第五章:糧
5枚ほどの絵を抱えて、僕は宿の部屋に戻ってきた。外はもう真っ暗。ランプの甘そうな光だけが、部屋の中をオレンジ色に照らしていた。
僕は絵をベットに投げうると、鞄を下ろし、箱書斎をテーブルの上に置いてあげた。
すぐにフルトンが顔を出し、夕食の支度をする僕をよそに、ベットの上の絵の方に飛び移った。
「最初の一枚以外は、あまり時間をかけていないように見えたが?」
「うん、残りの4枚は、それ以上描きこむ必要はないって思ったから」
かまどの僅かな日でチーズを焼き、それをパンに乗せる。端の方をちぎってチーズをすくうと、あらかじめ取ってきた木葉に乗せて、書斎の前に置いた。
「ありがとう。しかし、いいのかい? 売るんだったら、全て質を高めておいた方が……」
「いいんだ。結構気まぐれなんだよ、絵を買ってくれる人って」
フルトンを踏んでしまわぬよう意識しながらベットに腰かけ、一番時間をかけた最初の絵を抜き取って見てみる。じっくり見れば見るほど、ああすればよかったこうすればよかったと、さらに手直しをしたい欲求に襲われてくる。
「時間をかけて、自信のある絵が売れる時もあるけど、案外「これは売れないだろうな」って思ってたような奴が真っ先に売れたりするんだ。時間をしっかりかけた絵が売れる時もあるし、そうじゃないさっぱりした絵が売れる時もある。どっちもに偏るといけないから、だいたいこうやって数を決めて描いてるんだ」
「ふむ。人によっては、時間をかけた絵よりもそうでない絵のほうがいいということか。なるほど」
実際僕も、何度かフルトンの言ったような事を試したことがある。時間をかけた絵だけを取り揃えて売ってみたり、逆に数だけ売ろうと品物を増やしてみたり。
でもどちらも納得の行く成果は得られなかった。結局その両方を揃える事で、生活できるだけの金を稼げるようになったのだ。
それでも、売れるか売れないかで言えば気まぐれだ。溜める事ができるほど売れる事があれば、生活のたしにさえならない時もある。
「……こ、これは」
フルトンは、チーズの乗ったパンをかじって何やら感動していた。
コーヒーも淹れよう。僕はカバンから木箱を取り出した。
「……………」
道端いっぱいに布を広げ、その上にいくつかの絵を並べる。その後ろに座ってただひたすら待つという、恐ろしく原始的な方法。
街に画廊なんかが無い時にはこうやって売っている。でも、まだ春先手前で寒さも残っており、動かずにいるのは少々応える。とはいえ動いてフラフラ歩いてしまっても意味が無いので……結局寒さに耐えて待つしかない。どうにも苦しい仕事である。
「いくらかね?」
しばらく足を止めて眺めていた初老の男性が、一番時間をかけた絵を指さした。
「うちは言い値です」
「ふむ・・・銅貨5枚でどうだろうか」
「ありがとうございます」
すぐに布きれを取り出し、絵を包んで紐で軽く縛る。銅貨を受け取って絵を渡すと男性は会釈し、すぐにその場を離れて行った。
「あの絵が最初に売れたね」
「そういう日もある。気まぐれなものだよ」
フルトンはいつの間にやら僕の隣に小さな椅子を出し、腰かけてコーヒーまですすっていた。この寒さでコーヒーは非常に羨ましい。
「……箱書斎の中には、コーヒーを淹れるだけの機材はあるの?」
「あぁ、雨水を溜めた桶やかまど、火打石なんかもあるよ。どれも職人が、私たちの為に作ってくれたものなんだ」
フルトンたちが使うサイズとなると、相当に小さくて精密に作られたものだろう。なんとも見てみたいが、今はその時ではないだろうなと思い、やめておいた。
「ここから半年ほど東に歩いて海を渡ると、その職人の国に出る事ができるんだ。この国とは全く違う文化を持っていて、陽気で礼儀正しい人々が住んでいるんだそうだよ」
「ふーん……」
職人の国。行ってみたい気持ちもするが、海を渡るという時点でもうダメだ。船に乗るなんて、よほどの命知らずか金持ちだけ。そして、安全に海を渡れるのなんて金持ちだけ。つまり僕にはとても手の届かない世界と言う事だ。
「いいかな?」
「あ、はい」
来客で、想像の世界から現実に戻される。ふと気づくとフルトンはもうそこにいなかった。
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