大人ってすごい ニコ厨低年齢化への想い
忘れてる
いつの間にか忘れてたなと感じる方々って結構多いと思います。
我々があの日見ていた大人達ってどんなものだったでしょうか?
色々出来る何でも知ってる
大人はすごいです。
自転車で何時間もかかる道のりを自動車でビューンと数分で行っちゃうんです。
当たり前のように複雑そうな自動車の運転をこなしてしまう大人。
お母さんは美味しい物沢山作ってくれますし、お父さんは仕事で忙しいけれどたまに遊んでくれた時は凄く嬉しかった。
テレビや本で知る大人も多かった。
消防士や警察官、お医者さん、歌手さん、大工さん、電車運転士さん、料理人さん、花屋さんetc... 子供の目で見てもすごい仕事をしっかりと勤めていて本当に憧れました。
失敗
実は私、小さな頃に憧れから父親が運転席から立った瞬間に父親の真似をして、ペダル踏み、ギヤを動かし、ハンドル握って。
そして本当に自動車を誤って発進させてしまったことがあります。
今考えればエンジンかけたままで助手席に息子が居るのに離れた父親の 油断が悪いのですが、急に動き出した自動車に驚いて私は泣いてしまったことをよく覚えています。
アクセルの踏み込みの加減がわからず、大きく吹かした状態にたまたまなったため、父親は自動車が唸る音に直ぐ気がついて私自身も自動車も何ら問題はなかったです。
謝罪
駆けつけた父親の顔を見て私は泣きながら直ぐ謝りました。
運転席から私を抱きかかえた父親は「ごめんな運転してみたかったんだもんな」と怒りもせず逆に私へ謝罪してきました。
まあこのあと父親は祖父母から烈火の如く叱られていたわけですが、その姿を見て私は子供心ながら本当に申し訳ない気持ちになりました。
ニコ動の低年齢化
ニコ動の問題について議論されるとき私はよく 問題の原因には低年齢化も一因としてあるという言葉を目にします。
そのたびに私は自動車で失敗したあの日を思い出すのです。
私は低年齢化が全く問題ないとは言いません。
当然ながら人生経験が乏しく所謂 空気が読めないときも比較的多くあるのではないかと推測してます。
しかし 低年齢層だけが悪いのか?とも感じます。
何故その動画を観るか?
単純な話、興味があるからですね。
動画の内容の話をしたいから、動画内で使われている技術が気になるから、動画の編集技術が気になるから様々ですね。
しかし 低年齢層はわからないんです。基礎基本、バックグラウンド、派生知識その他もろもろがわからない。
コメントの質の低下
コメントの質の低下がと叫ばれる理由はこれです。 知識量の乏しさです。
ニコ動が始まった当初、ユーザー達の持っていたノウハウはそこまで変わらないものでした。
しかし時間が経過すれば新規参入のユーザーが増えることは必然であり、その 新規参入者は比率として低年齢層であるのは最早仕方のないことです。
コメントの質の低下は低年齢層へ原因を求めるのではなく、低年齢層を含めた 新規参入者へ原因を求めるのが正しい見解だと私は感じます。
解決方法
これら新規参入者の諸問題を解決するにはノウハウを与えるしか解決方法がありません。
ニコ動で共有されるコンテンツは自動車の運転のように法律で縛られたものではなく、ノウハウを学ぼうとする遺志とノウハウを提供しようとする遺志の双方があれば実行することが可能です。
ニコ動の初期ユーザーが動画編集方法をググって学んだとしても、ググった先にはノウハウを提供しようという遺志があったはずなのです。
新規参入者へ全ての原因を求める方々はノウハウを提供しようという遺志を持っていますか?
