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ひと月ほど前の話
第一章:出会いのビーナス
「だめだだめだ、あんたは通せないよ」
「どうしてもだめですか?」
「街道を通りたいってんなら税金を払いな。払えないなら山でも通って行け」
 そんなわけで税金を払えない僕は、あと少しで街というところで門前払いを食らってしまった。
 基本こういう整備された道を通れるのは、馬車を持った商人か貴族の金持ちくらいだ。
 僕みたいに、その日に食べるパンに困るような絵描きには、この道を通る資格はないと判断されてしまう。
 鞄にぶら下げた数枚の木の皮を見て、僕は溜め息をついた。
 仕方なく、踵を返して元来た道を通ろうとすると
「ちょっとあんた」
 先ほどの門番が声をかけてきた。
「山道はキッツいぜ、あんた水筒もからみたいだし。ここからちょっと戻って、滝の見える道を曲がって行った先に泉がある。そこからならまっすぐ街へ行けるだろうからよ」
「あ、ありがとうございます」
「いやなに、あんたみたいに旅してる奴は凄く多いんだよ。俺も何人も突っぱねてきたしな。あーあ、ほらとっとといきな!」



「あった……」
 泉までの道は、大した距離ではなかった。
 だが、その泉がとても綺麗に整備されたものなのを見て、少し前の宿屋で聞いた噂を思い出した。
 その泉の中央には台座があって、綺麗なビーナス像が空を見上げている。そのビーナスは幸運の女神として周囲の人々に親しまれていて、ちょっとした伝説もあるのだとか。
 そのビーナスの正面に立って背を向け、目を閉じたまま後ろに木の棒を投げる。その棒がビーナスに当たれば、その後の旅には幸運が訪れるのだという。
「……」
 なんとも脈絡のない、バカげた噂だ。そんなことで幸運が訪れるなら、道のはずれで飢えてのたれ死にしてる旅人なんか1人もいなくなるはずだ。
 そう思いながらも、気づけば僕はビーナスに背を向け、木の枝を握りしめていた。
 絵描きとして両親の元を離れてからどれくらいたったのだろう。いや、両親と言ってもあの2人は……。
 ……今まで生活が楽だったことなんて一度もない。せめて絵がもっと売れればいいが、それだって望みは薄い。こんなものにでもすがらないと、やってなんかいられないんだ。
 硬く目を閉じて、後ろ手に棒を放り投げる。すぐに振り返って、その棒の行き先を僕は見つめた。
 棒はビーナス像にぐんぐん近づき……そして、頭上はるか上を通り越して、泉のはしに水柱を立てた。
 それに驚いてか、一羽のハチクマが悲鳴を上げながら羽ばたいた。
 じんわりと、悔しさがこみあげてくる。僕は何をやっているんだ。こんな程度の事で幸運なんか訪れるはずない。いや、きっとこれは、幸運な奴だけがあのビーナス像に枝を当てる事ができるんだ。できない奴は、結局できるはずない。
 そう思うとなんだから更に悔しくなってきて、足元の枝を拾い上げると、またビーナス像に背を向けた。
「君! なんてことをしてくれたんだ!」
 そして、心底驚いた。
 ウズラの卵に両足をくっつけたような小さなネズミが、さらに小さなメガネを顔の上で揺り動かして、僕に怒鳴り散らしてきたのだ。
 喋るネズミ? 僕がひたすら困惑していると、ネズミはまた声を張り上げた。
「君のせいで、私の書斎を運んでくれるはずのハチクマが飛んで行ってしまったじゃないか! それになんだその手の枝は! 幸運への挑戦は、その日一度だけだという決まりのはずだぞ!」
 それが、僕とフルトンの出会いだった。


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