員の放射線に対する知識は乏しく、原子力に詳しいOBをかき集めて対応していた。「放射線量とはどういう意味なのか」「健康に影響はあるのか」。3本しかない電話回線は鳴りっ放しだった。多い日には450件を超え、1時間で20件近い問い合わせがあった。県は放射線が健康に及ぼすリスクを住民に説明できる専門家を求めていた。
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山下と高村の最初の仕事は就任直後の記者会見だった。自治会館内で報道陣の取材に応じた。「福島市の放射線量が上がっているが大丈夫なのか」「国の屋内退避指示の判断は正しいのか」。矢継ぎ早に質問が飛んだ。2人は放射線の健康影響について、「全く心配ない」と繰り返し答えた。空間線量から住民が100ミリシーベルトを超える放射線を浴びることはないと分かっていたからだ。翌日からは「原発事故の放射線健康リスク」と題した講演会を次々とこなし、記者会見と同じ言葉を重ねた。
ただ、県職員の1人は当時の山下の言葉が今でも耳に残っている。「いずれ、(自分たちに対する)批判は出てくるよ」。その懸念は日を追うごとに現実となっていった。(文中敬称略)
(カテゴリー:ベクレルの嘆き 放射線との戦い)