7/22日(日)
第2日目 スケジュール
2:30:丑寅勤行
5:45:勤行・唱題(総二坊)後 朝食。
7:00:清掃 後 客殿まで移動
8:00:客殿 唱題行(1時間)御法主日如上人猊下 大導師
9:15:御法主日如上人猊下御講義
10:30:閉講式
11:00:終了・下山
朝食はまた 弁当2個食ってもうた。
客殿
客殿は寛正6年(1465)
第9世日有上人が創建され以来、
数度にわたる再建が行われている。
現在の建物は、平成13年3月、第67世日顕上人(御隠尊猊下)の
発願により新築されたものである。
間口・奥行とも約五十m、高さ三十六m、千百十二畳敷の大広間がある。
AM 2:30 丑寅勤行。
日如上人様が大導師。
猊下様は奉安堂の方角で丑寅勤行をされる。
引き題目がとにかく長い。よくあれだけ声が出るかと。
引き題目が長いのでプルプルしながらの引き題目だった。
この丑寅勤行は客殿で毎日、歴代法主上人、日蓮正宗の御僧侶方々が
毎朝、広宣流布祈念の丑寅勤行をされるほか多くの法要が執り行われている。
それを考えると、すげぇよなって思う…。
ただでさえ正座でヒィヒィ言ってってのに
三 門
三門を通る時は、題目三唱。
とにかく2日間、三門はこれでもかってッくらい通る。
第25世日宥上人様の発願により、
六代将軍徳川家宣室・天英院の寄進を受け、
享保二年(1717)八月に完成したものものである。
昭和六年、第60世日開上人様のとき、桧皮葺を銅葺に改め、
さらに昭和十年、丸柱の入れ替えなど、大改修が行われた。
昭和四十一年、静岡県の有形文化財に指定されている。
間口約二十四m、奥行約十一m、高さ約二十二mの大楼門である。
五重塔(ごじゅうのとう)
第26世日寛上人が、六代将軍徳川家宣室・天英院とともに、起塔の志を立てて
その基金を遺された。その後五代にわたる法主が素志を継ぎ、
第31世日因上人様が諸国に勧化して得た浄財と
亀山城主・板倉勝澄の御供養によって、
寛延二年(1749)に完成したものである。
総本山の五重塔は東海道沿線随一の規模で、
昭和四十一年六月には国の重要文化財に指定された。
創価学会第2代会長 戸田城聖先生のお墓
五重塔の横に戸田先生と篤姫のお墓がある。
大雑把に書くと奉安堂の東方面に五重塔があり
御塔橋を通って五重塔に着く。
スケジュールすべて済ませ、車で行き帰り一緒だった
妙相寺の仲間達と戸田先生のお墓で
お線香を3本立て(三宝を意味するらしい)
5人で勤行自我偈。
天璋院/篤姫のお墓(らしい)
篤姫は日蓮正宗の信徒だったらしい。
篤姫自体詳しくは知らないけど。
AM 9:15:御法主 日如上人猊下御講義
今回1日目と2日の猊下様の御講義で使ったテキスト
(※メモした事を前提で勉強しながらのテキストですが
間違いがあれば指摘してもらってOKです。
仏法上、我見は十四誹謗になるので
ついでなので
十四誹謗を略説すると、
一に憍慢(きょうまん)
・正法に対して驕り高ぶり正法をあなどること。
二に懈怠(けたい)
・仏道修行を怠こたること。
三に計我(けいが)
・我見と同義。正法を自己の考えで推し量はかり我見に執着すること。
四に浅識(せんしき)
・正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。
五に著欲(じゃくよく)
・欲望に執着して正法を求めないこと。
六に不解(ふげ)
・正法を理解しようとしないこと。
七に不信(ふしん)
・正法を信じないこと。
八に顰蹙(ひんじゅく)
・正法に対して顔をしかめ非難すること。
九に疑惑(ぎわく)
・正法を疑い惑まどうこと。
十に誹謗(ひぼう)
・正法を誹ること。正法を謗り非難、中傷、陰口、悪口を言うこと。
十一に軽善(きょうぜん)
・正法を信受する者を軽蔑すること。
十二に憎善(ぞうぜん)
・正法を信受する者を憎くむこと。
十三に嫉善(しつぜん)
・正法を信受する者を嫉ねたむこと。
十四に恨善(こんぜん)
・ 正法を信受する者を恨むこと。
つまり、謗法です。
さて、御法主日如上人猊下御講義へ。
日如上人様の御指南、御書から、
「されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり。
