ネット上の「議論」が好きな人って、お話にならない人っていますよね。今日もたまたま某所で見かけたので、特徴を考えてみました。
1. 相手を見下している
まず、残念な人は相手をはなから見下してます。
特に多いのは「年下だから」という前提をもって、無条件に相手を見下すという態度です。自分が相手より年長者であるという理由をもって、相手を見下していいと、本気で思い込んでいるわけです。ひどい人になると、見下していることに気付かない、ということもあります。
あからさまなのは相手にしなければいいだけですが、「質問を投げかける」タイプの上から目線の持ち主は厄介です。
彼らが質問を投げかけるのは、相手が自分の理解の範疇に収まることを確認し、安堵したいがため、もしくは、相手の失態を暴きたいがためです。質問への回答が「たいしたことのないもの(自分の下賎な理解に即するもの)」だったり「(彼らにとって)明らかに矛盾するもの」だった暁には、彼らは瞬間的に勝ち誇ります。
彼らは慇懃無礼なことばづかいをすることが多いので、質問もスルーしにくいです。スルーすると、「あれ?無視されちゃいました^^;」とわざとらしくアピールするので、実に嫌らしいです。
この種の人が欺瞞に満ちあふれている理由は、質問する動機が「相手が自分より劣っているものであることを確認したい」「相手の失態を暴露したい」という想いにあるからです。
どんな理由であれ、相手を尊重する気持ちが欠いている人とは、生産的な議論ができるわけがありません。議論をする際は、フラットな立場で話しあうようにしましょう。
2. 矛盾を見つけて勝ち誇る
残念な人は矛盾を探すことを好みます。いざ矛盾だと思える箇所を見つけたら、相手の発言を一字一句取り出して、鬼の首を取ったように騒ぎます。
「矛盾するのは悪くない!3つの理由」でも書きましたが、ある人の意見や存在を安易に「矛盾している!」と断罪するのは、そもそもナンセンスな話です。
彼は自分が指摘する矛盾の裏にある、相手の意図を知ろうとしません。矛盾は絶対悪であり、矛盾を「発見」したその時点で、彼は勝ちを確信するのです。相手が説明しようとしたところで、「いや、それでも矛盾している!それは成り立たない!」と食い下がるのがオチです。
こういうタイプはまさにお話になりません。スルーしましょう。
3. 論破することが目的になっている
上と関連して、残念な人の議論スタイルは、目的が「論破」に置かれています。議論の場面を、知的なゲームか何かと勘違いをしているのでしょう。
議論の目的は、問題解決です。会社の会議でも、ディベートでも、夫婦喧嘩でも、あらゆる対話の先には「問題解決」がゴールとして存在しています。このことを見失い、相手を貶めることを目的にしている人は、やはりお話になりません。
4. 具体的アクションを取らない
残念な人は問題解決の視点がないので、「議論をするだけ」で終わります。
たとえば新規事業のディスカッション。残念な人は「ここはこうした方がいい」「ここはおかしい」と指摘するだけにとどまり、具体的なアクションを取ることはありません。
本当に議論ができる人は「ここはこうした方がいい。協力するよ」「ここは問題だから、Aさんに連絡しておくよ」と、具体的にどうコミットメントするのかを、議論のなかで明確にします。残念な人には当事者意識がない、といってもよいでしょう。
厄介なのは、残念な人たちは、当事者意識を持っていない自分に、十分満足してしまっていることです。「俺のすばらしく鋭い視点から、善意のアドバイスをしてやった」とすら思い込んでいたりします。彼らに当事者意識を求めたところで、「それは俺の仕事じゃないから」ときっぱり断られるのがオチでしょう。
5. 根拠がない=悪という判断軸
残念な人は、「根拠がないこと」をすなわち悪とします。彼らは「その発言(提案)には、十分な根拠がない。主観的だ」という批判が大好きです。
この態度は、新しいことを始める際には大きな害悪になります。新しいことを始めるということは、時に十分な根拠を用意せぬまま、走り出すということです。残念な人たちの目には、こうしたやり方は「早計」としか映りません。それが失敗したときには、「準備不足が失敗の原因だ」「やはり失敗した」と、彼らは安全地帯から勝ち誇ります。
しかし「始めてみないとわからない」ということは往々にしてあります。つねに根拠を求めて生きてきた残念な人たちは、そのシンプルな事実を体感的に知りません。安全地帯のなかで生きていく分にはそれでもいいですが、ペナルティエリア内では彼らの存在はほとんど無価値になります。
いかがでしょうか?ぼくはこうした態度で議論を挑もうとしてくる人は、相手にしません。
一番多いのは「1. 相手を見下している」ですかね…。ネット上の議論なんて、ほとんど相手をバカにしたいがために行われているものでしょう。
日本のウェブが残念でなくなるためには、論者たちが問題解決に向けて、対等な態度でコミットメントを引き出し合うことが求められます。そういう空間をつくり出したいですね…。
議論のルールが20項目まとまっているという一冊。ポチりました。
相手の揚げ足をとったり、煙に巻いたり、言葉尻を捉えた局所的反応に終始したり…。こうした日本の議論の現状に、著者は警鐘を鳴らし、「て言うか」や「じゃないですか」に象徴される議論の危うさを暴き出す。場の空気を読むセンスではなく、空気を言語化する環境をいかに創り出すのか。ガラパゴス化する日本の“議論”を立て直す方途を探る、議論の達人による提言の書。