地球は、表面の3分の2が水で覆われた「水の星」だ。そのうち97%は塩分を含んだ海水で、水蒸気や南極の氷を含めても淡水は3%しかない。実際に使える飲み水、生活水はたったの0.0001%に過ぎず、不条理なまでに水不足な星である。島国でありながら清潔で豊富な淡水に恵まれた日本ではイメージしがたいが、深刻な水不足に悩まされる国が少なくないのもそのためだ。
もしも海が淡水だったらどうなるのだろうか? 砂漠の緑地化や時間と労力のかかる水くみから解放されるなど期待に胸が膨らむが、浮力の問題、塩による殺菌作用が影響し、決して今よりも住みやすいとは言いがたい。どのような世界になるのか考察してみよう。
■タンカーの沈没事故が多発
液中では物体に浮力が発生する。液体が物体を押し出そうとしている、と考えると分かりやすいだろう。浮力のもっとも簡単な調べ方は、水をいっぱいに入れた容器に物体を浮かべ、あふれた水を量る方法だ。100ccあふれれば100g分、1,000ccの場合は1kg分の浮力が発生し、物体は「見かけ上」軽くなって浮かぶのだ。
水は1ccあたり1gだか、海水には約3%の塩分が含まれているため、約1.02gとわずかながら重くなる。浮力は液体の重さに比例するので、海水の方が1.02倍の浮力を得られる計算となる。塩分濃度が30%にも及ぶ死海では、浮輪なしでも人間が浮くのは1ccあたりの海水が重いからである。
もしも海水が淡水になったら、浮力は減少し船の沈没事故につながる。現時点で世界最大のタンカーであるノック・ネヴィスを例にとると、最大積載時は船体と貨物(原油)を合わせて約82万トンに及ぶ。海上で沈まずないのは、同じく82万トン余りの浮力を受けているからである。これが淡水になると、浮力は80.4万トンに減少する。わずか3%の塩分が1.6万トンの違いに発展するのだ。
沈没させないためには1.6万トン分の荷物を減らすか、船体を軽くするしかないが、どちらもコストアップは免れない。世界経済の混乱は必至だろう。
■海水浴も命がけ?
海産物の生食は一般的だが、淡水魚をあまり生食しないのはなぜか? 答えは寄生虫だ。もちろん海水魚にも寄生虫は存在する。特にサケやマスのような川に遡上(そじょう)する魚は、生食用は冷凍し寄生虫処理がおこなわれるほどだ。殺菌作用のない淡水ではさらに多く、人体に直接影響するほか、卵の状態で経口感染する場合もある。美食家として知られる北大路魯山人はタニシの生食が原因で、肝臓ジストマで他界したと言われている。専門知識や適切な処置を施さない限り、生食は避けるべきだ。
菌やバクテリアのような微生物も問題だ。塩分のある海水であっても大腸菌やコレラなど、人体に有害な菌は存在する。東京湾には、江戸時代に発生したコレラ菌が眠っていて、温度が上がると活動を再開するのでは、という説もある。おまけに、護岸工事や砕石のために作られた海底のくぼ地が、嫌気性細菌の温床となり、青潮の原因となっていることも判明している。今でも安全とは呼べない海水に、淡水でしか生きられなかった微生物が加わったらどうなるか?
映画の題名のような名前だが、殺人アメーバと呼ばれる単細胞生物が存在する。正式名称はネグレリア・フォーレリで、河川や湖沼に生息し、傷口や鼻から侵入して脳を溶かしながら増殖する性質を持っている。発症から10日余りで致死率は95~98%に及ぶというから、すさまじい破壊力を持ったアメーバだ。日本でも発症例があるというから他人事ではない。25~35℃と温かい水を好むので、夏には日本中の海で出会える計算になる。こうなっては海水浴など自殺行為に等しい。
■結論
浮力の少ない淡水の海では、少ない荷物しか積めず、長距離航海はできない。加えて危険なバクテリアやアメーバにおびえる生活では船員も集まらず、海運は発達しなかっただろう。大航海時代などは夢に過ぎず、いまだにアメリカ大陸は発見されていないかも知れない。
サラリーはラテン語で塩を意味する。人間にとって塩が重要なことを顕著にあらわした言葉だ。岩塩に乏しい日本ではなおさらのこと、しょっぱい海水に感謝すべきであろう。
(関口 寿/ガリレオワークス)