2013-03-12 14:39:49

思うこと

テーマ:Lifestyle
東日本大震災から11日で2年が経ちました。

昨日、朝のニュースから流れる
決して忘れる事無い大災害の映像を見た長女は
地震の日からもう2年も経ったの?と
長い様であっという間に過ぎた月日を
驚いている様子を見て被災地の人々は
今日という日をどんな思いで迎えたのだろう?
この日だけでなく2年という月日の苦労や悲しみ
心の痛みは私達には計り知れない大きさだった事
を想像し考えさせられた朝でした。


1万5千人を超える犠牲者。3000人近い行方不明者。
進まぬ復興と生活再建など被災者の皆様の心の痛み
街と生活再生の終わりが見えない現状で
自分の思いを言葉にする事は大変難しく
昨日は震災についての思いを綴る事を迷いました。

発災時刻の午後2時46分。
大震災で犠牲となられた皆様のご冥福を祈り
私達は黙祷させて頂きました。
同時刻 小学校にいた長女は
先生、クラスメイトと共に黙祷したそうです。

2年前の大震災後 
自分に出来る事は何か?をずっと考えていました。
思いはありながらもどのように行動すれば良いのか
わからずにいましたが最初に行動に移せたのは
夜中東京出発でマイクロバスで睡眠をとり早朝到着で
被災地の宮城で1日炊き出しのお手伝い。
震災から約1か月後4月の事でした。

炊き出しをした場所は
宮城県東松島市の市民センター。

避難所となっていた市民センターには200名。
近くの役所に30名。施設に50名の方。
倒壊しなかった家屋で生活を続けられていた方等
多くの方が集まって下さり
「温かい食べ物がありがたい」と笑顔を見せて下さり
微力ながら来て良かったと思えたボランティアでしたが
炊き出しの途中 市民センターを訪ねて来た年配の男性に
遺体安置所はどこになりますか?と聞かれ
裏の体育館が遺体の一時安置所になっていた事を知り
笑顔の裏の被災された皆様の悲しみと
犠牲となった方々とご遺族の計り知れぬ心の痛みに
胸が締め付けられる思いでした。

宮城のボランティアは私一人で行きましたが
東京に戻ってからは銀座の街頭にて
仲間と共に募金活動に参加した
あの時小学2年生だった娘は4年生に。
まだ誕生していなかった次女は
1歳3か月になりました。

新しい家族が1人増えたという変化はあったものの
私達は2年前の同じ日と変わらない家で
変わらない日常を過ごしている。
その当たり前の日々がとても幸せなんだという事を
改めて感じ日々感謝を忘れず行きたいと思います。

photo:01



あの日から変わらぬ思いは
自分にはなにが出来るか?という事。
2年の間には自身の出産と新たな育児が始まり
まだ次女に手がかかるため被災地に行って何かを
というのが難しい中 ここにいても出来る事は?
これは常に考えています。
そして行動に移したいという思い。
自分に出来る事は何か?はこの先もずっと
考えて行くと思います。

また自分だけでなく娘達にも震災を忘れず
共に後世に伝えて行って欲しいと考えています。
震災を忘れない事と未来に伝えて行く事。
これはどこにいても誰もが出来る事。
様々な形で被災地への支援を続けて行きましょう。

震災でお亡くなりになられた方々へのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。





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