ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第九章:矛盾
「絵? この樹に、絵を……?」
 それはあまりに予想外の事だった。これだけ自然の1つとしてここに溶け込んでいる樹に、生活環境として素晴らしい樹に、いったいどんな絵を描けというのか。
「いろいろと、説明しなければなりませんね。私たちの事について……」
 僕が頷くと、ツパイはうろの縁に上り、まだ薄暗い空を見上げた。
「……昨日は二匹、やられました」
「え?」
 ツパイが見上げてるのと同じ方向を見上げる。が、薄暗く、グレーと青を足したような空以外は見えない。
 だが、それでも僕は気づくことができた。姿こそ見えないが、その空に、その森に、得体のしれない何かがいることに。
「ミミズクですよ。ここのことがバレたんです。私たちはここを捨てていくことは絶対にできません。ですが、ここにとどまれば私たちは生きた餌箱。引きこもったとして、食料を取りに行くことさえできない」
 ようやく話が見えてきた。扉が全て締め切られ、みんなが外に出てこなかった理由。
 ミミズクは今もこっちを見ているのだ。ツパイ達の喉元を裂こうと、目を光らせている。
「そんな時フルトンが訪れ、そして私はあなたを見つけ、あなたの絵を見ました。素晴らしい! まるで引き込まれるような……そこに描かれた情景が、本当にそこに感じられるかのような絵でした。だからこそ、何かあのミミズクを寄せ付けないような、そんな絵をこの樹に描いてほしいのです」
 僕は驚いていた。僕の絵を見て、いまだかつてここまで言った人はいない。それどころか、僕の絵を求めてこんなお願いをしてくれるだなんて。
 でも、でも。
 このお願いを受け入れる事は容易だ。この樹に人の姿でも描いてやれば、奴らはこの樹に近づかなくなるに違いない。
 でも、でも。
 ツパイの、この樹に住むチビトガリネズミ達の願いは1つだ。自らを脅かす存在が、自分に近づかない事。そのために僕は都合がいいに違いない。
 でも、でも。
「……考えさせていただけませんか。昼までに、決めますので」
 結果、そんなどっちつかずの答えを返している僕がいた。当然ツパイは曇った表情になり、うろに振り返った。
「仕方ないですよね。人間は、私たちの都合で生きているわけではない。本来ネズミはちっぽけな存在ですもの……」
 そしてこちらに振り向きなおす。その表情は既にいつものツパイだった。
「お願いいたします。お昼まで、私たちは待っていますので。夜になっても戻ってこないようなら諦めます」
 その言葉にうなずくと、僕は振り向いて歩き始めた。特に行く方向が決まってたわけではない。が、ツパイ達に聞こえない距離まで離れる必要があった。
「わかっているんだろう?」
 そして思っていた通り、フルトンが声をかけてきた。
「案内するよ。君の考えている物を見せてあげよう」



 ひたすらに絶句していた。
 はるか頭上の樹の上、ミミズクの物と思われる巣があった。そしてそこから、数羽の雛が頭をのぞかせていたのだ。
 ミミズクにはミミズクの生き方がある。それはわかっていた。だがこんなことになっているとは、予想だにしていなかったのだ。
「私は、反対だ」
 フルトンが箱書斎の窓から顔を出した。いつもの優しい顔ではない、真剣な顔つきだった。
「君の考える通り、ミミズクにはミミズクの生き方が、ネズミにはネズミの生き方がある。だが食物連鎖という絶対の自然の掟では、彼らの方が強い。だから主導権は彼らが持っているに等しいんだ。同じ条件の下なら力が強い方が掟になる」
「でも、そしたらツパイ達は?」
「それを言うなら彼らの生活は? 君があのミミズクの狩りを妨害すれば、あの雛たちに与えるエサがなくなってしまうかもしれない。そしたらあのヒナの内、何羽が死ぬ?」
 また巣穴を見上げる。雛たちはずっと待っているようだった。親鳥が口にツパイをくわえて巣穴に飛び込む姿を想像して、寒気がした。
「ユジーン、死は平等に訪れるものだ。私も君もだ。あのミミズクだって。そこにある自然なバランスを崩しちゃならないんだよ」
「でも、ここにあるバランスが本当に自然なら」
 僕はフルトンに向き直った。本当は僕の心はもうとっくに決まっていたからだ。
「本当に自然ならツパイはフルトンに出会ってない。僕の絵だって見てない。書斎の中でフルトンに反対されたのを押し切って僕の前に顔を出したりしない。僕にあんなお願いをしない! こんなめぐりあわせになったんならきっとそうすべきなんだ。じゃなきゃ昔の職人は彼らに扉を与えなかったはずだ!」
「それは……」
 あの扉は本当に素晴らしい物だった。あれほど小さく、しかし金具や細部は完璧で、大きささえ見なければ人間が使ってたってなんら不思議じゃない。それだけの物を与えた職人だって、きっとこんな矛盾の葛藤に苦しんで、最後に答えを出したはずだ。
「それにねフルトン。僕がやったことがもし間違いなら、きっとミミズクは僕が描いた物を何とも思わずに彼らを襲うはずだ。きっと、この行動が正しい事を産むんじゃない。正しい事が、僕に絵を描くチャンスをくれたんだ」
「そこまで言えるなら、私はもう何も言わないさ。ユジーン、行こう。もうすぐ昼だ」
 僕は頷くと、踵を返して今まで通ってきた道を戻った。親鳥が帰ってきたのか、雛鳥たちがけたたましく鳴いて、そしてまた、静かになった。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。