0(ゼロ)戦はやと     皆様から頂戴した「0戦はやと」関連メールのページ

 久しぶりのテレビアニメ・ネタであります。
 今回は、今月の16日(1998年7月16日)に、埼玉県狭山市の航空自衛隊で現役の航空自衛官をされているKAさんからEメールを頂戴し、リクエストいただいた「0戦はやと」を取り上げさせていただきます。
 KAさんは1960年代前半のお生まれで、3〜4歳の頃に放映されていた「0戦はやと」という作品の記憶を再確認されたいということでした。恐らく、この「0戦はやと」への憧れを抱きながら大人になり、航空自衛隊に入られたのではないかと想像され、その思い入れに少しでもお応えすることができればと考える次第です。
 この番組の放映時、既に小学生だった私は、毎週、この番組を見ていた記憶はありますが、ストーリーについては、ほとんど記憶にありませんので、当時の周辺事情などを中心に、この作品を振り返ってみたいと思います。

 このテレビアニメは、1963(昭和38)年8月に創刊された『週刊少年キング』に、創刊時から連載されていた漫画で、もともと絵物語出身の辻なおきという作家の手による作品でした。下に紹介させていただいている連載第1回の扉の絵でも、絵物語出身の作家らしいタッチがご確認いただけるかと思います。
 ちなみに、ということで、いきなり、ちなんでしまいますが、この辻なおきという人は、この「0戦はやと」が放映されている頃、私の愛読書だった月刊漫画雑誌『ぼくら』で「なげろ健一」という野球漫画もお書きになっていて、この「なげろ健一」は「風のフジ丸」と共に、『ぼくら』に連載されていた漫画の中では、私の好きな作品の一つでした。

 手元の資料によりますと、テレビアニメ番組の方は、1964(昭和39)年1月から10月まで、フジテレビ系列で放映されています。ですから、いわゆる国産テレビアニメとしては、「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」「狼少年ケン」に続く、5番目の作品だったということになります。
 製作は、やはり、先日(1998年6月22日)Eメールを頂戴した世田谷区のTGさんが、子どもの頃に実家の隣だったというピープロでありまして、ピープロにとっても、記念すべきアニメ第一作でありました。ピープロは、後に、TGさんのEメールにも出てきていた「ドンキッコ」や「ハリスの旋風」などのほか、実写スーパーヒーローものでも、「怪獣王子」や「豹マン」、「スペクトルマン」、「快傑ライオン丸」、さらには、既に、この「60年代のテレビ」でも取り上げさせていただいた「マグマ大使」なども手がけており、60年代から70年代にかけての子供向けテレビ番組の分野で一時代を築いています。

 ということで、本当に、周辺事情にまつわる能書きが長くなっていますが、再び、「0戦はやと」の作品そのもののお話に戻ろうと思います。
 放映が1964(昭和39)年1月からということですから、リクエストのEメールを頂戴したKAさんは、当時、まだ3歳だったわけですが、Eメールにあった「0戦はやと」の主題歌の歌詞は、ほとんど正解でありまして、その記憶力というか60年代への思いに驚いてしまうわけであります。
 以下に、その主題歌の歌詞を紹介させていただきますが、作詞は、先日スペシャル番組が放映されたばかりの「北の国から」の脚本をお書きになり、この「60年代通信」の目玉ネタの一つである60年代末の長岡を舞台にした舟木一夫主演の映画「青春の鐘」の脚本も担当されていた倉本聰さんであります。歌っていたのは、当時の童謡界のスーパースター・ひばり児童合唱団でありました。

見よ あの空に 遠く光るもの
あれはゼロ戦 ぼくらのはやと
機体に輝く 金色の鷲
平和守って 今日も飛ぶ
ゼロ戦 ゼロ戦 今日も飛ぶ
    見よ あの海に 遠く写る影
あれはゼロ戦 ぼくらのはやと
尾翼に輝く 南の太陽
平和願って 今日も飛ぶ
ゼロ戦 ゼロ戦 今日も飛ぶ

 私も、この「0戦はやと」の主題歌はお気に歌だった記憶があり、よく歌っていたものでした。特に、「金色」と書いて「こんじき」と読むあたりが、子供心にも、古典的なアカデミズムのようなものを感じて、得意になって歌っていたのを覚えています。


 この「0戦はやと」が『ぼくら』に連載されていた前後というのは、いわゆる戦記マンガというのがブームといっていいくらい、ありとあらゆる少年漫画雑誌に連載されており、筋金入りの国労の闘士(?)で、太平洋戦争の話題さえ口にするのが大嫌いだった私の親父は、私が、この手のマンガを読み漁ることを非常に嫌っておりました。
 終戦から、まだ10年ちょっとしか経っていない時期で、世の中全体に厭戦思想というか非戦主義というものがそれなりの実感を伴って大人達の気持ちの中にあり、戦争に対するアレルギーがいま以上に根強かったことは間違いなく、製作者サイドにも、好戦的な匂いは極力排除したいと考えていたのであろうことは、この倉本聰さんがお書きになった主題歌からも感じ取ることはできます。
 この頃の戦闘機ものの人気漫画で、ゼロ戦以外の機種を対象としていたものとしては、「大空のちかい」(久里一平、『週刊少年サンデー』)の隼、「紫電改のタカ」(ちばてつや、『週刊少年マガジン』)の紫電改などがありました。
 特に、私が大好きだったちばてつやの一連の作品の中でも、反戦漫画として当時から評価の高かったのが「紫電改のタカ」でありまして、この作品については、何れ、「60年代の漫画」のコーナーでも取り上げさせていただきたいと思っています。
 さらに、以前、「60年代通信」のオリジナルバージョンであります「60年代通信」ニュースレター版(1996年9月5日号)でも既に書かせていただいておりますが、私が原っぱでの遊びでも応用させていただいていた「ゼロ戦レッド」(貝塚ひろし、『冒険王』)という作品もありました。
 他にも、「荒鷲少年隊」(望月三起也、『少年画報』)、「ゼロ戦NO.1」(一峰大二、『まんが王』)などもあり、この2作品は、どちらもゼロ戦ものでありまして、やはり、ゼロ戦の人気が絶大であったことが偲ばれます。


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