2月11日に自ら辞任を表明した教皇ベネディクト16世はローマの南カステルガンドルフォで、2月28日午後8時(日本時間3月1日午前4時)をもって教皇職を公式に退き、ペトロの使徒座は空位となった。教皇は前日の最後の公開一般謁見で15万人の信者に別れを告げ、辞任当日は枢機卿団に最後のあいさつをした後、ヘリコプターでバチカンを離れ、カステルガンドルフォの夏季静養所に向かった。
【カステルガンドルフォ(イタリア)2月28日CNS】
教皇は自らの教皇職を始めるに当たって、自身を「主のぶどう畑の卑しく、取るに足らない働き手」と表現していたが、辞任の際には、「地上での旅路の最後の段階を始める素朴な巡礼者」になる時だと語った。
85歳の教皇は2月28日、自らの教皇職が終わりを告げる2時間半前に、カステルガンドルフォにヘリコプターで着いた。
バチカン庭園内にあるヘリパッドを出発したのは、15分前の午後5時7分(日本時間3月1日午前1時7分)だった。
教皇は約2カ月をカステルガンドルフォで過ごし、その後バチカン庭園内の修道院に移る予定。
教皇は静養所の建物に入るとすぐに、階上へ進み、広場を見下ろすバルコニーから集まった人々にあいさつした。
「ご存じの通り、私はもはやカトリック教会のローマ教皇ではなくなります。午後8時まではそうですが、その後はもう違うのです」
「私は素朴な巡礼者として、地上での旅路の最後の段階に入ろうとしています」と教皇は人々に語り掛け、「それでも私は、心を尽くして、全ての愛を傾けて、祈りのうちに、省察のうちに、全ての内面の力を尽くして、共通善と、教会と人類のために働きたいと願っています」と続けた。
教皇が到着した際には、静養所建物の正門の扉とその内側にスイス衛兵が2人ずつ詰めていた。午後8時を過ぎて、ベネディクト16世の教皇職が公式に終わると、衛兵は全員建物内に入り扉を閉じた。
現役教皇の警護だけを任務とするスイス衛兵は、代わりに扉の警備に就いたバチカンの警察官3人に敬礼した。
枢機卿団にあいさつ
新教皇への従順誓う
教皇は28日午前、バチカン内のクレメンスの間で、枢機卿団を前に短い別れのあいさつを行い、自らの後継者を選ぶ枢機卿たちに、一致と協調を呼び掛け、次期教皇への「無条件の敬意と従順」を誓った。
教皇は、コンクラーベ(非公開の教皇選挙)での選挙権がある115人を含む144人の枢機卿たちにあいさつした。
「私は祈りのうちに、あなたがたと心を合わせていきます。特にこれから先の日々に、新しい教皇を選ぶに当たって、あなたがたが聖霊の働きに全く従順でありますように」と教皇は語った。
「主があなたがたに望まれていることを示してくださるように。あなたがた、枢機卿団の中に、将来の教皇もおられるのです。私は今日、新教皇への無条件の敬意と従順を約束します」
枢機卿団は3月4日にも会議を始め、コンクラーベの日取りを決めることになる。
最後の一般謁見では感情込めたあいさつ
教皇は在任中最後の一般謁見で、いつになく自らの感情を表したあいさつの言葉を述べ、全世界のカトリック信者に向けて、その支えに感謝し、引退後も神の民のために奉仕を続けることを約束した。
「私は祈りと省察をもって、教会の旅路に寄り添い続けます。主とその花嫁への献身とともに、私はこれまでの毎日を生きるよう努めてきましたし、これからもいつもそうして生きていきたいと願っています」と教皇は辞任前日の2月27日、バチカンのサンピエトロ広場を埋め尽くした信者たちに語り掛けた。
広場の前を貫く、車両通行止めになった大通りにまで群衆があふれ、バチカンは15万人の人出だったと発表した。
教皇は通常の一般謁見で続けてきた信仰教育的な講話はせず、自らの教皇職と歴史的な辞任の決断について話した。教皇は疲れているように見えたが、穏やかな調子であいさつを読み上げ、何度も起こった拍手で話を中断されると、ほほ笑みで応えた。
ベネディクト16世は、ほぼ8年間の教皇職を振り返り、「喜びと光があり、しかしまた、困難な局面も」あった時だったと表現した。
2月28日、カステルガンドルフォで、教皇として最後に公に姿を見せ、
人々の声援に応えるベネディクト16世 (CNS)
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