裸心

僕の「いのち」に刻まれ染み込んだ僕が遺す「言葉と話」

最高のトウモロコシ

2012年10月18日 | Weblog

  新しく纏まろうとしている政党やそのリーダー達に 教育や文化への市場競争原理導入や外交策でのタカ派的スタンスが目立つようになってきた。維新や安倍の共通点もそこだ。 いずれも格好よく威勢はいい、しかし間違ってはいないか、私達ごくごく普通のそこそこの大多数の者にとっては もっと温かい世の中づくりを願っているのだ。   人生は絶え間ないファイテイングポーズで立ち向かうもんさ、というのも一理ある。ただし 殴り飛ばしてああ〜すっきりした、といったところで道は開けず掌中のそして胸中の宝ものも失うかもしれぬ。

 少し以前に読んだエスキベル博士の対談集の中で紹介された逸話「最高のトウモロコシの秘密」を 要約して書いておこう。

・・・・・・・・・・毎年 農作物の品評会で「トウモロコシ」の最高の賞を手にする青年がいました。年々美味しくなるというのです。テレビレポーターが彼にインタビューしますが その前に信じられない噂を耳にしていました。彼は毎年最高の賞を取ったトウモロコシの種を彼の畑の周りのトウモロコシ農家に 分けているというのです。質問しました。なぜライバルの人達に優良な種をあげるのですか、と で青年は言います「あれあれご存じないのですか、 その季節には 風は熟したトウモロコシの花粉をあちこちの畑に飛ばします。 もし、粗悪なトウモロコシの花粉が 私の畑に飛んできて受粉したなら私のトウモロコシの質は粗悪になってしまいます。 よいトウモロコシを作るには周囲の畑にも優良な種を配って優良なトウモロコシを作ってもらわなければなりません。」というのでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・

 自分が平和にいい暮らしを望むなら 周りの人にも平和でいい生活をしてもらうように努力しなければならないということでしょうか。 平凡な普通の一人の幸せは きっと周囲の幸せや平和につながるんだということです。絶えず敵を作りあげファイテイングポ―ズをみせ、幸せと平和は勝った負けたで得られるとばかりに唯我独尊の姿勢を見せるのは勘弁願いたい。

共に生きるということ、助け合う大切さは ここにあるということでしょうか。

 例の「幸せの国・ブータン」の幸せの因は 経済力でも国土の広さでもまして軍事力や資源力でもなかったはずです。   それは「文化」力、文化を大切にしてきたからだということを聞いたのを忘れなさんな。 

ジャンル:
ウェブログ
トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック
« 支持率 | トップ | 納得 »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿

現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。