像法には教行のみ有つて証無し。
今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し。
権実の二機悉く失せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、
初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す
「是の好き良薬を今留めて此に在(お)く
汝取つて服す可し差えじと憂(うれ)る勿(なか)れ」とは是なり。
(御書新編 一一〇三㌻) 教行証御書
・教=本門戒壇の大御本尊様。
・行=自行化他の仏道修行。
・証=教・行によって証得される果徳(妙法蓮華経の五字)
つまり教を受持して仏道修行に励めば、
いかなる証果・悟り(成仏)を得ることができる。
お釈迦様滅後、仏力・法力があった
正法時代・像法時代二千年までの間に
本已有善(ほんいうぜん)の衆生は、
インド出現のお釈迦様による脱益寿量品で久遠下種を覚知し、
ようやく即身成仏の本懐を遂げることができた。
また、これに漏れた者も熟脱の教法に得脱し終わる。
末法の時代は(鎌倉時代から)我々、一切衆生の凡夫は
本未有善(ほんみうぜん)の衆生であり、
全く下種が為されていない衆生であるから、
『自ずと自らが悟る』という『因』はない。
因(下種)が無いのに果(悟り)が生じるはずが無く、
そこには必ず日蓮大聖人様から連綿と繋がる
正統な”師”によって始めて下種仏法の法水が血脈として流れ通うのである。
下種されていない我々、末法の衆生。
つまり過去世にお釈迦様の教えも聞いたこともなく縁したことがない。
「釈尊の御化導は久遠元初に初まり、正像二千年に終るなり」
(六巻抄 二五四頁)
●良薬とは 弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊様。
(末法の仏様、事の一念三千、人法一箇 日蓮大聖人様のお悟り)
日蓮大聖人様は
「法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。(中略)
地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。
当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、
地獄に堕ちん事疑ひなき故に、
とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。
信ぜん人は仏になるべし、
謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり」
(御書新編 一三一六㌻) 法華初心成仏抄
また大聖人様は
「体曲がれば影なゝめなり。」
(御書新編 一四六九㌻) 諸経と法華経と難易の事
・体=正しい仏法(信心)
・影=体(信心)が曲がれば、それが影である
生活が乱れ、行き詰まり反映する。
仏法が次第に逆さまになってくると、
世間も同じように濁り、乱れてくるのである。
それは、仏法が世法の指導原理なので、体のようなものであり、
世法はそこから生ずる影のようなものである。体が曲がれば影斜めとなる。
影である世間は仏法に「随従・随順」する関係であり、不離一体であり、
仏法に世間が随うことであると心得なければなりません。
仏法の道理を無視し、
または仏法に反して己義や我見を構えることは顛倒の思想であり、
外道義と言うべきであります。
悪鬼魔神超外道 仏法中怨
邪宗教カルト池田教となった創価学会の
人間主義という考えも、その説明の中には仏教用語が使われていますが、
迷いの人間を本体とし、仏法を影として、
その人間に随わせる形をとることは顛倒の邪義・外道義であると言える。
「体曲がれば影なゝめなり。」
(御書新編 一四六九㌻) 諸経と法華経と難易の事
まさか猊下様からこの御書の一節を直接、御指南頂けるとは…。
昨年2011年11/12に新宿で
toyoda.tv開設者。樋田昌志さんと
初めてお会いした時も、同じ事言ってたなぁと思って。
なんだか、じみじみしてしまった。