すごい
ノウハウを持っている方々、特にその多くは人生経験を積んだ大人である場合が殆どですが、アナタ達は新規参入者にとって、低年齢層にとってすごい存在なのです。
我々が幼少期、目を輝かせて大人を見ていたように、新規参入者はノウハウを持っているアナタ達を目を輝かせて見ているのです。
ノウハウという楽しく面白いものをアナタ達大人が独占していれば間違いなく子供は駄駄をこねます。
僕も私もその面白く楽しいもので笑いたいと叫ぶんです。僕も私もアナタみたいになりたいと訴えるんです。目を輝かせて。
目を輝かせる者達
これら目を輝かせる者達は新規参入者であり、多くは低年齢層です。
つまり我々大人よりも多くの自由な時間を持ち、低年齢層ならではの吸収力を持っています。
アナタ達がもし楽しく面白いものが大好きであるのならば、ノウハウを与えて低年齢層へ実行させ楽しく面白いものをより多く効率的に生産させれば良いのです。
新規参入者の問題を解決するには、 新規参入者が憧れるほどの楽しく面白いものをアナタ達が生み、そのノウハウを新規参入者へ提供することで問題は解決するのです。
面白いものを楽しもう
見せてやろうじゃないですか我々が面白く楽しんで作った、面白く楽しいものを新規参入者へ。
馬鹿笑いしながらハイテンションで生産したものを、どうだスゲーだろ!と新規参入者へ自慢してやろうじゃありませんか!
言い放ってやりましょうよ「羨ましいか?憧れるか?楽しみたいか?俺みたいになりたいか? じゃあ教えてやるから作れっ!!! 」と。
これが私が想うことです。
それでは長文にお付き合いいただきありがとうございました。
貴ブロマガ(コメント含む)を読んで思ったこと
ワルノリで書かれているモノって、それなりに悪い目立ち方することが多いと感じる
そのヘイトスピーチに似たノリがコメントにのれば、それはもう、目も当てられない
荒れたものになるでしょう。
コメントは残っちゃいますしね。
いいこと言った!っていうコメントがうもれてしまうのは、そっちよりも
悪目立ちする方が面白いとつい思ってしまう、素人芸人根性が働いて、
叩きコメントを出す人が多くなっているのかなあ、と。
批評コメはうp主がしっかり受け止めて、次を作るなり、その作品でやめればいい。
ただ中身のない批判するコメは、なくして欲しい。
けれども、どういうコメがあれば次につながるか、という指針を示す人が必要な時期に
来ているのかもしれませんねぇ・・・。
長文失礼しました。
脊髄反射コメントする以前の話ですよ
"Q.何故その動画を観ようとしたか?" → "A.興味があったから"
その興味、欲求に対して視聴者は不満不足があったから批判的な"脊髄反射"コメントをするんです
そして配信者はその批判に対して"脊髄反射"なアンチ認定をするわけですね
どっちもどっちってわけです
半年ROMってろなんて思考停止な拒絶の最たるものですよ
アンチに拒絶され、そのアンチを拒絶する、どう見てもどっちもどっちじゃないですか
だからこそノウハウを持った人間はその批判をする人間へ技術を与えるんです
アンチが「これは納得できない」と感じた時にアンチ自身に作らせる、面白いものを楽しいものを
アンチをも巻き込みより面白いもの楽しいものを追求する、これがノウハウを与えるという方向性です
つまらない達観するよりも、泥臭く熱く楽しく面白い物作りを進め他者へ広める
個人レベルでは無理という自体が間違いです
何故ならこの思想は皆で面白く楽しいものを作ろうという行動なのですから
分かり合う必要なんて無いじゃないですか
多様な価値観こそ多様な楽しさ面白さを生むんですから
見たいと思いませんか?自分と相反する思想の持ち主が生産する楽しさ面白さを
それが本当に面白く楽しいものならば自らへ取り入れれば良いし、全くわかってないと感じたのならそれに対するアンチテーゼを自ら生産すりゃ良いんです
そのアンチテーゼを生産するきっかけを貰っただけでも得ですよ生産者、表現者にしてみればね
しかしその相反する思想の持ち主は知識や技術を持ってないわけですよ
それなら与えてやれば良い教えてやれば良い生産を学ばせれば良い
貪欲に楽しいもの面白いものを追求するために相反する思想の持ち主を利用したら良い
単純な話です。我々はどうしたいのか?どうありたいのか?
それは面白くしたい楽しくありたいが答えです
諦めること辞めること行動しないことは間違いなく楽しく面白くありたいに繋がらない
機会を得るというメリット、斬新な発想を得るというメリット、生産者表現者にとってこれほど大きなメリットはないです