2013年3月14日木曜日

いま、「 3.11時 の出来事 」 を思い返しています。




「 こどもたち 」 を最優先に ・・・ と、

南相馬市 でも、

他の 市町村でも、

「 自主避難 」 をしてくださった方々が

大勢 いらっしゃいます。



しかし、3.11 当初、

自主避難 者 には、援助 がありませんでした。



そして、

【 原発 】 から 半径25 ㎞ の  ( 至近距離の ) 南相馬市 には、

馬鹿げた 「 屋内退避 」 令 が 出ました。



ここは、

誰もが、等しく 「 身の安全を守れる 所 」 では、

なかったのです。



3.11の夜、

【 原発 】 から 40㎞ の 相馬市長 の 所に、

「 市民を 避難させてください 」  と、


防護服 に ガスマスク を付けた 自衛官が、

駆けつけました。


しかし、

相馬市長は、それを 「 拒絶 」 しました。



翌日、彼は、

TV 画面 で、

こともあろうに、「 籠城する。 米ならある ! 」

と、言い放ちました。



それを

TV で見ていた、 わたくしたち夫婦は、

相馬市民を 思いました。



マスクもせず、屋外で、過ごしていたのです。



そして、

南相馬市に トラック ( 物資 ) が 入らなくなりました。



相馬市 までなら 行けるが、

南相馬市 には、行きたくない ・・・。


運転手たちは、

たった 20㎞ という 数字 と、市の名前 で、

ものを考えていたのです。




【 原発  事故 】 の際は、

最低でも80㎞ 以上、避難しなければならない ・・・ ということを、

哀しいことに、誰も知りませんでした。


この 日本政府  も です。



南相馬市民は、

たちまち、食糧不足に 陥りました。

それと、ガソリン不足。



南相馬市は、

げたくても、逃げられない状況で、

1 ~ 2週間 置かれたのです。


ところが、

隣の相馬市に 買い物にいってみると、

マスク を付けている人もなく、

道路わきで、「 炉辺談話 」 をしている人々まで ・・・


そして、

買い物中に、ある方から言われました。

「 南相馬市は、大変だね ~ 」


わたくしは、言葉を失いました ・・・。



3.11 の 夜、

完全防備の自衛隊員 が、

相馬市長の所へ駆けつけたことも、

市民は、分かっていらっしゃいませんでした。


隣の、相馬市民を被曝させた のは、

あろうことか、市長 本人だったのです。